明治のはじめ激変した佐賀県と長崎県の行政区域

21世紀の課題“道州制”は意識改革から

県政研究
(↑写真: 明治12年の長崎県全図(長崎県立図書館蔵)
             有明海北部まで県域が広がっている。)




佐賀県住民の復県運動で、今の佐賀県が長崎県から分県され復活する明治16年5月9日まで、実に8年間かかっている。

県民意識というか住民意識も考慮した広域行政でなければ失敗するが、長崎県とか佐賀県とか言うのでなく“九州はひとつ”の行政の積み上げで、着実な取り組みをしなければならない。

少々、遠い将来のことのようだが、考えておくことであろう。



佐賀県の新幹線ホームページ:
http://www.pref.saga.lg.jp/at-contents/kenseijoho/shinkansen/
広域市町村合併が進み、長崎県の行政の姿は大きな変化をしている。
財政力の弱い地方の政治力の結集がなければ、地方にしわ寄せがくる。しかし、行政の広域化は避けて通れない問題だと思う。

生活の広域化が、現行の行政区域を越えて広がりを見せていくことから、中央では、“道州制”の研究が始まっている。21世紀の課題であり我々の予測以上の速さで進展するかもしれない。

生活の広域化は行政区域の広域化を要請する
4月から、産業廃棄物最終処理場の利用税を九州各県が足並みをそろえて実施した。

いま、長崎新幹線の建設に反対する並行在来線沿線市町村の説得に努力する佐賀県の苦労には、我々長崎県民として感謝すべきであるが、“九州はひとつ”への大きな試練と見ることが出来る。

新幹線の必要性を説く佐賀県のホームページは、説得力がある。県境を越えた行政は、すでに始まっている。各県が協議すべき案件は多い。有明海再生の問題・新幹線のことだけではない。

今年2月の長崎県議会でも、道州制について質疑があり、金子知事は肯定的な発言であったようである。

行政区域は、流動的なものと考えよう
現在の、長崎県の行政区域は明治16年5月9日に長崎県から佐賀県が分権再置されてから120年余り変動がない。

県境は固定的であるようだがそうではない。明治維新の廃藩置県の激変は、その時代を反映している。

明治4年の廃藩置県のとき、今の長崎県地域には長崎県・島原県・平戸県・福江県・大村県・厳原県があった。佐賀県地域には佐賀県・蓮池県・小城県・鹿島県・唐津県があった。

佐賀の乱・秋月の乱・西南戦争と打ち続く反政府活動で佐賀県の動向に手を焼いた明治政府が佐賀藩を分割して長崎県と福岡県にしてしまったのは明治8年8月22日。佐賀県はなくなってしまった。