女房と仲良く過ごす法

互いを理解するためのヒント



ご利用は計画的に

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 先日はポール・サイモンの『恋人と別れる50の方法』についてまとめました。その補記に「女房を怒らせない50の方法」を追加しましたが8つどまりで、説明を省いたのが気にかかります。恐妻家の親父としてはその程度しか並べられないのが口惜しい。家庭の平和だとか子どものためというのも理由としては消極的です。寝首をかかれず、長生きをするための積極的な方法を検討したい。

●動機は極めて不純

 何のためにこんなことを言い出すか。
 第1は自己保身のためです。
 第2は互いの気持ちを確かめるためです。
 第3は家族の平和のためです。
 第4は多額の慰謝料を払えない財政事情です。
 そして、醜態をさらして熟年離婚をしないためです。

●具体例を示せば

 さしあたり思いつくことを並べてもせいぜい20がいいところです。並べてすませばいいものでもないから事例を加えて説明します。矛盾もあるが、多様な展開を求められるのが人間関係です。ワンパターンで済ませるからあきが来てまわりが羨ましくなることも多い。それを忘れて電子レンジでチンして済ませれば玉子の爆発も起きます。

 (1) 朝夕欠かさず「愛している」の復唱
 (2) 「お前だけが」を機会あるごとにささやく
 (3) 「可愛い」、「キレイだ」を繰り返す
 (4) 他所で見た好みの女性は口にしない
 (5) 娘と女房の争いには娘を叱る
 (6) 週に一度はプレゼント
 (7) バレた時にはすかざす土下座
 (8) 顔やスタイルは口にしない
 (9) 日ごろの貢献はそのたびに感謝
 (10) 気に入った理由を忘れない
 (11) 手をつないで歩く
 (12) 女房の好みを理解する
 (13) ヨイショも欠かさない
 (14) たまには昔話も
 (15) 出歩く機会を増やす
 (16) 趣味を押し付けない
 (17) 自由に行動させる
 (18) 子育てはともに悩む
 (19) 子どもと別れて二人で行動
 (20) 病気のときは看病し                              
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1 朝夕欠かさず「愛している」の復唱

 結婚以来20ウン年わたしが欠かさないのは朝夕のあいさつです。「おはよう」と「おやすみ」はどんなにいさかいをしていても繰り返します。女房がブスっとしていても欠かさず行っています。これは子どもにも強いています。あいさつができない人間にロクなやつはいません。お客にシブシブあいさつするのは仕事でも最低です。

 人とのかかわりはあいさつに始まります。女房だから手を抜くなんて最低です。それに、「愛している」を付け加えるのがミソでしょう。愛なんてわたしには無縁です。でも、ペットだって飼えば可愛いもので、思わず声をかけてしまうときもあります。むろん、女房はペットではなく人間です。一緒にいる喜び(苦しみ?)を愛という言葉で示すことも大切でしょう。
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2 「お前だけが」を機会あるごとにささやく

 女房の代わりはいない。ホステスや看護婦が料理や洗濯をしてくれるわけもありません。預金の出し入れ、役所の手続き、郵便物の投函、子育て、ゴミ捨てそのほか細々したことをするのは女房しかいない。そういう実用性だけで一緒になったわけでもないが、それを忘れてよそ見をしては不公平です。

 風の『お前だけが』や『あなたへ』あるいはオフコースの『YES YES YES』や『愛を止めないで』を魔がさして口ずさんだ親父としては「お前だけが」を持ち出すしかない。それは照れくさいにせよよそ見をしないためにも欠かせない言葉です。
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3 「可愛い」、「キレイだ」を繰り返す

 ペットや赤ん坊を見て思わず口にするのが「可愛い」です。花や景色を眺めて思わず「キレイだ」をうなるときもあります。動物や静物に限らず思わず口にするのが可愛いとキレイです。それを限られた人間にだけ使おうとするから相手もびっくりする。言葉に変な思い入れをするのは勝手です。また、あるのに使わないから相手が警戒するし、驚きます。

 相手を不快にさせない便利な言葉が「可愛い」と「キレイだ」です。そう感じる心の広さと思いやりを隠すことはないでしょう。相手だって自分が美人でないことは十分知っています。容姿や顔かたちでなく心の美しさを認め合うゆとりも欠かせないのではないか。田村隆一という詩人は『帰途』という詩に「あなたが言葉にだまされても・・・」というイヤミも並べているにせよ(ホームページ「30男のつぶやき」)。
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4 他所で見た好みの女性は口にしない 

 結婚した直後に戸惑ったのは好みの女性に自然と目線が移ることでした。クルマの助手席の窓を何度か開けて(窓は運転席から自動的に動かせた)、声をかけようとしてそこに妻がいて冷や汗を何度もかきました。美に対する正直さは今も直りません。

 だからといって、浮気者と決め付けられるのは心外です。せっかく磨いた美的感覚を曇らせることもありません。プールドンというフランス人は名誉と自尊心を大切にする人間を巧みに表現しています。見かけは醜女でも心は誰よりも美しいと思い込むし、ブオトコのわたしだってそう思うときもある。他所は他所。自分は自分。そう割り切って女房を見ることも忘れてはならないでしょう。
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5 娘と女房の争いには娘を叱る                                   

 我が家の娘は中学生の頃から母親をからかうようになった。おしゃべりな娘に太刀打ちできない無口な女房はそのたびにカッカする始末で仲裁に入るのもうんざりした。親を客観的に見るのは子どもの成長だからそれ自体は不思議ではない。でも、ものの見方が一面的で自己中心なのが子どもの見方です。

 こういうときに中立を保つのは女房を孤立させる元です。口には出さないが、食事を作らなかったりフテ寝されると後始末に追われてわたしの道楽に支障が出るのも腹立たしかった。こういうときは家庭の平和を優先して女房を立てることにしています。寝坊して慌てたり、朝食を作る手間を考えたら娘を叱ったほうがわたしの負担が減るからです。それにしても、同性どうしなのに何で皮肉を並べあうのだろう。
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6 週に一度はプレゼント

 釣った魚に餌はいらないと思い込んでいたがその考えを最近は修正しています。魚のように食べて捨てられないのが女房です。また、ペットだって餌をやらなきゃ噛みついたり死んでしまいます。これは子どもも同様で、産んでしまえばそれっきりではない。大切に育てるのも親の責任です。それにプレゼントを加えるのが絆の強化であり、また、ホコロビの補修にもなります。

 モノで関心を買うというのは邪道に映るようです。家族に何でそんなことをすると笑う男もいます。仕事や道楽にこって家族を敵に回していることに気づかない亭主に言いたい。飲み屋のねーちゃん(ばーさん?)にごきげん取りして病気の看病や老後の世話をしてもらえますか。それが期待できるのは女房しかない。

 どうせ気を使うなら長い目で見ることです。チョコレートでも安物ワインでもいいから週に一度はプレゼントしてみましょう。釣り上げる前に無理して払った食事代やプレゼントからすれば些細な出費にすぎません。500円で十分足ります。金額の多い少ないより誠意を形で示す。これは女房に最も必要な気配りです。
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7 バレた時にはすかさず土下座

 つきたくないけど結果的にウソをついたと言われるときもあります。急な残業や飲み会で帰宅が遅れたり、週末に出向く約束が急用で中止になったりするのは男の世界にはつきものです。別に隠したわけではないが小遣いの必要で別の用事を作ることもあります。また、ずっと昔にへそくりをしていて発見されたこともあります。そいうことを忘れないのが女房です。

 浮気はしたことがないが浮気心は残っているから女房の信頼がない。ちやほやされたことのない女房は自分がされたことを亭主が他人に行っていると誤解しているフシもあります。免疫性がないのも困ったものです。ともあれ、不信感で凝り固まっているときは正論は通用しません。事情を話しても弁解と受け取られるだけです。こういうときはためらわず謝るに限ります。子どもの前でみっともないなんて体面を張らず、土下座をして謝ればそれ以上の追及はさけられます。
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8 顔やスタイルは口にしない

 理想と現実に折り合いをつけて身を固めたのはわたしも女房も同じです。モデルや女優と結婚したわけでないのにテレビを眺めたり、ドライブの途上で好みの異性を口にするときがある。直しようがないのが顔つきとスタイルです。それを忘れて調子に乗ると後の祭りだ。昔は可愛かったというのも女房を落ち込ませる元です。過去を懐かしんでも戻ってはこないのだから。

 最近は、娘がやたらと女房をおばちゃん扱いするようになった。髪の毛が薄くなったとかシワが増えたとか刺激するから、わたしはそばにいてハラハラする。おまけに、ビールの飲みすぎで下腹がウンヌンと言い出すから女房はムカムカしている。こういうときに、「年相応だよ」と言っても慰めにはなりません。わかっていても認めたくないものは誰にもあります。しかたないから娘の頭を小突く。親しき中にも礼儀あり。トバッチリを受ける親父の身になってみろ!
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9  日頃の貢献はそのたびに感謝

 これはすでに述べた2(「お前だけが」を機会あるごとにささやく)と重複します。女房の代わりはいないということを再確認しましょう。日々の暮らしでいかに女房に依存しているかはすでに説明しました。それを認識するだけでなく、貢献に対する感謝の気持ちを「表現する」ことも忘れてはならないでしょう。                   

 示すべきときを忘れ、後回しにして感謝の気持ちが薄れ、女房に反感をもたせることがわたしにあります。頼みっぱなしにしておいて、女房が忘れたときだけ文句を並べるのは反感を生むだけです。そして、感謝の気持ちは大げさに示すべきでしょう。叱られるよりほめられるほうが誰だって良いはずです。
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10  気に入った理由を忘れない

 慣れ親しんでしまうと初心を忘れてしまいがちです。どんなにすばらしいものでも有難味が薄れるものです。それは女房にしても同じことが言えます。顔や姿はともかく笑顔が気に入ったり、好みが一致して選んだのが女房です。

 時の経過とともに互いの興味や関心がズレたり、子どもが介在するばかりに意見の不一致や好みに差があることを自覚します。そこで互いに「だまされた」と言い出す始末です。でも、錯覚したのは自分であって相手に責任を転化することでもありません。欠点をあげつらうより自分が女房にひかれたものを確かめることも大切ではないでしょうか。
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11  手をつないで歩く

 最近はさかりのついた犬や猫のようにヌケヌケと街角で抱き合うペアもいます。それをマネる気はわたしにはありません。でも、昔は女房とそろいのシャツを着たり、手をつないで街を散策しました。それを思い出してみましょう。

 世間体や子どもに気を遣い、照れくささも加わって手をつなぐことさえ忘れています。さすがに街角では気がひけますが、旅先の坂道や階段で手をつなぐのも夫婦の絆を強めるような気がします。言葉では伝わらないものが手をつなぐことで感じるときもあります。
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12  女房の好みを理解する

 自分の好みを女房に押しつけるのは反発を感じさせるだけで、かえって自分の足かせになることもあります。これは子どもも同様で、よかれと思ってすすめても相手に苦痛を与えます。

 無口だからたやすく改造できると錯覚した女房もこだわりがあります。それを忘れたり、無視するのは墓穴を掘る元でしょう。日々の発言や行動から女房が何をしたいのか確かめることも欠かせません。相手を思いやるためには相手を理解することが大切です。言いたいことを言わせ、耳を傾けるのを忘れないことです。
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13 ヨイショも欠かせない

 オーバーアクションは見た目はかっこよくても中身が伴わないと空虚に感じるものです。でも、
言わなければ相手はわからないし、示さなければ伝わらないものがあります。つまり、わかってくれると期待しても理解されない現実があります。女房にしてもそれは同じです。

 ヨイショというと「おだて」と誤解されかねませんが、誠意を伝えるには欠かせないものでしょう。
相手に伝わるようアクセントをつけて印象づけるのがヨイショと考えてください。長く暮らしていても互いに分かり合えないものを、ヨイショというやや大げさな振る舞いで伝えることを忘れないようにしたいものです。

 何気なく「キレイだ」、「似合うね」、「驚いた」とささやくだけでも和み(なごみ)が生まれます。
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14  たまには昔話も

 昔のことを美化したり蒸し返すのをわたしは好みません。タイムマシンの作り方には興味がありますが、戻せないのが時間であり思い出なのではないでしょうか。わたしは猪突猛進のタイプなので過去にとらわれず先に進み、追い付けない女房は戸惑うことも多いようです。

 山歩きで身に付けたのは、正確に先に進むには立ち止まって、まわりを見回し、通り過ぎた道を確かめることです(ホームページ「よりみち」)。また、同行者の疲れを確かめ互いの歩みを調整することも欠かせません。たまには昔話を女房と語り合うことも必要でしょう。自分だけ先を進んでも互いがはぐれたり、迷路に入り込むことを避けるためにも忘れてはならないでしょう。
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15  出歩く機会を増やす

 これは毎週、用もないのに女房と外に出向いて子どもに笑われている親父が持ち出す話題ではないようです。最近は週末は家にくすぶっていますが、外に出るだけでモヤモヤとした気分がスッキリすることもあります。家にいれば他人にわずらわされず、気ままに過ごせますが外に出るのは解放感とともに適度な緊張感がつきまといます。

 外に出るためには女房も化粧をし、身なりも整えます。それも女房を見直す機会です。わたし自身は化粧や身なりに無頓着ですが、他人にはけっこう厳しい目をもっています。だから、地味な女房に過激な衣服を着せようとして何度も非難されています。

 それはともかく、夫婦で家にこもっていてはまわりの変化がつかめません。テレビで見るものは修飾や加工がされたものです。互いの五感で確かめあうには外に出向くことでしょう。一人では感激を語り合えないし、おっくうで腰が引けることもあります。女房と一緒に出歩くのは娘や息子と違った気安さがあります。
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16  趣味を押しつけない

 自分が好きとか価値があると思っていても女房や子どもに理解されないこともあります。無線交信が楽しくても家族には雑音に響いたこともあります(ホームページ「よりみち」、「CQおじさん」)。ドライブだってカーブの多い山道は女房に耐えられないものでした。パソコンがいくら便利でも読んだり書いたりすることのない女房には金食い虫で迷惑な道具でしかないようです(ホームページ「のんきな親子パソコン編」)。

 夫婦だからといって趣味や嗜好が一致するわけではありません。自分に合わせないからバカだと決めつけないことも大切です。無理強いをして煙たがれたり、わたしの趣味や好みを否定されることもあります。いろいろすすめてきましたが相手に無理強いをしないことも忘れてはならないことでしょう。
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17  自由に行動させる

 旅行の話が合って一緒になった女房ですが自分で計画して出歩くタイプではありません。ともだちに誘われて出歩いたことは一緒になって気づきました。送り迎えもしてくれる便利な運転手と一緒になったと勘違いしているのは今も変わりません。でも、何度か経験させると宿の予約を行い、持参品の準備もするので頼りになります。

 そんな我が家と違い、女房を家に置きたがる男もいます。外に出られると出費も増し、かまってもらえなくなるほか亭主の家事負担が増えるからでしょう。でも、たまには女房が羽を伸ばす機会を与えるべきでしょう。世間知らずの女房(亭主)は手がかかります。自由に行動させ、自ら行なう習性を身につけさせましょう。

 我が家の女房もたまに一人で行動します。携帯電話を持たせていますから迷子になっても迎えに行けます。ここだけの話ですが女房がいない平和な日も楽しいものです。読書やゲームに存分打ち込める機会を大切にしましょう。
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18  子育てはともに悩む

 子どもが生まれてから女房の関心は子育てに移りました。根がクソ真面目ですからテレビの解説や他人の言い分をウノミにして子どもを育てようとしました。こういうのは亭主にはハタ迷惑なんですね。発育には違いがあり、個性もさまざまだという視野が欠けるからです。

 髪を切るとか耳の掃除でも相手の不安を無視して行なうから子どもが怯えて大騒ぎしました。仕方ないのでわたしが代わりに行なったものです。教科書どおりにやりたがるのはどこの女房も同じようです。自分の思うとおりにできないと子どもを叱るのも似ています。子育ては夫婦で悩みを共有したほうが良いようです。女房に子育てを任せぱなしの亭主が羨ましい。
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19  子どもと別れて二人で行動

 子どもの独り立ちのためには親がベタベタしない。それがわたしの持論です。ばあちゃん子で外に出てカルチャーショックを受けた反動です。外に出ればかばってくれる人もいないし、自分で考えて行動するしかないからです。そのためには世話を焼く女房を子どもと分離する必要があります。

 どこの家でも女房は子どもを自分の分身やペットとみなしているようです。だから、子どもが反抗すればムキになって怒ったり落ち込みます。子どもと一線を画す亭主とはそこが違います。また、子どもと女房の仲裁にわずらわされるのもおっくうです。子どもに安らぎを与えるためにも女房を外に連れて行くことも大切でしょう。世話を焼く相手を子どもから亭主にかえさせ家庭の平和を守ることも欠かせません。
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20  病気のときは看病しあう

 妻が病気のときに遊び回る亭主もいますが感心しません。あとあと蒸し返される元を作ったツケはきっちり払うしかないでしょう。両親と同居していない我が家では女房が寝込むとパニックでした。子どもを連れて外食に出向いたり、慣れない洗濯や掃除でクタクタになったものです。

 長寿が当たり前になっていますが、子どもだって病気にかかります。病院に入院させるほどではないときには夫婦で対応するしかないでしょう。遊びまわった子どもが急に高熱状態になり年に何度か夜間休日病院に運び込んだことがあります。運転はもとより、病状の説明は亭主がするしかありませんでした。オロオロする女房を励まし、冷静にまわりを見渡すのは亭主の勤めでしょうか。もちろん、女房や亭主が病気になったときの看病は互いがするしかないでしょう。
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● まとめ

 思いつくままに書き連ねてようやく20の方法を整理しました。これから50とか100まで続ける気力は失せました。書くほどに家庭の恥をさらし、役にたたない亭主像を示すだけと気づいた次第です。方法はあくまで我が家に限定したもので一般化するつもりはありません。

 また、女房だけを相手にすれば良いのに子どもにまで話題が飛躍して混乱させた気がします。それなら、互いの両親も登場させるべきだと考える方もいるでしょう。子どもにとどめたのは、自分たちが産んだ帰結であり、ちゃんと育てるのが夫婦の努めだと考えるからです。

 そのうち、話のネタが尽きたら続編を続けようと思います。ここにあげた20の方法で夫婦だけに欠かせないのは最初の8つだけです。極論を言えば最初の3つで十分でしょう。女房の行なっていることを当たり前だと考えず、その貢献に対する感謝を言葉で伝えることに尽きます。その他はそれを実行する例にすぎません。

 期待外れな方法ばかりで役に立たないと思います。おつきあいありがとうございました。【終わり】


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