個人的出来事    第90話     2007年8月7日 記
チベット日本画スケッチ旅行−3〜7日目−その4−
林芝の農村風景


 今、8月7日午前10時(日本時間午前11時)、北京のホテルでやっとネットに繋がったので『その4』をアップします。昨日8月6日午後6時、極めて実り多かったチベットを後にしてラサ空港から北京に向けて飛び立ちました。

この写真はラサ空港を飛び立つった瞬間の写真ですが、写っている川がチベットで一番大きなナルツァンボ川で、空港はこの河川敷に作られています。ラサは写っている川向こうの山の向う(北側)100キロメーターのところにあり、ほぼ直線の大きな道路で結ばれていて、この山はトンネルで貫いてあり、ラサから空港まで自動車で約一時間で着くことが出来ます。思えばこの5泊6日のチベット滞在は、本当にすばらしいものでした。この期間を通して、完全な晴天が続き、目的の霊峰の全ての撮影とスケッチを完全な形で完成できました。運転手さんの話では、この様な幸運な旅行者は極めて稀で、奇跡的だとのことで、チベットの神様が私達の熱意に微笑んでくれたに違いありません。あと、二つ、大きな収穫がありました。その一つが、チベットをこれまで以上に深く理解でき、中国全体への理解もさらに深まったこと、もう一つが、高山病という貴重な体験をすることが出来たことは、医師としてこの上なき大事な勉強をさせてもらえたことで、運命の神様に感謝することでした。
さて、午後6時にラサを発ち、成都空港経由で北京空港に着いたのは午後11時半を過ぎていて、ホテルに着いたのは午前零時をまわっていました。ホテルは、7月30日の夜泊まった空港近くのゴルフクラブのホテルで、同じ部屋に泊めてもらいました。あの時、インターネットに即座に繋がった嬉しい経験をしたので、今回もそれを期待したのです。ところが、いざランケーブルを同じように繋いだのに今回は繋がらなかったのです。午前一時にフロントに電話して相談したのですが、夜中は技術者がいないので明日朝修復するとのことで、今、やっと修復が完了し、ネットが繋がった次第です。今日は、北京での仕事の合間に、さらに何回か報告の追加をしますが、とりあえず、昨日、飛行機の中で作成した『報告−その4−』をここにアップします。

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チベット日本画スケッチ旅行−3〜7日目−その4−
林芝の農村風景

 同じチベットでも林芝地区とラサ地区では、国が違うのではと思うほど、雰囲気が異なるので、まず林芝地区の残る話をして、そのあとラサ地域の旅の話をします。
林芝はチベット自治区東南部に位置し、チベット一の大河・ヤルツァンポ河がここを流れています。平均海抜が3100m、林芝の街は海抜2800m前後、総面積11 、 7万平方キロの広大な土地に総人口わずか20万人ですから日本では考えもつかない過疎地域です。多様性の地形と気候で、林芝の独特な自然景観を成し、「チベットの江南」や「東方アルプス」などと呼ばれていて、スイスの高原風景を彷彿とさせる場所にも幾度と無く出会いました。もっとも、日本の山間の農村風景に似ている場所にも沢山出会いました。
まず、林芝の街近くの郊外の農家の風景、

日本の農家に似ていますが、豚が放し飼いになっているところが、今の日本の農家との違いと言えましょう。では、以下に、シリーズで林芝2日目に南迦巴瓦峰の眺望を目指して魯朗林海に行く途中で撮った写真を示しながら話しましょう。

林芝地区は多くの種族の少数民族からなり、これはその一つの少数民族の部落で、昔の日本の山間の農村風景を思い出させますが、

放し飼いにされた牛(ヤク?)などが道路を横切るところが、日本の農村とは違う点です。
動物の毛皮をなめす作業も、

日本の農村では見ない風景でした。

これは、何やらお祈りの言葉をつぶやきながら、お祈りの道具をくるくる回しながら歩いていたこの部落のおじさんですが、この姿は、今回行く先々のチベットのあらゆる処で、頻繁に出会い、信仰が生活に深く浸透していることに感銘を受けたのでした。
人々は、万物に神が宿っていると信じていて、

このように、石にも神(魂)が宿っているとされ、あちこちにこの様に積み上げた石群を見ましたし、
少数民族の部落近くの小高いところには、この様に色の着いた布を沢山張り巡らしてあり、

これらの色がそれぞれ空の神様(魂)、空気の神様(魂)などを意味しており、高いところほど高貴な神(魂)が宿るみたいなことを案内の青年が英語で言っていましたが、たどたどし過ぎて、確実には把握できませんでしたが、まあ、そういうことのようでした。

この土地で有名な石鍋を昼食に食べたのでしたが、鍋が石で出来ていることを除けば、私達が食べている“鶏の水炊き”と寸分違わぬものであったのには驚きました。
農村風景はどこもこの様な感じでしたが、一歩林芝の街に入ると風景は一変し、

ぞくぞくと入植してきている漢民族(中国本土人)による街づくりが急拡大しており、これは、軍の基地の拡大や政府の建物の建設とも一体となっている印象を受けましたが、現地のチベット人達がこれに反発している様子は無いとのことでした。
私達が泊まったホテルからの写真を下に示しますが、

このホテルも、ここから見える全ての建物も、全て中国本土から入植してきた人達のものとのこと。
今、林芝地区でも漢民族が20%近くに達して、政治も経済も漢民族が動かしているとのことですが、少数民族にとって『お金より、心の幸せが大事』と考えていると、案内の青年は語ってくれました。

では、この続きは、また明日。