思うこと 第102話           2006年6月22日 記       

稲盛 和夫氏の著書に感動

 この度、すばらしい本との出会いがあった。 本当に感動して一気に読み終えた。 まだ感動の余韻で興奮しながら、書いている。 この本との出会いが、私のこれからの人生を、「よりいい人生」にしてくれると思う。 これまで私が出会った本の中で最も感動した本といえる。 さっそく、私のこのHPの『若者に薦める本』のトップにのせた。

 この本は、京セラ創業者の稲盛氏が、社内や外部からの求めに応じて折にふれて行った講話や講演の速記録を参考に参考にしながら、ご自身でさらに手を加え、京セラの若い社員むけに、社内書物としてまとめようとしたことが出発点になっている。 この社内出版企画の相談をうけたPHP研究所は、その原稿を読み進めるうちに、この哲学は京セラ社内だけでなく広く一般の方々にも普及することがきわめて大きな意義をもつと考え、稲盛氏にお願いして、1989年に単行本としてPHP研究所から出版されたものである。 この本は多くの人に読まれたが、さらに読みやすい「新装版」として2004年4月に第1版第1刷が出され、私が買ったものは第18刷であるから、ベストセラーの一つになっているものと思われる。 ちなみに稲盛氏は鹿児島生まれで、私達の鹿児島大学の工学部を卒業しておられ、鹿児島大学の最大の誇りとなっている方である。

 何故これほどまでにこの本に私は感動したのか。 それは、これまで私がこのHPで若者に語りかけてきた内容と重なる部分が少なくないこと、すなわち氏の哲学と私の人生に対する考え方に共通点が多かったからであり、感動の中で、また多くのことを学んだからである。

 私がこの本を読み終えて、まず頭に浮かんだのが、『 出水兵児(いずみへこ、鹿児島弁では“いずんべこ”)修養掟』であった。これは、薩摩藩の守りの要であるの出水の武士が、若者に教えついで来た武士道の修養掟である。 この『 出水兵児修養掟』は薩摩の若者の修養掟として戦後も各家庭で教え告がれてきており、鹿児島で生まれ育った若者なら、誰でも暗誦している修養掟であり、もちろん私も、この全文いつでも空で言える。私の家の仏壇のある6畳の間に大きな横長の額装にこの全文が書いてあり、父は毎日これを声を出して読み、私達子供達も毎日声を出して読む習慣がつき、いつしか、この掟は私の人生の掟として幼少時代から体にしみこんでしまっている。 稲盛 和夫氏も鹿児島生まれの鹿児島育ちであるから、当然、この全文を暗誦し、体にしみついておられるにちがいなく、ひょっとしたら、氏の哲学の原点になっている可能性が濃厚と見た。実は私は、先日、現鹿児島知事の伊藤祐一郎氏の今年の年頭所感の新聞記事の水俣病に関する発言に感動したことを紹介したが( http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/minamatabyou/shinnbunnkiji/minamatabyou-shinnbunnkiji%20.htm )、この時も、伊藤知事が出水出身であることから、即、『 出水兵児修養掟』の心を知事の発言と結びつけて感動したのであった。 このHPの読者は鹿児島出身以外の方が多数おられるので、『 出水兵児修養掟』の全文を私の暗誦度を披露する意味も込めて、以下に紹介しよう。(もしも、私の記憶違いがあったら、メールで訂正ください。そのうち、実家に行って、写真を撮ってきて、このHP上でお示ししたい。2006−7−15 追記;今日やっと実家で写真撮れたので、下に示します。)

『 出水兵児修養掟』
士は節義を嗜み申すべく候。節義の嗜みと申すものは、口に偽りを言はず、身に私を構へず、心直(すなお)にして作法乱れず、礼儀正しくして上に諂(へつ)らはず、下を侮(あな)どらず、人の患難を見捨てず、己が約諾を違ヘず、甲斐かいしく頼母しく、苟且(かりそめ)にも下様の賤しき物語り悪口など話(ことば)の端にも出さず、譬い(たとい)恥を知りて首刎ねらるゝとも、己が為すまじき事をせず、死すべき場を一足も引かず、其心鐵石の如く、又温和慈愛にして、物の哀れを知り人に情あるを以て節義の嗜みと申すもの也。


 この本は、106のテーマからなっており、一つ一つのテーマが見開き左右2ページに簡潔にまとめられている。 私は、これらのテーマの中から幾つかを選び、今後『稲盛 和夫氏の訓話に感動して』のシリーズの形で、この『思うこと』のなかで、ときには『 出水兵児修養掟』とも対比しながら述べて行きたい。