高野山別格総本山
篠栗四国総本寺

南 蔵 院

南蔵院は、もともと高野山にあったお寺です。
今から170年前、江戸天保年間に開かれた篠栗四国霊場は、
明治時代に入り廃仏毀釈のあおりを受け霊場廃止命令が
くだされました。
困った地元の人々が存続の陳情や嘆願を30年にわたり
続けました。高野山 千手谷にあった南蔵院を招致し、
すべての札所を南蔵院の境内地とすることにより存続を
認められました。
 初代住職の林 覚運は当時20代前半の若さで
お堂の大きさは、わずか4畳でした。
多くの信者さんの尽力や歴代の住職の布教により今では、
年間120万人の方が、お参りに来られるようになりました。



涅槃像

長年にわたりミャンマーやネパールに医薬品、ミルクや文具などを
送り続けた返礼にミャンマー仏教会から、釈迦と高弟ふたりの真骨を
贈られました。
涅槃像は、その安置所として平成7年に建立されたものです。
完成の際には、日本国内はもちろん、世界中から約1300人もの
僧侶が参列し、完成法要が営まれました。
アメリカ大統領ビル・クリントン氏からも祝辞がよせられました。
涅槃像の大きさは、全長41m、高さ11m、重さ300トン
で、ブロンズ製としては世界最大で、ニューヨークの
自由の女神とほぼ同じだそうです。

   

南蔵院入り口と境内の不動明王像


住職 林 覚乗の法話より

初日の出を拝む人は多いが大晦日の夕日にも手を合わせよう。
感謝の気持ちを持って生きましょう。
感謝の心が良い出会いを生み、心を豊かにします。

学生はいつから社会人になるか。
それは、初任給を頂いたときらかだという。
その初任給でご両親を町一番のレストランに招待した娘さんのお話。

優秀な成績で短大を卒業し、市内の銀行に就職した娘さんが、
これまで育ててもらったお礼に、ご両親を町一番のレストランにご招待しました。
お母さんはうれしくて、前の日にパーマ屋さんに行って、当日もどんな服を着て行こうか
わくわくしていたそうです。 店内でもお母さんは「こんなレストランなんて初めてだわ」
と言っていたが、お父さんは腕組をして天井を向いたまま、ムツッとしていたそうです。
そんなお父さんを見て娘さんは「お父さんどうしたの? 何か不満でもあるの? 
言いたいことがあるなら言って。」と訊くとお父さんは「たった一回の食事で20年間の
苦労が帳消しになると思ったら大間違いだぞ。」と怒ったような口調で答えた。
「なんてこと言うの」娘さんは心の中で思ったが口にはしなかった。
そのうち料理が運ばれてきて、お母さんは「おいしいねえ」と言いながら食べていると
お父さんが「ビールを飲んでもいいか」と訊くので娘さんは「いいわよ」と答えた。
しかし、さっきのお父さんの態度に少し不満を持っていた娘さんは、だれがビールなんか
ついでやるかと思っていたが、コップを持って待っているので、仕方なくビールをついで
あげたとき、おとうさんの手の毛穴にセメントの粉がこびり付いているのを見て、
「お父さんはこんなに苦労して私を育ててくれたんだわ」と思うと涙が出そうになった。
お父さんは長年セメント工場に勤めていたそうです。
そうな気まずい雰囲気のままお食事が終わり家に帰ってきた。
夜も遅くなり、娘さんは寝る前にトイレに行こうとしたときのこと、ご両親の部屋から
ふたりの会話が聞こえてきた。 「おとうさん、きょうの料理おいしかったわね」とか
「あのレストランの雰囲気良かったわね」とか、お母さんはなんとか
お父さんにひとこと「おいしかった」と言わせようとしていた。
娘さんはその会話を聞いていたが、ご両親は、そこに娘がいることを知らない。
するとお父さんが「そりゃあ、オレだって、おいしかったさ。 立派に育った娘が
あんなに素晴らしい料理をごちそうしてくれて、うれしくてしょうがなかった。
娘の顔を見たら涙が出そうになるので、上を向いているしかなかったんだ。」
それを聞いた娘さんは、もうそこから動けなくなってしまった。
そうっと、自分の部屋に戻ると、頭からふとんをかぶって「ばんざーい」とさけんだ。

林住職の法話より

ここのご住職は宝くじが続けて当たったことでも有名です。

南蔵院のホームページはこちら

交通はJR篠栗線城戸南蔵院前下車、徒歩5分です。

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