個人的出来事    第91話     2007年8月8日 記
チベット日本画スケッチ旅行−3〜7日目−その5−
林芝からラサへの12時間のドライブ旅行


8月3日は林芝からラサへの移動の日。何と、午前9時に出発し、ラサには午後9時に到着、12時間もかかった事になる。通常は、10時間の旅とのことで、私が随所で車を停め、撮影とスケッチに余分な時間をかけたためである。まずは、地図を示そう。

二つの川、ヤルツンボ川と尼洋川とに注目してほしい。ヤルツンボ川はチベット最大の川であり、ラサ地区から林芝地区を通って、最終的にはバングラデッシュのダッカを潤し、ベンガル湾に注ぐ。ラサ空港も林芝空港もどちらもこのヤルツンボ川の河川敷に造られている。尼洋川はラサを潤した後、林芝の街をぬけて林芝空港のあたりでヤルツンボ川に合流する。今回の、我々のドライブ旅行は、林芝から尼洋川沿いに上流に向かって車を走らせたことになる。
街はずれで、修行僧を見かけたので写真を撮らせてもらったが、

私が注目したのは修行僧のかぶっていた帽子の形で、私の紫外線予防の帽子にそっくりで、紫外線の強烈なチベットに昔から伝わる生活の知恵と、感心したのであった。


林芝の市街をぬけた途端から両脇をこの様な山肌の合間を川沿いに進んでいった。
うっとりするほどの景観が続き、日本画の素材に恵まれたのは嬉しかったが、描く時間があるかの方が心配なほどであった。
しばらく行くと上定瀑布があり、

垂直落差が100メートル以上とのことであり、迫力満点であった。落差97メートルの華厳の滝をわずかに上回る程度の落差ではあるが、私はその周囲の岩肌(下写真)が華厳の滝を上回る“絵になる”景観と感じたのであった。

その後、巴松湖に寄ったが、

巴松湖はチベット聖湖の一つで、錯高湖とも呼ばれ、「緑色の水」と言う意味で、湖周辺まで茂っている原始林と紺碧な水色が印象的であった。正面の小さい島にはチベット仏教のお寺があり、紀元 7 世紀の仏像と沢山の仏教遺跡がある。
余談になるが、今回の旅行を通して、行き交う車にトヨタのランド・クルーザーの多いことは驚くほどで、バス以外の車の7〜8割を占めるように感じたが、この巴松湖の駐車場でも並んでいた乗用車のかなりのものがトヨタのランド・クルーザーであったので、記念に撮影した。

高くてもいいものを買う、いいものが売れる、という中国本土の経済的な目を見張る活力は、秘境チベットにも及びつつあることを実感したのであった。
巴松湖への途中で見た下の景色も“絵になる”と直感した。

はるか向うに見える峰を望遠レンズで撮った傑作をお見せしよう。

さらに尼洋川沿いに行くと、急流の中に“絵になりそうな”名物岩『中流斫柱』があったが、

私にとっては背景の山肌(下写真)の方が、

さらに“絵になる”と感じたが、逆光になっているのが残念であった。
さらに上流へと進んだところで、この日の進路の中の最高地点(海抜4500メートル)に到達した。

この地点が林芝地区とラサ地区の境界点で、ここから海抜3650メートルのラサまでは一路下り道となる。さて、この海抜4500メートルの峠では、前日高山病で苦しんだ体験から、酸素バッグを抱え酸素吸引しながらの撮影となった。

この境界点は極めて印象的で、それまで屋久島の山間を登る感じであった景色が、一気に北海道に足を踏み入れた感があった(ラサは広大な盆地の中央に位置するイメージである)。
本当に景色が変わり、

これは自動車の前を我が物顔でゆうゆうと横切ってゆくヤク達であるが、

放牧民の黒いテントがこの4000メートル以上の高地に点在し、

ヤクだけでなく、尻尾の白い牛らしき動物も見られた。
この放牧民のテントは4000メートル以上の、畠に適さない高地にのみ見られ、さらに下ると

ラサまで畠が連なっていた。これは、菜の花畑であるが、実は麦畑も広がっており、穂は実を付けており、春と初夏が一緒に訪れている感じであった。
12時間のドライブの後、ラサに着いたのが午後9時頃であったが、時刻が北京時間に合わせてあるためちょうど日が落ちる感じで、まだ明るかった。
ラサの観光は翌日行ったので、それについては、明日記す。