アナログ放送最期の日

 アナログ放送の終了するとき、ある民放のバラエティ番組を見ていたら、残り十秒になったくらいからカウントダウンが始まった。カウントダウンしていている出演者はみんなうれしそうである。‘歴史的瞬間’に立ち会えたことで、テンションが上がったらしく、高揚した声で数字を読み上げ、それが一になったとき、画面はアナログ放送終了を伝えるブルースクリーンになった。それを見ていて、自分の気持ちと画面のあちら側に、かなりの隔たりを感じた。

 カウントダウンする場面で真っ先を思い浮かぶのは、大晦日である。多くの人が一堂に集まり、ゼロになった次の瞬間、新年を祝う言葉が叫ばれる。アメリカでは‘A happy New year’、ペルーでは‘Feliz Ano Nuebo’、そして日本では‘あけましておめでとう’である。したがって、大晦日のカウントダウンは、一年の終わりを数えるというより、新しい新年へのものだといえる。

 その次に思い浮かぶ場面は、少し前にスペースシャトルの打ち上げがあったが、ロケットの打ち上げの瞬間である。ゼロになったとき、ロケットは宇宙に向かって打ち上げられる。つまり、カウントダウンとは何かの始まるときに行うもので、基本的におめでたいことに対してのものなのだ。

 アナログ放送終了は、カウントダウンをして祝うほど、おめでたいことなのだろうか?カウントがゼロになった瞬間、何かが始まるのだろうか?アナログ放送が終わり、デジタル放送に切り替わるというのなら、まだわからないでもないが、デジタル放送はすでに2003年から始まっている。アナログ放送の終わることによって、テレビの観られなくなる人が大勢いる。そういった人たちは、どういう思いで、カウントダウンを聞いたのだろう?楽しそうなカウントダウンの終わった瞬間、テレビが見られなくなるのだ。視聴者の気持ちを考えず、自分たちだけで騒いでいる感じである。

 テレビに限らず、公の人たちが自分たちのことしか考えていない世の中になってしまった。特に昨今の政治は酷いものである。総理大臣を始め、自分がいい子になることばかりに汲々として、汚れ仕事は他人に押し付け合って、政治は機能不全に堕ちっている。一昔前は党利党略とかいって、それでもまだ政党のことを優先させていたレベルだったが、最近では個利個略になって、‘大切なのは自分だけ’といった風潮である。

 企業も、会社の公共性などといったことは何処吹く風で、利益ばかりを追求するものだから、安く使える非正規労働者ばかりが増え、僕たちの購買力は弱いから、あまりモノを買わず、結局、それが自身に跳ね返って、いつまで経ってもデフレから脱却できないということになる。日本経済を上向きにしたかったら、企業はまず従業員の給料を上げるべきだと思う。

 個人レベルでも、僕を含め、自分のことだけで精一杯という状況になってしまった。反省して、まずは目の届く範囲から、誰かの言葉ではないけれど、できることからコツコツとやっていこうと思う。(2011.7.27)




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