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大阪ツェッペリン プロフィール
MEMBERS
Guitar
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ツェペリ・井上 (Zepeli-
Inoue)
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Bass, Key,
Mandolin,etc.
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Fujiie
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活動履歴
1995年
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全員関西大学軽音楽部出身の4人で、5月にバンド結成.理由:ヒマだったから.ライヴの予定は全くなし.11月に母校関西大学の学園祭に先輩ヅラして無理矢理出演.
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1996年
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2月よりライヴ活動を始める.「分かる奴には分かる!」と言うことでバンド名をツェペリ井上&シュガーママとマニアックに命名.が、これが誰にも分かってもらえずライヴを観に来てくれた某氏に「大阪ツェッペリンにしとけ!」と半ば無理矢理改名され、12月に行われたギターショップ、McC主宰のクリスマスライヴよりその名前で活動する事に.
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1997年
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10月にJUNGLELIFEのイベントに出演.12月にMcC主宰のクリスマスライヴに再び出演.
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1998年
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当時斬新であった(?)ホームペイジを4月に公開.「ペイジを見た」というライヴハウスAtlantiQsから出演依頼を頂き、9月より毎月1回のペースでライヴを行う.ホームペイジ様様である. 12月にはMcC主宰のクリスマスライヴに三度出演.
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1999年
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演奏時間が1時間半から2時間に及ぶようになる。
ZEPマニアの人からは「曲数が少ない!」、そうでない人からは「演奏時間長すぎ!」と言われ、「どないせーっちゅーねん」とジレンマに陥る.
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2000年
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11月のライヴを最後に初代ドラマーが「やってられん」と脱退。解散の窮地に陥る.
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2001年
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「焼肉食いに行くついでにスタジオに入ろう」とドラマーのサカモト氏を連れ出し、ZEP曲をセッションする.その後なし崩しにメンバーにしてしまう.後にメンバーの誰よりもZEPマニアであることが判明.ギタリスト ツェペリ井上の結婚2次会でリハビリがてら演奏する。
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2002年
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2月より大阪ツェッペリンとしての活動を、堺のライヴハウスFUZZを中心に再開.
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2003年
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ライヴの数は少ないものの、第2期大阪ツェッペリン(?)の地盤は固まってきた!12月にMcC主宰のクリスマスライヴにまたまた出演.
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2004年
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学生時代の仲間から誘われて千日前 CLUB WATER
に出演するようになる.行きつけの焼肉屋が近所にあるのでここを中心に活動することにする.McC主宰のクリスマスライヴにまたまた出演.
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2005年
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ライヴ本数は少ないわ、演奏曲は少ないわで欲求不満はつのる.とは言え、イベント等立ち上げる機動力もない.今後の活動方針に悩む.McC主宰の SUMMER SESSION に出演.
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2006年
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かねてから、ZEPPサイト総本山のゆうお嬢様より「一度大阪ZEPを観てみたい」と言って頂いてたのだが、遂に「今年は行きます!」てな話になる.更に兵庫県は豊岡のZEPトリビュートバンドLarz Gallowsとの「共演にして欲しい」との強い依頼で、イベント“Led Zeppelin トリビュート Live in Osaka”を
立ち上げることに.
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2007年
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2006年のイベント“Led Zeppelin トリビュート Live in Osaka”はまずまずの成功.調子にのって第2弾“Led Zeppelin トリビュート Live in Osaka vol.2”を企画.Larz Gallows一時活動中止のため、神戸を中心に活動するZEPトリビュートバンドCOSAMI♪と対バンに迎えて約4時間ZEPナンバー演奏しまくりの、ZEPファンでも厳しいようなライブを決行.
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2008年
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イベント企画というのも結構大変で、そうそう乱発してられんので2007年のライブは1本になってしまったが.「せめて1年に2本イベントを組みたい」と、欲求はさらにエスカレートする. ベーシストの不在で活動中止していたLarz Gallowsに強力なメンバーが参加し活動を再開したので、再びLarz Gallowsと2バンドで5月にイベント第3弾“Led Zeppelin トリビュート Live in Osaka vol.3”を5月に開催.千日前のCLUB WATERが移転したため、今回の会場は西中島のLive Bar D.Vに変更.
そしてそのまま11月に“Led Zeppelin トリビュート Live in Osaka vol.4”開催の予定が諸事情によりLarz Gallowsの活動が停止したので大阪ツェッペリン・ワンマンライヴ決行.アンコールを含め全17曲、曲数としては活動開始以来最多であった.
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2009年
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ヴォーカリストスティーヴ・うしおが諸事情によりバンドから離脱.
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