神戸淡路大震災と復興

この前、七期・外遊びクラブ「神戸の街で遊ぶ」を実施いたしましたが、その時のメニューの中に
神戸の復興ぶりを実地に行って体感する予定でしたが、雨のためのショートカットもあり、また傘を
さしての説明を落ち着いて聞けなかったこともありました。

07.5.25

そこで、また森本さんにお願いして写真を使って惨状と復興振りを皆さんにアピールしたいと考えました。

それでは三ノ宮駅前から始めたいと思います。駅前にあるのが「そごう」です。中央部分がひどく壊れています。

そごうは建て替えよりも修復を選びました。

95年4月、部分解体中のそごうです。

大丸はそごうと違って全面的に建て替えという方法を選びました。 ↓

ダメージを受けた「神戸国際会館」です。

そごうの向かって左側にあるビルが三井信託銀行(現在は中央三井信託銀行)ですが、3階部分が完全に圧縮され潰れています。3階部分にあった看板の「託」という字がなくなっています。

交通センタービルです。4回部分がぺしゃんこです。

阪急三宮駅です。

建て替えられた国際会館です。

建て替えられた交通センタービル

建て替えられた神戸新聞ビル

神戸市役所1号館の高層ビル(海側)は震災で壊れることはなかったのですが、低層の棟・2号館(山側)はダメージを受けました。
5階部分が潰れたので改築して低層にしました。

旧居留地の十五番館は壊滅です。

全面建て直した十五番館です。なお、この建物の周りの植栽は、われらの同期、阪口正浩さんの会社「グリーンスター」が施工しました。

まだまだ資料はありますが、以上の写真で神戸の復興ぶりを感じていただいたことと思いますので、これで閉じさせて頂きます。

もし、もっとご覧になりたい方は下記のURLをクリックしてください。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/index.html 

もう、あの時《1995年平成7年1月17日(火)午前5時46分》から12年経ちました。
◆ 死者 : 6,435名 行方不明者 : 3名 負傷者 : 43,792名
◆ 避難人数 : 30万名以上
◆ 住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計約25万棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
◆ 火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
◆ その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
◆ 被害総額 : 10兆円規
このことを私たちは忘れないようにしなければならないと思います。

震災を実際に体感した方々は、当時の体験や防災について具体的に伝承しようと今もご尽力を続けておられます。  その後、中越地震(山古志村)震災や能登震災、最近では中越沖地震などがつづいており、その度に阪神淡路大震災当時の経験が活かされていることは、大変に意義のある重要なことと思います。
 一方、当時の 0歳児がすでに小学校6年生。 彼らの意識の中にこれまでに伝えられてきたノウハウがどれほど根付いているか。 一部には「すでに風化が始まっている」と言う人もいるようですが、「震災」が起きる毎にでも これまでの体験やノウハウが積み重ねられ、具体的な形で蓄積されて行くことが大切ではないでしょうか。

今回は神戸をとり上げましたが、神戸のみならず周辺の地域、芦屋、西宮、淡路地区や大阪北部の人たちに対しても同様の慰霊の気持ちが必要と思っています。

追伸

@07年6月3日付朝日新聞朝刊の「あめはれくもり」というコラムで「死別 語れるまでに12年」と題し、神戸のあしながレインボーハウスの職員・八木俊介さんが震災遺児の事例を書いておられます。内容は当時小学生だった大学生が、親との死別体験を語りだすまで12年の年月がかかった・・という内容ですが、レインボーハウスのスタッフとボランティアが根気よく見守ることで心が開いていったそうです。
神戸レインボーハウスについて http://www.ashinaga.org/house.htm をご覧ください。
A神戸三宮でお会いした七期生・阪口正浩さんの会社のホームページです。http://www.greenstar.co.jp/ 
B私ごとですが、震災のあった朝、真っ先に学校に駆けつけ被害実態の把握をいたしました。
理科室の薬品庫、校舎や教室は大きな被害がありませんでした。ガラスが30枚ほどひびが入ったり割れたりした程度でした。
その後、神戸淡路の被害の実態が判明するたびに心を痛めていました。職員の一人(事務職員)がぜひボランティアに行かせてくれ、と申し入れをしてきましたので、復命することと職員たちに
実態の説明をすることを条件に職免(職務専念義務の免除)を与えました。また、芦屋や神戸から
校区の祖父母の家に寄留し、父母と別れて登校してきた子供が5名になりました。学籍を異動させず特例を設けての措置です。また、卒業間近の忙しい6年生の児童10名から、南海高野線「金剛駅」駅頭で「募金運動」をさせてくれと申し入れがあり、子供や大人を信じて許可しました。PTAもそのことを知り募金活動をしてくれました。
 震災2ヵ月後の卒業式の式辞で、現地の子供たちが助け合い譲り合い我慢をしながら過ごしたこと、わが校の6年生が寒い中、募金活動したことや、震災の地から来た子供たちに親切にしたみんなを褒めてあげました。

 この前、神戸を訪れて復興ぶりに感動もしました。でも、あの時の被害を受けた人への熱い思いが薄れてきている、と自分自身反省しています。
Cいろんな思いの交錯する神戸に、七期・外遊びクラブがまた何時かもう一度寄せてもらいたいと
思っています。
これはあの雨へのリベンジでもあります。    (文責・・村元伸行)

グリーンスター  http://www.greenstar.co.jp/

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