思うこと 第230話             2007年7月3日 記

慈愛会版『大リーガー医』第一弾−その2−


Dr. Yew のセミナーは今日は今村病院分院の会議室に場所を移して行われた。



私の予想を超える60人を超す聴衆で会場は満員になった。

聴衆は研修医に加え、ACLSのトレーニングを担当しているメンバーも多く、熱気にあふれた雰囲気であった。

昨日同様、要所要所で加塩総合診療内科主任部長が日本語で解説をつけてくれた。 Dr. Yewは2001年9月11日にニューヨークで起こったあの大惨事の現場に駆けつけたが、他の多くの駆けつけた医師や救急隊員同様、何にも役立つ働きが出来なかったことに衝撃を受け、災害医療というのは、訓練されたチームが組織的に行わなければ役に立たないことを実感したと言う。 彼は、この災害を教訓にして災害直後に立ち上げられた救助訓練チームに主体的に参加し、

その後、この活動に軸足を移して今日に至っているとの事であった。
私は、今回のセミナーで始めて知ってびっくりしたことは、災害現場に駆けつけて、まず彼らが行うことは、

受災者の体に、上のスライドの様な4種類の色分けされたタグを貼ることであるという。時間が勝負なので、瞬時に見極め、タグを貼り、搬送隊は赤のタグを貼られた受災者のみを病院へ搬送するのだという。
 Dr. Yew は具体的な受災者を症例提示し、聴衆に次々と指名し
て、あなたならどの色のタグを貼りますかと質問していった。各人判断がわかれ、最後に、Dr. Yew が模範解答を提示するというやりかたで、指名された全員が間違った症例は、11歳の女児で意識レベルは極めて低いがまだかろうじて生きているという様な症例だったかと記憶しているが、正解は黒色のタグで、通常の医療の感覚とは異なる判断が、一人でも多くの助かるべき人を救出するという災害時医療の現場では要求されることを知ったのであった。助かる可能性が低い人を搬送するということは、結果として、助かる可能性の高い人を搬送出来ないという現実を教わったのであった。
この様な、大災害とは別に、多くの島々からなるハワイで本格的な医療が出来るのはホノルルだけなので、航空機による搬送も大事で、

Dr. Yew は2006年4月以来1000人を超える患者の搬送に係わったとの事。

搬送隊員の訓練も彼の業務の一つで、これにも、シュミレーション医学が役立っているとのことであった。

離島をたくさん抱えている点では鹿児島はハワイに似ているが、しかし、離島からの搬送医療においては彼我の差を見せ付けられる思いであった。災害医療にしろ、離島医療にしろ、行政のリーダーシップが最重要課題となるわけで、財政基盤の弱い本県で、ハワイ並みのレベルに達するのには相当な道のりが予想され、残念な思いもしたが、ともあれ、大リーガー医は今日も我々に大きなインパクトを与えてくれた。Dr. Yew は明朝鹿児島を発つ予定であるが、鹿児島がとても気に入ったので、また来たいと何度も言っていた。
無事の帰国を祈りつつ項を締める。