21 井上陽水氷の世界
フォークのことあれこれ


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 この文章はブログに3回(2006/04/20〜4/22)に分けて掲載したものです。「フォークのことあれこれ13 井上陽水」とは見方が異なりますが聞き直しての印象を残します。ブログに「小春おばさん」を綴ってからCDを買い込んだ結果です。


 井上陽水CDを先週買い込んだ。レコードの復刻で中古だから音質が今ひとつである。ミリオンヒットしたわりにひとつひとつの唄はパッとしない。時の流れがそんな気にさせるのだろうか。主な唄の印象を分割して残しておこう。

帰れない二人

 最初の3曲、「あかずの踏切」、「はじまり」そして「帰れない二人」は組曲になっている。ロックというには中途半端でつながりで気がぬける。「帰れない二人」は忌野清志郎との合作で、少しノリがいいものの歌詞としては暗い。でも、次のフレーズを昔はたまに口ずさんだ。

      
もう星は帰ろうとしている
      帰れない二人を残して


 間奏曲的な「チエちゃん」は、むかし流行った漫画のジャリン子チエをほうふつさせるが省略する。

氷の世界

 イントロのピーヒャラ、ピーヒャラ、フー、フッにひかれたタイトル曲の「氷の世界」にしても高音域がカットされて間延びして聞こえる。歌詞も意味不明なつながりに感じる。リンゴ売り、テレビ、寒さ、と出てくるのも支離滅裂である。3節は自棄っぱちな表現がある。

      
人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな
      だけど出来ない理由はやっぱり自分が恐いだけなんだな


 とはいえ、陽水の高音域のすごさを感じさせるフレーズは、演奏もスキップして迫力がある。

      
震えているのは寒さのせいだろ 恐いんじゃない
      (オー) 毎日、吹雪、吹雪、氷の世界


白い一日

 小椋佳が作詞した「白い一日」はいっそう暗くなる。極めて個人的で淋しいこの唄を昔は好んだが耐えられない。せつなさが増すだけである。

      
僕の一日が過ぎてゆく

 昔は気に入っていて口ずさんだが今では差別用語と言われかねない「自己嫌悪」はパスしたい。〈視覚弱者の男は〉なんて言葉に置き換えたら歌詞が分からなくなるだろう。

心もよう

 ジャジャジャーンとおどかし、やるせないフルートの音色が響くイントロが懐かしいのが「心もよう」である。さみしさの押し売りのようで人前では唄えない。唄ったらそれはお前の性格が曲っているからだと言われかねない。

      
遠くで暮らす事が
      二人によくないのはわかっていました
      くもりガラスの外は雨
      私の気持ちは書けません


 少し前に流行った遠距離交際を先取りしたような歌詞はそれだけで羨ましい。親元を離れて、知らない者に取り囲まれた孤立感はわたしにもあったが、離れて交際するような人はいなかった。

      
さみしさだけを手紙につめて
      ふるさとに住むあなたに送る
      あなたにとって見飽きた文字が
      季節の中で埋もれてしまう
 (ア〜ア〜) ♪

 相手がいない者からみれば、そんな泣き言を並べるから嫌われるのさと言いたくなる。でも、そういう相手がほしくてこの唄をわたしは口ずさんだ。この唄を支持したのは案外わたしのような異性に相手にされないファンだったかもしれない。

桜三月散歩道

 この曲の前にある「待ちぼうけ」はそれほど印象がないからスキップしよう。ファンには申し訳ないが「心もよう」と「桜三月散歩道」をつなぐ間奏曲のように思える。むしろ「桜三月散歩道」のインパクトが強くて埋もれたのだろう。

      
町へ行けば花がない
      今は君だけ見つめて歩こう


      
町へ行けば風に舞う
      今は君だけ追いかけて風になろう


      
町へ行けば人が死ぬ
      今は君だけ想って生きよ
う ♪

 はっきりいって町はそんなに悪い場所かと言いたくなる歌詞だ。息苦しくて耐えきれないから羽を伸ばしに都会へ出てきたわたしにはなじめない歌詞だ。つきあう気がなければそれですむし、学んだり遊ぶには町ほど便利な場所はない。もっとも、町場でわたしが育ったからだろうか。田や畑を都会に出てきて知ったわたしには理解できない。ちなみに作詞は長谷邦夫になっている。どんな人なのか知らない。

 でも、「今は君だけ」と続くスキップするノリが心地よい曲である。歌詞は気に入らないが陽水の歌唱力とバックの演奏につられて思わず口ずさんでしまうのが恥ずかしい。陽水の曲はそういう矛盾したノリで聴いてしまえるものがある。

      
だって人が狂い始めるのは
      だって狂った桜が散るのは三月


  陽水のレコード「氷の世界」は同じ時代に流行っていたフォークでもロック(パンクロック)でもない。クラッシック形式を借りた洋風演歌の装いがする。極めて個人的なつぶやきを品の良いロックの演奏でモダンに仕上げている。その演奏にしてもヘビーメタルでなく、陽水の幅広い音域を活かすためにストリングスを加えて巧みにアレンジしている。だからこそ、目新しさが違和感を与えず受け入れられたのではないか。

FUN

 この唄の歌詞は単語を並べているだけで突き放す面がある。これは演奏が先にできて文字を当てはめたのだろう。歌詞の内容にしても君に呼びかけていながらどことなく突き放したクールさがただよう。やさしさと受け止めるか、よそよそしさと受け止めるかは聴く人次第の面がある。

      
気まぐれ、いたずら、待ちぼうけ
      赤いパラソルがゆれている


      
泣き虫、弱虫、ひとりきり
      心の鍵をなくしたの?

                                        
小春おばさん

 この唄については2006/04/15 に「 小春おばさんはどこへ」で触れた。この唄を確かめるためにCDを買い込んだ。間奏曲にすぎないけれどわたしにはなんとなく忘れられない唄だ。
 そこで紹介したウエッブサイト氏(http://www.satonao.com/cd/j_pops/yousui.html)は、「なんでもない歌が、彼の手にかかると(喉にかかると? )大名曲に変わってしまうような声」といってこの唄を「なんてことない歌詞」と言い切っている。そのわりには歌詞の半分以上を引用しているのも面白い。それなりの印象が残る唄なのだろう。だから、彼が引用しなかった後半だけを残すにとどめたい。

      
風は冷たい北風
      はやくおばさんの家で
      小猫をひざにのせ、いつものおばさんの
      昔話を聞きたいな

      小春おばさん、逢いに行くよ
      明日、必ず逢いに行くよ


おやすみ

 なんとなく余韻を残す唄い方で終るのが「おやすみ」である。2曲目の「はじまり」と対になり、全体を閉じる曲でもある。レコードの中ではこれも印象に残る曲だ。わたしにしても26年前に綴った「フォークのことあれこれ」の陽水のまとめに使っている。

      
あやとり糸は昔、切れたままなのに
      想いつづけていれば 心がやすまる
      もう、すべて終ったのに
      みんな、みんな終ったのに


◎まとめ

 古いレコードを復活したCDを持ち出して今さら井上陽水を論じる気はない。嫌いでなじめなかった者でも時の流れは薄めてしまうものがある。斬新でモダンに映った唄が演歌の一部に響くのも時代の変化だろう。評価と再評価が繰り返されるものがあれば、忘れ去れるものもある。このレコードは後者ではないか。唄などその程度のものだし、過大な思い入れは不要だろう。

【補記】
 CDに入っている13曲のすべてには触れていませんが、タイトルだけは掲載しています。上述したサイトのよれば復活されたCDは「自己嫌悪」を含むものと含まないものがあるようです。出だしの〈めくらの男は静かに見てる〉が差別用語となるからでしょうか。放送禁止歌というものが自主規制というしばりをしていた反映でしょう。個人的には気にいっていますが掲載はやめました。


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