私の日記


1999.9.1
さあ、今日から新学期。
久しぶりにあけた息子の鞄、
雨に濡れたまま放り込んで
あったらしい傘がでてきた。
「外に干しておきなさいよ」
って言っておいたら、
ベランダの物干しに干してあった。

1999.8.29
今夏最後に西瓜がどうしても食べたくて

買ってきたら、おおはずれ!!

みんなが食べてくれなくて・・・・・・


1999.8.28
先週の火曜日夕方からの雷、すごかったですね。六時半頃から七時頃までにいままで あまり体験したことが無いような稲光。一瞬電気消えたんです。でもその時はすぐ点いて 、そしたら何分かしてまた停電。子供三人と私、隣家の義父義母の部屋(家は二世帯住宅 で廊下を通って)に様子を伺いに、そうしたら薄明かりが。二人して横になって懐中電灯の ひかりのもと「こういうときは、姿勢を低くしていた方が良いから」と「やっぱり停電だ! 私たちも静かにしていよう」とまたもとの部屋に戻ってきて四人でひたすら電気のつくのを まっていた。「でも、なんか裏の家電気点いているみたい。」「でも、前の家は消えている。」 「きっとこの辺のブロックだけなんだ。」何せ、電気釜は途中で消えてしまったし、炊き あがったのか生煮えか?電話も電気が無いと使えないし、ラジオつけても情報があるではなし、 そんな中ラジカセについている小さな画面をのぞき込んで野球中継を見ている長女。 (暗がりの中ちょっと不気味)そうしたらおばあちゃん飛んできて「前の家明かり点いてる、 点いてないのうちだけみたい。」今まで留守で帰宅したらしい。みんなで一斉に「エーーーツ?」 そこで携帯で東京電力に電話してみたら、「お宅のブレーカー下りてませんか?」だって。 急いで見に行ったら色々スイッチがある中50とか数字が書いてあるのが一つだけ下を向いて いた。おもいっきり上に上げたら点いた点いた何処もかしこもテレビも・・・・・。三十分以上、 輪になって静かにしていた私たちは一体全体何だったんでしょう。
1999.8.XX
二週間前のこと、オーストラリアから帰ってきた長女。 久しぶりの対面で少し感動があるかとおもっていたけれど (毎日心配していたから)お互いに淡々としていた。 「お母さん!こんな事が、あんな事が、良かった、すばらしかった、 きれいだったよ、とか堰を切って色々話し出すのかと思っていたら 全然なくて少し拍子抜けしてしまった。ところが日が経つにつれ少しずつ 小出しにチラホラと会話の中にでてくる。「Katieの家の車はこんな ワゴン車だった」「ママはベビ−シッタ−で小さい子たちを連れて学校に 迎えにきてくれたけどその子たちに蹴られた」「(Japanese dispray という日本を紹介するときのこと)私が一生懸命折り紙を折っていたら 男の子が何人かきて、”ナハナハごっこを教えてあげる”と言われた。」 つまりそれは、いわゆる せんだみつをの「ナハナハ」という アクション付きのものだったそうだ。その男子生徒は昨年娘の通っている 学校にホームステイで来ていたらしい。いったい誰にそんなことを教えられたのだろうか?
1999.8.11
今日は一日家に閉じこもって、仕事をしていました。
子供たちに言って聞かせたことが三日と持たないことがよーーーーくわかりました。悲しいことです。うちの受験生はどこへ行くのでしょう。
1999.8.6
今日、長女がオーストラリアのホームステイから帰ってきました。心配でしたが楽しんできてくれたようなのでほっとしました。
1999.8.5
初めまして。たえです。不定期に日記のようなものを書こうとおもっています。 よろしくお願いします。身の回りに起こったことや、思ったことを書いていくつもりです。