第2回納光弘展の『ご挨拶』パネル全文

ご挨拶



私にとって、絵とは、感動を描き、描く中で感動を深め、時には人にもその感動を伝える手段である。従って、私は感動した時しか絵筆をとらない。若い時から仕事が好きで、朝早くから夜遅くまで仕事を楽しみ、絵を描く余裕がなかったこともあり、中学卒業以来はじめて水彩の絵筆を取ったのが、 何と、1977年(35歳)の時であった。 しかしながら、それ以来、その絵を含め2002年までの25年間に描いた水彩画はわずか12点にすぎない。いずれも、留学中か旅行中のもので、そのようなとき以外は仕事に追われ絵筆を取れなかった、ということになる。

しかし、私は2002年の8月末、病院長としての過労で病(高血圧)に倒れ入院した。入院を転機に、人生をゆっくり考える機会を得た。そして、それを契機に、それまでの前ばかり見て、息せき切ってただ走る人生から、健康に気をつけてゆっくり歩みながら、周囲の人々(家族、親戚、患者さん、教室員、友人、学生など)の幸せを第一義に位置づけた人生を送ろうと考えたのであった。その結果、患者さんお一人お一人の悩みに耳を傾ける時間が多くなり、また、難病で苦しんでおられる患者さんに根本的な治療法を見出そうとして日夜頑張っている教室の若者達に、仕事をしやすい環境を整備するためにも、より多くの時間がとれるようになった。また、同じく、病気のときに考えたことの結果として生まれたのが、若者教育のためのボランティア活動と位置づけた私個人のホームページの作成であり、また例えば先に出版した「痛風」に関する啓蒙書である。これに加えて、なによりも大きな変化が、この病気からの回復後、自分の健康のために絵を描くことにも時間を割くことを決意したことであった。

私の絵描き人生の一大転機は、2004年5月、日本画家村居正之先生の教室に入門させてもらえたことであった。その半年後の2005年1月に、病気回復後それまでの2年間に描いた41点の絵と病気前に描いていた12点の絵とをあわせた総計53点の絵を展示して、第一回納 光弘展を三宅美術館で開催した。

この度、2007年3月31日に私は鹿児島大学を定年退職することになった。この節目にあたって、三宅美術館が第二回納 光弘展を開催してくださる運びとなったので、ここに、第一回納光弘展以降に描いた21点の作品と、全国配布の脳卒中予防カレンダー挿絵12点(このうち6点は第一回納 光弘展時代の絵である)の総計27点の絵を展示する。

今回、定年退職の節目にこの展示会を開催させていただけたことは、感激の極みである。 御世話になった皆様方へ、この会場にお越しいただいた皆様方へ、そしてまた私の夢を再び実現していただいた三宅美術館の方々へ、心からの感謝の気持をこめまして。   
(2007年3月24日 納 光弘 記す)