個人的出来事 第23話        2006年2月11日 記ああ

オーロラを求めてーその1−
― 気合を入れた準備こそが大切! ―

オーロラを日本画で描きたい!
そう思い初めたのは次の理由による
国立循環器病院が毎年全国に配布している脳卒中予防の卓上カレンダーには月ごとに計12枚の絵が必要であるが、2007年度のを貴殿(画家・納光弘!!?)に頼みたいので、今年の9月までに用意出来ないかとの依頼を北村惣一郎総長より受け、もちろん感激して受諾した
画家冥利につきることであった
私のホームページの「画廊」を見ての依頼とのことで、ホームページを作ってよかったと改めて思った
ふと、このカレンダーの冬のどれかの月をオーロラの絵で飾りたいと思った
何故そう思ったのかは思い出せない
とにかく、今年の元旦にそう思ったのである
思い始めると、実現したい!との思いに胸が熱くなった
早速、ネットで、何月がオーロラ観測に適しているのか調べてみた
オーロラは北極点から少し離れたオーロラ帯で一番よく見え、この真下にあたるカナダのイエローナイフまたはアラスカのフェアバンクスがベストで、時期は5月から8月の白夜の時期は見る事は出来ず、もっともよく見えるのは12月から3月までとのこと
今年の9月のカレンダー用の絵の締め切りに間に合わせるには、定年退職後にというわけにはゆかないので、行くなら今年の2〜3月しかない
私のこの時期のスケジュール表をみると、忙しく、とても「お休み(年休)」をとってアラスカまで行けそうな状況にはなかった
教室のスタッフに相談したところ、スタッフが手分けして仕事を分担してカバーするから
夢をかなえるために心置きなくでかけてくださいという
ありがたかった
「年休」を使って外国に行きます、連絡場所はこの日はここです、ということを医学部長に届け出た
私の場合、絵は実物を見ずに絵は描けないので、フェアバンクス近辺に8連泊することで、オーロラ観察成功率100%をねらった。
昨年秋の次女の結婚式で貯金の残りも心もとない状況ではあったが、「画家納光弘の夢の実現に、残った貯金を使って、2人でアラスカに行こうよ」と私は妻に言った
我が家の大蔵大臣兼財務大臣妻の妻は、快諾してくれ、2人分の旅費をJTBに払い込んでくれた

しかし、そこから、私の新たな苦労がはじまった

私には、とっても苦い経験があった
あれは、2004年の10月初め、閉山の約1週間前の尾瀬の山小屋に泊まった時の事
午前3時に目覚めて」、窓から外を見ると、満天の星空いっぱいに、信じ難いほどの多くの星がきらめいていた。
私は、前日に夜明け前の星空の絵を描くポイント(場所)を決めていたので、星明りを頼りに木道をゆっくり歩き、午前3時半にたどりついた。そこで星空を観察しながら日の出を待った。
しかし、寒かった。
マイナス5℃ぐらいだったと思う。木道も凍っていた。寒いので、ラジオ体操しても、それでも寒かった。
防寒の備えが足らなかった。
星空を撮影するためにデジカメと三脚も持っていっていた。
ねらった星空にカメラを向けてシャッターを押した
何の反応もなかった
一体、なにが起こったのか、見当もつかなかった
後で、検討した結果、寒さで、シャッターが凍り、デジカメの電池も寒さで働かなくなっていたことを知った
午前3時半から6時の夜明けまで寒さに震えながら脳裏に刻み込んだ記憶のみを頼りに、後日、パステル画日本画に託したのであった。

今回のオーロラは、観察するだけでなく、出来れば写真も撮りたい。しかし、マイナス40℃にもなるかもしれない極寒の冬のアラスカで、オーロラの写真を撮るには、尾瀬でのあの失敗を克服しなければならない。

私は、2年前に購入以来デジカメ Canon IOS Kissを愛用しているが、そのカメラを買った「カメラのキタムラ」の店長に相談した。しかし、解決法は店長にもはじめての質問でわからない、とのことであった。結局自分で調べるしかないと思った。
ネットで調べた結果、あまりにも多くの情報に、かえってとまどった。
多くのオーロラ体験談は撮影失敗の体験談だった。成功例は、観察ドームの中からガラス窓ごしに撮影した程度のものが多く、わたしの求める情報ではなかった。正直言って、ネット情報に失望した。
しかし、ネット情報のなかで、昔式の、電池を使わない完全マニュアル機でメカニカルシャッターの使用を勧めている複数の情報に出会ったので、どの機種がいいかを調べた。中古品の検索は、ネットでも行い、東京の専門店にも行ってみた。ショックだったのは、JR有楽町駅の前にあるビックカメラの店員に相談した時、新品ではニコン製品が1機種のみ販売しているが、極寒地での撮影ではメカニカルシャッターの油が凍るので、購入後油抜きの作業のため修理工場に送る必要があるとのことであった。しかも、油抜きをすると、性能は保証できなくなるとのことであった。
私は、購入をみあわせ、オーロラと極寒撮影にからむカメラに関する本(寒冷山岳写真法を含め)を見つけることの出来るかぎりの全て買った(冒頭の写真)。

これらの本を読んで、私の疑問は全て解決した。一番、そして、決定的に疑問に答えてくれたのは、写真の最下段左から1冊目の「デジタルカメラ」の本年1月号であった。本誌記者が、なんと、私がこれから行こうとするフェアバンクスで、プロのオーロラ・カメラマンとして活躍しておられる田中達也氏に密着取材した撮影法の情報が完璧な形で掲載されていたのである。何と、同氏がオーロラ撮影に愛用しておられるカメラは、私が愛用してきているデジタルカメラのCanon EOSのグループ機種であった! 同氏の撮影法の全てを私が取り入れることにしたことは言うまでもない。

カメラ機器は、迷うことなく、これまで愛用の Canon EOS Kiss(左写真) と Canon EOS D300(右写真) の2つに決めた。 3脚は大きく頑丈なものがいいとのことで、私が持っているなかで最もがっしりした2本(左右の2つの写真)を持って行くことにした。リモートスイッチはRS-60E3を買った(左右写真で垂れ下がっているもの)








田中氏が使っておられる小道具は、私にとっては感動で、目からうろこの品々であった。この右の写真(私が買い揃えたもの)で説明しよう。左上の練炭懐炉、これは田中氏は金属カバーを覆っている布を剥いで、金属を露出して使っておられるとのこと。理由は極寒の地では懐炉も通気性がいいことが必要とのこと。上中ほどが練炭。その下が火をつけるためのマッチ。マッチの下のテープが薬局で買ったサージカルテープ(使用法は後述)。右上のヘッドランプにも懐中電灯にも、暗闇に順応した目を順応状態に保つために赤いセロファンを、田中氏のまねをして貼った。 右下の手袋は、別の本の中で見つけて、買い求めたもので、極寒地の撮影用に写真撮影が自由にやれる工夫がなされた手袋。通常はこの上に分厚い防寒手袋を重ねて使用し、カメラ操作の時だけ防寒手袋を脱いでこの手袋を使う。

カメラ等の一式を収納するのには、田中氏は座りのいい防寒カメラ用専用リュックのRAMDA社製のカメラバッグ双六岳を使っておられるとのこと、私ももちろんこれを買った(左写真)。この中に、暖房用に上記練炭懐炉を数個入れることにした。






私にとって感動的だったのは、昼間に焦点距離や露出を決め、夜間に使用時にそれがずれないように昼間のうちにサージカルテープで固定しているという事であった。サージカルテープは、幸い薬局ですぐ購入できた。私のカメラも、一台には超広角ズームレンズ(EFS10~22mm)を装着、拡大率10mmにサージカルテープで固定し(左下写真)、もう一台には魚眼レンズ(SIGMA 15mm 1:2.8)(右写真)を装着、いずれも焦点距離を無限大にテープで固定した。
さらに、感動して、完璧にまねさせてもらったのは、上記の練炭懐炉を女性用の使い古しのストッキングでカメラのレンズの下とバッテリーのしたにつるす事でシャッターの凍結と、バテリーの機能低下から守っていると言う事であった(左写真)

私は、このままでは、保温効果が充分でないので、全体を覆う布を家内に作ってもらおうと考えたが、既製品がないか色々あたった結果、なんと、RAMDA社から、まさにこの目的のために作られたフリースレインボウという製品が発売されている事を知り、2つ購入した(右写真)。

ここで、もう一つ解決しないといけない問題があることに気づいた。
上記の田中達也氏の場合も、あるいは又、「デジタルフォト」本年2月号でオーロラ撮影を紹介している秦建夫氏の場合でも、それぞれの写真の下に撮影した条件が書いてあったが、私にはそれを理解できる知識が不足していることに気づいたのである。
例えば、秦建夫氏のあるオーロラの写真の条件は;
焦点距離:16mm
露出モード:絞り優先AE
絞り:F2.8
シャッタースピード:16秒
ホワイトバランス:太陽光
感度:400
画質モード: RAW
と書いてある。理解できる言葉もあるが、理解できない言葉のほうが多い。
時間の都合で、この問題の解決は、成田からアラスカまでの飛行機の中で勉強することにして、教材だけを手荷物に入れ込んだ。
ああ