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長崎県議・野本三雄の『長崎 夢、確かなカタチに!』

一問一答

2013年 8月

野本先生は自民党に戻られたのですか?

野本三雄議員政治上の離合集散を詳細にお話ししても、一般の方々には不快に思われるかもしれません。しかし不本意ながらその波に翻弄されることになり、今また古巣に戻った身として、今回の経緯を一度はっきりとご説明する必要もあるかと思いましたので、一問一答の形でお答えさせていただきます。

県民の質問
野本先生が自由民主党に復党されたと聞きました。そもそもどうして離れていたのですか?
野本の回答
平成23年4月の統一地方選で自由民主党は大勝し、現職と党員資格者の合計24名が当選して議席総数46名の過半数を占めました。自由民主党単独会派が誕生すると喜んでいたところ、党の県議団会議も開かず14名のグループが突然分派、続いて4名のグループも苦渋の選択として分派し、それぞれ会派の設立手続きを終えたとの報告がありました。寝耳に水、の思いでした。

残る私達6名の自由民主党会派としても、数の世界のシナリオに従って過半数にするための働きかけをする必要に迫られたのです。まず改革21(民主党を中心とした)14名に政策協定書案を提出して内諾を得、新生ながさき3名とも政策協定書の内諾の上で合計23名とし、私たちの連立会派が最大会派となりました。

ところが、自由民主党に籍を持つ私が民主、社民系の会派などと連携していることや、その後、当時の県幹事長の一般質問を巡る懲罰議案に賛成したことを理由に、除名処分を受けることになってしまったのです。
県民の質問
連立会派はとても活発に活動している印象でしたが、野本先生にとってはどのような場でしたか?
野本の回答
自由民主党を離れることになったのは、上記のような言わば「受け身の立場」の原因によるものでしたが、連立会派に参加する上では、当時の中央政権が民主党であったため、風通し(ねじれ)を良くしたい(県議会は、国会に陳情することが多い)という「積極的な思い」もありました。

それまで自由民主党ひとすじに歩んできた政治家人生でしたので、連立会派に参加させていただいた期間、これまで会わなかった人に会い、これまでとは違ったやり方で意見のすり合わせをし、ひとつひとつ新たに合意を形成していった経験は、非常に勉強になりましたし、今後の活動に大きな糧となるに違いないと思っております。
県民の質問
なぜもう一度、自由民主党に戻ることになったのですか?
野本の回答
連立会派離脱の理由は、外部要因としては中央政権が民主党から自由民主党になり、陳情の際のねじれ解消を考慮する必要がなくなったこと、自由民主党長崎県連の内部でも誤解やわだかまりが解消されつつあったことなどがあります。

しかし一番大きな理由は、私の信念・政治家としての意見が、党を離れていた間も変わらず自由民主党のそれに合致するものであったことです。さまざまな立場の方のさまざまなご意見を広く聞く機会に恵まれたことで、かえって私自身が誰よりも、自由民主党の政策や理念こそが自分に一番合致するものであると改めて強く感じたのです。

そんななか、この夏にも衆議院選挙が行われるという情勢下の今春、自由民主党県連会長をはじめ、国会議員、県連幹事長、自由民主党議員会長、他有志の方々のお誘い、とりわけ宮内雪夫大先輩の熱心なご助言、お誘いを受けました。

迷い悩み、誠実に考えぬいて今回の決断となりました。7月の参議院議員選挙を自民党の立場で応援すべきと考えての、その時期の判断でした。苦渋の選択の連続ではありましたが、私の選挙公約である「県民・市民の幸せのために尽力する」ということからはいささかも外れることはなかったと自信を持っておりますし、皆様にも必ずご理解いただけるものと思っております。

今回の経験を今後の政治活動に活かし、謙虚に、初心を忘れず、努力精進してまいる所存です。皆様にはどうかこれまで以上に、ご支援ご厚情を賜れますようお願い申し上げます。
一問一答
毎月1日に更新しています。
県民の皆さまにいただいたご意見・ご質問を、私が調べたり、関係部署に問い合わせてお答えしています。
一級建築士としての野本三雄にご質問をいただくこともございます。
皆さまのお声をお待ちしています!
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