思うこと 第215話             2007年5月25日        

『“思い込み”の怖さ』と『“発想の転換”の重要性』


 昨日はとても貴重な経験をさせてもらた。鹿児島市シルバー人材センターの依頼で、センターの会員の総会で講演を行った時のことである。1000人の聴衆を前に話すのであるから、その準備にも念を入れ、パソコンをかかえて張り切って会場の宝山ホールに着いた。着いた時、まだ30分ほど余裕があるつもりであったが、総会が予定より早く済んだので、終わり次第講演を開始したいとのこと、もちろん、『OK』とお返事した。予期せぬ出来事が起こったのはその直後のことであった。『では、急いでパソコンをプロジェクターに繋ぎましょう』と私が言ったところ、担当の方がびっくりして、『プロジェクターもスクリーンも用意してありません。打ち合わせの時、「何か用意するものありませんか?」とお聞きした時、先生は「特に準備はいらない」と言われたので。』との返事。私は、瞬時にして事態を理解した。担当の方は、『プロジェクターの準備は必要ありませんか?』と言う意味も含めて『何か用意するものありませんか?』と打ち合わせの時私に聞いてくださったにもかかわらず、私は、講演はプロジェクターでするもの、という勝手な“思い込み”があり、質問の意味を『皆さんにお配りするレジメを用意するなどの何か用意するものありませんか?』と言う意味と自分勝手に“思い込んで”、『特に準備はいらないよ』と答えたのであった。事態は、“常識的には”深刻であった。自分のプロジェクターを取りに帰る時間的余裕はなかったし、担当の方も、急遽用意することは不可能とのこと。 私は、瞬時に、発想を転換し、嬉しくなった。 『そうだ、これは、プロジェクターなしでお話しする、絶好の機会だ! 神様が私にまたもそのチャンスを与えてくれたのだ!』と。 幸い、黒板2つと白チョークがあるとのこと 。私は、1000人の聴衆の一番後ろからでも見えるように、黒板に大きな字でキーワードを書きながら、話した。 話しながら、明らかにいつもの自分の講演より聴衆が私の話しに乗ってくれているのを感じた。部屋が明るいので、聴いてくださっている皆さん全員の表情まで見え、私の言葉に、うなずきながら、一生懸命聴いてくださっているのがよくわかり、私も、いつもよりも話しに乗りまくってしまった。 最後の拍手の大きさは、これまで私が経験した中でも最大級のもので、プロジェクターなしでも、自分はプロジェクター以上の講演が出来るのだ、と、嬉しくなった。
 『“思い込み”の怖さ』と『“発想の転換”の重要性』の2つを同時に学ばせてもらった貴重な経験であった。