天保山登山と「ポンペイの輝き展」

07年1月10日(水)

11月下旬、「錦秋の嵯峨野を歩く」を実施してから3月下旬まで、寒い時節には実施しないつもりでしたが、朝日新聞に「ポンペイの輝き」の広告を見た瞬間、みんなを誘って見に行きたいという衝動に駆られました。せいぜい集まって5,6人かも、、もし4名以下だったら中止し自分だけ行こうと思い十日戎とのセットでお誘いのメールを会員に1月2日になって差し上げました。企画自体が慌てていたためずさんでした。

同じ行くなら遠回りでもめったに乗ることのない「天保山の渡し(市営で無料)」に乗って、日本一低い山「天保山」に登ろうという大阪人のイチビリ精神でこの企画を致しました。

おかげ様で今回も天候に恵まれ、抜けるような青空を仰ぎながらJR「桜島駅」に12名が集合しました。前日になって、下村さんが友人の告別式参列、増井さんは風邪をひいてがらがら声で断念の電話をかけてこられました。
 裏話をしますと・・・最終点検をネットで検索していたら、なんと「海遊館」がこの日を含め、3日間の休館日で、付随している「サンタマリア号」のクルーズは運休、観覧車は運転停止で点検とか。下村さんのご好意で観覧車に無料で乗るのが消えてしまいました。予定のクルーズも駄目とあって、
あわてて代替としての「ブルーオアシスU 3D」を見ることにしました。

標高4.53メートルの「天保山登山」と洒落ました。登山証明書を出している

喫茶店「山小屋」が閉店していました。

とにかく全員で記念写真。そばに公園があるのですが、そこのほうが
標高が高いというおかしさ。ワイワイそんなことに難癖をつけたりして大喜びのみんなでした。

さっそくサントリーミュージアムで「ポンペイの輝き」を鑑賞しました。サントリーといえば高野さん。無料券2枚を持ってきてくださいました。ここは館内撮影禁止ですので写真はありませんが、ネットで取り込んだものを掲載します。目玉の三面壁画「竪琴弾きのアポロ」は高さ2,5メートル、幅5メートルの大きさです。この展覧会の概要をパンフレットから転記しますと・・・古代ローマ帝国が「人類史上、最も幸福な時代」と讃えられる絶頂期にさしかかったころ、突然の大災害が南イタリアを襲いました。西暦79年8月24日午後1時、ヴェスヴィオ山から巨大な火柱が噴き上がったのです。噴火は翌朝まで続き、ポンペイなどふもとの町々が埋没しました。夏のまぶしい太陽は灰雲にさえぎられ、住人たちは闇の中、持てる限りの財産を手に町を脱出。噴出物に厚く覆われた都市は復興することなく、ようやく18世紀に発掘が始まりました。展覧会は、かつてヴェスヴィオ山周辺の暮らしを彩っていた壁画や宝飾品、彫像など400件余りの第一級の出土品を集め、古代ローマ美術の粋を紹介します。2000年の時を超えて輝く宝物には、19時間にわたった噴火の悲劇が凝縮されています。欧米各国で好評を博した展覧会が、ただいまここ天保山のサントリーミュージアムで公開中です。

お昼になったので館内のカフェで軽食を取りました。時間をたっぷりとって食事とお喋り。次に2時に予約してあったイベント、巨大スクリーンに立体の映像が見られる「ブルーオアシスU 3D」を見に行きました。
海底の生物の生態を見る映画でしたが40分があっという間に過ぎてしまいました。目の前を鮫が泳ぎ、蛸が蟹を捕食するシーン。すごい・・・。これもシニア割引で700円でした。

3時になったのでナンバに出ようということになりバスで出発。約50分近い世情視察でした。いつも地下鉄を使っていますがたまには地上をのんびりバスで行くのもいいですね。ナンバの元南街会館(今はマルイが入ってOIOIという名前になっている)のまえで十日戎に行くか、それとも食事をするか、相談。結局「ミュンヘン」へ行くことになりました。

約2時間以上、よく飲みよく食べよく喋って2200円。

西谷さんと中野さん

井狩、大場、来田、榎本、西谷、村元、斉藤、村田、中野、笠村、河村、高野・・以上12名の参加でした。
さて、6時過ぎ十日戎へ行くのが億劫になり「もう帰ろ」ということになりました。でも私は諦め切れません。なにしろ大阪に住んでいて今宮戎に今まで行ったことが無いんですから。それを察してくれた笠村さんが「一緒に行こう」と言ってくれましたので露店が並んでいる道を人をかき分けかき分けナンバから南下。「商売繁盛で笹持って来い」という掛け声を聞きながらお参りしました。

中野、井狩、斉藤、村田

高野

榎本、西谷、村元

今宮戎

座っている人
左から来田、村元、斉藤、井狩、中野

立っている人
榎本、西谷、村田、笠村、高野、河村

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