人物往来
 
執筆者:中川正法 (京都府立医科大学教授 脳・血管系老化研究センター 神経内科)
( CLINICAL NEUROSCIENCE 23: 586, 2005 )

納 光弘先生 〜その情熱、大らかさ、そして繊細さ〜

納先生ほど「存在感」のある医師はいないのではないかと思う。その「存在感」を別の言葉で言えば「カリスマ性」といえるであろう。納先生が過去に仕事された病院などでは、国内外に関わらず、いまでも「納の時代」が語り継がれているようである。この存在感は、どこから生まれるのだろう。その風貌や声の音色のみならず、納先生が持たれている「患者さんに対する熱い思い」ではないかと思う。その疲れを知らない体力、徹底的に疑問点を追求する情熱、相手のよい点をしっかりと見ることの出来る大らかさ、そして、生まれ持った繊細な感性、これらすべての能力をもって患者さんに接しておられるからではないかと思う。井形昭弘先生(初代鹿児島大学医学部第三内科教授)との出会いによって、その能力をさらに大きく展開されたと思う。
納先生には数々の武勇伝はある。納先生の御略歴を見ただけでも魅力的であるが、今回は「ビール」についてお話ししたいと思う。納先生は、とにかくビールがお好きである。私は、学生時代に難病問題研究会という学生サークルに所属しており、夏休みを利用して鹿児島県沖永良部島の難病健診を行ったことがある。この健診には、納先生を先頭に当時の鹿児島大学第三内科の先生方のご協力を頂いた。8月の最も熱い1週間を使って在宅検診を行った。健診の打ち上げの晩は、納先生といっしょに浴びるほどビールを飲み、私は完全に記憶がなくなった。この時に無意識の中で神経内科医を目指す決心をしたようである。あれから28年になるが、納先生とご一緒すると「アルコール性全健忘」になることが何度となくあった。いつか東京のホテルのバーでご一緒したときには、そのお店のビールをすべて飲んだことがあった。なぜこのようになるかというと納先生はビールを飲まれると必ず「よか晩」になられ、周りの人々を「ハッピーな気持ち」にしてくれるからである。私などは一番初めに「よか晩」になってしまう。
納先生が、数年前に突如として痛風発作にみまわれた。ビールには痛風の原因となるプリン体が多い。納先生は、きっぱりとビールを止められた。毎日採血して血中尿酸値を測定し、尿は一滴も残らず採取して尿酸排泄量を測定された。最新の痛風治療について徹底的に勉強され、ついに、「「痛風はビールをのみながらでも治る」という本を最近出版された。この本は、ベストセラーになった。この「痛風」に関連して印象に残っている納先生の言葉は、「この数ヶ月間ずっとコップにおしっこをしていたが、今日は久しぶりに便器に出来て気持ちがよかった」と言われたことである。もちろん題名から見てもビールを飲みながらの仕事である。

納先生をご存じの方は、その豪快さを強調されるかもしれないが、実は、きわめて緻密で、繊細な方である。私は、遺伝性神経疾患などの研究もしており、その一つに顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSHD)と言うのがある。納先生が30年前にFSHDの大家系の調査を奄美大島でされたことがある。その時に作成された家系図は、4世代にわたる極めて詳細な物で、臨床所見も正確に記載されていた。私は、納先生が作成された家系図をもとに再度調査を行い遺伝子検査をさせて頂いた。その際、多くの患者さんが納先生のことを覚えておられたことにあらためて感動した。
納先生は、仕事だけではなく趣味の世界でも卓越している。以前より、外国などに行かれてはよく水彩画を描かれていたが、最近は、日本画に集中されておられる。その絵は趣味の領域をはるかに越えたもので、納先生の多才ぶりというよりもその感性のすばらしさに圧倒される。納先生は、学問だけでなく、すべてにおいて類い希な「存在感」(カリスマ性)をもっている人である。私の人生の目標は、少しでも納先生の「存在感」に近づくことである。
なお、納先生の詳しい業績やエピソードを知りたい方は、納先生のホームページ(http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/)をご覧頂きたい。

納 光弘先生の御略歴

1957年 鹿児島市立甲南中学校卒業
1958年 タイワンツバメシジミの越冬状態の発見
1960年 鹿児島県立甲南高校卒業
1961年 日本縦断自転車無銭旅行
1966年 九州大学医学部卒業、鹿児島大学病院で1年間研修
1967年 九州大学第三内科、3年間一般内科と消化器
1970年 聖路加国際病院で内科臨床研修
1971年 井形教授との出会い、鹿児島大学第三内科
1973年 国立療養所南九州病院筋ジストロフィー病棟
1975年 東京大学杉田先生のもとへ国内留学
1977年 米国留学 メイヨークリニック
1980年 帰国
1986年 新しい脊髄疾患・HAMを発見
1988年 鹿児島大学医学部第三内科教授就任、現在に至る
(2001年1月より約2ヵ年間病院長を兼任)