2004年1月1日
年を越してしまいました。家から出れません。出るのは病院に行くときだけです。
腰部交感神経節ブロックが待ち遠しいです。


2004年1月28日 bP
待ちこがれた
腰部交感神経節ブロックの日がきました。AM11:00まで病棟に入り、即ストレッチャーで運ばれました。エックス線透視台の上に右側を上にして横になりました。背中からおしり、脇腹まで消毒薬が塗られ看護師さんが手足を台に固定します。なぜか神経根ブロックの時を思い出しました。あの激痛は今でも忘れません。「神経根ブロックみたいに痛いんですか?」と、聞いたら「ノーコメント!聞かないほうがいいよ。」 ますます不安倍増です。まず麻酔を打ちます。麻酔が効いたころ看護師さん2人が管理人の肩と腰を押さえます。先生が「これから2カ所に針をいれまーす。麻酔が効いてるから安心してねー。」と、いいながら先生の手にはとんでもない物が握られてました。それは長さ約30pの針でした。太さはあまり覚えてませんが長い針なのでそれなりに太いと思います。おもむろに管理人の右脇腹をまさぐり始めました。「じゃあー針入れますねぇー」と、なーんと脇腹から針を刺していきました。ちょうどおへその真横あたりです。麻酔が効いてるおかげで痛みはありません。が、けっこう入ったところでとんでもない激痛が。お腹の中にまるで電気が流れてる様でした。おもわず「うっうごーっ」と、声を上げてしまいました。それも2カ所も!針先を背骨の前側にある神経節の袋の内側まで入れるらしいのです。神経節の袋は骨に付いてるのでそれを剥がす感じで針を入れるそうです。その時に激痛がくるのです。その後、麻酔を少々と造影剤を注入し、そのままの状態(針を刺したまま)で20分造影剤の流れを診るそうです。
あまりにも長くなってしまったので一度終わります。続きは2部でよろしく。

赤印が針を刺した場所です。下の印はちょうどおへその位地になります。


2004年1月28日 bQ
針を刺したまま20分間なにもすることがありません。絶対動いてはいけないので暇と苦痛との戦いです。ただ、少量の麻酔を入れた時右足の裏がすごく軽くなりました。内蔵等の破損も見あたらなく結構良い感じだそうです。20分たち造影剤の様子を見た先生が「2本入れたうち1本は造影剤の流れが良くないからこのブロックは中止しょう。」と、言ってきました。無理に入れると股関節に痺れが残るかもしれないそうです。こっちは20分間も針を入れたまま辛い時間を我慢したのだから痺れぐらいはいいから「ブロックしてくれ!」とお願いしました。先生も管理人の熱意に負けたのか1カ所だけブロックすることにしました。薬を入れた瞬間、右足膝からつま先まですごく軽くなりました。これで終わったと思いきや、針を抜く時も地獄の苦しみでした。1カ所はブロックしてるので問題ないのですがもう1カ所はブロックしてないので苦痛です。これですべて終わりストレッチャーで病室まで運ばれました。
3部に突入!


2004年1月28日 bR
病室へ戻ったのがPM12:30でした。PM3:30までは横向きのまま絶対動いてはいけません。神経節に入れた薬が安定するまではこのままの姿勢を保たなければなりません。この状態では昼飯は食えずトイレにも行けません。トーゼンオシッコは尿瓶です。生理現象を克服するとこんどは食欲です。横向きでは食べるものも限られているうえ買いに行けません。PM5:30まではベットから起きてはいけません。足の痛みがない分、今度は食欲が我慢出来ません。ベットの上からこっそり携帯で家に電話をしてパンとおにぎりを買ってきてもらいました。PM3:30より仰向けでの安静です。あとはPM5:30まで本を読もうがテレビを見ようがベッドから動かなければ自由なので楽でした。
PM5:30を過ぎ先生から「もう立ち上がって自由にしていいよー。」とのこと。なんと普通に立ち上がることが出来ます。ぎこちないが装具なしで歩けるようになりました。難を言えば足裏に違和感が残る、足指先の痺れ、足首があまり動かない、があります。この3点は今後、経過を診て判断していくとのことです。
この日、ペインクリニックの先生はブロックが思いのほか成功したので心地よい気分で帰られたそうです。


2004年1月29日
退院です。針を刺した部分の痛み、足裏の違和感、足指先の痺れ、足首の動きが悪いが全然楽になりました。精算をすませ、2週間後の外来までは自宅で安静とのこと。うざい装具も点滴、筋肉注射もなくなり一安心です。
しかし、鎮痛剤をやめたおかげで
新たな悲劇がこの後、来るとは夢にもこの時点では思いませんでした。


2004年2月18,19日
退院後、初診察です。18日はペインクリニックです。問診、触診の結果この先気長に見ていくことになりました。19日は整形外科です。痛みはあまりないものの、退院後の症状はそのまま引きずってます。足首の動き等は時間がたたないと良くならないそうです。日常の生活の中でのリハビリになります。安全の為、一応杖をもって行動してます。転んだ時危ないからだそうです。


取手の部分が手の平にぴったりでGOOD!


2004年3月7日
この日、免許証の書換に行きました。最寄りの警察署でなく運転免許試験所で更新手続きを取りました。足の痛みが治まったといっても右足に力をかけると痛みが出るし、足首もあまり動きません。当然ぎこちない歩き方をしているので検査官に止められました。「
右足どうしました?」との問いかけに、「ちょっとねんざして・・・・・」と答えたら色々質問ぜめにあい、とうとう嘘がつけず「交通事故の後遺症です。」と言ってしまいました。そしたらすぐ別室の検査室へ連れて行かれ身体検査です。特に足は細かく調べられました。シュミレーターを使い左右の足の力と反射速度の検査では「右足はブレーキペダル、アクセルペダルを踏み込む力と反射速度が標準以下なので条件に記載します。」といわれました。渋々納得して書類にサインをして免許証の発行を待ちました。免許証を見た瞬間涙が出てきました。「これで管理人も身体障害者なんだなー。」と思うとすごいショックでした。
しかし、車は限定されますが運転はしてもいいので悲観せすがんばります。


 免許の条件です。眼鏡は元々ですがAT限定ではありませんでした。


2004年3月9日
以前から加害者の弁護士より連絡のあった後遺障害の診断書を提出しました。診断名は「
右下肢反射性交感神経ジストロフィー(RSD)、腰椎捻挫」と書かれていました。首と頭については記載が無く診断してもらった病院が違うからしょうがないのかと思い、弁護士に送りました。それから書類を自賠責協会に提出し障害者度数の決定となるそうです。この時点では大変なことになるとは夢にも思ってませんでした。


2004年4月2日
この日、突然首と頭に激痛が走りました。2〜3週間前から首が重かったり頭が重いという感じはあったのですが、この日はもう我慢できませんでした。2月より順調に出勤していた会社を早退しその日は家で休みました。


2004年4月4日
この日の夕方過ぎとうとう痛みが我慢できずかかりつけのU病院に救急で入りました。丁度脳外科の先生が当直で診察していただきました。病院に着いたときすぐ痛み止めの注射を打ってもらったので結構楽になりました。後日、外来で脳外科と整形外科を受診してくれと言われました。


2004年4月6日
U病院の整形外科の診察を受ける。レントゲン検査の結果、首の後ろの骨あたりが?とのこと。はっきりと画像に出ているわけではないらしい。とりあえずリハビリで牽引とマイクロ波を当て、カラーで2週間固定。あとは痛み止めで様子を見つつ、脳神経外科の診察も受ける。
この後、右目の奥が重苦しい違和感が出てきた。


2004年4月19日
U病院の脳神経外科でMRIを撮ってもらったが結果は問題なし。脳腫瘍等、病気は見あたらないのでペインクリニックで痛みをとることになったが、U病院のペインクリニックの先生は時間的に制約があるのでNK病院のペインクリニック科を紹介してもらった。


2004年4月21日
U病院の紹介状を持ってNK病院のペインクリニック科へ行く。問診と触診後、血液検査と尿検査をして、首のMRI検査の予約を取る。この日の治療は応急処置として首に
トリガーブロックを打ってもらう。


2004年4月27日
朝、頭痛がひどく布団から出れない状態。何とかNK病院に行きMRIをとる。担当の先生は首の骨の3番目と4番目の関節の隙間に疑問を持ったみたいでここに
椎間関節ブロックを打つ。レントゲン透視台にうつ伏せになり疑問を感じた所を狙って針を入れ探ります。なんと針を入れてからまさぐり痛い箇所を探すのです。久々に痛いブロックでした。結果、4カ所打って2カ所痛みの箇所に当たり、薬を入れプロック終了です。このブロックでは痛みよりも首の重苦しい感じがとれた様な気がしました。


2004年5月6日
NK病院ペインクリニックの治療日。先週打った椎間関節ブロックでは首の痛みがあまり軽減してないのでこの日より
トリガーブロックと星状神経節ブロックをしばらく続けることになった。あまりにも痛い時は鎮痛剤を使って痛みを押さえることになった。


2004年5月26日
NK病院ペインクリニックの診察日。ここ数日の状態を先生に説明したら「もしかして
低髄液圧症候群の疑いがあるね。交通事故で頚椎捻挫をした人によく見られる症状だよ。」と言われました。脊髄液が衝撃によりある場所から漏れて脳が下がってきたり傾いたりして神経や血管に障害をもたらす症状らしいです。断定はできないが今後様子を見たいとのこと。とりあえず水分を補給して脊髄液を補充してくれとのこと。


2004年6月3日
NK病院ペインクリニックの診察日。先生が本気で低髄液圧症候群の疑いを持ち始め治療方法としてプラッドパッチの話がでた。が、先生の方から後遺症等の問題、データー不足及び厚生労働省の認可の問題があり病院の方針としてブラッドパッチには賛成出来かねるとのこと。先生自身は何とかしたいとのことで結論を次回診察日まで延ばす。ペインに慣れてきたせいか星状神経節ブロック後はあまりつらくない。
その後、U総合病院の整形診察。足の状態はいつもと変わらない。先生の触診では右足に若干冷えがあるが足の色までは変わってないのでこのまま様子を見るとのこと。もしかして再発の兆しが出てきたのかと不安になります。


2004年6月17日
NK病院ペインクリニックの診察日。頭痛と首の痛みが強い。頭は前側だけでなく後頭部まで痛みがある。首は頭の付け根のあたりまで痛い。右目が少々重苦しくひどいと目が開かくなり眩しさに耐えられなってテレビも見れなくなる。とにかく日に日に悪くなる一方である。神経根ブロックも考えたが先生がH病院脳神経外科の先生を紹介してくれた。低髄液圧症候群の専門の先生だそうです。まずその先生に判断してもらうということで紹介状を出してくれ、早速翌日行ってみた。


2004年6月18日
H病院脳神経外科へ行った。とにかくこの病院まで遠いのである。NK病院も遠かったがH病院は片道2時間以上かかるのである。公共機関を使えば多少は早いが管理人にはとうてい無理なので奥方の運転で病院までGO! やっとのことで着いていざ受付へ。そしたら「低髄液圧症候群の患者さんは紹介状があっても完全予約です。それに先生は今、手術中で午後にならないと連絡が取れません。午後まで待てるようだったら連絡を取ります。」とのこと。2時間以上も車に揺られ気分も優れなかったので休みがてら待たせてもらった。午後2時頃突然先生が診察をしてくれることになった。とてもラッキーだった。この日は居て低髄液圧の診察日ではなかったので先生の問診だけだったが色々話しを聞いた先生は低髄液圧症候群の疑いをもった。帰りがけに次の診察と頭のMRIの予約を取り帰宅についた。


2004年7月2日
ペイン診察日。4月27日に受けた
椎間関節ブロックの効果が薄れてきたのでファセットサーモを受けることになった。レントゲン透視台にうつ伏せになり、左足にアース線を付け首の第4関節の左右に結構太い針を入れた。針自体が電極になっているので太いのはしょうがない。その後電極を90℃まで熱し約90秒間患部を焼くのである。聞くと痛そうなプロックではあるが実際はそうでもないのである。まぁー色々体に針を刺しているのでもう多少のことでは驚きもしません。その日は刺した箇所の痛みが強かったが、翌日から楽になった。ところで右足先の爪が紫色になり痛みが出てきた。そういえば最近親指の爪だけ久しく切っていなかった。もしかしてRSDが再発してきたのか?が、一瞬不安に駆られたが腰部交感神経節ブロックがあるのであまり気にしていないのである。


2004年7月8日
ペイン診察日。先週のファセットサーモのおかげか首の調子はいい。ひとつでもよくなると体に負担がかからなくていい。いつもの星状神経節ブロックを打ってもらい(AM9:00)、午後からH病院へ
頭部MRI(造影剤使用)の検査(PM3:00)に行く。その後診察(PM9:30)で検査結果を聞いたら、低髄液圧症候群との診断を受ける。その日に9/21の入院予約を取り、ブラッドパッチを行うことにする。管理人の場合髄液が結構少なくなっていて硬膜がはがれ落ち、剥がれた硬膜が脳に被さって脳自体が萎縮しているとのこと。「もしかしてそれってバカになったってことですかー?」と、先生に尋ねたら「だいじょーぶ! 髄液の漏れが治ったらちゃんと元に戻るから。元に戻らないのがアルツハイマーと言う病気ですよ。あなたはアルツハイマーではないので心配いりませんよ。」と、言われ一安心。でもちょっと複雑です。

カッコ内の時間、驚異的でしょ。でもこの病院では当たり前らしいです。家に着いたのは午前様です。先生、倒れないで下さい。


2004年7月9日
前日まで結構仕事も忙しく動いたせいかこの日は頭痛がひどく会社を休んでしまった。寝ていたら相手の弁護士から電話があって自賠責の
後遺障害度数のなしの決定が出たとの連絡がきた。あと、今通院している頚椎捻挫等の治療費も、RSDと同じく事故との因果関係が認められないので支払いは出来ないとのこと。治療費に関しては裁判をやって裁判所から支払い命令が出れば支払うとのこと。とにかく頭痛がひどく長電話をしてる余裕もないので後日書類を送ってもらうことにした。
とにかくこれで示談までは長引きそうである。


2004年7月13日
朝目が覚めても頭が痛い感じというわけではないが霧がかかったみたいにぼーっとする感じがあるみたいだがそれすらもよくわからない状態である。声もうまく出せない。でも、何か考えて行動しようとする気はある。しかし出社しようとはするが行動がとれず休むことにした。AM10:00過ぎ頃頭がはっきりしてきたら痛みが増してくる。その後、段々と頭痛が増してくる。


2004年7月22日
ペイン診察日。ここのところ薬があまり効かなくなったことを言ったら頓服を一種類追加してくれたが全然きかない。よけい痛くなります。どうやら片頭痛の薬(イミグラン)だそうです。もしかして効くかなと思ったので処方してみたらしいです。もう飲み薬では対処しきれないので辛いときは週2回ブロックを打つことにした。9月21日のブラッドパッチまではなんとかブロックでおさえていくしかないとのことです。


2004年7月30日
朝から頭が重く締め付けられる感じでとても辛い。出勤途中、川崎までいくが電車の中でもう立っているのも辛く目の前が暗くぼーっとして
一瞬意識がなくなった。しばらくホームで休み落ち着いてからこの日はそのまま家に帰った。昼過ぎからは少し楽になるが、布団から起きられない。前日にブロックをしてるので注射はできないのでひたすら安静にして過ごした。とにかく一瞬でも意識がなくなったのは非常にコワイものである。


2004年7月31日
朝から非常に頭の中が気持ち悪い感じ。前日よりひどい。歩くたびに頭痛が響き、昼前くらいから体の動きも鈍くなり昼過ぎ急に目の前が真っ暗になったと思ったら
意識がなくなりその場に倒れてしまった。1分くらい体をさすっておこしてもらうが意識は戻るが直ぐには体が動かないし、言葉も出ない。夕方、救急でかかりつけのNK病院に行く。ペインクリニック科の先生は不在で脳外科の先生が診察してくれたが、CTを撮るが脳自体は異常なしとのこと。低髄圧の影響で立っていると脳が下がって神経や血管を圧迫してその影響で交感神経のコントロールがきかず一時的に脳への血圧が低くなったらしいとの見立てでした。今後も出る可能性があるので安静を心がけるようにとのことでした。この様な経験は今まで無かったので非常にびびってしまいました。


2004年8月2日
NK病院ペインクリニック予約外で受診する。主治医のA先生は夏休みなので替わりのP先生に診察してもらうことになった。この日は頭痛がひどく頭はふらつき、自分で車の運転は出来ない。星状神経節ブロックを打ってもらうがなかなか効かない。右こめかみから後頭部にかけて痛みがとれなくて診察台からなかなか起きあがる事が出来ない。昼すぎに少しづつ楽になる。先週意識がなくなった件があるので安部先生の診察まで安静とのこと。いつ意識がなくなるが分からないので一週間看護診断書を出してもらい、奥方に看護休暇を取ってもらうことになった。正式には安部先生より出してもらうこととなる。夕方から右目の奥が重苦しくなり寝たきりの状態になる。


2004年8月7日
車の助手席に乗り近所まで出かけて見たが車酔いや頭の中が気持ち悪い。今まで気持ち悪い感じという表現をしてるがめまいとは違う感じて表現のしようがない。車を止め1〜2時間くらい安静にしてると少々落ち着く。夕方試しに近所のコンビニまで歩くが途中で頭の中が気持ち悪くなる。やはり休み休み行動しなければならない。翌日は朝から頭が半分ずれた感じがして、右手の小指と薬指からひじにかけてと右足の膝下のしびれが出る。
手は箸が持てない状態である。安静にして夕方近くにはしびれは取れるが頭痛は依然残る始末である。


2004年8月12日
NK病院ペインクリニック診察。A先生の休み明けである。車の助手席にて通院するが病院に着いても直ぐには動けない。やっと動けても歩くのも辛い。この日より正式に看護休暇を出してくれた。日に日に悪くなる状態を見かねた先生が低髄液圧症候群の応急処置があるらしいとのことを教えてくれた。どの様な処置かは分からないが、早速H病院に連絡を取り8月17日に応急処置をしてもらうことになる。H病院は遠いので行くのも一苦労である。


2004年8月17日
やっとH病院の応急処置の日がやって来た。病院までの遠い道のりに非常に具合が悪くなる。意識がもうろうとして車の助手席から全然動けない。車いすを使用するが横にならないと苦しい。直ぐにベットに寝かせてもらい応急処置開始。車からベットまではあまり意識がなかった。応急処置とは点滴の事であった。点滴後しばらくして気分は多少よいが痛みは変わらない。NK病院でこの処置をとれる様、診療情報提供書を書いてもらった。点滴だけの為に片道2時間以上もかけるのはちょっと辛いので先生に相談してみました。これから帰りの道がこわーぃ。


2004年8月19日
先日もらった診療情報提供書を持ってNK病院のペインクリニックへ診察。タクシーでの通院。とてもじゃないがこちらのペースにならないので辛い。H病院での応急処置をNK病院でお願いしたところ色々なしがらみや病院の方針などあって無理とのこと。RSDの治療をしているU病院に相談してみてはどうかと言われた。EBPまではブロックと点滴を併用していけばいいのではないかと思う。


2004年8月26日
NK病院ペインクリニック科とU病院整形診察。朝一番U病院の整形で足(RSD)の診察だったがH病院の診療情報提供書を見せたら低髄圧液症候群の応急処置(点滴)をしてくれることになった。27日から毎日通院になる。1週間処置をして体の状態を診て今後の処置を決めることになった。(U病院では低髄圧液症候群の診断が出せないが診療情報提供書が有るので対応してくれることになった。) ペインクリニックでは星状神経節ブロック処置。低髄圧液症候群で右目の調子が良くないのを診て先生が眼球の筋肉のブロックを検討してくれる。とりあえずブラッドパッチが終わって症状が残る様だったら処置することになった。


2004年8月29日
点滴を始めてから痛みは変わらない。だが若干目の重苦しい感じは取れてテレビが見やすくなった。安静にしていれば楽だが動きはじめると悪くなる。


2004年9月1日
U整形診察。一週間点滴をしてある程度の効果が見られたのでH病院の入院まで毎日続けることになる。いままではトリフリード1000oLをヴィーン1000oLに変更する。


2004年9月3日
点滴をはじめて1週間ちょっとたったが少しずつ楽になっていく感じである。プールの中に浮いている様な感じとふらつき感は残るが痛みがだいぶ軽減している。たかが点滴だけでと思うが点滴をはじめてからの効果は大きいと思う。


2004年9月9日
点滴を始めて約2週間たつが痛みの方はだいぶ収まる。鎮痛剤を使用しなくてもいいくらいである。しかしふらつき感は依然残る。NK病院まで交通機関に揺られても多少は平気になった。星状神経節ブロックも調子の良いときは受けずにすんでいる。ただ台風みたいな強風のある日はふらつき感と頭痛がひどい。


2004年9月21日
H病院入院。この日は腰のMRIと血液検査と心電図の検査。ブラッドパッチは翌日に行うことになった。入院した部屋が脳卒中専門の病棟で同室の人は皆あまり意識がなく自分ではなにも動けない人たちばかりであった。看護師さんが「申し訳ありません。落ち着いて休めないかもしれません。」とのこと。自分としてはいびきがひどいのでこれで遠慮はしなくて済んだが、消灯後、看護師さんが1時間ごとにおしめの交換や床ずれの世話で来るので落ち着いて寝れない。このことだったのかと気付く。これは退院まで続く。


2004年9月22日
ブラッドパッチ当日。この日EBPの患者さんが多いらしく私の治療はPM4:30からとなった。先生が病室に来て前日のMRIの画像を診て髄液の漏れは腰のL2とL3の上下に見られるとのこと。EBPはL2とL3の間に打つことになった。ベッドの上でエビぞりになり腰に針を刺している間に腕から血を抜きそのまま注入した。注入中はおしりが痛く脳が上に押されているのがよくわかった。これが風船効果と言うらしい。心なしか右足の裏が軽い感じがした。針を抜き15分はうつ伏せでその後点滴、1時間はベッド上で安静。EBP後腰が痛くなると言われ痛くなればなるほど効果があるとのこと。髄液の漏れている部分が傷口と一緒で傷口が一時的に炎症するため痛みが出るとのこと。


2004年9月23日
朝から腰が痛い。針を刺した所ではなくその上下の所。トイレまで歩くのもままならない。とにかく1日中ベッドで安静にする。


2004年9月24日
腰は痛い。歩くと腰に響き辛い。昼過ぎ先生が説明に来る。EBPが成功したかどうかはまだわからないが退院後は1ヶ月自宅で安静とのこと。腰の痛みがとれるまでは動いてはいけないと言われた。翌日の退院許可を出してくれ次回は年を越し1月4日に入院である。H病院入院での点滴はブィーンL500og2本とブドウ糖500og1本、計3本を3時間弱で落としていた。
翌日には退院出来た。


2004年10月14日
退院して約3週間。調子は良いときもあれば悪い時もある。天気が良く調子のいい時はリハビリの為に近所を散歩する。1時間くらいを休み休み自分のペースで歩く。


2004年10月28日
リハビリとして動き始めて約2週間。順調にきている感じである。あまり歩くと右足に負担がくるが頭の方は大丈夫みたい。アルコールを少々飲んでみたがすぐ頭痛がきてダメ。調べたら体内のアルコールを中和するために体液を使うので髄液にも影響が出るらしい。と言うことはまだ完全にはふさがってないのかもしれない。来年のEBPまでは無理をせずがんばって行こうと思う。


2004年10月29日
明け方、突然右足と両手に痺れがくる。ずっーとではないが痺れたりしびれがとれたりが朝まで続く。朝起きても痺れがつづく。昼過ぎには治まったが足の痺れは夜まで続く。足の痺れはRSDだと思う?そろそろ
腰部交感神経節ブロックを検討する。


2004年10月30日
いよいよ会社に復帰。かといって体調は万全ではないがいつまでも休むわけにはいかない。頭痛はするが薬は飲まなくてもよい。なんとか一日もった。この調子で明日からもがんばろう・・・・・。


2004年11月29日
仕事復帰約1ヶ月。相変わらず頭の右側と右目の調子が良くない。6月頃の症状が出てきた。ひどくなる前にせっせと点滴に通う。


2004年12月8日
出張で名古屋まで行く。車で(運転手付き)御殿場を通っていくが標高が高いと吐き気はするし後頭部から首にかけて重苦しい。


2004年12月17日
10日からずっと調子がよくない。首の後ろと後頭部が痛いと言うより重苦しい。吐き気がひどい。しかし、食欲はある。点滴を受けると頭の後ろはすっきりする感じだが首は変わらない。




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