思うこと 第10話 平成16年3月16日記す

“ちょんまげ”教授誕生の意義

 昨日、中島利博教授就任祝賀会に参加し、中島君の“ちょんまげ”にびっくりして、「なんじゃ、お前の頭は」と思わず聞いたところ、「これからの私の講演の中で話します」とのこと。中島君は、39歳の若さで聖マリアンナ医科大学の教授にこのほど就任したのであるが、実は彼は、医学の分野で日本からノーベル賞が出るとしたら次は彼だろうとうわさの高い男で、サイエンスやネイチャーやセルクラスの超一流の学術誌に実に多くの業績を次々に発表している男である。4年ほど前に東京にある有数の国立大学からの教授就任の依頼があったのもお断りして、ひたすら研究に打ち込んできた若者である。彼は鹿児島大学医学部を平成元年に卒業し、耳鼻科で3ヶ月研修した後、私たちの第三内科に入局し、約3年間一緒に勉強し、その後私の右腕として活躍していた丸山征郎助教授が臨床医学講座の教授に栄転した際に、丸山教授と一緒に臨床医学講座に移籍したのであった。私が教授になってからの第三内科から教授になった第一号が丸山教授であったが、丸山教授がぜひにと指名して連れて行った北島君と中島君の両名ともを全国区の教授に花咲かせた。丸山教授はけだし名白楽(人育ての名人)と言えよう。ちなみに、中島君は私が教授になってから第三内科出身で教授になった12人目(全国区では8人目)の教授である。さて、講演で披露された彼の“ちょんまげ”の理由は、「金もなく、コネもなかった自分が世の中で認められ、患者さんの役に立つ研究を成し遂げるには、研究に全力をあげると同時に、既成概念を打ち破り、かつ、一度会った人には必ず覚えてもらうことも大切なことでした。この二つのことのシンボルとしてわずか150年前まではあたりまえであった“ちょんまげ”をつけることにしました」とのことであった。この彼のシンボルをみていると、この男は、ややもすれば既成概念で頭の固くなりがちな医学の世界に、痛快な風穴をあけてくれるような気がしてならない。中島教授はきっと完全な治療法がまだ確立されていない難病の治療への道筋をつぎつぎ切り開いてくれるであろう。がんばれ、中島教授!