3 フォークにおける親父
フォークのことあれこれ

トップページに戻る  目次ページに戻る
前頁へ
 次頁へ

目次
 ●父とおやじのズレ
 ●生身の人間
 ●生活派フォーク
 ●同棲・同宿の家庭
 ●近代の父親
 ●僕の親父
 ●具体例で示す



(1)父とおやじのズレ

 日本で父親のことを正面きって唄うようになったのはごく最近のことではなかろうか。母親のことを唄ったものはずっと昔からあったものの父親は無視されてきたはずである。父親に「おやじ」ないし「お父さん」と呼びかけ、
ナマの人間としての共感を唄ったのは吉田拓郎やかぐや姫以後ではないか。

 父親の権威失墜などとこのごろ取り沙汰される。日本では父親と「権威」とがあまり密着していたからだと思う。父親を唄うことが少なかったのもこんなところにあるのではなかろうか。母親に実体以上の価値づけをし、《愛》とか《やすらぎ》を求めるような唄が氾濫してきたのも、日本的なことではなかろうか。父親を唄ったものがまったくなかったわけではない。しかし、そこでは《父》というあらたまった呼びかけがあったはずである。僕は、
父と《おふくろ》あるいは《お母さん》との呼びかけの差に異質なものを感ずる。日本の父親は、一人の《人間》あるいは《家族》の一員である前に、権威あるいは地位としてしか認められなかったといったら誤りだろうか。
                              目次に戻る

生身の人間

 不遇に扱われてきた日本の父親に、生身の人間として呼びかける唄を作ったのはいわゆる「生活派フォーク」の歌い手だったはずである。関西フォークから生活派フォークへの移行を、70年安保をきかっけにして「眼が外から内へ向かう」と規定する富沢一誠の主張のとおり、生活派フォークならではの産物だったといえないだろうか。

 岡林信康を代表とする関西フォークには、政治性が優先していたゆえの独自性があったものの、そこには生身の人間よりも《人間一般》にはしりすぎたきらいもあったはずである。岡林信康の詩は荒削りなところに魅力があったし、社会科学的なものの見方になじんだ者には容易に受け入れることのできるものだったのである。メッセージソングとしても優れていた。彼の『チューリップのアップリケ』は暗いイメージをともないつつ、日本的な母親像を感じさせる。

 しかし、関西フォークは人間一般が優先していたのも事実ではなかろうか。つまり、彼らは何らかの形で《社会》に対するメッセージを試みるがゆえに、
使用する言葉も通常を超えるものがなかったのである。使用する言葉にまといつくイメージを前提として社会にメッセージしたといえないだろうか。富沢のように、「眼が外から内へ向かう」きっかけを70年安保とするのは疑問だし、そうすることはフォークをあまりにも政治性とかかわらせすぎるのだ。
                              目次に戻る

生活派フォーク

 たしかに、フォークから社会性や政治性を除くのは困難である。日本におけるフォークソングはそいうものを1つの側面として持っているからだ。しかし、それをもってすべてを規定するのは誤りだろう。70年安保も1つのきっかけであったものの、すべての理由ではなかったはずである。

 僕にはその理由は分からない。ただ、ここでいえるのは、生活派フォークとよばれる歌い手によって日本の父親がようやく生身の人間と
評価されるとともに、呼びかける唄が生まれたという事実である。「眼が外から内へ向かう」過程を経過することによって、生身の人間の多様性が開けるとともに父親と自分たちとの《自己同化》も生じたのではなかろうか。
                              目次に戻る

(2)同棲・同宿の家庭

 
神島二郎の『日本人の結婚観』(筑摩書房・講談社学芸文庫)は、明治維新後の近代日本における《家族》から見た政治史である(《家族》と《家庭》とは意味内容を異にするもののここでは立ち入らない)。僕がこの本で興味を持ったのは、結婚ということよりも父親の扱われ方である。

 神島は、近代の日本人の結婚観が「ひどく歪んだもの」とし、その理由の遠縁を倒幕運動の志士の活動から書き起こす。それは単に大家族的なものばかりでなく小家族的な家庭生活にも変形されつつ続いているとみる。「独身者本位の結婚観」と題する第1章は近代日本を象徴しているのではなかろうか。
めかけ(妾)をかこうことが男の名誉とされることはあっても非難されずにいた精神風土に一夫一婦制はむろん《家庭》さえ形成されることは困難だったはずである。

 神島が「ひどく歪んだもの」というのは、西欧風の結婚観や家庭観との比較でそうみなすからでもなさそうである。むろん、原始共同体だとか人類発生史だとか集団の基本構成という視座ともかかわりなさそうである。ここでは、彼が「(近代の日本における家族生活は)家庭というよりも同棲ないし同宿とよぶのにふさわしい」と記す部分に、僕が共感を覚えたということだけにすぎない。
                              目次に戻る

近代の父親

 僕が取り上げたいのは、第1章(2)の「主婦能力の低下」と題される部分である。ここに日本の父親の取り扱われ方を僕は感ずる。

 「主人は家庭の外で働くのが普通となり、かれらは、主婦の仕事とは没交渉で、ただ忙しく仕事におわれ、夫婦がおたがいに生活の知恵を高めあう機会もなく、夫は家庭ではまったく浮上がって、無理解な暴君か、馬鹿のように甘い父親になり下がるのが普通でした」とごくあささり記しているものの、この部分は今でも通用するように僕は思うのだ。

 「おたがいに生活を高めあう」と神島がさりげなく書いている部分は彼なりの結婚観だと思うものの、それよりも全体に流れる父親の位置づけが適切であろう。「家庭の外で働く」からそうなったというよりも、
家庭生活それ自体が「同棲ないし同宿」にすぎなかった精神風土こそ問題となるべきではなかろうか。
                              目次に戻る

(3)僕のおやじ

 いずれにせよ、神島が、近代の日本において父親は家庭とかかわりの薄い「不在者」として扱われてきたことを指摘することに僕は共感してしまうのだ。父親のイメージが、「暴君」となったり「馬鹿のように甘」くなるのも、家庭生活と「没交渉」にならざるをえなかったゆえにというのに納得するのである。それはまた、実体以上に美化されてきた日本の母親のイメージを解くものではなかろうか。

 フォークのことからずいぶん寄り道をした。父親のイメージにこだわりすぎた。でも、関西フォークを政治性や社会性だけでとらえるのは誤りである。
フォーク・クルセーダーズ以後には岡林信康と異なる視座があったからである。同じように社会性を持ちつつも、ストレートな政治的メッセージをせず、より幅広い視座を持っていた。それは、生活派フォークとされる吉田拓郎とは別の社会性を表現していた。

 
フォーク・クルセーダースはある面では若者の唄だったと僕は思う。《愛》とか《青春》を扱った唄が多かったからである。それゆえ、父親が取り上げられることも少なかったはずなのだ(私とあなたの水平的な関係はあっても親と子の垂直的な関係は出てこない)。

 父親に僕がこだわるのは、自分自身とかかわらせてしまうからにすぎない。失敗(へま)ばかり繰り返し、何やかやと《男》たれと育てられてきた僕は、おやじに自己同化するときも多いからだ。父親を「おやじ」と親しみをこめて呼ぶ唄を僕が初めて耳にしたのは吉田拓郎の『おやじの唄』だったのもそんなときだった。
                              目次に戻る

具体例で示す

 あまりにも理屈が多くなったので、具体例として僕が親父に感じたものを残しておきたい。

 おやじに権威じみたものを僕は感じたことがない。また、ライバル意識を持ったこともない。あるとしたら、飲んだくれのだらしなし、あるいは、他人に利用されているおひとよし、そんなイメージにすぎない。しかし、やさしい男である。滅私奉公で実に子煩悩な父親である。これといった取柄もなく、趣味もないごく平凡な男にすぎない。それはまた、僕にいらだちを感じさせ、ときには批難めいたものを口にさせる原因である。

 そんなときおやじはカッとするものの殴り合いにはならない。おやじのほうがおとなで息子の意見を受け入れるからである。僕にしてもおやじのすべてを批難することができない。妹や弟たちと違い、ぼくとおやじの立場が似ているからである。共に長男であり、口うるさい妹たちがいるからだ。顔つきや気性は兄弟の中で一番似ていないものの僕とおやじとは似たような行動や発想が多い。

 おやじの唯一の欠点は大酒飲みで、カッとしやすいことである。これさえなかったら、「いいお父さん」・「やさしい兄貴」・「できのよい息子」と言われたはずである。善行の多さより欠点のほうが他人の印象に残るばかりに損をしている。

 おやじは、僕が幼い頃には夜中にわざわざ起こしてケーキを買いに連れていったし、僕と弟を連れてなじみの飲み屋をハシゴして酔いつぶれたこともある。いつも説教されている妹たちが旅行すると母よりも心配して帰りを待ち望む。それでいて、親の良い面はすべて母のものになるのも皮肉である。それに耐えるのも父親の体面だけなら哀しくなってしまうのだが。

                              目次に戻る