本文へスキップ

認定NPO法人ワンデーポート 

体験談

              妻と子どもよりギャンブルを選んでしまった
 
                                                             
                                             Kさん

はじまりは大学時代
 私は、ごく普通の、家庭に生まれ育ちました。ギャンブルを最初に始めたのは、大学1年生のときでした。最初は、18歳になったのでという興味本位でした。「少し、お金がかかるけど、勝つかもしれないゲームセンター」に行っているといった感じでした。3千円も使えば、「やり過ぎた!」と後悔していました。
 大学2年目の終わりには、友達と、よりギャンブル性の高いパチンコの権利モノやスロットをやるようになっていました。学校よりバイトに力が入っていたので、パチンコ代は、バイトの給料で賄っていました。手取りで20万円近くもらっていましたが、ほとんどギャンブル代に消えていました。でも、「パチンコと違ってパチスロは目押しなど、技術力があれば勝てる!」と考えていました。ときどきお金が足りなくなると、親の財布や、バイト先のレジから1、2万円を盗んでいました。結局、大学は2年間で辞めてしまい、その後、2、3年で仕事を転々としました。
 北海道で酪農・家電量販店店員・食品メーカー営業・事務機器営業と、特に、「俺はコレがやりたい!」という気概もなく、仕事を決めては、人間関係のゴタゴタで辞めていました。
 その仕事についているときは、しばらくギャンブルが止る位に一生懸命働いていました。その姿を評価して頂いて、昇進したり、栄転もしたりしていました。営業職に就いたとき、「この仕事は、自分の裁量次第で、時間や給料が自由になるいい仕事だ」と考えました。それから時間をやりくりして、平日・昼間からパチンコ屋に入るようになりました。まだ独身で、実家から通勤していたので、給料は全額自由に使っていました。それでも足りなくなったとき、「1週間無金利」の消費者金融に行きました。最初は、恐々消費者金融の無人契約機に入り、5万円を借りました。ちょうど5日後が給料日だったので、給料日に全額5万円を返しました。その後、お金が足りなくなるとちょくちょく利用するようになりました。借金が200万円を過ぎるまでは、月々の支払いが数万円だったので、なんとかなると気軽考えていました。が、たまたま支払いを忘れた業者から督促状が実家に届き、親に借金がバレました。最初はシラをきっていましたが、父は総務職だったので「消費者金融に手を出す奴は何件も手を出しているはずだ!」と知っていました。


肩代わりの繰り返し
 それでも全部を吐露せずに、1件20万円を残して肩代わりをしてもらいました。1件1件消費者金融を完済して、もう借金は増やさないと決意しました。しかし、残してしまった20万円の借金の支払いと、止まらないギャンブルで、また、1件ずつ借金が増えていきました。同じ様な事を、その後、数年間で4回も繰り返しました。金額は、段々増えていき、最後の肩代わりは400万円近くになっていました。3回目の肩代わりの後、付き合っていた彼女に子どもが出来て、結婚をしました。子どもが生まれ、一家の長になったのだから、もう借金はしない!と何度も真剣に誓いました。子どもは男の子で、私と同じ小児喘息とアトピー性皮膚炎をもっていたので、とてもかわいくて、この子のためなら何でも出来る、と思っていました。しかし、平日、会社に行くと、やらなきゃいけないことから逃げ、この借金を返したらギャンブルを止めて真面目に営業に専念しようという考えになり、今は、この借金を返すためにギャンブルをやろう!という考えになりました。朝から夕方までパチンコ屋に居て、これじゃ、駄目だ! 営業活動をしなければ……と会社帰りに本屋に寄り、「売れる営業マンになるには」や「出来る営業マンの手帳利用法」など、自己啓発本を買って、明日から頑張ろう!と自分にも誓いました。でも、翌日になって、手元に金があると(今日は最後のギャンブルだ!明日から真剣に頑張ろう!)とパチンコ屋に入っていました。
 2人目の子どもが生まれ、また例によって借金が行き詰ったときに、父と5年間貸し出し自粛の登録をしに行きました。登録後、1人で、本当に借りられないのか、何度か無人契約機に入り試してみました。もしかしたら、と思っていましたが、無理でした。しかし、借金さえしなければ…と少額でも手にすると、ギャンブルをしていました。
 2ヶ月位したときに、営業先から不意に20万円の集金をしました。会社に入金処理するのは、来月で構わないはずだ!と考えたときに、今まで軍資金が数千円のギャンブルだから勝てなかった!これだけあれば勝てるはずだし、勝ってから会社に入金処理をすれば何の問題もない!とパチンコ屋に向かいました。
 その頃、はまっていたスロットはギャンブル性が高く、負けるときは日に10万円以上、勝つときも10万円以上可能という台でした。久しぶりに自由にやるスロットは楽しくて、やっぱりコレだ!と思っていました。が、その20万円はすぐになくなってしまいました。


集金したお金を横領して
 私は、複写機の営業マンをしていたので通常、集金はほとんどありませんでした。法人相手の商談が多く、販売形態もリースがほとんどでした。しかし、この横領から、現金販売に固執するようになりました。前回横領してしまった金を次の集金した金で埋めていけば、会社にはバレないと考えました。現金販売の方は、しばらく上手くいき、売れてはいました。その都度、集金して手元に現金が入って来るのですが、考えることは前回と一緒で、増やしてから会社に入金しよう、でした。結局、1年間 300万円横領しました。最初の横領から一度も会社に入金することはなく、ギャンブルで使い切りました。一度、小切手で支払われたことがあり、ものすごく当惑しました。
 しかし、自分の銀行口座へ入金処理するのは、意外と簡単で、3日後には現金になるということを知ったときには、嬉しくて、これから小切手で集金しても大丈夫と思いました。最初の横領から半年位経つと、会社から集金状況はどうなっているんだ、と指摘を受けるようになりました。営業会議で私の顧客滞留債権が目立つ様になっていました。
 ただ、営業会議さえ、のらりくらりと乗り切ってしまえば、集金してギャンブルをするという生活は変わりませんでした。集金する度に、今度の集金こそ会社に入金するぞ、と思っているのですが、現金を手にするとギャンブルに行っていました。この頃、長男が小学校に入学しました。表面上は、良い父親を演じていましたので、入学式にカメラを持って参加したり、休日には、子どもと遊んでいました。でも、横領のことが頭にあると、なぜか眠くなり、家に居てもつまらなく感じていました。
 土日も仕事があるから、とよく嘘をついて妻と子どもたちを妻の実家に泊まりに行かせていました。妻の両親には、結婚のときに反対され、しばらく仲良くありませんでしたが、子どもたちを連れて遊びに行くと大変喜んで迎えられました。土曜日の朝、妻と子どもたちを会社の営業車で実家に送り届け、「じゃあ、パパは仕事があるから」と喜んでパチンコ屋に向かいました。普段、平日昼間しかギャンブル出来なかったので、休日の混んだパチンコ屋なら勝てるかも…、と考えていました。
 そんな生活をしていても、自分は良いパパで、家族のことを考えていると思っていました。営業車のバイザーやメーターの所に子どもたちの写真を貼り付け、この子たちのために頑張ると仕事のときも、ギャンブルに行くときも考えていました。
 ついに会社で、滞留債権が問題になってしまいました。今まで、「お客様が急に入院されたので、退院されたら集金に行きます」とか、「社長が海外出張中なので、帰国後集金してきます」などの言い訳をしていましたが、もう通じなくなってきました。


発覚
 どうしよう、借金は出来ないし…、すべて親や、妻に話すことも考えましたが、今まで何度も肩代わりをしてもらっているので、もう言えない、と思いました。そのときに浮かんだのが、妻の父、義父でした。義父は、某有名会社で取締役をやっていました。無口な人で、私とは、仕事の話と子どもたちの話以外、したことがありませんでした。結婚に反対されていたこともあって、苦手な相手でしたが、逆に私の過去をあまり知らないので、かえって好都合だな、と思いました。
 どういうふうに嘘をついて金を借りるか考えるのと、義父に面会のアポイントを取るのが同時でした。「相談があるので時間を作って下さい」と伝えました。3日後、東京駅のビアホールで面会しました。
 最初、子どもの話などをしていましたが、真剣な顔をして、嘘をつき始めました。「実は、義弟には借金があり、300万円位になっている。私の父は、定年だし、私にはたいした蓄えがないので、是非、義父さんから貸していただきたい」というものでした。
 私の過去の借金暦を知らない義父にはこの程度の嘘で、十分貸して貰えるだろうと思っていました。うちの実家と妻の実家が仲悪いのも、幸いだと考えました。義父さんは、黙って聞いてくれた後「なんで私を頼ってきたのか、よく分からないけど、事情は分かりました」と言ってくれました。
 その日は、それで別れて、後日、電話があり、「200万円までなら貸しましょう。ただし義弟さんと一度会わせることと、借用書をキッチリ書いてもらう」という2つの条件付でした。借用書は簡単に作れるし、義弟には、適当に話を合わせてもらうように御願いすればなんとかなると考えました。2つの条件は、後日ということで、数日後に200万円を義父から手渡されました。実際、横領した総額には達しなかったけれど、これでなんとかなると考えました。翌日、会社に入金する段取りを組みました。
 しかし、その日、会社に横領がバレました。すでに支払いを済ませている消耗品代の請求書が来ているとお客様からクレームがつきました。私は、夕方帰社後に会社に入金処理する200万円を持って、パチンコ屋に居ました。(今回もまた、なんとかなった!)と気分爽快でパチンコをやっていましたが、会社の事務員からの電話で、横領発覚を聞きました。やばい、バレたどうしよう?と考えましたが、もうどうしようもないと思いました。いまさら、パチンコをやって勝ったところでどうしようもないのですが、パチンコを打ち続けていました。夕方6時、会社に戻りました。直接の上司、部長、が支店長室で待っていました。上司から「なんてことをしてくれたんだ。横領した総額を全部言え」と言われました。「すみませんでした」と謝りましたが、心の中では、昨日義父から借りた金で埋め合わせをするんだから問題ないだろう、と思っていました。
 横領した金額をすべて出しました。自分では、そのときまで総額300万円弱だと思っていましたが、実際は、300万円を超えていました。とりあえず、残りの100万円をなんとかしてもらわなければ…と上司から言われ、親か妻に話をして翌日、また話をしようと言われて、その日は帰りました。
 帰り道、どうしよう、もう親にも妻にも肩代わりは頼めない、と思いました。色々、言い訳を考えましたが、いい考えなどもう考え付きませんでした。いつも通り帰宅し、妻には、何も言えませんでした。翌朝、もうどうしようもない、すべてを捨てて逃げようと思いました。いつもの様に出勤するフリをしてスーツに着替えました。家を出るときに、妻に何かを言わなければと思い、「頑張って」と言いました。
 今持っている金が無くなったら死のうと思っていたので遺言になると思いました。前日にパチンコで勝った3万円と会社の定期券を解約して4万円を手にして、この7万円がなくなれば死ぬしかないと思いました。その後、隣町のパチンコ屋に行きました。よく仕事をサボって行っていたパチンコ屋でした。開店から閉店まで、パチンコ屋にいました。夜は、DVDルームか、カプセルホテルに泊まりました。スーツを着ていたので、ワイシャツがだんだん皺だらけになっていきましたが、金がなくなったら死ぬんだからいいや、と着替えを買うこともしませんでした。
 一週間で金が底をつきました。最後の千円札をスロットに突っ込み、小銭だけでパチンコ店を出ました。さあ、金が無くなった、自殺をしようと考えましたが、恐いので、街をウロウロしていましたが、頭に浮かぶのは、家族のことでした。死ぬ前に、声だけでも聞こう、と電話をしましたが、本音は、もしかしたら、許してもらえるかもしれないと思っていました。
 公衆電話から自宅にかけました。すぐに妻がでて、何もしゃべらなかったら、「あなた、あなたなの?」と気付いてくれました。私は、泣きながら、「もう自分が自分でどうしようもないから、死ぬよ」と言いました。妻は、「死んでごらん。私と子ども達も一緒に死ぬから」と言われました。この一言を聞いて、やっぱり死ぬわけにはいかないと考えることができました。でも、私はもう一言、「離婚しないから」と聞き出したかったのです。
 もうすっかり自殺する気なんかないのですが、「こんな状態で生きててもしょうがない」とか「ここまでしたら許されるわけがない」とかズルズル電話を延ばしていたら「離婚しないから…」の一言を妻が言ってくれました。小躍りしたい程、嬉しかったのですが、あからさまに喜ぶわけにもいかず、「少し今後のことを考えながら帰る」と電話を切りました。
 まだ財布には、数百円が残っていたので、電車に乗って帰れたのですが、すぐに帰ることへの恐怖と、なんとなく簡単に帰ったら、軽薄に思われるのでは?と余計な事を考え、電車で1時間位かかる距離を歩いて家に向かいました。途中、何度も缶コーヒーを買い、2時間位歩いたときに、疲れて、(電車で帰ればよかった)と後悔しました。
 4時間をかけて家に着いたとき、妻は起きて待っていてくれました。帰って来たことを妻が泣いて喜んでくれ、「なんて馬鹿なことをしたんだ!これから家族のために真面目に生活をしていこう」と思いました。
 しかし、翌日から、私のやってきたことが、次々と妻の知るところとなり、やはり離婚となりました。仕事も辞めることになっていました。会社の厚意で依願退職という形にしていただけました。


ワンデーポートのことを両親から伝えられ
 両親から、「お前は、ギャンブル依存症らしい」と言われました。ワンデーポートで発行している本を読めと言われました。妻は、自分の実家の近くにアパートを借りるための準備や、子ども達の転校届け等に忙しそうでしたが、私は何もすることがなかったので、そのワンデーポートの本を読みました。特に体験談は、興味を引かれて、何回も読みました。ギャンブルをやってしまう衝動、そのためだったら、借金や横領をしてしまう話など、自分のことを書いてあるようでした。
 結局、私はワンデーポートに行くことになりました。家族は、近くに居なくなり、仕事もなくなり、もうやぶれかぶれの心境でした。妻が、引越し用の準備金をリュックサックに入れているのを見ました。
 その金を見たら、「あれを盗ったら、またギャンブルが出来る!」と思いました。前回の失踪は、7万円しか持っていなかったから、つまらなかった。もうどうせ、人生最後なんだから、思いっきり、スロットがやりたいと考えました。
 それから、失踪のための準備を妻に気付かれない様に始めました。前回はスーツだったので途中でヨレヨレになってしまいました。今回は、カジュアルな服にしよう!と考え、準備しました。あと、私はアトピー性皮膚炎なので、軟膏薬もカバンに詰めました。そこまで準備して、みんなが寝るのを待ちました。私も布団に入りながら、頭の中で葛藤していました。
 今度、失踪したら、2度と戻ってこられない、本当に死ななければならないと考えました。しかし、頭の中にその頃、私が好きだったスロット台が張り付いていました。


失踪
 このまま、ワンデーポートに行ってしまったら、あのスロットが出来なくなる!どうせ、もう生きていたってしょうがない!という考えになり、夜中の2時に起き出し、横で寝ている家族のことは見ないで着替え、先のリュックサックからお金の入った封筒を盗り、家を出ました。家を出た瞬間、やった!これで心行くまでギャンブルが出来るという感覚でした。住んでいたアパートを離れるとき、一度だけ振り返り、部屋の窓を見て、これが、ギャンブルで身を持ち崩す、ということなのだろうなと思いました。
 家を出たのが夜中の2時だったので、ちょっと離れた駅まで歩いて、始発電車を待ちました。隣町のパチンコ屋で開店から閉店までスロットをうって、カプセルホテルで泊まりました。
 カプセルホテルでは、色んなことを考えたくないので、テレビを観たり、漫画を読んだりして、寝るときは疲れきって倒れるように眠りにつくといった感じでした。どんなに前の晩、夜更かしをしてもパチンコ屋の開店時間30分前には、パチッと目が覚めました。それからコンビニに行き、朝食を買い、開店待ちしながら今日はどの台を打とうかな?と考えました。
 そんな毎日を金が尽きるまで、1ヵ月半も続けました。財布に数十円しかなくなり、死ななければと思い、以前から決めていたビルの屋上に立ちました。8階だったのですが、屋上から下を見ると高くて、恐くなり、落ちても死なないで、植物人間になったらどうしよう、とか、落ちている途中で後悔したらどうしよう、など考えていたら、今日は、とりあえず、近くで寝て、明日考えよう、と眠れる場所を探しました。テナントが入っていないフロアで、寝ていました。最初のうちは、カバンに入っていたパチンコ屋から貰った菓子などを食べていましたが、それも底をつき、3日で音を上げました。もう駄目だ、生きることも死ぬことも自分では出来ない、と思いました。そこから歩いて1時間位の実家に向かいました。空腹でフラフラして、4時間もかかってしまいました。途中、もうなんでもいい、新興宗教でもいいから助けてくれ!と思っていました。
 やっとの思いで、実家に辿り着くと、母親が迎えてくれました。玄関にすぐに父親も駆けつけて来て、「よく帰ってきた。」と言ってくれました。助かったぁと思いました。母親がすぐにトーストを2枚とりんごジュース、コーヒー牛乳を持ってきてくれました。貪る様に食べました。食べ終わったとき、「さあ、ワンデーポートに行こう!」と言われました。父親が車を用意してきました。この間、ずっと玄関の土間でした。風呂くらいは、貸してもらえると思っていたのですが、そのまま母親が用意した着替えの入ったカバンを持って車に乗りました。父親に近くの駅まで送ってもらい、千円をもらいました。切符を買ってワンデーポートに向かいました。


死ぬことができずワンデーポートに
 ワンデーポートは、妻と息子と3年間生活したところと同じ駅にありました。初日、スタッフに、自分のやってきたことを、少し話をして20人弱いる仲間の中に入れられました。刑務所みたいなところを想像していたのですが、仲間が居るミーティングルームの雰囲気は意外と明るく、仲間は楽しそうに話をしていました。「今日から、お世話になりますK」と挨拶はしたのですが、特に受け入れられている様な感じはなく、もの凄い疎外感でした。しかし、夕方になり、GAに行くとき、数名の仲間から「一緒に行こう」と言ってもらえました。途中、買い物をしていくからと、雑貨店により、数名の仲間が楽しそうに展示しているオモチャで遊んでいる姿を見て、(あぁ、ついにこういうワンデーポートに来てしまった)と思いました。最初のGAミーティングでワンデーポートの仲間以外の仲間の多さに驚きました。司会者から赤いキーチェーンを頂き、自分のこれまでやってきた話をしました。話している最中に、自分のどうしようもなさに涙が出てきました。言葉につまりながら、話終わった後に、仲間から拍手をされました。後になって、誰でも拍手をされると知ったのですが、そのときは、(自分の話が素晴らしくて、みんなが感動したからだ)と勘違いをしました。司会者が、私の横領の話を聞いて、「じゃあ、横領繋がりでKさん」と次のスピーカーを指名しました。どっと笑いが出ました。私の考えは一転、(なんなんだ!なんで笑いが起きるんだ!)と納得がいきませんでした。それから、毎日日に3回ミーティングの生活になりました。最初の1週間ぐらいは、ただ言われたことを素直に従っていましたが、寮生活が始まると、我が出てきました。私は、大食漢なので、ご飯1合、ラーメン、刺身、コロッケ×5個、野菜炒めといったメニューを夕食でいっぺんに食べていました。同じ寮の仲間に「Kさんよく食べるねぇ」と言われることにイライラし始めました。毎日、言われるので段々恨みになってきました。

俺は違う
 毎日のミーティングでは、歳、性別、関係なく同じ様なことをみんなやってきたんだなぁ、と感じるようになってきました。仲間の考え方に共感してミーティング中に笑いが出るようにもなりました。ギャンブルに対して無力を認めること、これは、なんとなく理解できましたが、ギャンブル以外のことまで、生き辛さを認めることは出来ませんでした。自分は、確かにギャンブルで借金や横領を繰り返し、家族を捨てて、最終的には自分の命さえ要らない、とまで考えて行動したけど、仕事は一生懸命やってきた。ギャンブルさえやらなければ性格的にも、何の問題もないという考えは、ずっと持っていました。
 だから、ワンデーポートで同じ歳くらいの仲間とは、仲良くならず、60歳過ぎの落ち着いた仲間と自分の以前の仕事のことや、テレビのニュースでやっていたことなど、一般的な話をしてミーティング以外の時間を過ごしていました。ある日、スタッフのところに、「今の自分の状態はどうなんだろう?」ということを相談にいきました。私の中の、認められたい、ほめられたい、という気持ちからでした。「Kさんは、仲間の中に馴染んでないよね」と言われました。真っ先に出てきた思いは、俺は、タバコを吸わないから、タバコを吸う仲間が多い中には、入れないんだというものでした。その頃、ワンデーポートで、ミーティング以外の時間は、ほとんどの仲間がタバコを吸っていました。私は、その仲間達を横目で見ながら、鉄アレイで筋トレをしていました。数ヶ月で、就労プログラムでアルバイトをすることが分かったので、そのときのための準備のつもりでした。片手で鉄アレイ、もう片手で古本を読み、ミーティングは一生懸命にやるが、あんな仲間とは、一緒にやる必要などないと思おうとしていました。本当は、仲間の中に入っていくことに恐れがあり、仲良く話をしている仲間を羨ましく思って、妬んでいるだけでした。


仲間意識が芽生えて
 スタッフから言われたから、仲間の中に無理やり入って行きました。タバコも吸わないのに、灰皿の近くに席を陣取り、話に溶け込もうとしました。最初は、無理やり、自分を鼓舞して、でしたが、その内、そこに居て、仲間と話をしていることが楽しくなってきました。離れて聞いているときは、「くだらない話ばかりしやがって!」と思っていましたが、中に入ってみると、そのくだらない話が、楽しくってしょうがないのです。以前は、「なんで俺の周りに仲間がいないんだろう」と考えていましたが、この経験から自分で率先して仲間の中に入っていけば、楽しいし、余計な疎外感は感じないで済むと気付けました。
 万事こんな感じで、失敗をしては、気付くといった繰り返しでした。一番、際立った私の生きづらい部分は、「自分の中の正義」が強いということでした。ミーティングでの話や、そのときの態度などで、仲間を裁き、自分の正しいと思っていることに他人が反していると、徹底的に反発するし、嫌いになりました。ギャンブルをやってきて、どうしようもない生活をしてきたけど、それ以外の部分は正常で、なんの問題もないと頑なに思っていました。だから、他の仲間のちょっとした態度が許せなくなり、胸倉を掴んだり、「表に出ろ!」と怒鳴ったり、何度も繰り返しました。


就労プログラムで気づいた自分の欠点
 その頃は、(自分の怒りの感情には問題が少しあるな)といった自己診断でした。日に3回のミーティングを半年して就労プログラムになりました。昼間アルバイトをして、夜、ミーティングに行くプログラムです。半年間、仲間の中で生活をしてきて、自分の人間関係の下手さには、気付き始めていましたが、仕事に関しては、まだ、狂ったプライドを持ったままでした。倉庫での肉体労働でした。私は、力仕事に自信があったので、上手くこなしていけると思っていました。働き始めは、認められたいため、ただひたすら一生懸命に作業にあたっていました。しかし、自分が肉体的に疲れてくると、周りの同僚の動きが気になってきます。「俺がこんなに頑張って仕事をしているのに、あいつらはなんでサボってるんだ!」「どんなに一生懸命仕事をしても、時給が一緒なのが納得いかない!」などなど、不満だらけになりました。一緒に働いている17歳の男の子から言われたなにげない冗談に腹を立て、彼を投げ飛ばしました。それを一週間に二度もやってしまいました。二度目は、自分から「辞めます」と言ってバイトを辞めてきました。ギャンブルをやっているときも、まともに職を辞したことがなく、大体、人間関係で問題を起こし、居づらくなって辞めていました。その後、ワンデーポートに居ながらも、バイトを3つも変えて、ギャンブルを止めて、仕事さえ始めれば自分は大丈夫という、狂ったプライドが突き崩されてきました。同じ様なことが、仲間の中でもあり、俺は、このままの考え方では、楽に生きられないな。生き方を変えて、新しい生き方をしようと考えるようになりました。ワンデーポートをタップリ2年間居させてもらい、独り暮らしを2年前から始めました。


ワンデーポートを出てから
 アパートを借りるときに、初期費用の見込みを間違えて、家電を何一つ買えませんでした。板の間に、ワンデーポートからもらった布団を敷いただけの生活がスタートでした。毎日、仕事に出掛けて、夜ミーティングに行き、家に帰ってから、夕飯を食べ、自転車でコインランドリーへ行く生活が、2〜3ヶ月続きました。段々、家の中にモノがそろっていく嬉しさを感じさせてもらいました。独りで考えていると、あまりいいことを考えません。
「ギャンブルを止めていても、良いことなんかない」
「俺はこんな所で、生活をしているべき人間じゃない(もっとできる)」
 など、狂気が出てきます。ミーティングやフェローシップなどで同じ問題を持った仲間の中にいると、「今、どうしてここに居て、これからどうすべきなのか」が見えてきます。私の場合は、無理が効きません。無理して何かを始めると続きません。今は、仲間の中で、ギャンブルを止めさせてもらい、自分の育っていなかった部分をゆっくり成長させていきたいと考えています。



Aさんの体験談へ

認定NPO法人ワンデーポート

〒246-0013
横浜市瀬谷区相沢4-10-1

TEL 045-303-2621