思うこと 第25話 2004年11月11日 記
リーダーのあるべき資質 −その5−
「名選手必ずしも名監督ならず」
東京出張の折、羽田の書店でこの本を目にし、ずっーと探していた宝物を探し当てたと直感し、帰りの機中で夢中で読んだ。果たせるかな、我が意を得たり、の内容であった。
話は今年の2月にさかのぼる。あの時も、東京出張の帰りの機中であった。スポーツ新聞に“はでな”見出しで、W杯日本代表チームジーコ監督が、合宿中に無許可で夜間外出したことに怒り、久保、大久保、小笠原ら外出した8選手全員を記者会見で非難し、「お仕置きとして、しばらくワールドカップ予選のメンバーからはずす、2ヵ月後のシンガポール選にもつれて行かない」と、怒りをあらわにして話したとあった。記事によると、8人が飲みに行った理由は「監督は海外勢ばかりを使い、我々日本勢はベンチを暖めるのみだ」という鬱積した不満の憂さ晴らしであったという。私はめったに“怒る”ことのない性格であるが、、この記事を読んで、ジーコ監督に心底から怒りを覚えた。この処置は、これら極めて有能な8人の若者の、伸びる芽を摘むことになりかねないし、少なくとも、この処置はこれら8人の選手にとってプラスになるとは到底思えない。チームの中にすでに芽生えていた外国勢と日本勢の溝をさらに深めるだけという悪影響が待っているのは明白であった。チームの一体感なしに、団体競技は勝てない。若者にやる気を出させるのが監督の務めのはずなのに、このような監督では、W杯の行く先も暗いな、と思った。私が驚いたのは、新聞の論調のなかに、監督への批判がなく、新聞までもがこの非常識な処置に非難の一言もなかったことであった。これでは、これら8人の若者はうかばれない。私はスチュワーデスにお願いして、出来るだけ多くの新聞を集めてきてもらったが、スポーツ紙だけでなく、一般紙も同じ論調の記事ばかりであった。鹿児島空港に降りたつや、私は読めなかった新聞を買いあさり、目を通したが、結局、全て同じであった。日本のマスコミまで、どこかおかしくなっているのだろうか。それとも、私の感覚が異常なのだろうか!?? 私と同じ意見の人はいないのか、としばらくは、新聞記事に気を配ったが、その後、これら若者たちの名誉回復をしてくれる記事はなく、ほとんど諦めかけていたときに、この本のタイトルを目にして、この本には、私と同じ意見が書いてある予感がして、興奮したというわけである。
この件に関し、セルジオ越後は次のように述べている、「ジーコ監督は“私への約束を破った”と言っているけど、それどころじゃないような気がする。今は代表の分裂の危機かもしれないのだよ。選手たちだってもう子供じゃないんだから、そういう批判のしかたはどうかと思う。それに監督として管理する責任があるならば、まず監督として管理できませんでした、そう誤るべきだったんじゃないのかね。それを抜きにして、あいつらが悪いと指をさしてチームから切る。それは下を切っておけばいいという、いまの日本サッカー協会なり代表の“お上体質”だよね。切られた選手たちだって面白くはないよ。選手個人を大切にするよりも、組織のメンツを優先させる。そう感じずにはいられないね。ジーコ監督にしても“オレが申し訳なかった”と言えるような、懐の深さをみせてほしかった。(中略)心配なのは切られた選手たちの今後だよ。メンタル面でポジティブに持っていくのは難しいよね。もちろん代表の今後にとっても不安は残る。純粋に戦力としてダウンなわけだから。いずれにしてもシコリは残る。なんとも後味のわるい処分だったね。」
私が、我が意を得たり、と、快哉を叫んだ理由がおわかりいただけたことと思う。