猿島探訪


 妻の誕生日、横須賀の猿島へ行くことにした。ここ数年、夏の旅行をしていない。その理由はお金のないためだった。昨年の五月、妻は胆のう炎の手術のため二回入院し、十一月には甥っ子の結婚式があり、予定外の出費が続いたので家の経済事情が悪化したのである。その他には外国人旅行者が増え、ホテルを取ることが難しくなったことやここ数年の猛暑などもあった。旅行をしなくなったことで、ストレスが軽減されなくなり、何となく息苦しさを感じていた。そこで妻の誕生日を祝う意味もあり、日帰りで家から比較的近い猿島に行こうと思った。

 十一時過ぎに家を出て、バス、電車を乗り継いで京急の横須賀中央駅に着いたのは一時少し前だった。駅から歩いて三笠公園にある桟橋に向かった。妻がスマホでフェリーの時刻表を調べると一時間に一便というペースで出ているようだった。駅から15分くらいでフェリー乗り場に着いた。三笠ターミナルはシックな二階建てビルで入ってすぐのところにフェリーの乗船券売り場がある。乗船料は猿島まで往復1500円、猿島上陸料が500円で一人2000円だった。二人分4000円を払い、二枚乗船券を貰った。

 三笠ターミナルは一階がお土産物売り場、二階がソファーのある待合室兼猿島ビジターセンターになっている。ただ、二階での飲食は禁止になっていたので、ビジターセンターの性格が強いのかもしれない。猿島のジオラマや生息している動植物などのパネルが展示されていた。

 二階で休憩していると、一階でお土産物をみていた妻が上がってきて「アイスを買ってほしい」といった。一階に降りてパックに入ったラズベリーのアイスを買った。二階は飲食禁止になっているが、バルコニーなら大丈夫だろうとそこに出た。バルコニーからはフェリーの他、明治時代の日本海軍の旗艦戦艦三笠が間近に見える。旭日旗が夏空に気持ちよくはためいていた。

 このアイス、なかなか食べ辛かった。透明のパックの中に入っていて、木製のアイス用スプーンが突き刺さっているのだが、このスプーンを抜き取ってアイスを掬って食べるのか、それとも持ち手として利用するのかよくわからない。結局、持ち手として使ったのだが、食べているうちにアイスがぽろぽろ落ちてきた。

 フェリーは出航五分前から乗船ができる。そのアナウンスが流れたので、バルコニーから見下ろすとすでに乗船する人たちが並んでいた。よくみるとあまり後ろ過ぎると日向に並ぶことになりそうで、僕たちも急いで向かった。並んでいる人たちをみると若い人たちが圧倒的に多かった。子供連れの家族もいたが、ちらほらという感じだった。

 すでに停泊しているフェリーに乗船するのかと思っていたら、島からフェリーが帰ってきた。乗客が全員降りると乗船が始まった。小さなフェリーで二階建てである。二階へ向かう人たちが多かったが、日差しが強いので僕たちは前方のラウンジのソファーに席を取った。ラウンジは窓際を囲むようにソファーが置かれていて、後は真ん中にもソファー席がある。僕たちはそこに座った。一階の後部にはポリエチレン製のシートが並んでいて、後から乗船した人たちはそこに座った。

 しかし、フェリーが動き出すと座っていた人たちも席を離れ、船首の方へ移動した。妻も「行こう!」といったが、何となく疲れていて止めてしまった。船首へ移った乗客を見ていると髪が風に靡き、気持ちよさそうだった。

 フェリーは十分ほどで猿島に着いた。周囲約1.6Kmの木々に覆われた小さな島である。島周辺は浅瀬が広がっているのか桟橋は島から長く伸びた橋状になっていて、島を後にする人たちが列を作っていた。その横を歩いて猿島に上陸した。

 長い桟橋を過ぎるといくつかの建物が見えてくる。管理棟やレンタルショップなどがあり、バーベキュウ用品や釣り竿も借りられるらしい。また、レストランもあり軽食をとることもできる。僕たちは家で早めの昼食をとっていたので、島内を散策することにした。

 まずは飲み物を買おうと散策路の入口にある自販機をみると価格がかなり高く、これだったらフェリーに乗る前に用意しておけばよかったと後悔したが、この暑さで飲み物がなくてはどうにもならず240円もするアクエリアスを一本買った。

 ゆるい上り坂の散策路を歩いていくと切通の道になる。その両側には兵舎や弾薬庫が作られている。幕末から昭和初期まで要塞としての役割を果たしてきた島で、山の斜面を整地して建物を建てるのではなく、敵からの攻撃を避けるため切通の横っ腹を削りいろいろな施設を造ったのである。切通の壁に造られた兵舎や弾薬の上には木々の茂っている山の風景が広がっている。

 レンガの積み方も年代に寄って違い古いものはフランス積み、時代の新しいものはイギリス積みになっている。国内で明治時代のフランス積みのレンガをみられるところは富岡製糸場など数か所しかないらしい。弾薬庫や兵舎などはフランス積みでトイレはイギリス積みだった。戦時中、要塞だった猿島は現在その廃墟の島となっている。その景色がジブリの天空の城ラピュタを思わせるとして人気になった。

 多くの観光客が行き交い賑やかな風景だが、ふと人の途切れた時に廃墟の持っている静謐さが漂い意識を旅させてくれる。一番の見どころはフランス積みのトンネルだろう。全長88m、レンガ造りとしては国内最古のものである。トンネルはいくつかあるが散策路を順路通りに歩いていると最初に現れるトンネルが一番見事で中には弾薬庫に通じる横穴がいくつか空いている。トンネル内はほの暗く涼しく束の間の安らぎを覚える。橙色の灯りがぽつぽつと灯っていて、幻想的な雰囲気がした。

 このトンネルを抜けると左右にふたつのトンネルが現れる。パンフレットの地図を見ると向かって左側のトンネルから周った方が良さそうだったのでそちらに入った。このトンネルは短くすぐに反対側にでた。出た先はすぐにT字路になり、僕たちは左の日蓮洞窟と表示されている方へ向かった。

 少し歩くと砲台跡に出る。ここからは大きく広がる海原の景色を望むことができる。さらに行くとまた砲台跡に出るが、その先の日蓮洞窟は立ち入り禁止になっていた。ここが猿島の北端になっている。来た道を戻ると広場という案内版があった。そちらに行ってみようかと思ったが、もうひとつのトンネルも行ってみたいなと思い、三つのトンネルのある三叉路に戻った。

 今度は右側のトンネルに入った。このトンネルも短く出ると道はすぐに左に曲がる。少し行くとT字路に出る。展望台と表示された案内板があったので上り階段ではあるが、そちらに向かった。上り坂をきつそうにしていた妻だったが、立ち止まることなく登り切った。恐らくここが猿島で一番標高の高いところなのだろう。辺りは広場になっていて、その隅の方に白い二階建ての展望台があった。ただ、この展望台は立ち入り禁止になっている。

 広場にはベンチとテーブルが2〜3組置かれているが、この日は直射日光がきつく座る気にならない。ここからは横須賀の米軍基地がよく見えた。先に進もうと思ったが、妻が先ほどの広場に行ってみたいというので、上ってきた階段を下りて、今度はトンネルに入らず、真っ直ぐに進んだ。

 しばらくいくと先ほどの広場の案内板があった。それに従っていくと下りの階段になった。「これまた上がるのきついな」と妻にいったが、あまり気にしていないようだった。下り終えると視界が開け、広い場所に出た。眼下に海が広がっている。ここもテーブルとベンチが二組置かれていてゆっくりと休憩できるようになっていた。ここからさらに下へ行く階段があり、恐らく海岸線へ降りられるのだが、暑さのためここはパスした。

 240円で買ったアクエリアスがなくなってしまい、かなりヤバい状況になった。あと二日で9月というのに35度を超えるなんて僕の子供の頃には考えられなかった。不確かな記憶によると32度を超えると「おー!」という感じだった。風が比較的強く吹いているので、何とか耐えられた。

 広場から円形の大きな砲台跡を通り、山を越えるような感じで切通しの道に戻った。さすがに暑く、管理棟のラウンジで休憩しようと思い行ったが、みんな同じことを考えていて満員で座る場所がなかった。腰かけられたら、かき氷でも食べて最終の便で帰ろうと思っていたのだが、その一本前の15時30分発のフェリーで戻った。

 夕食にはまだ早いので比較的近いヴェルニー公園に行こうと思った。三笠公園から国道16号に出て、ヴェルニー公園に向かった。米軍基地が16号線に沿ってあることから、歩いているとすれ違うのは外国人が多かった。黒人の男性がロードサイクルで走っている光景をよく見かけた。妻は「日本じゃないみたい」と言った。

 それにしても暑い。4時を過ぎたというのに、日差しは強い。喫茶店があったら入ってかき氷でも食べようと言っていたのだが、その喫茶店がなかなかない。ようやく汐入駅の近くで喫茶店を見つけた。明らかにアメリカ仕様といった雰囲気の店である。店内に客は誰もおらず、若い女性の店員さんが木製のカウンターの後ろに立っていた。

 カウンターの上に置かれたメニューにかき氷がなかったので妻が「かき氷はありますか?」と店員さんに訊くと「かき氷はありません。スムージーならありますよ」と言われた。メニューに載っている価格をみるとかなり高いが何も頼まずに店を出るのも気が引けるし、それ以上に外は暑く休憩したいという気持ちが強く、僕はストロベリー、妻はバナナのスムージーを注文し、カウンター横の席に座った。

 しばらくして若い男女の二人組が入ってきて、僕たちの隣の窓際の席に座った。しばらくして店員さんが若いカップルの席にコカコーラを二つ持ってきた。それをみて「ソフトドリンクもあったのか…」と後悔するような思いがしたが仕方ない。スムージーは作るのに時間がかかるようで、しばらく待ったが妻のもとにバナナスムージが運ばれてきた。

 バナナスムージを一口飲んだ妻は「美味しい」と囁くように言った。それほど期待していなかったらしく、その反動が大きいようだった。その後、ストロベリースムージーが僕の前に置かれた。美味しかった。イチゴそのものといった感じに氷の粒が混じり、かき氷よりはよっぽどいいと思った。ボリュームもかなりあり、イチゴをたくさん使っているようで、これだったらと納得した。

 陽もだいぶ陰り、スムージーで元気も回復してきたのでヴェルニー公園に向かった。バラ園を期待していたが、時期が悪かったらしく、盛りには程遠い状態だった。園内にはカップルで来ている米軍関係者も多いようで所々でキスしたり、抱き合っている姿がみられた。

 京急線の横須賀中央駅近くにある海鮮料理店に入り、サワーとお刺身盛り合わせ、稚鮎のカラアゲを食した。特にマグロの中トロは美味しかった。値段的にもかなりリーズナブルで二人とも満足した。帰りは横浜駅で下車してケーキを買って帰路に着いた。(2025.9.15)


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