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認定NPO法人ワンデーポート 

体験談

                  人間関係が苦手な自分だけど…
                                             Iさん

ずっと人間関係は苦手だった
  小さい頃から、僕は両親との関係があんまり良くありませんでした。はっきり言って両親のことは好きでなかったです。一刻も早く親元を離れたいという思いが常にありました。僕は地元の定時制高校に行っていました。自分が働いて、定時制高校を出るようになれば、一人暮らしが出来るのではないかと思っていました。中学を卒業するくらいに考えたことで、とても安易な考えでしたが、そう自分から両親に切り出したのです。当然親は心配だったのでしょう、それまでずっと、何回言っても、近くの街に出てくることはありませんでしたが、その話をしたあと、高校がある街に家族が出てくることになりました。定時高校4年間でしょうか、両親と同居しながら昼間仕事をして、夜は学校に行くという生活をしていました。
  小さい頃から周りの人との関わり方があまりうまくありませんでした、小さい村で生まれ育ちました。幼稚園から小学校、中学校と11年くらい、周りは同じ人たちでしたが、小学校、中学校を通じて本当に仲の良い友だちというのは作れなかったです。他の仲間たちは、友だち同士で遊びに行ったりしていましたが、僕はその輪の中になかなか入っていけませんでした。僕の生まれたところは、同世代の人たちの住まいと結構離れていたということもありましたが、みんなと自転車であそこまで遊びに行こうなどと言うことは出来ませんでした。僕はその輪の中になかなか入っていくことが出来ませんでした。小学校や中学校のときは、部活動にも入らず、学校に行って遊ぶというときでも、僕はその中になかなか入っていけませんでした。どちらかと言うと図書室に行って本を読んでいるほうが好きな子どもでした。僕がギャンブルに関わるようになってからも、人との関わり方の問題はあったと今は思います。

19歳のときパチンコをはじめた
  19才で地元の温泉街のホテルで働くようになって、ギャンブルとはじめて出合いました。パチンコでしたが、よくある話で、ビギナーズラックではないですが、少ない元手で結構な金額を勝ちました。当時僕が1ヶ月働いて手にするお金の10分の1くらいを数時間のうちに手に入れました。はじめのうちは、パチンコ屋に行く足が(車が)なかったので、先輩が行くときに一緒に連れていってもらうようにしていましたが、段々一人でパチンコ屋へ行くようになっていきました。それは何故かというと、当然、連れて行ってもらうとその先輩が帰るときには、僕も一緒に帰らなければならない。「もう帰ろうよ」とか声を掛けられるのですが、僕はもっとやっていたいと思っていたからです。

仕事がおろそかになり
 勝っているにしろ、負けているにしろ、もっとやっていたかったのです。そうすると、どうしたらいいのかと考えたときに、一人で行けばいいのだなと思うようになって、休みの日に一人で行くようになりました。はじめのうち休みの日だけだったのが、朝の早い当番と夕方からの勤務の間の4、5時間くらいの空き時間に近くのパチンコ屋に行くようになりました。はじめのうちは帰ってこなくては、夕方仕事あるから帰ってこなくてはと思っていましたが、段々それが、少しくらいまでいいかなどと思うようになっていきました。たまたま夕方の仕事に遅刻したことがあって、その1回が2回、3回と多くなっていきました。当然、周りの上司から問い詰められるわけです。当時、僕が働いていた飲食の仕事は、すぐに手が出るような人が多い職場でした。たまたま僕の職場がそうだっただけなのかもしれませんが、遅刻が多くなると、理由も聞かずに殴られるようなこともありました。はじめのうちは「車が来なかった」とか「バスが遅れた」とか適当な理由ですんでいました。しかし何度も続くと、その理由が通用しなくなっていき、挙句の果てにはごまかすことができなくなっていきました。ホテル近くの寮に住んでいましたが、「体調が悪いから休ませてください」と電話で連絡しても、すぐ傍なので、部屋まで確認に来るわけです。それで、一応病気のふりをして、しんどそうな声で「今日休ませてください」とか言うのですが、信用してもらえたのははじめの何回かだけで、段々信用されなくなっていきました。
  今思えば自分で自分の居場所をなくしていったのですが、当時の僕は、それをそう思えませんでした。周りが悪いとしか思えなかったのです。僕は僕なりに一生懸命やっている、それを評価してくれない周りが悪いと思っていました。それで、2年少ししてそこを辞めることになりました。自分の居場所が段々なくなっていく感じでした。後から入ってきた後輩の方が、自分より先に仕事をこなしていく。それを見ていて、何で俺は出来ないのだろうとそのときは思っていました。それで、そのとき僕が出した結論は、僕のことを知らない人のいる所に行って、一からやり直せば、今度は上手くいくだろうという考えでした。

競馬で大勝ちして会社を辞めたけど
 そのとき、もう僕は消費者金融に200万近い借金がありました。たまたま競馬で、大勝ちして手元にはボーナスも合わせて80万近いお金ができました。それで、このお金を元手にして、違うところ行ってみようと思いました。会社に辞めさせてくださいと言ったのは、辞めるつもりだった月の半ばになってからで、結局、有給を目一杯使って、その半月くらいも出勤しないで辞めました。そのことを僕は両親には伝えられませんでした。問い詰められるのが嫌だったし、せっかく親元を離れられたのに、仕事を辞めると言ったら帰ってこいと言われるのが目に見えて分かっていたので、一人で何処かへ行こうと決めました。
  何処に行くという宛てもなかったので、とりあえず東京の方に出てきて、パチンコとかやっているうちに、関西の人と知り合いになって、それで関西行ってみようかなと思うようになりました。行く場所は何処でも良いという感じでした。とにかく、周りに僕のことを知らない人がいる所に行こう、そこに行ってやり直そう、今度こそ一生懸命やって、ギャンブルをやるにしても、自分の出せるお金の中でやっていこう、こう思って関西に行きました。バブル末期くらいの頃で、仕事もそれなりにありました。結構割のいい仕事もあって、一日仕事をすると1万3千円くらいもらえる日払いの仕事もごく普通にありました。関西でも有名な場所で、仕事もそれなりにあったので、それに安心していました。ギャンブルで負けても、それなりに仕事してればお金が手に入るし、ギャンブルで勝ったら、仕事はいいやという感じをずっと繰り返していました。でも段々景気が悪くなってきて、すぐにできる仕事も少なくなっていきました。仕事の約束をしっかり守れて行ける人が、優先的に仕事をもらえるようになっていきました。仕事もしなくなり、もちろんギャンブルはやっていたので、お金がなくなっていき、どうしようという感じです。本来、苦しいときには親元とかに連絡するのでしょうが、僕は失踪している20年間くらい、自分の方から、両親に連絡しようと思ったことがありませんでした。今までのことを問い詰められるのが嫌だったし、とにかく親父が怖かったのです。父親に理不尽に殴られることが結構子どものころからあって、それが嫌で親元に連絡しなかったのです。

路上生活をするようになって
 その結果、僕は路上生活をするようになりました。路上生活も最初の頃は抵抗がありました。もちろん外で寝ることははじめての経験だったし、その日食べるものもないので、苦しく感じました。ただ、僕がいた場所というのはそういう人がいっぱいいたので、周りを見て安心するようになりました。俺一人だけではないのだと思うと、ほっとしました。当時僕は若かったですし、周りにいる人は僕より年上の人が多くて、あの人より自分はましだと思っていました。自分の周りにいる人と自分を比べて、僕は安心していました。まだ大丈夫、仕事に就ければ今度こそやり直せると思っていましたが、その後も、僕はその生活を何度となく繰り返しました。お金があるときは、それなりにギャンブルをやりに行って、お金がなくなったら、仕事して、仕事が見つからなかったら、路上生活をする。そのサイクルを計ったように繰り返していました。そんなとき、ある教会の神父さんのお世話になることになりました。その教会では、路上生活をしている人に、冬の間、夜過ごせる場所を提供するということをやっていました。火の番をしてくれたら、寝るところと食べるものだけはお出ししますという感じです。その間、4ヶ月くらいだったと思います。ワンデーポートを利用する前に、いちばん長い間ギャンブルをやらない期間となりました。
 3月の暖かい時期になって、その神父さんが、「仕事がないのだったら、お弁当屋さんを紹介しますから働いてみてください」と言ってくれました。僕はそれまで、路上生活していて、助けてもらったという思いもあり、本当に、今度こそやり直さなければ駄目だと思ったのです。今までは、お金を持っているから駄目なのだと思い、そのお弁当屋さんに、「お金の管理をしてもらえますか」と頼みました。たしか一週間で2万くらい支給してもらって、残った分は預かってもらいました。そこから2、3ヶ月は、自分の意思の力で止めていました。やっては駄目だ、駄目だと言い聞かせる感じでした。ですから当然、ギャンブルへの衝動は常にありました。そのお弁当屋さんは繁華街にあったので、周りにはパチンコ屋さんもありましたし、競馬のWINSも近くにある環境でした。ついに衝動に勝てなくなり、すこし位なら大丈夫だろうと思って、ギャンブルをやってしまいました。お金が何万円かあって、はじめの一回に手を出してしまったのですが、簡単に負けてしまいました。いくら負けたか思い出せないのですが、やり始めたらもう駄目でした。負けたお金を取り返さなくてはと思いました。とりあえずまとまったお金があれば、大丈夫だと思って、またギャンブルをやってしまい、さらに状況は悪化しました。今まで真面目にやっていた仕事の方も、当然のように支障がでて、仕事の時間に間に合わないとか、勝手に仕事を休むとか、急に休みを取ったりして、また自分で自分の居場所をなくしていきました。何回も同じことを繰り返していたと思います。

ワンデーポートを利用したのは4年前
  僕は、4年と少し前にワンデーポートの方に繋がらせてもらいました。僕は家族の勧めで利用したわけではありません。たまたま横浜の駅の近くで、路上生活をしていて4日目か5日目くらい経ったときに、全然知らない人から「仕事行っているの?」と声かけられました。「全然行ってないです」と言ったら、「ご飯食べているの?」と聞かれました。僕は、「いやもう何日も食べてないです」と答えました。その人がコンビニでお弁当を買ってきてくれて、僕を役所まで連れていってくれたのです。その結果、近くにあるホームレスの自立支援センターというところに入れてもらうことになりました。そこで僕ははじめてギャンブル依存症という言葉を耳にしました。その施設に入ったときに、「どこか悪いところはありますか?」と聞かれて「全然眠れません」と答えました。外で眠れないのは当たり前ですが、それで「病院に行って診てもらいましょう」ということになり、病院の精神科で診てもらうことになりました。そのときに幾つか質問をされて返答すると「ギャンブル依存症ですね」と言われました。
  その当時、ギャンブル依存症の回復施設は全国で1ヶ所、横浜のワンデーポートしかありませんでした。「ギャンブル依存症の回復施設がありますから、入れるかどうか分かりませんけど、行く気はありますか?」と聞かれて、行くことにしました。そのときは、とりあえず寝る場所と食べるものがあるのだったら我慢できるかなと、本当に考え方が安易でした。ギャンブル依存症を治したいと思った訳ではありませんでした。はじめの1ヵ月は、ホームレスの自立支援センターからワンデーポートに通所していました。そこでもやっぱりワンデーポートにいる人たちを、仲間と思えなくて、まして人に頼るというのも、恐れが強いので、どうしても、自分から歩み寄っていくことはできませんでした。俺の方がましだとか思っていたわけではなかったのですが、同じとは認めたくなかったのです。僕は一人で生きてきたという思いが非常に強かったですし、誰にも迷惑かけずに生きてきたと思っていました。しかし、ワンデーポートの中で、自分の過去の話をしたり、当時の仲間の話を聞いたりしているうちに、自分のやっていたことがおかしかったと思えるようになっていきました。施設のプログラムに慣れて、いろいろやりながら、過去の自分を見ていくうちに、何回も同じことを繰り返していると気づくことができました。ギャンブルをやっていた20年間近く、毎回毎回同じことを繰り返していたのです。仕事を辞めるときの気持ちとか考え方は、図ったようにいつも同じでした。自分は悪くない、周りが悪いといつも思っていて、だからやり直せるとは思っていましたが、やり直し方は全然分かっていなかったかなと思います。

せっかく手に入れたものを手放したくない
  ギャンブルをやらない時間を今もらっている中で、生活自体はそんな裕福ではありませんが、ギャンブルをやらなくても生きてけると思うようになりました。当時の僕には周りに本音を話せる仲間も居なかったですし、ギャンブルをやっている時だけが、自分の中で唯一安心できる時間でした。そのギャンブル自体が僕を苦しめているなどと思ったことはありませんでした。今考えれば、ギャンブルをやっていたから生きてこられた部分も多分あると思いますが、それが普通の生活をしていく中で、本当に必要なのかというと、今の僕には必要ないと思えます。ギャンブルにまったく興味がなくなったかといえば、そんなことはありませんが、それでもギャンブルをやらない生活を続けていて、少なくとも過去の自分よりは、今いい生活が出来るようになったかなと思います。ギャンブルをやらなくても生きていけるし、過去の自分になかったものを、徐々に自分の中で手に入れられるようになってきている気がします。
 それは周りの仲間の影響がいちばん大きいと思っています。過去は自分から歩み寄れなかった分、周りに自分を助けてくれる人はいたもののそれを助けてもらっていると思える自分がいませんでした。昔は「ありがとう」と言うけれども、それを本当に心の底から思ったかと言うと、多分それは違っていたと思います。そのときだけよければいいという考えで、本当に軽い気持ちでありがとうと言っていたと思います。今は、苦しいときに話を聞いてくれる仲間がいるし、助言をしてくれる仲間もいる。そういう生活を続けていく中で、せっかく手に入れたものを、今更手放したくはないという気持ちです。過去ギャンブルをやっているときにいろんなものを手放してきましたが、それは、今更取り戻せるものではありません。しかし、今ギャンブルをやらない生活の中で手に入れたものはもう手放したくはないと思っています。ですから、これからもギャンブルをやらない生活を送っていきたいと思います。
感謝の気持ちを忘れずに
                                               
                                               

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