思うこと第17話   2004年6月30日 記

「感動する心」を大切に

先日ある会合で、昭和62年に私たちの鹿児島大学を卒業した今村健志君に久しぶりに出会った。同君は、まさに今月の1日(6月1日)に癌研究会癌研究所生化学部長の要職に就任したばかりで、本当に輝いて見えた。どれほどの要職か、一番わかりやすいのは、前任の部長が宮園浩平先生で、その前の部長が中村祐輔先生であったことの紹介で充分であろう。まさに、わが国のこの分野でこれ以上に重要なポストはないといえる、そういうポジションである。その要職を若干43歳の若さでまかされたのである。同君の、これまでの世界をリードするすざましい研究成果からすれば、彼を知る人は当然のことと思うことであろうが、それにしても、すごいことで、嬉しくてならない。癌や骨代謝の分野ですでに世界のスーパースターである同君に、今回、確固たる活躍の場が与えられたことの意義は大きいと思う。これで、日本の分子生物学部門はさらに大きく飛躍し、わが国における難病の治療研究にもはずみがつくことであろう。
同君はその日の会の主役の一人であったので、舞台のひな壇でスピーチがあった。その中で、突然私の名前が出てきて、びっくりした。曰く、「私の今日あるは、今日ここにご出席の納先生の講義に感動したことも、そのきっかけの一つです。先生が、HAM発見のきっかけは若い研修医の主治医が患者さんの診療に一生懸命に取り組むなかでの観察から生まれた、と当然のことのように話されるのを聞いて、自分みたいなものでも、一生懸命頑張れば、世界的な仕事ができるかも、と、思ったことも、その一つです。」 私は、感動する心を持ったお前が偉かったのだ、と思いながら聞いていたところ、何と、そのことが、同君のスピーチとして、先の言葉に引き続き語られたのであった。曰く、「私の人生を最も決定づけた出来事は、鹿児島大学で宮園浩平先生のご講演をお聴きして、感動し、この方こそは私が師と仰ぐべき人であると思い、講演の直後に胸のうちをお伝えし、その夜には、OKのお返事をもらうことが出来たことでありました。皆さんにお伝えしたいことは、感動することこそは、人生で最も大切である、ということです。」私は、同君のスピーチにわが意を得たりと “感動し”、その後の宴会の時に、「君が言ったことと同じようなことを私のHPのエッセイの欄の「出会いを大切に」に書いてあるので、ぜひ見てね。」と同君に伝えたのであった。
これに答えて、翌日同君から私に送ってきたメールの言葉に再び “感動し”、このHPで若者に伝えたいので転載させてくれと頼み、許可を得たので次に紹介します。

「私が言いたかったことはすべて先生のホームページの『出会いを大切に』に書かれています。私は「感動する」ことと言いましたが、先生のおっしゃる「感じる」ことの方が適切だと思います。但し私は、人との出会いだけではなく研究テーマやおもしろい分子との出会いを含めると、「感動する」でもよいかなあーと思います。さらに付け加えさせて頂きたいのが、私の「トラック競技とおもっていたらマラソンだった」の話についてです。会場で直前に思いついた話で、言い尽くせなかった部分を書き加えさせて頂きます。本当に大学院終了当時は、私は何も見えておらず、他大学にかなわないと半分諦めかけていました(所謂負け癖がついていました。しかしトラック競技で半周差がついていると思えばそう感じるのは当たり前のことです)。ところが、本物を知っている納先生や吉田(浩己)先生が本音で語ってくださって、おそらく私にグローバルな考え方をもつきっかけを与えてくださったと思います。その結果、「なーんだ、これはトラック競技ではなく、今から競技場の外に出て行くマラソンだから、半周差なんて小さい小さい」と思ったと思います。そう思えたから信じることが出来、努力できました。今から考えれば、あまりにも短絡で無謀なことですが、実際、今自分の過去を振り返ると、信じて努力すれば何でも出来るような気がします。先生を含め私が出会ったすべての師に感謝します。そして部長を拝命して、今まで自分がして頂いたことを、同僚や後輩にしてあげることを忘れずに頑張っていきたいと思います。」

最後に嬉しい締めくくりの1行は、「まだまだ全て見ていませんが、先生のホームページは子供の頃のおもちゃ箱みたいで楽しいです。これからも楽しませんて頂きます。ありがとうございます。」と結ばれていたので、勢い余って、これまで紹介させてもらいました。(^-^)