2002年3月9日
この日、休日出勤帰りのPM6:30頃、それは起こりました。
場所は国道1号線下り多摩川大橋上、信号待ちで停車してました。目の前には大型ダンプ。こんなのに追突したら「命ねーだろうなー」と、軽く思いつつも、明日行く富士山オフロード走行のことばかり考えてウキウキしてました。(管理人の趣味でくるまの部屋参照)
そこへ後ろからとてつもない衝撃が来ました。一瞬なんだかわからなかったのですが、すぐ追突されたとわかりました。前にはダンプ。こりゃ死にたくねーぞと思い右足でめーいっぱいブレーキを踏みました。しかし、追突してきた車は2トントラック。フル積載に加え脇見運転のノーブレーキ状態でした。管理人の車はバネット・セレナカーゴ(社用車)。ダンプと2トントラックからみればおもちゃみたいなもんでした。案の定車はダンプの下に入り込みました。車はシャクトリ虫の様につぶれ即、廃車になりました。
しかし、悪運の強い管理人は生きておりました。頸椎捻挫と右足裏打撲でその場はすみました。しかし、運ばれたKi病院の診察で「だいじょうぶ。
ほっといても治るよ。それに今、整形外科の先生いないんだよねー。それに入院ベッドあいてないんだー。」と、言われました。
とりあえずその日は家に帰りました。


2002年3月10日
その日は朝から首は痛いし、右足の膝下から全部痺れてとても辛かったです。
薬もなにもないのでひたすら寝て過ごしました。


2002年3月11日
とりあえずKi病院へ診察を受けに行きました。整形の医師に「骨には異常ないからすぐに治るよ。」と、言われ一安心。首に付けるカラーをもらいはめてました。


2002年3月12日
朝出勤途中から頭痛はするし吐き気はするしで調子がよくなかった。会社へ着きしばらくすると吐くし、激痛におそわれるで大変でした。Ki病院へ連れて行ってもらい点滴を打つも、バイタルが不安定とのことで緊急入院。(ベッドの空き状況で3日間だけの入院)
頭部CT検査のみ。


2002年3月14日
退院。週末まで自宅療養。


2002年3月18日
通勤しながらもKi病院へリハビリに通う。(低周波治療)
このころから足の痛みや痺れがだんだん治まって来たのだが、腰が痛み出してきた。時々、腰に痛み止めを打ってもらうがあまり効かない。それでも医師を信頼して月末まで治療を続ける。


2002年4月4日
とうとうKi病院の医師がなげたしてしまった。人間的にはそこそこ対応も丁寧だったがけっこう若く経験不足な感じであった。そこで加害者の会社の上司の方に紹介してもらったKa病院へ行く。(管理人の家のそばなので通院には便利)


2002年4月中頃
まめにKa病院へ通院。容態は変わらず、色々な医師の間を回される。どの先生もちょっと診ただけで痛み止めの注射をうって終わり。正直不安になります。


2002年4月19日
いっこうに良くならない首、腰の痛みを見た腰専門の医師が「しばらく入院して下さい。」とのこと。入院中は点滴治療と低周波治療のみ。痛みがひどい時は注射を打つ。
首と腰のMRI撮影。腰の椎間板に少し黒く影があるがほっといても治るとのこと。入院してしばらくしてひどい頭痛に襲われました。ベットから起きれません。看護師さんから氷枕を出してもらったのですが逆に痛くなるばかりです。今度は先生がピンク色の粉薬を処方してくれました。これは飲むと30分ぐらいで効いてきます。入院中はしばしばこの頭痛に悩まされました。


2002年5月6日
多少、首と腰の痛みがやわらいできた。この日で点滴が終わる。回診の先生に今後の治療を聞いてみたところ、「
あと治療方法はないよ。好きな時退院していいよ。」と、いわれた。あまりにもいい加減な言い方に頭にきて、次の日退院手続きをとる。


2002年5月7日
退院。しばらく低周波治療に通院する。
しかし1週間ぐらいで首と腰の痛みが悪化していく。頭痛も時々出る。相変わらず首は上下左右に振れない。当然、車の運転は無理。非常に辛い。


2002年5月24日
Ka病院の医師が「
こんなに治らないのはあなたに心の病があるからです。診療内科を紹介するので心の病を治して下さい。」と、言われTo医大を紹介してもらう。心の病とはなんぞや?と、思いつつも「治ればいいや」と思い6月17日に行くことにする。
結局見放されたと思いKa病院に見切りをつけ、会社の近くにあるF接骨院へ行く。


2002年6月12日
F接骨院へ行く。見た瞬間、先生が「首から腰にかけての筋肉が硬直している。」とのこと。腰が痛いのもそのせいではないかとの診断。
パルス治療、低周波治療、ホットパック、牽引、ストレッチ、マッサージをそのつど先生の判断で行う。「治るまでけっこうかかるよ。」と、言われた。


2002年6月17日
Ka病院から紹介されたTo医大の診療内科へ行ってみる。診察後、先生に「診療内科の範囲ではないよ。整形外科の範囲だからKa病院へ戻って治療を続けた方がいいですよ。」と、いわれた。


2002年8月末頃
F接骨院に通院して約二ヶ月半。上下左右に振れない首が結構回復してきた。しかし、相変わらず腰の方は痛いままです。その上、足裏と、ふくらはぎの痛みや痺れが頻繁に出てきました。先生は腰の方に重点をおき、治療にあたってくれました。


2002年9月中頃
診断書をもらう目的でKa病院へ行った。そこで先生に首がだいぶ回復してきたことを告げた。それを見た先生は「
へぇー、そんな治療方法もあったんだー。」といってました。蹴りを入れてやろうと思いました。


2002年10月頃
相変わらず腰の方は痛いままです。先生の見解ではもしかして椎間板ヘルニアの可能性があるかもしれないとのことです。F接骨院では検査が出来ないのでどこか大きな病院で検査した方がいいと言われました。


2002年11月7日
Y労災病院の整形外科を受診しました。
腰のMRI撮影をした結果、「検査の結果異常はありません。何で腰と足が痛いのかわかりません。無記名で紹介状を書きますから好きな病院へ行って下さい。」と、言われました。あまりにも頭に来たので二度とこの病院へは行きません。病院名と医師名を実名で出したいくらいです。


2002年12月31日
針治療と漢方薬のおかげで幾分痛みは落ち着くのですがやはり右足に不自由を感じます。犬の散歩も満足に出来ません。(犬にはストレスが貯まる一方です。)
あまりひどくなると杖(ロフストランドスタンダードクラッチ)の世話になります。しかしここのところ会社にも出勤できるので気長に治そうと思います。

 ロフストランドスタンダードクラッチ




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