______ 店主のひとり言!_____ _
オーストラリアンサファリ
![]() これは僕が1991年のオーストラリアンサファリに出た時の写真です。 どうですか〜 結構、さまになってるでしょう。まだ22歳の頃です。 この頃の僕はもうバカが付くほどのオフロード好きで寝ても覚めてもバイク の事、速く走ることばっかり考えてた時期でして、毎日砂浜か林道、もしくは モトクロスコースに走りにいってたな。 エンデューロレースやラリーなんかにも積極的に出場してて、90年に四国を 7日間かけて回る『ツール・ド・ブルーアイランド』という当時日本でも最大規模 のラリーに、初めて出場して、ラリーというものにはまっていった。 その時の結果は、ペナルティーとかを貰って悪かったけどSS(スペシャル ステージ)のタイムとかは手ごたえある結果で、来年(91年)のレース の出場してリベンジに燃えていた。 バイクもDT200RからDR350に買い替えて北海道とかにも練習をかねて旅に 行ったりもした。 ![]() 表彰式で、左が僕。この後皆にプールに落とされる。 そして、91年のツール・ド・ブルーアイランドでは結果3位に入る事ができた。 そして驚く事に、その年に行われる『7th・オーストラリアン・サファリ』の出場 ライダーとして選出されてしまった。『え〜この俺が〜!』ってな感じだった。 その当時は日本もバブリーな時代であった為、海外ラリーに出場するライダー も結構いて、ちょっとした海外ラリーのブームでもあった。 『ツール・ド・ブルーアイランド』も副賞? として上位のライダーから2名選出 される事になっていた。 が!しかし!まさか選ばれるなんて思ってなかった から、あの時はかなり動揺してたと思う。 それから、8月のオーストラリアン・サファリの本戦までは3ヶ月もなかったから 準備にバタバタの日々、バイクの輸送やスペアパーツの手配やスポンサー も兼ねていろんな方からいろいろ手助けもしてもらったり、忙しく大変だったが 新しい挑戦でもあり、楽しくワクワクの日々でもあった。 皆に見送られて、初めての飛行機に初めての海外だったけど緊張よりも期待 のほうが大きかったかな。 初めて見るオーストラリアはやはり異国、歩いている人も外人、空気も違う、 そんな気がした^^ 現地では5日ほど準備や観光もして・・・・・ 一応コアラとかも見といた。 英語が殆ど喋れないから、食事にはホント困った。 だから『ワン・コーク・アー ンド・ワン・チーズバーガー・プリーズ』が大の得意になっていた(笑) そして、いよいよラリーのスタートだー! ![]() いよいよラリーのスタート。まだバイクも綺麗だ。 冬のシドニーから暖かいダーウィンまで約8000kを11日間かけて、オースト ラリアを縦断するとっても過酷なレース。 出場台数も4輪、2輪合わせて200台以上は出ていると思われる。 目標はとりあえず完走すること、順位は後から付いてくるものだ。 オーストラリアの広大な砂漠の中を一人で走っていると、自分が今レースに出 ている事も忘れてしまいそうになる。 ![]() オーストラリアの荒野を疾走してる僕です。何を唄っているのか? 100k近い直線のダートとかもあった、そういう時はだいたい大声で歌を唄い ながら走るのだけど、レパートリーが少なかったから同じ曲を何度も唄ってた なー ^^; なぜか尾崎豊の曲をよく唄っていたような・・・・ 日を追うごとにライダー達が減っていく。 皆リタイアしていくのだ。 朝5時ごろ出発して、キャンプ地に戻って来るのが、夜中の2時ぐらいの日も あった。 1日1000k以上走る日もあった。 ほとんどのライダーはメカニックの人を連れてきているのだけど、僕の場合は お金もなかったので、メカニックなしで、毎晩ゴールしてから、タイヤ交換や オイル交換などやってから、やっと寝れるのだ。 ホント疲れるよ! ![]() ![]() 毎晩、タイヤ交換などの整備はかかせない。 『頑張ってるか〜』 「あ〜なに〜!」 走行しているといろんな動物がいる。カンガルーなんか人と変わらないような 大きさのやつがぴょんぴょん跳ねて飛んでくるし、砂漠の真ん中でパンクとか して修理なんかしていると、アルマジロみたいな全身甲羅の動物が、のそのそ とそばにやって来たりもする。 ここが外国なんだと感じる瞬間だ。 景色もエアーズロックみたいな大きな岩があったり、どこまでも続く地平線や、 内陸の町には笑顔がとっても素敵なオーストラリアの原住民のアボリジニー の人もよく見た。 ![]() ![]() キャンプ地の食事は最高に美味い。 オーストラリアの夕日は綺麗だったなー ラリーも後半になると慣れてきて、1日800kとか平気になってくるみたいで、 朝出発して夕方到着できるようになっていた。 ゴール間じかのダーウィンの海に出た時は感動した、やったぜ!って感じ 結局、完走したのは30台ちょっとで僕は23位だったんだけど、順位なんて どうでもよく、自分一人でこのレースをやり遂げた事、それが嬉しかった。 ![]() ![]() ![]() これはその時の僕の活躍?を『Back Off』で特集してくれた時の記事。 この記事を書いて、写真を撮ってくれて、いろいろお世話をしてくれた記者の 永山さんにはホント感謝しています。 永山さんは事故で亡くなったけれども 天国でもバイク乗って、チョコレートばっかり食べているかなー Thanks永山さん。 |
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