或る掲示板での出来事

 僕が比較的よく訪れる或るサイトの掲示板で、ちょっとした出来事があった。管理人さんの書き込みに対して、読者がそれに対する異論を書き込んだ。それは決していわゆる‘荒らし’とかではなく、真っ当な内容だったが、管理人はその書き込みの中のひとつの言葉に躓き、感情的な反応をしてしまったのだ。

 それに対して、その読者も感情的になり、当初の問題は何処かにいってしまい、ふたりの書き込みの応酬は、まるで子供のケンカという様相を呈していった。お互いがお互いを貶し、罵るだけといった虚しい書き込みが数日続いた頃、それを見かねたのであろう第三者氏が冷静で的をえた書き込みをした。

 その書き込みによって冷静さを取り戻した管理人氏が読者氏に謝罪する書き込みを行ない、ことは沈静化すると思った。しかし、管理人氏は怒りがおさまり切らなかったのか、読者氏に掲示板への書き込みを一方的に禁止してしまったのである。その理由は「自分は非礼を謝罪したのに、あなたが謝罪しないはおかしい。そういう人に、もう書き込みをしてほしくない」というものだった。

 当然、書き込みを禁止された読者氏は、抗議の書き込みをし、それに対してまた管理人氏が反論するといった形になり、再び掲示板は子供のケンカの場になってしまった。「書き込みを止めろ」「止めない」といったような不毛な文章が、モニターを占拠していき、いつまで続くのかと思った頃、意外な結果が待っていた。管理人氏が突然、掲示板を閉鎖したのである。

 掲示板を持たないこのサイトでも、これとよく似たようなことがあったことを思い出した。それは読者からのメールによるものだった。

 ライブドアによるニッポン放送買収問題に関することを書いたとき、ある読者からメールが来た。僕の文章はニッポン放送で働いている人の立場に立って書いたものだったが、その読者からのメールは資本主義のルールを重視するもので、僕とは全く正反対の意見だった。それは、それで正しい内容であり、僕もそういった反論が来るのは、当然と思っていた。ただ、そのメールの最後に次のような一文があったのである。

 “今日は、joshuaさんに意味不明に反論してしまいましたが、気にしないで下さい。(無視して結構です)また、いろいろ、コラム期待してます。”

 これは、ある意味とても気を使った文章である。この読者氏はそれまで、僕の文章に好意的なメールを送ってくれていた人だった。だから、反論してしまったことに、ちょっとした居心地の悪さを感じてしまったと思われる。しかし、僕としては次のような文章で閉めてもらいたかった。

 “今回は、Joshuaさんの意見と異なります。僕の意見に対するJoshuaさんの反論を期待しています”と。何故なら、この読者氏からのメールは本人が最後に書いている‘意味不明’のものではなく、ひとつの見解だったからである。

 この後、僕は(無視して結構です)というのを無視して、この読者氏の意見に反論した。それに対して読者氏も反論し、しかし、だんだんと論点がどちらともなくずれていき、最後は、やはり子供のケンカのような状態になってしまったのである。そして、読者氏からの次のような文章で終結することになってしまった。

“と、この辺で、終わりとします”

 僕と読者氏との考えには、かなりの開きがあり、恐らくいつまで議論しても結論がでることはなかったと思われる。しかし、お互いがお互いの考えを理解し、ある程度受け入れることはできたかもしれない。

 このふたつの出来事に共通するのは、はじめは1つ問題に対する意見の相違だったのが、建設的な議論にならず、感情的な言い合いになり、論点がずれていき、喧嘩別れしてしまったということである。

 恐らく、顔を見合わせて話していれば、相手を説得できないまでも、喧嘩別れになることはなかったように思われる。モニター上に映し出されたひとつの言葉に躓き、冷静さを失い、行き違いになっていく。

顔が見えないネットゆえの難しさかもしれないと思った。(2005.10.15)




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