たかがクルマのことだけど

はじめに


トップページに戻る  目次ページに戻る   次頁へ


 送り迎えのために運転免許を渋々とらされて35年たった。運動神経の鈍さや不器用さが加わって運転はけっして楽しいものではなかった。でも、続けるうちに新しい発見やものの見方が生まれ、移動や運搬の道具を超えたクルマの側面に気づいた。それを15年前にまとめたのが『たかがクルマのことだけどークルマで旅をする人にー』である。アマチュア無線の仲間とあれこれ話しているうちに整理した産物である。

 運転が下手のくせに、ラリーやスピード走行のテクニックに関心をもち、夜中にコッソリひとりで試したこともある。プロの運転手には頭でっかち、整備士には素人の生兵法と何度も笑われた。でも、山歩きや旅行とちがう楽しさもあった。オートマ車に替えてから今ではまったく他人まかせの整備も、マニュアル車のときは車の下にもぐって傷を確かめタイヤやオイルの交換ぐらいは行った。文系なのに自動車工学に寄り道したのも、走らせるための関心からだった。

 ここにまとめたのは、1台のクルマで友人と山や半島をドライブしたり、数台のクルマで知人や親族と旅行をした経験を基にしたものである。私はクルマを使って身体の不自由な祖母あるいは父母、運転に無関心な妹たちや家族を同乗させ、徒歩はもとより電車やバスではできない旅をしてきた。

 旅は歩いて感じるものという私の信念があるにせよ、言葉で説明するには面倒だからその場へ連れて行くためにクルマを使った。

 クルマの利用は、誰もが運転できるがゆえに途方もない迷惑をまき散らし、安易なつかいかたで自分や他人を傷つけるのがつきまとう。また、せっかく覚えた「決まり」(交通法規)や「お約束」(マナー)も免許をとるとたちまち忘れてしまう。自分だけは頑丈な箱に囲まれているオゴリ(驕り)が、歩行者や他車を危険にさらしている。そういう現実を直視し、ドライバーと歩行者の立場に立った利用法を私はまとめたつもりである。

 最近は、足腰に加えて目や耳も老化してきてクルマの運転もおっくうになりつつある。まとめたときはそんなことは気にしなかったがドライバーにけっこう無理な注文とか、タテマエや理想も随所に入っている。でも、書いた当時の現実に対する批判は今も変わっていない。どんな目的であろうと他人(車)に迷惑を与えず、互いに気持ちよくクルマを利用するという考えはかわらない。

 なお、交通法規等は書いた時点と変わっているので気がついたものは訂正しましたが、見落とし等に気づかれた方はどしどし指摘していただきたい。また、利用法についてもご意見を寄せていただければ幸いである。
                               文頭へ戻る