大好きな残ったもの



卒業式の中、愛菜が答辞を読んでいる間、舞の手は震えていた。
検査結果は先生方の予想が大当たりだった。
「かなり強力な記憶術師に記憶を操作された痕跡があります。」
自分では頭を打ったのだろう、としか思っていなかった事象が一度にひっくり返ったのだ。
この結果はまだ先生方以外には言っていない。
舞は記憶が元に戻ることがあるのか、と診断してくれた医師に尋ねた。
「おぼろげに戻ることはあるかもしれません。しかし元には戻らないでしょう。覆水盆に返らずと言いますが、アスファルトに吸収された部分は取り返せません。」
記憶は二度と戻らない。
今の自分自身の人格も交通事故後に構成されたものだ。
もう何も元には戻せない。
いつの間にやら卒業式は生徒全員で歌う場面になっていた。
そんな元気が湧いてくるとは思えなかったが、何とか歌声が出る。
ここ数日涙を流さないために必死で、必死で笑って。
今も真面目に歌っている。
自分がわからなくなりそうだ。

 後日。
洋子、愛菜、ともよはカフェで苺タルトを食べていた。
「ここの苺タルトっておいしいのよね、舞にもあげたいくらい。」
洋子が切り分けられた一片のタルトをほおばりながら言った。
「あの様子だと、記憶術師が関連していたんでしょうね。」
愛菜は腕を組んでタルトをにらむ。
「でも、舞が何も言わないならわたしたちから言うべきじゃないよね。」
ともよはどれだけ食欲があったのか、もうタルトを食べ終わっている。
「記憶術師なんてこれ以上になく傷つく結果だもの。最近の舞、よく涙目になってるけれど、何もしてあげられないのがつらいわ。」
「舞がクイーンに選ばれた理由が何となくわかる姿よね。」
いくらつらくても他人を優先する。
どれだけ泣いてわめきたくても、その前に寮の監督生としての仕事を先にする。
なんだかんだと言いつつも、舞はそういう意味で強かった。
さてどうするか。
三人寄れば何かの知恵が出るといいのだが。

 こんこんこん。
舞が自分の部屋でぼんやりくだらないテレビ番組を見ていると控えめに扉を叩く音がした。
誰だろう。
舞はふらふらと扉を開けた。
相手は確認もなしでいきなり扉を開けられたことに驚いたようだった。
「おい、大丈夫か?」
凍が舞の顔を見るなり言った。
「あ、はい。」
舞がまるでできるだけの笑顔で応える。
凍の表情ははますます渋くなった。
「いつもみてぇにつるんでないのか、洋子たちと。」
舞は黙ってうなずく。
「苺タルト持って来たんだけど、食うか?」
「え?タルト?」
「甘いもん、好きだろ?」
じゃあ、準備します。
舞は凍をあっさり部屋に入れてくれた。
記憶術師がどうのこうのということは洋子たちや一部の教師の動きで察していた。
記憶を勝手に操作されることほど屈辱的で悔しいことはない。
舞の姿は凍の予想を裏切らない、もしくは上をいくほどの憔悴っぷりだ。
すぐに皿に小さい苺タルトを乗せフォークを持って舞が現れる。
テレビを消してテーブルに苺タルトを置く。
そして、舞は苺タルトの苺を一つ食べると何故かその部分をじっと見ていた。
「起こったことは、もう元には戻せませんよね。」
勧められて舞の隣に座り、凍も苺を一つ食べる。
「ああ、どうしようもない。」
きっぱりと言う。
言いたくないが本当にそうなのだからしかたがない。
舞の目から涙が一筋流れた。
凍は本気で焦る。
いきなり泣き出すとは思わなかったのだ。
「なら、どうしよう?私に残ったものは何?なくなったものは何?」
どうもきっぱり言い切った同級生第一号が自分だったらしい。
舞の混乱ぶりをこうも見せられると焦りが増大する。
焦ったせいか、凍はけっこう大胆な行動に出た。
舞を自分の腕で抱きしめる。
「オレはなくなったものが何なのかは知らない。けど残ったものは知ってるつもりだ。残ったものは今だろ?」
本気で泣きだしてしまった舞の頭を撫でる。
何の抵抗もされない。
強めに舞を抱きしめる。
「大丈夫だ。オレだっているし、洋子たちだっている。オレたちはなくなったものは知らねぇけど残ったものは知ってるし、その部分が好きなんだ。」
告白ともとられかねないことを言ってしまう。

 舞が泣きやむまでやや時間がかかった。
ずーっと泣いていたらどうしよう、と思っていた凍は正直ほっとした。
「すみません、凍さん。その動転してしまって。」
「いいって。それより、ほんとーに大丈夫か?」
「はい、すっきりした、ような、気がします。」
ならよかった。
半時間は泣いていたため舞の目元は赤いが、小さな笑みに仮面じみたものはなかった。
「じゃ、オレは自分の部屋に帰るな。何かあったら電話してこいよ。」
「ありがとう。」
凍は安心した。
いつもの舞だ。
ついかなり大胆な言動をしてしまったことに気付いて、自分の部屋に帰ってから赤くなるハメになることをまだ凍は知らない。
END





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*atogaki*
凍君の役得めぇ、大胆な言動に出ちゃって。
でも、洋子の名前が出てくるあたり、案外冷静なところもあるのかもしれません。
舞にとって凍がどんな人かはやっぱり不明、大事な友達かも。