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◎目次
●自分史の流行
●過去を懐かしむのか
●誰に伝えるのか
●自分の見直し資料
●メモで十分
■自分史の流行
「中高年向け」とか「おとなのための」というタイトルの本が増えた。文字を大きくして、自信を持たせる内容だから私もたまに買い込む。パソコン関係にもひとつの市場となっている。そこに必ず登場するテーマが自分史を作ることだ。あらかじめ年表までつけて、そこに自分や家族の出来事を入れ込めばできあがる簡単なソフトもある。
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■過去を懐かしむのか
道楽ざんまいを続けてきた私もあれこれ寄り道してきたばかりに話題にはこと欠かない。また、記録も残してきたから年表も簡単に作れて、その一部をホームページに掲載したこともある。でも、それをまとめたり残すとなると考えてしまう。過去を美化したり、懐かしむだけでは不毛だろう。後ろ髪を引かれて生きるのは考えものだ。これから先もバカにされながら生きるしかないからである。
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■誰に伝えるのか
むろん、妻や子どもに伝えたいことはある。言葉にしてバカにされるより文章に残したほうが良い場合もある。また、子どもの成長をとどめた写真とか旅行記もあいまいな記憶を正すために役立つはずだ。でも、それを他人に見せたところで相手が困惑するだけではないか。伝えられるのは妻や子までであって、他人にさらすものではあるまい。立派な業績をあげて自叙伝を残す人などまれであろう。
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■自分の見直し資料
マイナス面ばかり並べたが、本人にとっては有益である。調べようという意欲は大切だ。それを整理してまとめる努力も無駄でない。そして、自分を見直すことも謙虚でよい。ボケ防止になるはずである。作って終わりでは自分史は自己満足で終わるにちがいない。むしろ、自分がやったことを見直し、これから何をするかを見直すものとして自分史を利用するのではなかろうか。
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■メモで十分
出来事だけなら、箇条書きですむ。どうせなら、時の流れで並べ替えられるように表計算ソフトを使って残せばよい。下手な文章を綴るより簡単にできる。私は、自分が関わった道楽のほかに、家族の健康記録や学校行事をアクセス(データベースソフト)を使って記録してきた。その程度のものでも役立っている。家族で共有できる記録として自分史は意味がある。毎日数行のメモを残すだけで十分ではなかろうか。
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