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認定NPO法人ワンデーポート 

体験談

                   大学時代、野球部で
                         
                                                Aさん

22歳でワンデーポートに入所
 僕は2006年の10月にワンデーポートに約1年入所していました。そのときは、22歳で、5年経って27歳になります。当時は「施設」というイメージは自分の中であまり良くなくて、人生最大の汚点だと思っていました。自分から行きたいわけでもなかったし、親に強制的に入所させられた感じでした。当時、年齢が一番若く歳が上の人がいっぱいいて、はじめは居心地はよくなかったです。自分がやっていることは、あまりひどくないと思っていました。
 勝手な思い込みだと思うのですけれど、まだ若いのだから、もう少し、ひどくなってから入所しなよと、思われているのではないかとかそういうことを思っていました。でも、自分の中では落ちるところまで落ちたなと自分では思っていました。僕は、最終的には会社に勤めていたときの会社のお金を横領して、それが発覚したのが、ワンデーポートに来るきっかけでした。実家が広島で、横浜は知らない土地でした。友だちもいないし、帰るところもないし、不安いっぱいで生活がはじまりました。
 
大学時代にのめり込みがはじまった
 僕が最初にギャンブルをやったのが、大学時代のときで、1年生の6月頃でした。父親はギャンブルが大嫌いでした。小さい頃の正月に親戚の家で、兄弟3人と、親戚の人で花札をやることがありました。父親はそれを見ているだけで、機嫌が悪くなるくらいでした。トランプとかゲームや賭け事は嫌っていました。自分の実家が自営業で飲食店をやっていて、隣がパチンコ屋でした。昼にパチンコ屋にいたオジサンが店に来ると、父親は機嫌が悪くなりました。親父は「あのバカどもが、昼間からパチンコしやがって」と言っていました。自分は、ずっと思ギャンブルはやってはいけないものなのだと思っていました。高校まではやっていなかったと思います。小学校2年生から自分は野球をやっていました。大学まで野球をやっていました。高校までは実家から通っていて、野球の練習浸けだったので、ギャンブルをする暇もなかったです。朝早いし、夜も遅く帰ってきて、遊ぶ暇もないし、へとへとでという感じでやっていいました。できれば大学でも野球をやりたかったのですけれど、広島の大学で野球ができればいいかなと思っていました。そしたら、父親が広島なんかの大学で野球はやらせないと言われました。県外に出るのは嫌だし親のところにいたかったと思います。


ハマるなんて思っていなかった
 野球がやりたかったので、仕方なく京都の方の大学に行きました。スポーツ推薦で入りました。親も応援してくれました。大学の野球部の寮での生活が始まりました。入学した直後にパチンコ、スロットをやっている同級生や先輩がいました。はじめは、こいつらほんとうに終わっているとバカにしていました。野球をやるために大学にきているのに、なんでパチンコをしているのだと怒りを覚えました。そんな自分がギャンブルをやり始めたのは、2ヶ月くらい経ってからでした。最初のきっかけは、友だちに誘われたことです。一回くらい遊びでとと思って行ったのですが、勝ってしまいました。
 そのときに親父のことを思いました。父親がやってはいけないと言ったものをやってしまって、罪悪感もあり、内緒にしておかなくてはいけないと、思いました。そこから嘘をつきはじめるようになりました。ギャンブルにハマるようになり、負けが込み、家族に嘘をつき送金してもらうようになったのです。大学の寮費をまとめて親が銀行口座に6か月分くらいに入れていました。入学するときにこっちの銀行口座は、寮費とか食費との支払いの方だから使うなと言われていました。小遣いは郵便局の通帳の方に入れるから、と言われていました。でも、銀行の方を使い始めてしまいました。ギャンブルをはじめてか2か月くらいで、寮費が払えなくなり、これはまずいと思いました。
 それでも嘘をつき親に何回も電話をして、お金を送ってもらったりしました。父親は「お前ちょっと使いすぎじゃないのか、なんですぐにお金がなくなるのか」と言われました。親は、通帳を持っていなかったので自分がどう使っているかわっていませんでした。通帳をコピーしてFAXで送って来いと言われたときには、困りました。細かく何回も下ろした記録が残っていたからです。それを送ったら、まずいと思いました。僕は、通帳を全部コピーして、ハサミとピンセットを使って、のりで貼って通帳を改ざんしました。自分でもよく考えたと思いました。それをコピーしてFAXで送りました。ばれずに済んで、その場はなんとか誤魔化しました。そこまでしてばれたくなかったのです。でも、パチンコは相変わらずやっているので、お金は足りなくなりました。大学野球はバットが木で、1本1万円くらいするのですけれど、それが練習で折れただとか言って、1週間に1回くらいバットが折れるペースで家に電話しました。実際は、大学で野球をやっていたときに、1本しか折れていませんでした。実際に練習もサボることがあったし、手が痛くなるバッティング自体が大嫌いだったので、バットが必要ではありませんでした。


親への嘘
 いろいろ小細工をやっていたのですけれど、それでも借金は増えました。あれだけバカにしていた同級生よりも、自分の方がギャンブルにのめり込んでいっていることにも気付いていました。はじめバカにしていた同級生と一緒にパチンコに行っていましたが、彼らは時間になったり、お金がなくなると、帰りました。でも自分は帰ることができませんでした。自分はそこで寮費を使ってでもやりました。だから彼らと少し違うとは思っていました。でも、そいつらは根性がないだけだと思っていたのです。もう少しやれば勝てるのにと思っていました。バカにしていた同級生よりも、自分のギャンブルがひどくなってということは認めたくなかったです。スロット場で、スーツ着ているサラリーマンの人を見ると、何をやっているのかこの人たちと、思っていました。毎日来ていることに腹が立ちました。自分は学生だから、毎日来ても別に問題ないだろうと思っていました。大学を卒業したら、そうなりたくないなと思っていました。大学卒業すれば、ギャンブルをやめると思っていました。でも、授業にも行かなくなりました。単位が取れていないことで、親に通知が行ってしまいました。「何で、お前単位が取れてないんだ」と親に怒られました。練習ばかり出ていて、授業には出ることができないと言い訳を言いました。問題をすり替えて誤魔化すしかなかったです。次の学期が始まったらきちんとするよと、言いました。次の学期はリセットして、スタートだと思いました。でも、最初の1回の授業を軽い気持ちで休むと、次の週また同じ授業になると、あと1回休んでいいやと思って、休むのですよね。そしたら、全部が面倒くさくなって、すべての授業を休んでしまうのです。
 
盗み 
  部活も1年生のときは門限が10時まででした。パチンコ屋の閉店が11時でした。最初パチンコを打っていても、門限までには帰ることができました。ある日、たまたまパチンコで確変が入ってしまったのです。それで門限を破ってしまいました。寮に帰ったら、先輩に見つかってしまいました。殴られて、1年生全員連帯責任で坊主にさせられました。居場所がなくなっていきました。「お前のせいでみんな坊主にさせられたのだ」と言われ、自分は責められました。すごく申し訳ないと思ったりもしました。それでも懲りずに、ギャンブルは行っていて、時間も守れなくなっていきました。練習は出ていたのですけれど、終わるとすぐにユニフォーム着たままパチンコ屋に行くこともありました。学校の制服があったのですが、制服着てパチンコ屋に行ったこともあります。
 寮の生活の中でもプレーステーションの本体、カセットが部屋にありました。自分はカセットから売り始めました。管理人のおばさんの部屋にこっそり入って、マスターキーを盗りました。みんなが練習に行っている間に、片っ端からカセットを盗んで、売りました。あまりみんながやっていないと思ったカセットを盗みましたが、最後には本体まで売り始めました。寮の中で色々カセットが紛失した、本体がなくなったと、みんなが噂をしているのですが、知らないふりをしました。さらに、寮の部屋に入ると財布を盗んだりもしました。後輩からお金を借りるのは、プライドが許せなくて、絶対借りられないと思っていたのですけれど、借りていました。自分が大学1年生のときに先輩が部屋に入ってきて土下座して「ここの目の前に気持ちだけ置いてください」とやった先輩がいました。それを見て、なんて情けない奴だとか思っていたのですが、自分もおなじようなことをやってしまったのです。本当に、なんでこうなってしまうのかなとか思っていました。自分はそこまでやりたくなかったのですけれど、ギャンブルがやめられなくなっていました。
 お母さんに電話する機会も増えてきて、毎夜電話しました。後ろの方から父親から「またあいつか、またお金か」とか言って叫んでいる声が聞こえました。親父も切れていて、お金を頼むときは、本当に申し訳ないと心が痛みました。それを振り込んでもらって、スロットに行くと、すっかり忘れてしまいました。親にお金を送ってもらえなくなると、今度はおばあちゃんにまでお願いしました。ATMに行ってお金を見ると、これはおばあちゃんが入れてくれたお金だと思うと結構つらい気持ちになりました。それでも、「ギャンブルをやらないといけない」とう気持ちの方が勝ってしまうのです。


大学を中退するハメに
 周りの人をどんどん巻き込んでいきました。3年生の前期が終わって単位が足りず、5年目が確定してしまいました。5年行かないと、卒業できないということになって親が電話をかけてきて「もうやめろ」と言われました。「大学やめろ、これ以上行っても無駄だ」と言われました。でも自分は実家に帰りたくなかったのです。帰ったところで、負け犬だと思われるのが嫌だったからです。野球部の人たちは自分の姿を見ていたので、「お前、のうちにギャンブルをやめとかないとやばいよ」とか、「大学野球なんて今しか出来ないのだから。パチンコ、スロットなんか年をとってもできるじゃん」とかと言っていました。親には「絶対に帰らない」と言って、「やめない」と言っていたのですけれど、親が野球部の監督にまで電話してしまいました。自分は監督に呼ばれて、「なんでここまで親を追い込んだんだ」と言われました。思いっきりビンタされて、殴られました。それで監督も「もう、やめろ」と言われました。
 それで広島に帰りました。広島に帰って、すぐ仕事に就きました。もう親に申し訳ないという気持ちがすごくありました。本当に申し訳なく思いました。早く仕事についてお金を稼がないといけないと思っていました。すぐ仕事をして、お金とか稼ぎました。1、2か月は家にお金を入れていました。
 話は前後しますが、大学のときに大勝したときがありました。パチンコ専用の通帳を作りました。そこに20万、30万とかバンと入れていました。結局それはなくなったのですけれど、その通帳を広島に持って帰ってしまったのです。広島に帰って少ししたときに、仕事終わって家に帰ると、親父が通帳をボンと出してきて。「何だ、これは」と言いました。1日に20万とか入金した日があったり、細かく引き出していたり、明らかに不自然でした。正直にギャンブルをやっていたと言いました。ギャンブルにハマり始めてから3年ギャンブルをしたことがバレてしまったのです。父親に「終わったことはしょうがない」と言われて、本当にありがたかったです。これからは、きちんとやろうと思いました。でも、なぜか知らないですけれど、それでもスロットやりたいのです。そして、やってしまっている自分がいました。


ワンデーポートに来て考え方が変わった
 それから、会社のお金を使い込み、父親から警察に行くか、ワンデーポートに行くか選びなさいと言われました。自分はその時点でも、意志の力でやめられると信じていたので、父親の言葉に怒りを感じました。さすがに、警察に行くことはできず、横浜行きのバスに乗りました。ほんとうに嫌々でした。でもその日から、ギャンブルをやっていません。ワンデーポートに来たのは嫌々でしたが、生活していく中で、自分のおかしさに気づき、今までとは違う生き方がしたいと思うようになりました。
  5年経過した今、横浜で仕事を見つけ、アパートを借りて一人暮らしをしています。奇跡だと思います。5年前は親を恨みましたが、ワンデーポートに入れてくれたことを今感謝しています。たまに広島に帰りますが、今は横浜にも友人がいて、居場所があります。
 過去は変えられないけど、今からは変えられるんだと教えてもらったのはワンデーポートです。本当に今は幸せです。
               

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