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認定NPO法人ワンデーポート 

体験談

                 ワンデーポートで自信を持てるようになった

                                               Mさん
小さい頃のこと
 小さい頃の私は少し変わっていました。小学生の始業式のとき校長先生の話をしているときに、皆がシーンとして真面目な顔をして校長先生の話を聞いているのがすごく面白いと思いました。それを見てひとりで笑ってしまって、先生に怒られました。僕は、「何であんな面白いものが、笑っちゃいけないのだろう?」と思いました。面白いという感覚が他の人と違っていたのかもしれません。
 これも小学校の頃なのですが、下校途中に女の子が突然「蛇が出た!」ってびっくりしていたので、それを僕は正義感から「これは危ない」と思って、蛇を石で殺してしまいました。僕は満足だったのですが、次の日に学校の先生に呼ばれました。「何だろうな?」と思ったら、その子の日記に僕が蛇を殺したことが書いてあり、そのことで呼ばれたと知りました。日記には「殺す必要は無いのではないか?」ということを書かれてありました。先生にもそのことをとがめられました。俺は正義でやったのだと思っていたのですが、僕はその子のために殺したと思っていたで、怒られてしまいすごくショックでした。今でも忘れられません。
 小学生の頃は、失敗をたくさんしました。勉強は苦手で、授業についていけなかったです。落ち着いていられないので、いつも、机をガタガタしていました。ドテーンと倒して、先生に怒られたこともあります。ただ、体を動かす、手を動かすというのはすごく好きで、体育は得意でした。図工も好きでした。
 中学も勉強は苦手でしたが、運動が好きで、仲の良い友だちもいて、楽しかったです。中学のときにバレーボールをはじめました。兄貴がバレーボールやっていたので僕もやろうと思いました。レギュラーにもなれて3年間やれたことは自信になりました。バレーボールの強い高校進学を目指し、塾に行きましたが、勉強はできるようにはなりませんでした。それでも「単願」でどうにか入ることが出来ました。高校でもバレーボールは熱心に取り組みました。先輩に対しての敬語を使うことは苦手で、怒られることもありました。ラインズマンなどをやるときは、集中力が持続せず、失敗をすることもよくありました。試合中は、他のポジションの人のボールを追いかけてしまうこともありました。チームプレーは苦手で、「あなたのポジションはここですよ」と言われても、そこにずっといられないのです。僕が好きだったのは、ピンチサーバーとか、声を出すとか、チームを盛り上げることでした。そういう仕事が自分の役割だと思っていました。バレー部の先生にはとてもよくしてもらいました。高校の近くに新設の大学ができるということで、先生に勧められ、推薦で進学しました。提出する小論文が書けずに、先生に助けてもらいながら書きました。

大学でパチンコをおぼえた
 パチンコをはじめたのは、高校卒業したあとで、先輩に誘われたことがきっかけでした。ビギナーズラックで、千円が1万円くらいになり、そんなことがきっかけでギャンブルにはまりました。大学に入って、バレーボールでは食べてはいけないというのは分かっていたので、違うことをやろうと思うのですけども、何も見つけられませんでした。勉強は出来ないし、何をやったらよいかわからないのです。
 大学2年くらいから、ファミレスでアルバイトを始めました。そのお金でパチンコをやるようになりました。20歳になると、クレジットカードを作り、10万円の借金をしました。すぐに親に発覚して見つかりました。親は「誰にでも間違いはある。仕方ないね、次は気を付けてよ」という感じでした。しかし、またすぐにカードをまた作ってしまいました。それでも足りなくて友だちに勧められ、消費者金融に手を出しました。消費者金融はCMもやっているし、良心的な所で、悪い所ではないと思っていました。だから、友達に言われるままにフリーターと嘘をついて借りました。それがあっという間に100万円の借金になってしまいました。
 結局、その後は何回もお金を借りては親に見つかりました。親に謝罪をして、しっかりやっていくことになりますが、2、3回同じことを繰り返しました。

大学卒業後
 大学2年のときはじめたファミレスでアルバイトは、大学を卒業するまで続けました。一生懸命やっていたので、社員からも認められました。大学をどうにか卒業し、そのファミレスに正社員になることも出来ました。大学卒業するときに200万円くらい借金がありましたが、正社員になりそれなりの給料をもらうことができたので、借金は全額返済することができました。
 返済中の3年くらいはギャンブルはやりませんでした。借金を完済する前後に主任になりました。仕事をやってくなかでも、うまくできないことがありました。バイトならば問題にならなかったのですけども、主任に上がって、どうしても人に教える立場になってくると、自分では上手く説明出来ませんでした。経営のことが理解できてなくて、迷惑かけることが多く、次第につらくなっていき、そしてギャンブルに行ってしまうようになりました。さらに消費者金融だけではなく、闇金にも借りてしまいました。
 仕事は失敗が続きました。主任に昇格しましたが、お金はギャンブルに使ってしまい洋服はいつも同じでした。だから、他の社員からは、「何で主任はお金があるはずなのに、同じような服しか着ていないの」と言われました。また、「大学卒業しているのに、何でそんなに字が汚いの」と言われたこともありました。そういうことを言われるのは辛かったです。
 27歳のときに飲酒運転で捕まってしまいました。飲酒運転で捕まるのは2回目でした。罰金は払えないし、本当にどうにもならなくなったので、「もうこの土地から離れよう」と思いました。しかし、車の中で生活を1週間しただけでギブアップしてして家に帰りました。そこで、家族から「ワンデーポートに行きなさい」ということを言われました。
 
ワンデーポートに入所して
 ワンデーポートに入所しても馴染むことができませんでした。皆は楽しそうにやっていましたが、僕はその中に入っていけませんでした。ミーティングでもハンドブックを読むことが苦手で、同じ行を何度も読んだりとか、読み間違いがあったりとか、苦労しました。ミーティングで話をすることも苦労しました。人と違うというか、劣等感が凄く強かったです。施設長にも「人間関係がちょっと苦手かな」と言われて、「心理テストを受けにクリニックに行ってみましょうか?」と言われました。3か月後に心理テストを受けて、ギャンブルというよりも、発達の問題あるということがわかりました。それが自分が少しずつ変わっていくきっかけになっていきました。
 今まで仕事上で、うまくできず人に迷惑をかけたり、イライラさせてしまったりしました。心理テストの結果の説明を聞き、「自分には、こういう問題があったのか」と、楽になりました。
 それからは、施設長に無理せずにやろうということを言われ、いろいろなことをさせてもらいました。GAのミーティングですが、ワンデーポートに来てから参加を続けていたのですが、それがよく理解できなかったですし、施設長からも合わないのではないかと言われました。ミーティング以外のプログラムがいいのではないかということで、瀬谷区役所でやっている生活教室に参加しました。精神障害がある方たちとも交流を深めていったりしました。
 僕は小学校の頃から絵を描くのが好きで、賞を取って褒められたことがすごく印象に残っていて、絵をやりたいと思いました。それを施設長に話したら「すぐにやろう」ということで、絵の教室へ通うことになりました。だんだん絵を上手に描けるようになっていくのが、とてもうれしくて、自分でいろいろと他のことにもチャレンジするようになりました。そうしたら、ワンデーポートの人たちとも自然に話ができるようになり、苦手意識はなくなりました。人と触れ合うっていうのがやっぱり好なのだなと思いました。 
 苦手なことは助けてもらうほうがいいということもワンデーポートの生活で感じるようになり、療育手帳を取得しました。ワンデーポートに来て1年近くして、仕事に就きました。障害者雇用ではなく、一般就労で頑張りました。はじめは問題がなかったのですが、期待されるようになって、つらくなり、ミスも多くなりました。ファミレスの仕事をしていたときと同じようなつらさを感じたので、その仕事をやめました。その後、瀬谷地区で障害者の支援をしている活動ホーム太陽の相談員さんと、横浜市西部就労支援センターの方の支援を受けて、特例子会社に就職しました。
 僕は軽度の知的障害ですが、そこで働いている人には自分より重たい障害の人が多く、はじめは抵抗感もありました。苦労することもありました。でも、仕事にはやりがいを感じますし、一緒に働く人たちとの趣味や、アニメの話やゲームの話には、一緒になって楽しめます。そういう生活が楽しく感じますし、自分が生きていてよかったなといます。ワンデーポートに来て、周りの方が支えてくれているおかげで、自信が持てたことが良かったと思っています。
 今はワンデーポートの近くのアパートで1人で生活しています。

挿絵はMさんの作品です。



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