個人的出来事    第87話     2007年8月3日 記
チベット日本画スケッチ旅行−3〜7日目−その1−
高山病の貴重な体験


今、8月3日の深夜、やっとホームページをアップできる環境になった。8月1日に予想したとおり林芝での2日間はネットに繋がらず、従って、ホームページに毎日の旅行記をアップできなかった。 私達は、林芝に2泊、ラサに3泊とチベットに5泊の予定なのでチベット5泊分をまとめて項目別に今後書いてゆくことにする。兎に角、今回の旅行は、大収穫であった。私が期待していた以上の絶景の連続で、完成後の日本画のイメージを燃やしながら、スケッチと写真を沢山得た。それらについては、追って述べるが、今日は、対策を練っていたはずの高山病に我々全員が苦しんだ話をする。

林芝の空港で我々を迎えてくれたのはこのチベットの運転手と案内役のお二人とトヨタのランドクルーザー。チベット内の全ての旅行はこの車の予定となっていた。我々は、標高2900から3000メートルの林芝に2泊し、体を高地に慣らしてからラサに行くことで、高山病にならずにすむ予定であった。しかし、3000メートルとはいえ、やはり空気は薄かった。初日はホテルでゆっくりしたので、ちょっと疲れを感ずるだけですんだが、2日目は林芝の景勝の地を車で案内してくれたが、全て海抜3000メートル以上で、加えて海抜4700メーターほどの処でも3時間ほど過ごした。さすがに、空気が薄いと感じ、息苦しく、変な頭痛がし、体がとてもけだるくなった。ホテルに帰っても食欲が全くない。水も飲まなければと思っても、飲むと戻しそうな気が飲む気がしない。幸い、私だけでなく、全員が同じ症状だったので、すぐに、高山病との判断がなされ、林芝で一番大きな病院に案内され、VIP用の超デラックスな入院室で、全員酸素吸入の措置を受けた。驚いたことに20分ほどですっかり気分がよくなったが、用心のためにと2時間吸引した。というわけで、昨夜はぐっすり寝て、今朝は、は林芝を午前9時に発ち、ラサに午後9時に着くまで12時間をこの車と過ごした。酸素の袋を大量用意し、途中海抜4500メートルの高地を走る時は、酸素の袋から吸引させてもらった。

余談であるが、私のこの帽子は紫外線予防のために家内が見つけてくれたもので、重宝した。もう一つ余談であるが、この12時間の行程でトイレに行きたいときはいつでも車を止めてくれるので、我々男性には何の問題も無かったが、女性の場合木陰で用を足さねばならず、家内を連れてこなかったのは大正解であった。さて、今日、ホテルに9時に着いたところ、ありがたいことに酸素吸引室があり、2時間ほど全員ここでお世話になり、従って、こうして元気になり、HPにアップすることも何の問題も無かった次第である。吸引中の写真を示す。

ここで、やっとネットにつながり、3日ぶりにメールを読むことが出来、返事にてんてこ舞いしたが、メールの中に、次のメールがあった、『納先生、高原病にはくれぐれも注意してくださいよ。実は、私の知人(80歳)がチベットの天空列車で高山病になり、死亡したという知らせがはいったばかりなので。』 実は、私は、この天空列車の最大の欠点は、ラサに到着前に海抜5000メーターほどの高地を長時間走ることにあり、高山病への対応が悪ければありえる話である。気になったので、高山病について、今、ネットで調べたので、下に記す。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高山病(こうざんびょう、altitude sickness)とは、低酸素状態に置かれたときに発生する環境症候群。
高山では空気が地上と比べて大変薄いため、3000メートル級以上の高山に登ったときに極端な酸欠状態に陥った場合に、さまざまな症状が現れる。 主な症状としては、呼吸困難、頭痛、めまい、食欲不振、脱力などである。他にも、手足のむくみ、睡眠障害、運動失調なども挙げられる。低酸素状態において6〜12時間で発症し、一般には4〜5日後には自然消失する。しかし、重症の場合は高地脳症や高地肺水腫を起こし、死に至ることもある。
2006年7月8日、外務省診療所の山口寛所長の調査で、1996年から10年間で、ネパール、ペルー、タンザニアの日本大使館が把握している中での、日本人高山病発症者の内、少なくとも26人(平均年齢は50歳)が死亡していると発表。


もう一つついでに余談を話すと、このホテルの酸素吸引室のナースの話では、多くのお客さんが駆け込にで毎日大忙しであるが、中国人、韓国人などのアジア人がおおく、欧米人は高山病になりにくいらしく平気な様子との事。