テレビを観るな!

 テレビの新型コロナウイルス関連の報道は本当に酷い。不安を煽り、恐怖を植え付け、現実を大げさに報道している。さらには、ナレーターの声のトーンなども事態をより深刻に思わせるように演出され、視聴者の危機感を高めている。

 海岸に集まるサーファーや公園で遊ぶ親子の映像を映し出し、ここにこんなに人が集まっていると人々に攻撃対象を示している。自粛要請に応じないパチンコ店も同じで、未だに自粛に応じず、営業していますと一方的に非難する。何故、営業を続けるのか、その理由を取材し、彼らの言い分も報道しなければ公平な放送とは言えない。

 不安を煽り、ストレスを抱えた人々にそれを発散させる攻撃対象を示し、コロナ騒動で弱り切っているお店などにはさも心労を共有しているかのような振りをして、皆さん頑張りましょう!と空虚な勇気付けをする。それが、今のテレビで、僕は最近コロナ関連のニュースはできるだけ観ないようにしている。そんなものを観ていると、自分までおかしくなってしまいそうだからだ。

 テレビの不安を煽る放送内容は、視聴者の感情を刺激する。そうすると、通常、人間は理性よりも感情の方が強いので、理性的に物事を考えることが失われ、感情に流されていく。実際には多くの人が密集しているわけでもないのに、カメラの引きの映像でそのように見えると「こいつらはなんだ!」ということになり、怒りに火がついてしまったりする。

 問題は感情に流されると、人はめちゃくちゃな言動をするようになり、しかも、めちゃくちゃな言動だということに気づかないということだ。めちゃくちゃな言動が、当然のことのように思われてくるのである。

 クルーズ船の乗客や医療従事者に対する差別的な言動などは、正にそうである。家から出ないように言われたり、タクシーの乗車拒否、保育園での子供の預かり拒否など理性的に考えれば、酷いことを当事者たちは当然として行っているのである。

 お花畑にきれいな花が咲き、それを目当てに多くの人が集まるからといって、全ての花を切ってしまったなどというのも、理性を失った行動である。1.きれいな花がたくさん咲く、2.花を見るため人が集まる、3.人の集まらないようにすべての花を摘む。2から3への飛躍はどう考えても狂っている。人が密にならないように、花を楽しんでもらう方法はいくらでもあるように思う。

 僕のよく行く商業施設に入っているスーパーでは、スーパーの近辺に多くのベンチが設置されていた。そこで買い物を済ませたお年寄りなんかが、一休みしていたのである。最近までベンチに座って休憩しているお年寄りの姿が見られたが、今週になって全てのベンチが撤去されてしまった。店側が、お年寄り(ばかりではないが…)たちで、密になっていると判断したのだろう。しかし、果たして全部のベンチを撤去する必要があるのだろうか?と疑問に思う。間隔を空けて座るような細工はいくらでもできる。これなども、密になっている、何とかしなくては!と焦り、極端な行動に出てしまった例だ。

 会社で年配の女性のパートさんと話していたら、彼女は「東京は怖いね。もう、ずっと行ってないよ。空気悪くなっているからね」と真顔でいっていた。多数の感染者の出ている東京の空気に新型コロナウイルスが漂っているイメージを持っているらしい。しかし、もちろんそんなことはなく、東京の街を歩いたからといって、コロナに感染するわけではない。テレビを観て、そのようなイメージが植え付けられてしまったのである。

 テレビの情報がまるでデタラメだというわけではない。ただ、その切り口があまりに偏り過ぎているため、間違った印象が人々に刷り込まれてしまうのである。過剰な方向へ流れるのはマスコミの常である。過激な方へ人は流れるからで、視聴率も稼げるからだ。

 みんながみんな、これは言い過ぎだとかやり過ぎだとか判断できればいいが、そのまま鵜呑みにしてしまう人は多いし、極めて間違った取り方をする人もいる。よくテレビは冷静な行動をと呼びかけるが、まずは理性を持って冷静な放送をしてほしい。(2020.4.29)




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