思うこと 第206話 2007年5月6日
井形昭弘先生のご受賞をお祝いして
昨日は財団法人慈愛会の仕事の一環で今村英仁理事長と一緒に名古屋に日帰りで出かけ(連休の真っ只中だったので、航空券を取るのにキャンセル待ちした!)、井形先生にお会い出来た。先生のお元気なお話をお聞き出来、今回もまた元気をいただいて帰路に着いた。先生は、その前日(5月4日)は岐阜県恵那市明智町の大正村のイベントに大正村の助役として参加されたとのこと。いただいた先生のお名刺を紹介しよう!
この大正村( http://www.nihon-taishomura.or.jp/ )の成り立ちを井形先生から教えていただいた。昭和50年代、明智町(明智光秀生誕ゆかりの町)は企業の多い町であり一時期は岐阜県内でも上位の財政力を持っていた。しかし、技術革新時代を迎え、従業員を減らしだした。当時の主産業である林業や製材業も不振となり、急速に過疎化を迎えていた。追い討ちをかけるように昭和56年6月10日 国鉄は明知線を含む15鉄道線区と23バス線区を特定地方交通線に選定した。これは事実上の廃線であった。長野県木曽郡日義村の沢田正春氏の「大正村の看板を立てれば、人はきっと集まる」という構想に基づき、当時の明智町は時代に取り残されていくという危機感から昭和58年に大正村建設を決断した。その結果沢田正春氏の狙い通り、多くの観光客が訪れることとなったとのことである。この成功の裏には、初代村長に高峰三枝子氏をお迎えし、2代目村長に司洋子氏をお迎えしたことにも大きく貢献したとのこと。司洋子村長のもとでの助役に井形先生は迎えられ、前日の村のイベントでは司洋子村長ともどもイベントに参加されたとのこと。
さて、その時、いただいた5月3日付けの中日新聞掲載の嬉しいニュースを紹介しよう!
井形先生は現在78歳であるが、今も、名古屋学芸大学の学長としてご活躍されるかたわら、文部科学省や厚生労働省などの国の政策を動かすお仕事でも活躍しておられる。
私は、今回もまた、先生からお元気をいただいたのであった。