お前よりできる奴は必ずいる

 或るサイトの管理人が株をはじめ、そのことをホームページに掲載するようになった。彼は数冊の株に関する参考書を読んだだけで、それまで全く投資の世界には無縁だった。しかし、ホームページに載せられた記事は、いかにも自分は熟練者であり、この世界のことはよくわかっているというトーンで書かれていた。ほとんど利益を上げられず、元本は減る一方であったが、もっともらしい言い訳が書かれるだけで、その文面から謙虚さを感じることはできなかった。僕は株式投資の経験は全くなく、書かれている内容もよくわからなかった。ただ、その程度勉強したくらいで大丈夫なのだろうか?と思っていた。

 たまたま、別のサイトを見ていたら、上記のサイトの管理人について書かれた箇所があった。そのサイトの管理人は約1年株の先輩であるらしいが、上記のサイトに書かれている内容の当たり前のことに失望して、足が遠のいてしまったという。それは、株をやっている人にはあまりに初歩的なことだったらしい。それを意気揚々と達人のように書かれて興醒めしてしまったようだ。それまで、株に関すること以外は面白いサイトだったのに残念だと書かれていた。

 ここにネットの難しさがあるように思う。パソコンでも株でも音楽でも或いは社会問題についても客観性のあることを書く場合、余程その道に精通しているか、独自の情報を持っているか、切り口がユニークでないと、それはとんでもなく詰らないものになってしまう場合があるのだ。社会問題など特にそうで、新聞程度の記事を参考にして何かを書くとだいたいの場合、しっぺ返しを食うことになる。それを元にして、一般論を展開しようとする場合も、独自性が強くユニークなものでないと読者からそっぽを向かれることになったりする。かといって、独自なものといってもあまりに稚拙で粗雑なものだとこれまた相手にされなくなる。例えば今度のミートホープの事件を取り上げている個人のサイトを見れば、独自の視点、ユニークな切り口というのがいかに難しいかわかると思う。

 書き手はついつい自分が上であり、その立場からものを言いがちであるが、読者の中にはどんなことに関しても自分より詳しく、経験のある人が一杯いるということを自覚しないとだめである。

 いや、ひとつだけ例外はある。それは作者が自分自身について書く場合だ。自分の内面を描くということは難しいことではあるが、その種の危険からは離れられる。また、日記のような形式でも、それが面白いかどうかということはさておき、「こいつ背伸びしているな」などと思われることはない。

 客観性のあることを題材にするのは、ある意味楽ではある。とりあえず、ネタに困るということはなくなるはずだ。しかし、扱い方は非常に難しいのだ。自分を中心とした私小説的ホームページの場合、ネタの難しさというものはある。個人の生活にそうそう面白いことが起きるものではないからだ。しかし、焦らず、丁寧に周囲に目を配り、耳を澄ませば何かを拾うことができるかもしれない。時事ネタはすぐに腐り始めるが、個人の真摯な言葉は時として永遠になったりする。

 冒頭に挙げた株初心者の管理人さんの場合も、下手なうんちくなどせずに、謙虚に自分の例を引き株式投資の難しさを淡々と描かれていたなら、もっと共感を生んだかもしれない。(2007.7.1)




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