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聖路加国際病院医師同窓会報 第22号 2003年10月18日発行


聖路加國際病院レジデント時代の思い出

鹿児島大学病院 内科・神経内科・呼吸器内科(旧第三内科) 
教授 
納(おさめ) 光弘(みつひろ)

私にとって聖路加病院でのレジデント研修の期間は、わずか8ヶ月という短い期間ではありましたが、私のこれまでの人生のなかで、とても貴重な、かけがえのない、そしてまた私の人生の転機となったすばらしい8ヶ月でした。19705月から12月までという異例の短期間でしたが、これは私の医学部同級生の友人が都合で急遽、聖路加病院のシニアレジデントを辞さなければならなくなり、その後任として臨時かつ短期の内科シニアレジデントに任命していただいたという特殊事情によるものでした。それまで大学でインターン研修を行い、その後、大学の消化器内科で3ヵ年をのんびり過ごしてきた私にとって、聖路加病院でのレジデント生活は震度8を超えるようなカルチャーショクの連続でした。日野原重明先生をはじめ7人の内科のコンサルタントの先生方の回診での一言一言に感動し、それまでしらなかった臨床のすばらしさと奥の深さに、心底から驚いたのでした。日野原先生は回診の時、私達若者たちに、短いことばで、人生の生き方を含めいろいろなことを教えてくださり、私は感激の余りそれをメモ帳に一言も漏らさず書きのこしたのでしたが、8ヶ月の研修が終わる時には、4冊になっていました。そのメモ帳を、その後何度読み返したかしれません。臨床の知識や考え方でも、毎日が感動の連続でしたが、卒後臨床研修のシステムでも多くのことを学びました。それまで私が経験してきた大学とはまるで異なルシステムで、臨床研修の理想像を見せていただいたのでした。もちろん、仕事はハードでしたが、雨の音が直接スレトー屋根ごしに響いてくる長屋に寝泊りしながら、毎日24時間苦楽を共にしたレジデント仲間との熱い友情の思い出こそは、なにものにも変えがたい貴重なものとなりました。8ヶ月の勤務を終えた12月末、私の送別会をレジデント仲間が企画してくれ、車4〜5台を連ねて箱根の山小屋にむけて、窓から足をだしたりもして、歌いまくりはしゃぎまくって到着し、その山小屋で一睡もせずに飲み、語り、歌いまくり、朝日と共に、屋外スケートリンクですべりまくり、そして再び車で騒ぎ続けながら帰ってきて、そして、お別れした、あの感動は今も心に刻まれています。できれば、あの時の仲間で、もう一度、同窓会をしたいですね! さて、私は、その後、紆余曲折、変転の人生を歩み、昭和63年に内科学教室を主宰することになり、「若者に聖路加病院のように理想的な研修病院で初期〜中期研修を受けさせ、その後大学に帰ってきてもらって、後輩を育てるとともに、大学でしか出来ないこともしてもらい、大きく伸びてもらいたい」ということをモットーにしてきました。鹿児島大学を卒業して、今、聖路加病院で輝いている種田憲一郎君(現在University of Washingtonに留学中)、野間聖君、堀之内秀仁君は、いつ私の教室に帰ってきても、聖路加病院での素晴らしい研修結果を生かせるような環境を準備して待っているところである。同じようなかたちで、多くの若者を虎の門病院や沖縄県立中部病院に旅出させ、すでに彼らの多くは教室に帰ってきて、大きく育ちつつあるところであり、聖路加病院からの若者の帰局だけはまだ実現してないので、私としてはとっても心待ちしているところである。

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