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タイトル:コラム・たわごと 時は移り、世は変わる
(文:ばく せいき)


長崎の港は“鶴の港”と呼ばれていた。
谷間に深く入り込んでいる海の姿が、羽を広げた鶴のようだったからだ。
今は、埋め立てられて羽をすぼめた鶴になった。

埋立地の先端に水辺の森公園ができた。

400年ばかりの昔、南蛮船が初めて入港した頃の長崎港は羽を広げた姿だった。
浜の町も長崎駅もまだ海の中だったし、諏訪神社も出島もなく、森崎(今の県庁所在地)の岬に新しい港町“長崎”が誕生した。

岬の根っ子の山頂には長崎甚左衛門の鶴城があった。

その頃、長崎氏は、港の出口の領主深堀氏とは仲が悪く、港が開かれてからも、しばしば争いがあった。
深堀沖を通り長崎港にいく大型船が通行料金を支払わないのに深堀純賢は怒って、長崎氏の城下町を焼き討ちにした。長崎側の反撃は戸町付近の防御網を突破できず引き返した。佐賀の殿様・竜造寺の調停で、結局のところ、勝負は引き分けになった。

このしこりが残ったのか、100年後に「深堀騒動」が発生した。長崎の商人高木家の召使い達から辱めを受けた深堀の武士が高木家に切り込んだのだ。深堀の武士10人が死罪、6人が遠島になった。

時移り、世は変わり、長崎の港は大きく様変わりした。
人の心も大きく変わった。今時、長崎と深堀の人間が喧嘩することもない。

「世はスピード時代、アメリカとイラクが仲良しになるのに400年はかからないだろう。そして、いつの日か、ただひとつの世界連邦国家ができるのだ。」

水辺の森公園で海風に吹かれながら、そんなことを考えている私の頭は、かなり“平和”なのかも知れない。


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