平成15年10月1日現在
人 口 154,014人
世帯数 55,110戸
面 積 79.75平方km
東西 10.8km
南北 13.3km
海 抜 5m
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大垣市のあゆみと観光
城下町として産声をあげた大垣市は、豊かな地下水と交通に恵まれ繊維工業・化学工業の好適地として、大正初期以来次第に発達してきましたが、戦禍による縮小・焼失等の悲運に見舞われ、その後幾多の障害をこえて復興躍進し、現在では岐阜県下最大の工業都市に発展いたしました。
また、大垣市は、西に関が原古戦場と滝の水がお酒になったといわれる孝子の伝説で有名な養老の滝等、風光明媚な観光地をひかえ、この観光地は春の桜、夏の深緑清涼、秋の紅葉、冬の雪景と四季固有の美しさを誇っている。
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大垣市民のちかい
私たちは 水を生かし、
緑を広げ、安全に努め、
心を育て、助け合います。
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学 校
大 学 2校 5,510人
高等学校 7校 8,277人
中 学 校 9校 5,203人
小 学 校 17校 9,712人
幼 稚 園 19校 1,641人
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大垣市の史跡
大垣城
大垣城は、天文4年、西暦1535年に創建されたといわれています。関が原の戦いでは、一時、石田光成方の本拠地となりました。
その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで続きました。
昭和になり、国宝に指定されましたが、昭和20年に戦災で焼失。昭和33年天守閣は再建され、再び市のシンボルとなりました。
美濃国分寺跡
各地に残る国分寺跡の中でも、美濃国分寺跡は、寺の区域全体が保存されている大変貴重なものです。調査によって、金堂、講堂、回廊、塔などが確認されました。現在は、史跡公園として整備されています。
赤坂港跡・赤坂港会館
明治年間に赤阪港が整備されて栄え、明治39年当時には500艘を超える船が往来したといわれています。その敷地には、明治初期の洋風建築「旧金生山化石館」の外観を復元した木造2階建ての望桜付きの赤阪港会館が建ち、歴史の街赤坂の風情にしっくりと溶け込んでいます。
お茶屋屋敷跡
慶長10年、西暦1605年ごろ将軍徳川家康が京都への往来のために造営した将軍専用の休泊所跡で、織田信長が築いた岐阜城の千畳敷御殿を移築したものといわれています。ここには、80種800株のボタンが植えられ、東海一のボタン園として有名です。
曽根城跡と星巌記念館
西美濃三人衆の一人、稲葉一鉄の居城曽根城跡。関が原の戦いの後、廃城となり、現在、本丸の跡には、幕末の詩人、梁川星巌と妻紅蘭の詩書、絵などの遺作が陳列される梁川星巌記念館が建てられています。
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市の木・市の花
緑あふれたうるおいのある街づくりを進めようと、昭和48年3月ね大垣市緑化推進条例を制定。
この運動をさらに進めていくために、同年8月、市民の皆さんから市の木・市の花を募集して、市の木に「クスノキ」、市の花に「サツキ」を選定しました。
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大垣市民の歌
1. かざす手に かざす手に
城と光と水がある
そうだ そうだよ 明るくさわやかに
大きくのびる大垣市
われらわれら大垣市
2. ひらく手に ひらく手に
空と伊吹と夢がある
そうだ そうだよ 文化の花は咲く
豊かにかおる大垣市
われらわれら大垣市
3. むすぶ手に むすぶ手に
熱と力と明日がある
そうだ そうだよ さかえる産業都
おおしくうたえ大垣市
われらわれら大垣市
君おぼえてるかい
1. 君おぼえてるかい れんげ畑を跣で
笑いながら駈けていった 幼い日を
この街で今も 重ねる愛の歳月
水はゆたかに 夢をのせて流れてゆく
君おぼえてるかい 白いお城と青空に
明日の幸せ誓い合った なつかしい日を
緑もえる大垣 心すこやかに
歴史の糸をつなごうよ 思いはひとつさ
大垣はきらめいて 世界へ展くよ
2. 君おぼえてるかい 伊吹おろしに追われて
肩を寄せあい雪の中で くちづけたね
船町港の 昔をしのぶ小舟は
今日もやさしく 私たちを見つめてるよ
君おぼえてるかい 揖斐川の夜染めながら
咲いた花火に胸をやいた 恋の蛍を
四季を歌う大垣 ここは水の都
小雨にけむる山なみは 心を育てる
大垣はふるさとよ きれいな街だよ
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