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認定NPO法人ワンデーポート 

体験談

                ホームレスになってもやめられなかったギャンブル
                                           
                                              Cさん
 
私は今、66歳です。20歳からパチンコをやり始めて、28歳で結婚をしました。子どもが2人できたときは順風満帆という感じでした。その頃、憧れていたバスのドライバーという職業にも就くことができました。関東では1、2を争う大きな会社で、給料も年収は700万〜800万取っていました。ただ、家庭を持っていると不満が出てきて、独身のときやっていたギャンブルをやり始めめり込んでいきました。サラ金から200万位の借金を作りましたが、パチンコをして離婚になるなんてことは、思ってもいませんでした。なんとかなる、ギャンブルでお金を増やしたいと考えていました。
 43歳で離婚しましたが、そのとき子どもが中学3年生と小学3年生でした。親の責任を果たせなくて、子どもに対しての罪悪感が今もあります。離婚したときに15年間務めた会社も辞めて、その退職金で借金を返済して実家に帰りました。実家に帰ったのですが、田舎だからうるさいのです、世間が。だから、兄弟が何処かにアパートを借りてあげるからそこに住むように言われて、アパートに移りました。毎日、妹が監視に来るようになりました。ギャンブルをやっていると、信用してもらえなくなり、毎日、夕方になると部屋の前に兄弟の車が止まっていて、居るか居ないか必ず見ていました。それも嫌で離婚して半年位に自分は、ボストンバック一つ持って川崎に出て来ました。
  川崎に出て、いちばん手っ取り早い仕事といったら免許を持っていたので、タクシー会社に入りました。会社では出来高払いで給料をもらっていました。毎日仕事が朝3時頃終わっていましたが、9時、10時頃にはパチンコに行っていました。会社に行くよりパチンコに行くのが好きでした。
  平成元年から平成11年までタクシー会社に勤めていました。サラ金5社と、「トイチ」で10社ぐらい借りて、合計150万円くらい借金を作ってしまいました。仕事だけは一生懸命に続けていました。パチンコ屋の外に出れば現実に戻されますが、そういう現実から逃げるためにもまたパチンコ屋に戻るしかありませんでした。だから自分の居場所は、ギャンブル場だけだったと思います。
 「トイチ」の取立てが会社に来て、タクシーの釣銭の2千円か3千円の金を持って、一週間ぐらい公園で寝泊りをしていました。どうしようもなくなって、これで自殺をするか、それとも他に方法はないかと考えた末、残っていた最後の20円か30円で妹に公衆電話から電話しました。そしたら、「今、何処にいるの?」と聞かれて場所を言ったら、次の日に兄貴が公園に来ました。「お前の尻拭いはもうできない。お前に振り回されていたら兄弟全部が死を決意しなければならない」とか、「お前を殺して俺も死ぬぞ」と言われました。ただ、最後にできるのはこれだけだと60万渡されました。それが兄弟の手切れ金だと言うことでした。でも、お金を見たときに、自分が思ったことは、早くキャンブルをやりたいから、早く帰ってくれよということでした。だから、追い立てるようにして兄貴を帰しました。
 それから街に出て、カプセルホテルの予約をしてそのままパチンコを平然としていました。ボストンバックから10万ずつ出して使っていたら、半月であっという間になくなってしまいました。カプセルホテルから毛布をかっぱらって、そのまま多摩川の河川敷に行きました。それからホームレス生活がはじまりました。ホームレスを5、6年していました。
 その間いろいろありました。俺なんて死んだ方がいいのではないか、骨になったら兄弟は拾ってくれるのだろうかと考えたりもしました。川にプカプカ死体が浮いているのを三体ぐらい見ましたが、自分もああなってしまうのかなあと思いました。
 そんな生活をしながらも、働かなくてはと日払いの仕事に行くのですが、お金をもらうと帰りにギャンブルをやって増やそうと考えになってしまいました。ギャンブルで勝って、そのお金で食べ物を買ってテントに帰ろう、そう思って行くのですけど、お金はなくなってしまいます。そんなことばかりやっていました。歳も55歳を過ぎていたし、就職もバブルがはじけて、なかなかないのに、同じことを繰り返していました。
  ある年の大晦日の夜、多摩川にいたら夜中暴走族がいっぱい集まって来て、ビールを飲んだりしながら、騒いでいました。それで、朝になって初日の出を見て、周りをみたらゴミがいっぱい散らばっているのですよね。つまみだとか、ビールやジュースの飲み残しとかが。そういう物でも平気で手を出していました。
  生きていくためにはどんなことでもしなくてはなりませんでした。パンやジュースをたまにはかっぱらったりもしました。毎日、野鳥の会の人が、カモにパンくずをあげに来るのですけど「カモにやるのだったら俺にくれよ」と真剣に言っていました。野鳥の会の人は、少しくれたので、テントに持って行って夜、水を飲みながら食べました。食べ物がなくなると団地とかに、「エサ」と言うんですけど、夜中の2時3時とかにすごく寒くても、何かないかと探しに行きました。そんなことをやりながら生きてきました。

 ワンデーポートに来たのは59歳のときでした。もうどうにもならなくなって、東京都の福祉にすがりつきました。その役所に、ワンデーポートのパンフレットがあって「ここに行かないか、あなたはギャンブルをやってホームレス生活になったのでしょう」と言われました。でも、「いやそうじゃない、金の問題だ、金がないからこうなったんだ」と言いました。それで、「自分で判断してください」と言われました。俺はも60歳にもなるし、あと生きていたって20年それだったら、面白可笑しく生きていたほうがいいのではないか、そう考えたりもしました。でも、生きるためには、ギャンブルをやらないことが必要だと思いました。そして、「ワンデーポートに行きます」と言い、嫌々ながらも福祉の人と一緒に行きました。
 それから、現在まで7年ぐらいギャンブルをやっていません。
 ホームレスの人を見ると、俺が今ホームレスになっていたらどんな格好でいたのだろうかと思います。もしかしたら、もう死んでいたのではないかと思います。人間というのは正直にならなければだめだとも思いました。
 ワンデーポートに入ったときには、自分の息子ぐらいの人たちが20人ぐらいいて、親の気持ちになってしまいました。「なんだ、お前ら、大学出てまでギャンブル依存症になっているのか、親はどういう気持ちでいるのかな」と、そういう感覚になってしまいました。でも、それは間違いで、年齢とかに関係なく自分もギャンブルに問題があることがわかりました。
 兄弟や家族には、平成11年から連絡は取っていませんが、ギャンブルをやらないで生きていくことが今できる家族への埋め合わせだと思っています。 





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