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野本三雄の 県政研究 ライン
国民年金夜話・若い人が知らない時代の話

いま“国政”の最重要課題となっている年金問題は、“県政”の課題ではないでしょうが、全ての県民が考えなければならないことだと思います。
後援会員から寄稿がありましたので掲載することにしました。ご本人の希望により、匿名とさせていただいております。

年金の制度はむずかしく、ひとりひとり条件が違っています。
よりよき制度になるように年金制度一元化の検討に期待しましょう。

年金の種別を異動した時や、年金を受け取りたいときには、現制度では受給者側から届出をしなくてはなりません。

しかし、年金番号も一本化されて届出をしなくても、社会保険事務所で掌握できることも多いようです。役所のほうから必要な手続きを通知するような制度に変えていくことも、政治家や行政に求められるのだと考えます。

お役所もサービス精神を持ちたいものです。
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寄稿『国民年金夜話〜若い人が知らない時代の話〜


リストマーク 発足当初は「任意加入、年金4万2千円、
掛け金月額100円」でした
国民年金は、昭和36年(1961年)に始まったと思います。
20歳から60歳まで40年間、毎月100円の(35歳以上150円)掛け金を納めると65歳から年金4万2千円の満額がもらえる、サラリーマン以外の人のための制度で、これで国民皆保険の実現だということでした。

その時20歳の人は、平成16年では63歳ですから、40年間フルに掛け金を払った人が年金をいただけるのはまだ2年先になりますね。だから、現在は特別処置の老齢国民年金を受給している人だけです。

特別処理で40年未満でも満額年金をもらえるようにしたり、減額年金などの制度ができたのでした。高齢の人には掛け金なしの福祉年金が支給されることになって、93歳で極楽の住人になった私の母などは、数少ない福祉年金の受給者でした。私の親父は、戦後1年してから満州、いまの中国東北からリユックサック1つもっての引揚者で、年金制度の無い時代に苦労ばかりして、年金の恩恵を受けないままに死んでしまったのでした。

今は、年金額も掛け金もずいぶん多額になっていますね。
こんな話、いまの若い人には関係ないですね。

制度はできたのですが、加入は任意でしたから、就職前の人、大学生など収入のない人は、普通は加入していませんでした。サラリーマンの奥さんも任意加入の対象でした。

私の娘も大学を卒業するまで未加入でした。やっぱり「すみません」と頭を下げなければならないのでしょうか・・・・。他人様の非難はできないのでございます。

リストマーク 「任意加入者」の募集に年金担当者はご苦労さんでした
昭和39年夏のある日、県庁国民年金課に勤めている先輩が、わたしの職場にみえてのこと、「奥さんは元気か?サラリーマンの奥さんの国民年金加入が少ないんだ、月に100円だ。俺が毎月集金に来るから加入してくれないか」ということで、わたしは恐縮して「はい、わかりました。集金は結構です。」と答えたのです。

月給1万円程度で、二人目の赤ん坊が生まれたばかりの我が家にとっては大出費で、子育てに専念する妻の遣り繰りは大変のようでした。

でも、おかげさまで、家内の未加入期間は4年未満で、年金の受給者になったいまでは、満額近くの年金をいただいており、先輩に感謝しているのです。

リストマーク 「強制加入」になったのは昭和61年でした
いま、妻の「年金手帳」を見ると、資格取得の欄に小さく「任」の字が印刷されていて丸印がされています。任意加入期間の印のようです。

昭和61(1986)年4月1日、被保険者の種類の欄には「3号−B 長崎市」とゴム印があります。この日が、「強制加入」に制度が変更された時で、そのころには、保険料は7,100円になっていました。いまは13,300円ですか。40年間で当初の133倍になったのですね。初めは、こんな金額になるなんて思ってもいませんでした。

強制加入で、家内の任意の保険料は納付しなくてよいことになりましたので、家計は楽になりました。当時、職場の担当者から、「奥さんの年金手続きをしてください」と何度も促され「妻だから、2号じゃなくて3号なのだなあ」と仲間で大笑いしながら手続きをしたのでした。


リストマーク 浦島太郎じゃありませんが、あっという間に年取ります!
「国民年金はあてにしてないから・・」と離婚後加入手続きをしなかった知り合いの女性は、いま、「入っておけば良かった」と悔やんでいるのです。

若い人の「制度が悪くなるから、加入しないのだ」という声をきくと「そうだろうか?後で困るのでは・・・あっという間に年取ります。それに、年金制度は物価の変動に応じて年金額が自動的に改定になる物価スライド制もあり預金よりもよいですよ。」と思っています。

制度は変えることができるのですから、良くする知恵を出していくことに、若い人にも期待しています。年金制度の無かった時代を思うと、怖くなります。

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リストマーク ↓過去の記事は、こちらからお読みいただけます。 リストマーク

掲載号 テーマ
2004年
6月
『有明海を再生するために』
〜ノリ養殖の「酸処理剤」使用禁止を提案したい〜
2004年
5月
『長崎県中長期道路整備計画(案)を考える』
〜"夢"はすばらしいが、整備資金調達計画に疑問符〜
2004年
4月
『都市国家、長崎の国創り』そのA俵口先生寄稿
〜都市国家戦略論 なぜ、いま都市国家論なのか〜
2004年
3月
『都市国家、長崎の国創り』その@講演要旨
〜野本三雄政経セミナー・俵口一彦先生講演より〜
2004年
2月
長崎県の財政危機回避策を考える
〜平成16年度一般会計歳出予算を7,300億円に〜
2004年
1月
ホームラン条例に期待!
〜県の主要計画策定時の県議会関与を強化する条例制定〜
2003年
12月
5年後、長崎県は破産する?!ン?
〜徹底した事業の見直し、行政改革で行政コスト縮減を〜
2003年
11月
長崎県の人口減少と県の財政
〜地方分権による財政措置制度の変化を心配する〜

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