第46回日本神経学会総会
会長講演 
夢追って30余年

演者: 納
(おさめ) 光弘(みつひろ)

 では、あと10分、時間がございますので、私のお話の締めくくりに、これもまた、私はもう涙なしには語れないのですが、できるだけ涙なしに語ろうと思いますが、私は病に倒れまして、そしてそれを契機にまったく新しい人生を歩み始めた。もちろん、このおかげで有村助教授には、多大の迷惑をかけているわけですが、そういったお話をさせていただきたいと思います。








 2001年2月、鹿児島大学の病院長に就任したときの私は「世の中に、成せばなる、成さねば成らぬなにごとも、成らぬはおのが成さぬなりけり」という、必ず物事は失敗しないのだと、努力が足らないから駄目なんだという考え方でございました。しかしながら、世の中はそう甘くはありませんでした。あの激動の病院長時代に、ちょうど制度改革のさなかに、私の志が高かったから、高ければ高いほど挫折も大きかったわけでございます。とうとう激しいストレスにさいなまれた後に、ストレス性の高尿酸血症で痛風発作を起こしたのでございます。しかしながら痛風発作というのは、後、痛みが治るとなくなるわけですから、後、いろんな意味でこれの研究はいたしましたけれども、こんなのは病気のうちに入らないと今は思っております。
 ほんとに私が心底からひっくり返った病気は、2003年8月に、完全にこの高血圧と、これも結局、もう極度のストレスから来る高血圧、そしていろんな体の症状も出てきまして、これはもう入院するしかないと判断して、病院長を副病院長に託して4カ月間入院させていただいたのでございます。簡単に4カ月間といいますけれども、私は、この入院したときに、これでもう、また再び社会復帰は無理かもしれないなと。本当の話、有村助教授に言った言葉を思い出します。「金澤先生には申し訳ないけれども、2年後の神経総会も、おれは無理かもなあ」と。そしたら有村先生が「先生、大丈夫です。私達がついております」と言うので、「そうか、そいじゃあ、そのまま進もうか」ということになったわけでございます。

そして、その入院の間に、私が味わいました人生観の変化というのは、それまで朝も夜もなく息せき切って走ってきた自分自身を振り返って、病気になったら何にもならないじゃないかと、病気になったら、結局家族にも迷惑をかけ、医局員にも迷惑をかけ、私を頼りにしてくださった患者さんにもがっかりさせるのではないかと。だから自分自身の健康と、そして自分自身の幸せも含めて、そしてまた、自分の最も近い人たち、袖触れ合う人たち、家族であり、私たちを頼っている患者さんであり、教室の先生方であり、そして、教えてもらいたいと思っている学生。そういう最も近い人たちのために役立つということを、人生の第一義に据えて生きていこうというふうに考えを変えたわけでございます。

 そこから自然発生的に生まれてきたのが、昔から、描きたくて、描きたくて、描けなかった絵をまた始めようと。暇はつくらなきゃできるわけがないと。それから痛風の単行本も、これまで日本に3,000種類を超える闘病記がある中で、痛風が1冊もないということが分かっておりましたので、これもやはり、この貴重な体験は世に出す必要があるということで。







まずはこの絵の趣味からお話しますけれども、この岩絵の具は、ものすごく高いもので大変なんですけれども、家内がやっぱり、私が社会復帰したんだからお祝いにという気持ちがあったんだろうと思いますが、「一緒に貧乏になりましょう」と言ってくれたわけでございます。そして、その岩絵の具を買ってから8カ月後には、









納光弘展を三宅美術館の新館落成のプレイベントとして開催させていただく光栄に巡り合わせたわけでございます。













これがそのときの新聞記事でございます。















これが三宅美術館で出した『夕日に映える桜島』、これは朱1色で描いた朱の墨絵でございますが、














これが群青1色で描いた群青の墨絵。全部50号の大きさでございます。















あるいはこれは『蔵王岳と雪の桜島』、全部夜でございます。















それから『屋久島の千尋の滝』。これも夜中に、昼間の感動をもう一度サルの群れ跳ぶ場所に行って、もうサルは寝ていましたけど、じっと1時間半眺めて、印象を基に描いた絵でございます。











これはこの間、中国に講演で行ったときに、感動した景色を描いたもので、この水面の動きを描きたかったという作品で、これも50号でございます。












実は、今お見せした絵も含めまして、すべて、サンロイヤルホテルの憩いの間に、実は荒木先生は、もうこの学会きっての画家でございますし、(永松)先生の木彫もここに展示して、憩いの間という空間を作らせていただきました。










 痛風の単行本の話に関しましては、















これは、今もう出して5カ月ぐらいになりますが、幸い随分売れて、このおかげで現在、岩絵の具代が毎月出ているという、非常に好循環を繰り広げているのでございます。(笑い)











いろんな雑誌でも取り上げてくれまして、私もびっくりいたしました。















そうそう、この本はですね、私の、今、話をした痛風発作、病気入院、人生観の変化、そういうことを、縷々書いた本でございます。この写真は、この会場の入り口の本の売り場に積んであったものを、今朝、撮ったものでございます。もしも、岩絵の具代の協力していただける方があったら感謝いたします。(笑い)









 さて、最後に個人のホームページを作成したお話をいたします。これは、実は学生の教育、若者の教育のためにと思い立ったものでございます。













ヤフー・ジャパンで「納」一つ空けて「光弘」と入れていただきますと、















4,000ぐらいのアイテムが出てくる。大体、痛風のアイテムが多いんですけれども、しかしながらホームページは、必ず一番上に来るように、これは特殊な仕掛けがしてございます。












ここをクリックしていただきますと、この私の表ページが出てまいりまして、結局、例えば「納光弘展を振り返って」ここをクリックするか、「私の画廊」をクリックしていただきますと、これらにかんする結構大きなページがでてまいります。私のゴルフ気違いの話とか、ボーリング気違いの話を満載した項目もございます。それから「芝に学ぶ」という項目、これもまた、自分で言うのも何ですが、なかなか薀蓄があると思います。ぜひ、お暇なときに覗いていただければと存じます。





 さて、きょう、縷々話をしてまいりましたが、ちょうど時間となりましたので、私の井形先生に教えていただいた、夢を追っての私の旅は、これから先も命ある限り続けていきたいという言葉で締めくくりとさせていただきます。どうも、ご清聴ありがとうございました。








【井形 昭弘】
 どうも、納先生、ありがとうございました。会場から割れるような拍手をいただきまして、私も非常にハッピーであります。私の名前が出たもんですから、私はちょっと言いにくいんでありますけれども、納先生は、非常にまれに見る夢多き人、多才な人、バイタリティー、情熱、もうほんとに抜きんでていますね。そういう納先生と一緒に勉強したことを私は非常に光栄に思っております。きょうのお話もいろいろありましょうけども、会員の方々もお聞きになっていろいろなことをお感じになったし、また、納先生に学ぶところもあるんではないかと思います。会長講演としては、非常にユニークかつ有益なお話を伺ってきました。納先生、どうもありがとうございました。