12 バージョンアップはスリリング
◎目次
●増量セールの繰返し
●使えなくなったもの
●余計なものの増加
●必要性を見直す
■増量セールの繰返し
ウインドウズ3.1以後のバージョンアップはCPUのクロック周波数高速化とOSの容量増加の繰り返しである。そのたびにメモリーやハードディスクを増やし、関連するソフトのバージョンアップを伴った。
95、98、MeそれにXPと付き合ってきた私はバージョンアップの効果にそれほどのものを感じない。異常終了は確かに減少したが動きの敏捷(びんしょう)さやシンプルさが劣るような感じがする。
■使えなくなったもの
せっかく覚えたMS-DOSの操作が使えなくなったのは寂しいけれど、誰もが使えるようにするためにしかたないことだ。でも、自分だけのバッチファイルを作り、改造する楽しみが減ったのは寂しい。
その他には、軽快に操作できたインターリンク(パソコン間のデータ交換)やDOS画面の印刷ができなくなった。使われないから削除されたのだろうが、慣れ親しんだ者に不便を強いるものだ。
■余計なものの増加
バージョンアップには目玉商品がつきまとった。95はマルチタスクとGUIのほかに、機器設定が容易にできるプラグアンドプレー方式も魅力だった。以前は新しい機器を組み込むたびに、空きのポートを探し、競合を確かめて何度も再起動を行ったものである。
98SEからは映像関係も強化され、マルチメディアプレーヤーも大いに利用した。MeもXPもインターネットに格段の飛躍があった。インストールもCDで行い、フロッピーを16枚以上交換するわずらわしさから解放された。
でも、バージョンアップのたびに使わない機能が増え、削除するとハングアップする 元になった。そしておせっかいな画面が増えて操作に手間がかかるのが腹立たしい。これはアプリケーションソフトも同様である。ちなみに、ワープロソフトの容量は64MBから700MBへ10倍以上増加している。
■必要性を見直す
あればよいものと欠かせないものを見極めるのはユーザーにある。バージョンアップは自分が親しんだシステムを組み替えることを強いられるからだ。安定性をとるか拡張性をとるかの決断がいる。
また、拡張性は危険が伴うことも無視できない。従来のドライバー(プログラム)が対応しなかったり、機器の交換をすることも多い。コストパフォーマンスを冷静に考える必要がある。
新しい機能は魅力的であるが、それが自分の目的と合ったときだけ有用になるにすぎない。労多くて益少ないのもバージョンアップにつきまとうことを無視できない。
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