Nスポ


1月31日

想定する最悪の事態に対する対策

繰り返しになってしまいますが、私は問題の原因はすべて不知にあると思っています。

解決方法を知らない、問題になるかどうかを知らない、どうしていいかを知らない。

これが問題を引き起こす。

実際にいつ、何時私がすべてを失うかは分らないし、このまま浮上できない可能性も十二分にある。

それで、想定している場合の私の最悪の事態、つまり無一文でどうにもならないときにどうするかの手段として思いついた1つを書こうと思います。

正直、これまで私はそれほど経済力で困窮したことはありませんが、実際にそうなったときには無関係の第三者に泣いてもらう事に良心の呵責といったものを感じる余裕はなくなると思っています。

貧すれば鈍するのは事実で、経済力が無ければ無恥になる。

だから貧しないように経済力を求めているのですが・・・・

それでもどうしようもなくなった時・・・・

最終手段はこれしかないかもしれないと思っていることがあります。

それは与信枠の拡大と私設私書箱と秘書代行サービスの利用。

まず私書箱の設置は何故必要かと問われると、日本の世の中は住所を持っていないとどうしようもないからです。

郵便が届く住所が存在するだけで、どうにかなることは多い。

それに料金さえ支払っていれば、郵便物を取りに行かなくてもそのサービスの利用は可能です。

そして秘書代行サービスは当然、自宅の電話番号としての存在のためです。

住所と電話番号が存在すれば、何かの契約を結んだりすることは可能となる。

この2つは絶対に必要として・・・・

その後は・・・・

実はクレジットカードや消費者金融には与信枠なるものが存在し・・・・

金利がつかないくらい早期に借りて返すという実績を作っていくと、この与信枠はどんどん拡大します。

昔、ギャンブルで破滅した人の実体験なので、現在も同様であると思っています。

手も足も出なくなる状況というのは事前に分るものです。

雲行きが怪しくなる時というのはもう、30代、40代で分っているはずです。

そうなった際は事前に何年もかけて年数と返済実績で最大限までに与信枠を広げ・・・・

借り逃げをし、貨幣格差のある国へ国外脱出。

よく経済的に困ったり、理由も無く絶望し連炭自殺をしたりする人がいますが・・・・

死ぬ覚悟を持てるなら、非合法なことですが、これくらいしてでも足掻いて、それでも駄目だったらでいいと思うのですよね。

正直、違法ですし、平常時では絶対に行いませんが・・・・

残念ながら、平常時でなければ人間は豹変するということが予備知識としてあります。

最初から悪人は存在せず、自分を守るために悪になる人間がいる。

やまももの常連の老人が人に騙された経験、同級生が借金して作った店舗の回転資金を持ち逃げされた経験。

騙す側の人間も平常時であれば、善人だったと思うのですよね。

無論、こういった事をせずに済むに越したことはありませんが・・・・

手段として最悪の場合を想定しておかないと、いざその時になったら困るのは自分です。

やらないけれども、想定はしておく。

騙されないために騙しの手口を知っておくと似たところがあります。

ちょっと負の情報になりかねない更新ですが、悪いことをまったく考えない人というのは存在しないと思いますし、考えるまでは別にいけないことでもないと思うのです。

実行に移した時点ではじめて悪となる。

それに悪いことと共にその対策を考えることは重要なのではないでしょうか?

この実行を検討せずに済む最大限の努力をしたいものです。

N企画
私書箱と秘書代行サービスの同時提供



1月30日

組織の根底に存する共有意識

ビジネス誌で京急百○店の相談役の話が載っていた。

そこに伊○丹時代のエピソードが書かれていました。

そのときの○勢丹の信念に「人はやる気になれば2.5倍売れるんだ」というものがありました。

嘘ではないと思います。

ですが、やる気になることがどれだけ難しいか・・・・

本気になれば・・・やる気になれば・・・・・

よくそういう言い訳じみたことを聞きますが、実はこれをすることほど難易度の高いことはないと私は思っています。

それで、伊勢○で売上げが悪いと、そこの常務から電話がかかってきて、「若いのを集めて飲み会を開催させろ」となるそうです。

意思を統一することで目標へのモチベーションを上げるという意図だったようです。

ここの部分を読んで、私は前職の会社を思い出しました。

それは意思の統一と組織化ができていないということです。

結局、前の会社ではみな時間がなさ過ぎるのか、今目の前にある雑事から解放されればそれで良いという意識を感じました。

そこに、会社全体がを良くしようという意識が根底に存在しない。

仮に少しでもそういった意識があるなら、忙しい中をぐっと堪えて、組織の一人一人を良くしていこうと言う行動があってもいいはずでしたが・・・・

現場との橋渡しをする課の長にそれがなく、企業としての将来性に疑問を持たせるのに十分でした。

これを見て思ったのが、結局は人であり、上に立つ人間の器が大きくないと決して企業は成長していかないということです。

そのためにはトップが口を酸っぱくするように、長を含めて全体に「全体を良くしていこう」という意識を植え付けなければならないと思うのです。

痛い目も良い目も学習にならないことはないなと感じます。

N企画
ヘリウムを吸って友人に電話



1月29日

自己犠牲を避けよう

先日のやまもも日記でも記載したが・・・・

私の父の行動を見ても分るが、世の中は他人のために働くことに疑問を持つ人が少なすぎる気がするのだ。

もちろんそうすることで本人にもメリットが存在するのだが・・・・

私の目的、経済力を得ることを考えると、毎月のコストを削減し、収入を上げなければならなくなる。

もちろん、必要なコストはかけなければならないし、我慢だけでは生きている意味がない。

住居と衣服は仕方ないし、他人には金をかけなければならないだろう。

だが、私は持ち家はお国と銀行のために働くことになると思うし、車は保険会社とお国のためと駐車場経営者のために働くことと同義に感じるのだ。

無論、必要な場合は仕方がないと思うし、そのメリットを重視する人からすればそうではないのだろうが・・・・

私のような持たざる者で持つ者を目指す者としては、メリットよりも弊害の方が目立つ。

借家も確かに他人のために見えるのだが・・・・

実は比較すると、現状ではそちらの方がコストパフォーマンスがいい気がするのだ。

何しろ、固定資産税の支払はないし、リフォームの必要性もない。

さらに借家は供給過多気味なので、家賃も銀行からローンを借りて払う金利を考えれば妥当な価格なのではないだろうか?

3000万円を住宅ローンで銀行から借りたとして・・・・

年利が2%だったら・・・・

それだけで60万円だ。

年間60万円もの金額を無償で他人に提供することに私は疑問を感じてしまう。

借家は住居の提供というサービスを受けているが、金利はサービスを生んでいるとは私には思えないのだ。

毎月支払う金額が同じなら買った方がいいと言う人がいるが、実質トータル支払う総額を計算すると買った方が高くなるケースが多い。

それに買った家の建物としての価値は必ず毎年下落する。

インフレ時においては不動産の価値は上がるかもしれないが、日本の少子高齢化とマンションの乱立を見るに、不動産価値が上昇する根拠は乏しい。

あるとすれば、一都集中による都心のみだ。

現金の現在価値と将来価値を考えるに、先に手元に残った方が得であることは明白だ。

トータルの支払を考えるに、現在現金が残るのは借家の方だ。

思うに、お金は増やしてから使う物であり、先に使うものではない。

何しろ、貨幣価値が変わらないと言う前提に立てば、今この瞬間に持っている1万円より価値の高い一万円は存在しないのだ。

そして車にも同じ印象を受けるのだ。

もし、経済力という物を第一の目的にする場合は自家用車の保有は避けた方がいい。

毎月のコストが大きすぎるし、そのコストに対してどのくらい車を使用しているだろうか?

一般的な社会人であれば、週に8回使えば多いほうだろう。

車にかかる総コストを1年頭に出し、月あたりのコストまで落としこんだ際に・・・・

1回の使用にどのくらいのコストがかかっているかが分る。

使用頻度が少なければ、1回のコストは飛躍的に高まる。

そうなった際に、レンタカーやタクシーの利用の方が安くなるケースも多多あるのではないかと感じるのだ。

ただ、その利便性やその車種をもっていることによる情報の発信に重きを置いている場合は話は別だ。

私のように経済力を最優先目的事項としている場合の思考である。

やまもも日記

確かにこれじゃ仕方ないな。

父の電話を脳内で反芻しながら、やまももを見渡す。

小気味がいいくらいに広がる無人の様。

私は覚悟をしなければならないかもしれないと思っていた。

しかし・・・

急に、知らない客が入って来た。

3人もなので驚いた。

かつ、友人夫婦と予告無しでもう一人の友人がやってきた。

やまももの危機を察知したのであろうか?

よくは分らない。

よくは分らないが・・・・

とりあえず、本日は売上げが立った方である。

やまもも総営業時間564時間
やまもも売上げ135600円+3800=139400円

時間あたりの販売価格約250円



1月28日

信用社会と不信社会

少し面白い話を読んだ。

タイトルの通りなのだが、日本の社会というのは前提として信用社会であったそうです。

つまり、まず相手は悪いことはしないだろうし、基準をきっちり守るだろうと信じることで疑い調べると言う手間をカットできていたというのです。

それに信じられた方もその信を失わないようにと求められる以上に応えた。

その効率の良さが高度経済成長を支えたという話でしたが・・・・

最近の日本は不信社会になりつつあります。

ライブド○の虚偽報告、マンションの耐震性、塾の講師の殺人、○菱自動車の欠陥、疑ってかからないと大きなリスクが存在する。

だが、この疑ってかかることは非効率的でコストがかかる。

これまではきっと取引先の意図を汲んでこうしてくれるだろうというツーカーの関係だったのが、本当に信用できるかどうかを独自に調査しないとならなくなる。

確かにスムーズにいかなくなるだろうと感じさせられます。

やはり、こういったことを考えても、日本がかつてのように大きな経済成長をすることが想像つかない。

成長する他国に投資をするように意識をしていたい。


やまもも日記

衝撃的な話があった。

この日、私を起こしたのは早朝の1本の電話だった。

電話を取ってみると、電話の主は父だった。

父は開口一番・・・・・

やまももの競馬中継からの撤退を私に要求した。

寝耳に水だ。

どうも、毎月のコストが父の懐を圧迫しているらしい。

まあ、確かに赤字だから致し方ないが・・・・

そんなこと始める前から分りきっていることじゃないか・・・

しかも、コスト意識が少しでもあるなら最初から投下資本を回収できないことは分っていたことなのではないだろうか?

何しろ父は既に66歳。

やまももを開店したのは父が65歳の時だ。

資金を銀行から借り受け、貯蓄を張っての開店。

一体、父は何歳まで働くつもりなのだろうか?

まともに考えれば、後5年で70歳。

一般的にもう働ける年齢ではない。

5年で投下資本を回収するには毎月どれだけ売上げが必要だと思っているのだろうか・・・

それで他者に不動産を借り受けて、営業する行為。

他人のために働いている感が否めない。

そうじゃないだろう。

他人のために働いていたら絶対に楽は出来ない。

金に働かせる、持ち物に自分のために働いてもらうこと、言い換えれば他人を自分のために働かせなければまず儲からない。

わざわざ金を使って、大家のために働いてどうするつもりなのだ・・・

私は甚だ疑問であったが、反対しても勝手に始めるのでだから夜の広告の意で営業していたのだが・・・・

コストに耐えられないと言われてしまえば仕方がない。

私はうまく行くまでやりつづけてやるつもりだったが・・・・・

近いうちに撤退を余儀なくされそうである。

本日も変わらず、常連の老人だけだった。

やまもも総営業時間556時間
やまもも売上げ134600円+1000=135600円

時間あたりの販売価格約250円



1月27日

人脈作りの接点

引き続き似たような更新になってしまうが・・・・・

どうすれば、新しい他者との接点を作れるか?

この答えは、新しく強制的に時間を共有する場に参加することである。

例えば、ボランティアだったり、社会人サークルだったりと。

だが、これは運営する側に回らないと望む人が存在するかどうかが分らない。

ということは、もろもろの利点を考えて自分達でなんらかのサークルを立ち上げるのはどうだろうか?

共通した目的を持つ組織の立ち上げ。

参加者の募集をどう行うかを考えなければならないが・・・・

例えば、投資サークルなどどうだろう?

会員から1口2万円くらいで、協議をして運用していく。

月に一度くらいに集まり、その月の運用実績の報告といったものを行いつつ、泥酔教を布教する。

そして、一年に一度すべて処分し、口数に応じて分配。

次年度以降も参加する者は再投資をする。

仲間内ではなく、募集の仕方によっては、何かに参加しようとする行動力のある人間との接点になるかもしれない。

それほど大金ではないのでリスクの高い取引にも手を出せて良いと思うのだが・・・・

どうだろう・・・・

N企画
吸えないのにシガーバーに行く



1月26日

下流社会

最近、よくこの言葉を耳にするようになったが・・・・

私も先日読んだ「這い上がれな○未来」という書籍で、上流社会と下流社会について少し知ることになった。

どうも、この下流の割合で多い傾向として、TV・TVゲーム・ネット、このあたりを趣味にしている人が多いと書いてあったのだが・・・・

一方で上流に振り分けられる人の傾向としては、旅行・スポーツ・アウトドアといった趣味が多いと。

何故かを考えてみた。

それで私が出した結論は、前者は他者と関わらない趣味なのだ。

やはり、社会は人間が形成しているものだし、情報を握っているのも人間。

その人間との接点を多く持たずして、旨い事が起きるわけがないのだ。

つまり、やはり人脈なのだ。

どう人脈を作るか?

逆に言えば、他人にメリットを提供できる何を自分が持っているか?

これは就職にも共通することだ。

この答えを持っていないと、非常に不安定でいつどんな理不尽なことが自分に起きたとしても、そのリスクをヘッジすることができない。

何度考えても・・・・

最良の手段は経済力だが、それを得るためには人を得る必要がある・・・・・

そして、人を得るためには何かができないとならない。

何ができるだろうか・・・・?

N企画
トマトの投げあい祭りに参加



1月25日

中国の将来

私は中国株に張っていることもあり、ビジネス誌の中国特集にはかなり注意を払っている。

そして、非常に高慢に聞こえるかもしれないが、実は昔から将来はこうなるだろうと予測したことが外れたことは少ない。

予想自体した回数が少なかったし、絶対に起こると言われていることがメインだったからたいしたことではないのかもしれないが・・・

ただ、昨年度の人民元切り上げの波に乗れたのは蕩けるような快感だった。

そこで、今週のビジネス誌に中国投資に警笛を鳴らすような記事が書かれていた。

様々な企業が進出し、企業間の競争で人件費が高騰していることと、中国政府の赤字財政のため難癖による追徴課税などを負わされており、低賃金による安価な労働力と言う魅力が薄れてきた。

だからそれでも中国で投資しますか?といった問いかけのようなものだったが・・・

ただそれでもまだ中国の人件費は日本の10分の1であることは否定できず、勢いもまだある。

では、中国を避けるという選択肢を取った場合どうするのだろうか?

他のBRICs諸国に移るとしても・・・・・

本当にそれが安価な労働力に結びつくのかが疑問だ。

というのも、勢いと言う抽象的な表現をしたが、じつはこれは重要だ。

何故なら、勢いと言うものは急激な変化をもたらせるが、企業などがその変化に対応するよりも速いことが多い。

だから、現在の不便さは来月には解消されているかもしれない。

それに・・・・

勢いがある国はインフラが整備され始めているし、まったくインフラがない国で安価な労働力を求めたとしても・・・・

電力も水道も、道路もない、他の協力関係が取れる企業がないような場所に工場を作ったところで不便さが増すだけだ。

電力から運送から輸出から全部自社でやったらコストがどれだけかかるか分りはしない。

現地で日本へのルートを持っている企業を探すのにも大変だし、交渉も困難だ。

仮にそうではないところに工場を作ったとしても・・・・

今度は人の問題がある。

中国の勢いで中国語を勉強した日本語を喋れる存在はあるかもしれないが、インドで使われる言語と日本語を兼ね備えた人物は少ないかもしれない。

そう考えたときに、現状を踏まえて何が起きるか?

現在の中国の工場は海に近いところに多くあり、中国内でも海側と内陸部ではすでに所得格差が大きくなり問題となっている。

ということは、海側はインフラが整備されており、このインフラが内陸部に伸びるのではないかと言うことだ。

0から他国でインフラを作り出すのは困難だが、既存の物を延長させるのは早いし、それほど困難ではない。

となると、人件費が高騰した海側から安価な人件費を求めた内陸への投資の移行が行われるのではないだろうか?

つまり、内陸部へと所得格差が埋まっていくような成長を遂げる。

そう考えると、まだまだ中国市場はビジネス誌の記事と違い安泰だと思うのだが・・・・

そのどちらが正しいかの答えは数年後まで待たなければならないだろう。

N企画
餅つきをする



1月24日

私的報告

世間ではライブド○の事件のおかげで株で大損害を被った人もいるようですが・・・・

私は中国株を本線にしていたため、実質被害はほとんどありませんでした。

ですが、やはりじりじり私保有の日本株も下げています。

さて、1月11日のNスポでも書いたが・・・・

当時の私の総資産450万円が10%で34回複利を得ると、1億2千万円になる。

なので、毎年の私の目標パフォーマンスは20%以上だが、ノルマとなるパフォーマンスは10%である。

10%を34回、転がすだけで億になるのだ。

といっても、これはかなり難しいのだが・・・・

だが、幸運にも実は今年のノルマは既に達成している。

トップ画面にもリンクを置いたが、某中国企業の株価が右肩あがりなのだ。

まだ、今年が始まってから僅か一ヶ月。

それで既にノルマの達成。

この調子で行けば、3年後には億だが、流石に世の中そんなには甘くないだろう。

だが、望む方向に進んでいくのは本当に気持ちがいい。

そこで少し思考した。

というのも、以前から思っていたのだが、配当の権利落ち日当日に株を売り、その後株を買いなおすのはどうなのだろうか?

というのも、まだ詳細を調べていないが、権利落ち日はやはり株価が上がるのだ。

で、現在のペトロチャイナは7・55香港ドルで過去最高値。

去年の3月、私が仕込んだ時が4.95香港ドルだったので、かなり騰がっている計算になる。

さて、株価が騰がった所為で配当が年間4%台に落ち着いた。

と考えると、2回にわたって配当が支払われることを考えれば・・・・

1回の配当は約2%分。

現在の株価の1%はどのくらいだろうか?

計算すると、約0・08香港ドル

2%で0.16香港ドル。

つまり、単位が0.05香港ドルのため、0.2香港ドル株価が下がれば配当以上のペイができる。

だが、取引をするには手数料が5000円、譲渡益に10%の税金がかかる。

私は現在30000株ペトロチャイナを保有しているので・・・・

1香港ドルが約15円で、含み益が70万円である。

そう考えると、1回の売却に7万5千円。

購入に5千円。

コストが8万円。

且つ、正確な配当の年間配当率が4.64%。

半分の2.3%だと考えて・・・・

正確には0.17香港ドル。

で、3万株を1香港ドル15円で考えた時に、ペイできる金額は・・・・・

まず、8万円÷3万=2.66

2.66÷15=0.177

0.18香港ドル

配当と加算して、下落する数字が0.40香港ドル以上であれば配当をもらうより利益が出る。

リスクを背負う分、理想を言えば0.45香港ドル以上の下落だ。

現在の株価で考えれば、これでいける。

これだけ下がるかどうかは分らないが、少しでもパフォーマンスを上げたい私には試してみる価値はある。

騰がっても急騰はない以上、痛くはない。

だが、下がる時は歯止めがないので、そのリスクを考えれば試してみる価値があるのではないか?

残り33回10%を手にすれば、私は億という数字を掴める。

ペトロチャイナ1本で行くと決断した以上、大事なのは価格ではなく、保有株式数。

掴むためにアクティブに運用したい。

N企画
川下りに挑戦



1月23日

演出と役者

別に演劇を見たわけではないのだが・・・・

ちょっと本を読んでいて感じたことがある。

それは、個人も役者になり、どこかで他者を酔わせる演出が必要なんじゃないかと言うことだ。

というのも、私自身は当事者としていても客観的視点に立っていることが多く・・・・

他者の演出に酔えないのですよね。

例えば、ライブなどもそうですが、私はそのアーティストが行う演出にまったく酔えない。

行った経験もほとんどありませんが、どの状況でも冷静でいる自分が存在する気がします。

よく、書店でも感動するノンフィクション本が置かれているので目を通すことがあるのですが・・・

どうも、その感動的な部分というのが、当人が自分が演じる役に自己陶酔しているようにしか見えないのです。

例えば、先日立ち読みした「あお○ら」ですが・・・・

ここで、主人公の彼が亡くなるところがあるんですが・・・

その時、その彼の友人が彼が意識を失ったと聞いたときに、壁を殴るんです。

国語的な解釈をすれば、どうしようもないことに対して無力な自分に対する憤りといった感じなのでしょうが・・・・

それに対して、私が思うのが、この行為はその個人の役者としての演出であり、自己陶酔なのだと感じてしまう。

結局、友人に望ましからぬことが起きた際に、自分の拳の痛みを気にせず、憤りを表わすような友人思いであると他人に思われるような、そんな自分が好きなんだなと。

つまり、そんな好きな自分に陶酔しており、且つその行為、つまり演出で他人を酔わせようとしている。

そう感じてしまうから、感動できない。

非常に穿った見解かもしれませんが・・・・

でも、私にも経験があります。

その自己陶酔の演出の応酬はどこか世界の中心に自分達がいるようで心地がいい。

だから、思うのが、ライブド○の社長も過去のヒトラーなどの独裁者も、この自己陶酔と他者を酔わせる演出が優れていたのではないかと。

組織とかに限らず、個人間でも魅力といったモノは実はこの演技力溢れる役者であることなのかもしれないと感じた。

そう、分った上で陶酔するのはいいかもしれない。

この酔わせる演出、技術といったものが人間で勝っている人たちのもつ能力の一つなのではないかと思う。

単純にこちらの舞台を見てくれじゃ難しいのかもしれないが、他者を観客と考えた際にその他者ごとに酔えるストーリーは違う。

ただ、この他者を酔わせようとする目的をもった演出は必要なのではないか?

そうすることで、実際に勝っていると私が思う人間は何人か存在する。

人間は負に対しては複雑性をもっており、正に対しては単純性をもっているのかもしれない。

N企画
演出をしてみる



1月22日

ライ○ドア

のM内取締役のプロフィールを知った。

といっても驚いたことに私の自宅から徒歩5分にある通称Y高の出身で、あれだけの富を40歳前に手にしていたと言うのだ。

確かに学歴は優秀である確率を表すバロメーターでしかないと思っているが・・・・

一番驚いたのが、どうやってあの人脈を築いたのかだ。

ざっとプロフィールを検索したこところ・・・・

税理士の資格をもっており、その仕事上でラ○ブドアの前身と関連をもったらしい。

そして当時のその企業に張った。

その結果として、今の状況を手にしたようだ。

しかし・・・・・

そんなサクセスストーリーも泡沫となろうとしている。

私も詳細は知らないのだが、東京地検特捜部なるものの捜査力はかなり優秀で、身柄を拘束するような事件の場合、起訴することが確実であると固めたものでしか身柄の拘束といったことを行わないらしい。

ということは、かの企業のH氏の事情聴取といったことが行われれば、間違いなく起訴はされるということだ。

これは無傷で切り抜けることは不可能であろう。

一時あれだけ大きくなった企業が消滅するかもしれないこの事実。

どこに発端があるかなんか分りはしない。

だが、このM内氏を見る限り・・・・

やはり、多くを望むのであれば、どこかで博打を張らなければならないということだ。

資本金が600万円の時からライブド○で仕事をしていた。

その時に賭けたからあの若さで掴んだのだろう。

そう言えば、高○氏のSO○でも、若い取締役は創業時にいた人間だった。

結局、安全なだけじゃ絶対に何もつかめないのだなと感じる。

それと同時に、どれだけ巨大になろうとも常にリスクヘッジをしていないと、いつ何時足元をすくわれるかは分らない。

ただ、H氏は例えすべてを失っても、経験と人脈が残っている。

再起する機会があるのではないかと私的には感じる。

やまもも日記

身を切るように風が冷たい。

これじゃ、今日もやまももは閑古鳥だな・・・

そんなことを感じながら・・・・

店を開く。

当たり前のように誰も来ない時間が流れる。

ただ、愚直なまでの継続、それが必ず望む結果をもたらせると信じてやりつづけているが・・・

変化がおきる兆しはない。

やはり、立地には敵わないのかという思考と何故リピーターを常連までに昇格できないのかを考える必要がある。

というよりもリピーターの来店頻度が少なすぎる。

これではちょっと厳しい。

問題の1つはスナックという看板と私の年齢という来客と私との間に大きな乖離がある気がする。

まあ、仕方がないだろう。

何しろ、ほぼコスト0でやっているのだから・・・・

だが・・・・

本日は友人が顔を出してくれた。

そのおかげで来客はいつもの常連と合わせて2名。

今日も厳しい・・・

やまもも総営業時間548時間
やまもも売上げ131800円+1800=134600円

時間あたりの販売価格約250円



1月21日

柔道の山○

金メダリストで柔道家の○下との対談がビジネス誌で記載されていた。

そこで、気になった事が書かれていた。

それは・・・・

一人では何もできない。しかし、一人が動かなかったら何も出来ない。

この相反する言葉・・・・

鶏と卵どちらが先かに通じる物がある。

鶏がなければ卵は生まれない。しかし卵がなければ鶏は生まれない。

どちらが先なのだろうか?

私的な見解では、卵と鶏が同一なものであるという認識に間違いがあるのであると考える。

つまり、鶏が最初に誕生したのは卵からではあるだろうが、それは鶏の卵ではない、違う生物の卵から突然変異というやつで鶏になったのではないかと思うのだ。

鶏と鶏の卵に同時性を見るから答えが出ないのではないかと思う。

と話がずれた。

そう、この柔道家は続けて、こういったことを主張していた。

一人では何もできないが、最初に動く一人となって選手一人一人の心に火をつけると。

だが、思うにこれが一番難しい。

想像してみれば分るが、自分が利害関係が生じる行為をみんなで協力して長時間をかけて皆で利を分かち合いましょうと主張したとしても・・・・

どのくらいの人間が本気で取り組んでくれるだろうか?

大体の人間が労力とリターンとリスクを天秤にかけ、面倒事は避けたいと願うから、笑いが止まらないほどリターンがある画期的な何かでなければ乗らないだろう。

だが、これも矛盾が存在し、笑いが止まらないほどのリターンがある話は他人に笑いが止まらないほどのリターンを提供した人間にしか行かないのだ。

何もせずに待つだけの人間にそんな話は絶対にこない。

来るとすれば、それは鴨だと詐欺師に思われたときだけだ。

つまり、一人一人に心に火をつけるというのは酔わせるだけの何かを持っていなければならないということだ。

これは難しくないか?

これしかないけど、うまくいった時にはそれなりにリターンするから、うまくいくように協力してくださいねという依頼。

保証も何もないことに対する協力の要請。

これが可能ならば、いろいろな場面で生涯不自由をすることがなさそうな気がするのだが・・・・

やまもも日記

雪が降っている。

外に出ると、花びらのような大きさの白い雪が舞っていた。

これじゃあ来客は期待できそうもないな。

そんなことを思い、だったらゆったりとした空間をコーヒーでも淹れて思考にあてるとしようか・・・

そんなことを考えながら・・・・

やまももへと向かう。

最寄の駅に着くと、お知らせがでかでかと張り出されており、本日の中山競馬は中止で月曜日に代替競馬を行う。

そのように書かれていた。

こりゃ、いよいよもって致命的だ。

恐らく誰も来ない。

だが、かといって継続を止めることでもしかしたら、失うかもしれない信が存在するかもしれない。

そう考えると、休むという選択肢はない。

休む時には事前にそれを明記しなければ駄目だ。

そんなことを思いながら店を開く。

案の定・・・・

いつもの常連だけが来てくれた。

やまもも総営業時間540時間
やまもも売上げ131800円+1000=132800円

時間あたりの販売価格約250円

未だに、大卒の新人の給料ほども売上げが上がっていない・・・



1月20日

漫画喫茶

私もよく利用するのだが、安価で睡眠を取ったり、待ち時間等があるとき等にかなり重宝している。

人によっては良くないイメージを持っているようだが、思った以上に普通の人が多いし、会社帰りのOLなどもよく見かける。

なので、そこでいつも思うことがある。

それは以前に書いたかもしれないが、広告手法として漫画にさりげなく挟む広告を代理店がやらないことに対する疑問だ。

米国ではCMの効果が薄くなっており、口コミが一番強い広告手法になっているようだが、日本と違いTV番組の中で広告商品をさりげなく主人公達が使用するといった広告手法を行っているらしい。

それと同時に思ったのが、キンニク○ンという漫画で私が子供の頃やたら吉○家のCMなのではないかと思えるくらい、○野家に関する記載が見られた。

私はこれのおかげで吉○家という存在がずっと頭にあったし、子供向けの漫画だったためその当時の広告効果は薄かったかもしれないが、対象年齢に合わせた漫画にそういった記載をすればかなりよい広告になると思う。

それなのに何故代理店は漫画家と契約して、1話に一度は広告を挟むといった契約をしないのかが不思議なのだ。

例えば、私がよく読む漫画にカイ○というスロット機にもなったギャンブル漫画がある。

この主人公が、ア○ヒビールが好きであると言う設定をビールメーカーが買い、事あるごとにその描写をするようなことがあれば、私は何種かで迷った時にそれを手に取る可能性が高まると思うのだが・・・・

もともと、広告というのは効果が数字としてはっきりでないものであるのだから、これだけ漫画喫茶で漫画を読んでいる人間が多い以上、それを対象にした広告手法を確立した方が、CMカット機能で録画した番組を見る現代人に対してはTVCMより効果的なのではないかと感じてしまう。

実際には行われていないのだろうか・・・?

N企画
焼酎をブレンドして飲む



1月19日

スカ○プ

をご存知だろうか?

IP電話に関しては私も詳しくないのでなんともいえないのだが・・・

このスカイ○はIP電話のソフトの一つで、公衆無線LANサービスの基地局があれば・・・

無線IP電話が可能となる。

つまり、通話料が月々の契約料のみで使いたい放題の携帯電話が誕生すると言うことだ。

しかも、無線LANの基地局が多数設置されれば、当然パソコンも常時外出先でどこからでもネットに繋げる事が可能となるし、それも低料金で定額で可能となる。

となると・・・・

ドコ○を筆頭とした日本の通信会社はどうなるだろうか・・・?

で、この無線LANのインフラを加速度的に電柱に整備しているのが、渦中のライ○ドアだ。

現在非常事態ではあるが、ここを乗り切れば同社の先も明るいかもしれない。

一方で、普通の通信会社の先は暗い。

何しろ、利益の基本は低コストで行うサービスを高く売ることである。

こういった無線LANによる携帯電話のIP電話をはじめ、低コストで必要なサービスを提供する会社がでてくると、今は利益があがっているド○モのビジネスモデルも通じなくなることがそう遠い未来の事ではなくなってきている。

となると・・・

個人的にはこのIP携帯電話サービスを真っ先に行う企業に投資がしたい。

構想で一番近そうなのはライブド○ではあるが・・・・

現在の苦境を乗り越えることができるだろうか?

以前に私はライ○ドアを戦国時代の織田家に似ていると思った事があった。

その感覚が正しいとすれば・・・・

この不正会計、証拠隠滅、不当利得、風説流布といった危機的状況を何に当てはめるか?

桶狭間なのか、金ヶ崎なのか、武田の上洛なのか、それとも・・・

本能寺なのか・・・

私の根拠のない推論としてはこのくらいの危機くらい、政治家に話を通すなりして切り抜けてくれるとは思っているのだが・・・・

いずれにせよ、持たざる者としては張り時なのかもしれない。

N企画
1日1企業の財務諸表分析



1月18日

究極のブランド業

これは突き詰めれば宗教法人ではないか?

本日、そんなことを思わされた。

私は友人に連れられてゴルフの打ちっぱなしに行き、時間と経済力を兼ね備えた人物はやはりそうであるという情報を車や身につけている物が放っているなどと納得しながら・・・

中華街で食事を取り、その後、川崎大○まで初詣に出かけた。

正直、私にとっての初詣と言う行為は年始のお祭のような存在であり、1月1日を超えたらいくつもりはなかったのだが、折角誘われたので私も同行した。

そして、衝撃的な寺の意図の数々を発見し・・・・

究極のブランドが宗教であることを確信したのだ。

というのも、まず境内に入って驚いたのだが・・・・

お札の類が3千円〜3万円である。

工場で量産すれば、原価は10円もかからない代物が、そのお寺の霊験というブランドが価値を創出しているのだ。

1月の中旬の平日にあれだけの人が並んで買っているのだから・・・

年初はブランド力の利益は信じがたい金額に登るに違いない。

絶対に使い切れないだけの金銭を、ただ待っているだけで、ブランドが創出するのだ。

しかも無税。

それだけで衝撃を受けたのだが・・・・

私はそこで御神籤を引いた。

その際に、代金受け取りの受付が100円を粗末にするかのように、代金の回収を急がないのだ。

どうでもいいと思っているとしか思えない100円玉の扱いに、どれだけ懐が潤っているのかが如実に表れていた。

しかも・・・・

私が引いた籤は「凶」だった。

後ほどリンク先のブログの方に画像を載せるが・・・・

この「凶」を引いた後、友人の話とお守りを売る売店を眺めた瞬間・・・・

すべてが一本に繋がった。

まず、友人の話では大きいお寺は御神籤が辛いそうである。

ちなみに私は「凶」を引いたことがほとんどない。

そして・・・・

平日でも溢れんばかりの人の波と、人が殺到して買っていくお守り屋を見て、これが純粋確率ではなく、寺によって歪められた籤なのだと気付かされた。

というのも、小さいお寺ではブランド力がなく、リピーターが少ない。

だから、来た参拝者に嫌な気持ちにさせる「凶」は小さいお寺の言うことだしと軽んじられる上、次の参拝に繋がらない可能性が高い。

だが、TVCMをやるような大きいお寺の場合はどうか?

黙っていても参拝者は減らないし、ブランド力がある。

そのブランドと言う目に見えない信用の存在が、参拝者に疑いを持たせない。

つまり、そんな大きな寺で「凶」を引けば、なんとなくブランドに信頼させられ、嘘ではなく事実なんじゃないかと認識してしまうのだ。

そうなると、「凶」は大変だ、大きな寺だから事実だろうし、どうにか回避しなきゃならないという心理が人間に働く。

そして、そこに登場するのが救いを与えるかのように御守り屋が「厄払い」を声高に叫ぶのだ。

つまり、「凶」や「大凶」といった籤を引く人が増えれば増えるほど、御守りや破魔矢といったものの売上が上がるのだ。

大きい寺はそれをしてもブランドが信じない人間よりも信じる人間を作り出す。

こうして営業をする必要性のない大きな寺の御神籤はより一層辛くなり、そうではないお寺の籤はより一層甘くなるのだ。

すべては売上げを上げるためと言う目的に基づいた戦略なんだ。

そして奉納して燃やしたりするのはリピーターを確保し、新しい品を買わせるためだ。

なんと巧妙な戦略なのだろうか。

そして寺の外に出ると、飴を包丁で切る音のように思わせたテープを流し、非日常を演出してお金を落とすように演出する。

太鼓のようなリズミカルな音は日常から我々を追い払うにはかなり効果的である。

なんとなく、その場の雰囲気を楽しまなければ損だという気分にさせられる。

そうやって宗教法人(法人は利益追求のために存在する)は営利を求めて、様々な人間の心理をからめ取った演出を施しているのだ。

だから・・・

私は確かに「凶」を引いたが、一切信じない。

これは彼らが私に御守りといった物を買わせるための戦略であり、決して事実に基づいたものではない。

寺の手の平で躍らされることだけは避けよう。

N企画
豆まきを枝豆でやる



1月17日

信用取引

ライブ○アの不正取引のニュースがでて以来・・・・

2日で1000円近く日経平均株価が下落した。

私としては、何故1つの銘柄に不祥事があると全体に影響があるのか不思議で仕方がなかったのだが、ブログのリンク先の人に聞いたところ、疑問が氷解した。

理由は信用取引による追証の発生のためなのだ。

最近の個人投資家は一攫千金を狙ってぎりぎりの資金で信用取引で全投資しているらしいのだ。

信用取引とはそもそも一定のお金を証券会社に預託することで、取引額の何%を預ければその取引額の売買が可能になるという取引で、自分のもち金を超える損失が起きる可能性がある破滅を抱えた取引である。

商品先物は一般的にこの信用取引で行われているため、以前社会問題になったときに破滅する人がいたのだろう。

例えば、現金100万円があったとして、これで信用取引を行うとする。

証券会社によって最低いくら入金しなければならないという最低保証金額と、株の売買を行うときの購入金額の何%を預ければよいかという委託保証金率と、売買の後に損失が存在したとしても、強制的に取引を終了させられる決済を行われずに済ませるための最低保証金維持率というものがある。

ここが重要なのだが・・・・

現金100万円を証券会社に預託したとして・・・・・

最低保証金額が30万円であれば、100万円はこれを超えているので問題がなく取引が可能である。

で委託保証金率が30%であれば・・・・

100万円は約333万円の30%であるから333万円までの取引が可能である。

つまり自己資本の何倍もの取引が可能になる。

そして最低保証金維持率が20%とは・・・・・

333万円で取引をした株が損失を抱えた時にいくらまでお金が存在すれば、追証というお金の追加をしないでその取引を継続できるかという基準である。

100万円で委託保証金が30%の場合は333万円までの取引が可能である。

で、この最低保証金維持率が20%の場合、66万6千円までは何もしなくてもその取引を継続させますよということなのだ。

つまり、含み損が34万円を超えてしまった場合・・・

新たにお金を追加しないと損失分を預けたお金で強制的に清算されてしまい、損失が確定する。

この例でいくと、100万円を預けて1株1万円の株を333万円の取引をした場合・・・・

この株の価格が9000円になると、33万3千円の損失になるからまだ決済はされない。

だが、8900円になると、含み損が36万6千円になるので、100万円で333万円の取引をした際に残る価値が66万円を割って64万円になる。

こうなると、最低保証金維持率は20%だから、333万円の取引の最低保証金維持率20%の66万円を割り込み追証が発生する。

この時に与えられた期限までにお金を入れないと取引が清算されてしまう。

なので躍起になってお金を入れるわけだが・・・

このライブ○アの暴落でそれを信用取引で買っていた人が、大きな含み損を抱えたため・・・・

その追証を入れるために他の銘柄を売ることになり、株価全体が下がるということらしい。

諦めて決済してしまえばいいのにと思われるかもしれないが・・・・

強制決済できないくらいライブド○株の状況が酷いのである。

投売りで成り行きで売りに出しているのに売るに売れない・・・・

地獄でしょうね。

それと同時に暴落の恐怖が他の人の心にも火をつけたのだろう。

今回の暴落はしばらく続きそうだ。

私自身は日本株をほとんど処分してしまっているので、さほど痛くはないが・・・・

日本株投資に参加したばかりの人にとっては阿鼻叫喚だったに違いない。

N企画
エアロビクスに今ごろ挑戦



1月16日

信頼の土台

どうも泥酔教を布教すると熱くなりがちだ。

だが、それを主張したいのだから仕方がない。

さて、最近友人の話を聞いて、再度確認したことがある。

一人の人間の言動の受け取り方はその人に対する信によって異なるということだ。

この話をしてくれた友人は嫌がるかもしれないが・・・・

許可を取らずに書いてしまおう。

その友人は会社内で1つ下の後輩と冷戦になっているらしい。

そこで、最近冷戦をより冷たくした話を聞いた。

それは、その友人が仕事で荷物を持ったときに・・・・

冷戦状態の後輩が・・・

「一応、持ちましょうか?」

と尋ねたらしい。

この台詞どう思うだろうか?

聞いた瞬間に、この一応という言葉は確かに不要だなと感じた。

だが、信がある人間同士であれば気にもとめない台詞だろう。

一方で信がない相手からの台詞だったらどう思うだろうか?

まず、思うのが対象を信じていないから、何故そんなことを言ったのかを疑問に持つということだ。

つまり、自分に好意的だという信が存在しないからどんな意図でそういったのかを考える。

そして意図も信がないから、好意的には受け取れないし、実際に好意的であれば一応という接頭語をつけないだろう。

友人の思考ではこう解釈したらしい。

「どうせ断るだろうけれども、後輩先輩と言う上下関係の形式上持つと言っておきますね。」

残念ながら私にはこう解釈することを否定する材料はない。

それにこの意図をさらに読めば・・・・

「プライベートの枠組みでは関わりを持ちたくないが、職場という一つの組織に所属する者として、感情は嫌だが、組織と言うモノを考えるから持つと言います。」

こう取れる。

決して穿った見解でもないと思うが、この彼がつけた「一応」と言う言葉にはこれだけの意味が含まれていると思うのだ。

もちろん、冷戦状態にあるという前提があるからこう取れるのだが・・・・

さて、何故こういった否定的解釈になるかと言えば・・・

やはり信が存在しないことが原因である。

人間関係はとことん信なんだと私は思う。

で、この信を醸成する土台は何か?

これを考えると、その本人が信じる常識、いわゆる価値観というやつが一致していることだと思うのだ。

関わる人間の信じる自己基準に相似性がないと、いろいろなところで違和感を感じ、それが信を殺す。

結局、他人の行動・言動一つとっても、それ一つで信を殺すこともあるし、信を築くこともできる。

そして一度、信を殺すと巻き返すための配慮をし続けないと信を失いつづける。

この自己基準の組成はどこで行われるのだろうか?

やはり、自分が所属してきた環境と触れてきた情報というものに大きく影響を受けるのだろうと感じてしまう。

なんだか考えさせられる話を聞いた気がする。

N企画
ペトロチャイナをスイング投資



1月15日

シンプルな本質

本質はとんでもなくシンプルなものなのかもしれない。

最近、私の将来を考えるに、投資を成功させつづけない限り先がないと確信するようになった。

それが困難を伴なうことは重々承知だが、実際に実行している人間がいるのだから私にだって不可能であるとは言えない筈だ。

で、いろいろ投資に関する学習をしているのだが・・・

少し気になる結果を見つけた。

私が行っている投資は一般的にバリュー投資と呼ばれるものであり、安価な株価で株価よりも価値のある企業を買おうという思考だ。

そんなものあれば苦労しないと皆思うと思うが、意外にもこういった企業は少なからず存在しているのだ。

つまり、株価は事実に基づいて理性的に決まるのではなく、人間の勝手な将来の願望が作り出すものなのである。

私の観点で言えば、PER(株価に対して、その年の利益が何年でその株価と同じ利益を上げることができるか)10倍を大きく超える企業はとても買えない。

何故なら、それ以上利益が上がる根拠が存在しないから。

だが、少なくともPERやPBRといった物は昨年度の実績であり、事実に基づいた物である。

当然、これを参考にしているのだが・・・・

実は機関投資家やプロのファンドマネージャーのほとんどが市場の平均利回りを越えないことをご存知だろうか?

扱っている金額が大きいため、小さな企業に投資ができないことも原因なのだが、ETFよりも投資信託は利回りが基本的に悪いのだ。

しかも・・・

ファンドマネージャー達の目的は預かった資産を増やすことではなく、自分達の手数料等を抜くことに目的があるから、私は投資信託やファンドを買うつもりは決してない。

さらに手数料を支払うことを考えると、個人の年間の利回りは格段に落ちる。

おまけに彼らは頻繁に売買を行うため、売買の回数を増やせば増やすほど証券会社に落ちるお金が増えて不利なのだが、そんなことお構いなしで取引するため、実質は儲からないと一般的に言われている。

それで、今日知った意外なことなのだが・・・

実はPERとPBRの倍率の低い株さえ去年の今ごろに買っておけば、現時点で利回りは90%を越えていたのだ。

これほどシンプルな戦略が一番効果的だというのだから驚きだ。

もちろん、株主資本率の高さと固定資産の売却でない理由の利益が必要なのだろうが・・・・

それにしても、この単純な戦略が一番効果的だったというのははっとさせられる。

実際に、上昇相場ではこういった低PERと低PBRのいわゆるバリュー株がなくなるのだから当然と言えば当然かもしれない。

さらに思うのが、譲渡益を得るには安い時に買って高い時に売るのが常識だ。

こういったバリュー株の存在がなくなるときというのは高い時で、売るべきときなんじゃないだろうか?

逆に、こういったバリュー株が多数あるときは買いどきなのではないだろうか?

バリュー株が存在するか否か、それだけを基準にするだけでかなりパフォーマンスを上げれるのではないかと思うにいたった。

そう考えると、先日スクリーニングをかけたところ、日本株はもうほとんどバリュー株が存在しない。

中国株はバリュー株が多数ある以上、日本株は売り時で中国株が買いどきなんじゃないだろうか?

このシンプルな戦略が一番効果的かもしれないというのは考えさせられる。

確かにPERとPBRは事実に基づいた根拠だ。

しばらく、中国株で試してみようと思う。

やまもも日記

有馬記念の時の僥倖をつかめていない。

あれからリピートしてくれたのはただの1名だけだ。

だが、本当に毎週来てくれる常連が絶対に必要と言うわけじゃない。

たまに来てくれるリピーターが何人も存在すればいいのだ。

だが、そのリピーターもさしていない。

本日も待つだけだった。

そしていつもの老人が私を悲しませないでくれただけだ。

粘れば必ずいつの日か夢が見れる。

そう信じつづけるしかない。

やまもも総営業時間532時間
やまもも売上げ130600円+1200=131800円

時間あたりの販売価格約250円



1月14日

一大奇書

と呼ばれているドグラ・マグ○を完読した。

丁度昭和10年に発表されたこの作品は作者が書き上げた翌年亡くなってしまったことを考えても、なかなか興味深い作品だった。

上下巻でそれぞれ300ページ程度なのだが・・・

読み終わるのに8時間程度かかってしまった。

大分時間のかかった方である。

感想を一言で言ってしまえば、不可解。

それに尽きる。

そして、紹介文を読むと、この書籍を読むと一度は精神に異常をきたすらしい。

どの程度を異常と呼んでいるのかは分らないが、確かに妙な恐怖心を持ったことを考えるに私の精神状態に異常があったのかもしれない。

だが、不可解という答えの原因を考えたところ・・・・

一貫した正しい軸の存在がないことだ。

扱っている内容が精神という抽象的なものであるため、何が正しくて現実であるかの軸がはっきりしない。

その上、小説内の現実が二転・三転することと、連続性を感じない内容が詳細に書かれていることが煙に巻かれたような気分にさせられる。

消化不良を私の中で起こしている。

だが、賛否両論がはっきり分れる中で、私はどちらでもない印象を受けた。

それは過去にエヴァンゲリ○ンという同種の不可解なものに触れている免疫があるからかもしれないが・・・

決してオススメではないが、やはり一大奇書と呼ばれるモノに触れておくのも面白いかもしれない。

やまもも日記

シトシトと雨が降っている。

1月なのに雪ではないのは、必ずしも体感温度と気温はイコールで結べるわけではないということなのだろう。

やはり雨は嬉しくない。

いつからだろうか?

以前は無頓着でいられた天気というものに大きな関心を持つようになったのは。

学生になって以来かもしれない。

高校生までは天気というものを考慮せずにいられた。

だが、時間に制限が加わるようになってから・・・・

雨が好きではなくなった。

この分じゃ、来客は期待できそうもない。

誰もこない広い空間を独り占めにするのも悪くはないが・・・・

そう考えて、珈琲を淹れた。

たいした技術が必要なわけではないがレギュラー珈琲を淹れる自分が好きだったりする。

すると・・・

カランという音と共にいつもの常連の老人が午前中にやってきた。

珍しい。

話を聞くと近くまで来たので寄ってくれたそうだ。

しばらく話をした後、また来ると言って老人は帰っていった。

そして、15時過ぎに老人は約束を違えることなく来てくれた。

こんな天気じゃ、この律儀なリピーター以外を望むのは間違っているだろう。

常時感謝を忘れないようにしたい。

やまもも総営業時間524時間
やまもも売上げ129300円+1300=130600円

時間あたりの販売価格約250円



1月13日

広がる昭○村

私が想像する日本の未来が現実のモノになりつつある。

私は日本と言う国に対しては悲観論者である自覚があるが、その理由は楽観的な根拠よりも悲観的な根拠が事実として目に留まることが多いからだ。

事実ドト○ルの創業社長の鳥○氏は銀座のビルの一角に救国サロンなる自費のサロンを経営している。

ほっとけば破綻することが分っているということなのだろう。

実は日本の借金は借金国家と言われたイタリアよりも大きい比率を表しているらしい。

さて、そんな中ビジネス誌で○和村の特集を見た。

私もこれが広がり最終的には一都集中と過疎化が進むと思うのだ。

廃村が多数出来上がり、日本人が住まない国土が増加する。

この昭○村は現在人口1781人。

そのうち65歳以上の老人人口の割合が49・9%。

そして0〜4歳までの子供の数が34人。

村の役所の人件費は税収の6倍。

どう考えても、計算が合わず、仕事も減少するから食うために首都圏に出てこざるを得ない。

そして25年後には全自治体の3割がこの村のようになるのが現状の計算であるそうである。

これで内需を期待することは間違っているし・・・

且つ満たされすぎた現在の若年層は学習意欲で成長国に負けていると思うのだ。

学ばなくなったり、目標に向かって努力といったことをしなければ、どんなに潜在的に優れた民族であっても最後には努力をする民族に負けるだろう。

勉強をしなくなった東大卒が勉強を続ける3流大学の人間に引っくり返されるようなものだ。

学習をしなくなれば、その時点でその人間の成長は絶対に止まる。

後ろから来た者が亀の歩みにしても、継続をすることで寝ているウサギを抜かすことはそれほど難易度の高いことではない。

だから、私は日本が亡国一直線であると思うのだ。

その亡国になると言うことを前提に考えた結果、外国株が私が生き残る道であると確信している。

過疎化に人口減、そして増加する支出と反比例して減少する税収。

この状況で適者として生き残るためには、キャピタルフライト(海外への資産飛ばし)と海外市場での投資しかないと思ってしまうのだが・・・

官僚はどうやってこの苦境を脱出するつもりだろうか?

N企画
ドグラマグラを読む



1月12日

思考

本日ウォーレ○バフェットに関する4冊目の本を読んだ。

そこで思いついた一発逆転方法と面白いことが書かれていたので記載する。

まずは後者のほうから・・・・

書店の株式投資の本棚に行けば、必ず一度は目にするこの人物の名前は生存する現在の株式の神様として、多くの人に信奉されている。

かく言う私もバフェッ○の信者だ。

それで、今日読んだ彼に関する本に、一つなるほどと思わされることが書かれていた。

それは読んで思考することである。

他人の思考を受け売りにするのではなく、幅広く活字による情報を摂取した後に、独自に考えるのである。

この100万円を世界第2位に育てた投資家は1日のうち6時間を読書にあて、1〜2時間を電話にあて、そして残りの眠るまでの時間を思考にあてているそうである。

そう言えば、昨年読んだビジネス誌にマイクロソフ○のビ○ゲイツも一年のうち、1週間以上を思索の時として別荘で思考だけの時間を作るらしい。

結果を出している人間が相応の思考をしていると言う事実に私は納得させられた。

確かに、私自身、思考をしないで痛い目にあったこと(就職その他諸々)は数多くあるが、思考をして答えを叩き出した上で痛い目にあったことは一度も無い。

だが、思考をしないことは根拠の追求の否定だ。

根拠の無いことで当然うまくいくこともあるだろうが、そうではないことのほうが多い。

何を求めるかで変わってくるのであろうが、目標が存在する以上思考は不可欠であると再認識させられた。

そして、もうひとつの一発逆転の話しだが・・・・

これはバフ○ットという人間の能力を信じきることで可能となる逆転だ。

現在バー○シャーハサウェイというバ○ェットの投資会社はチャーリ○マンガーとバフェッ○で運営されている。

だが、バ○ェットもかなりの高齢で、いつ何時何があるかは分らない。

しかし、バフ○ットの言を聞く限り、このマ○ガーと言う人物、バフェッ○の思考を限りなく理解している人物らしい。

彼が亡き後は、マ○ガーがバークシャ○を経営していくのであろうが・・・

一般的にバフェッ○の死を恐れる投資家は多い。

入院するだけでもバー○シャーの株価は暴落するだろう。

この世を去ったら、株価の暴落はどこまでいくか想像がつかない。

だが・・・・

この時こそ、バー○シャーを買ういい機会なんじゃないだろうか?

あくまでバフェ○トという人物の能力を信頼するなら、その人物眼をも信じるべきじゃないだろうか?

実際に投資スタイルに優秀な経営者が経営をしていることを絶対条件の一つに選択している。

それで結果を出しているのだから、○フェットの人を見る目は間違っていないと私は考える。

だから、世の中にとっては不幸なことである彼の死を踏まえて、一発逆転のための布石を打っておきたいと思うのだ。

それで、調べたところ・・・・

どうも現在バークシャ○を日本で買えるネット証券は存在しないらしい。

そうなると、外国の証券会社に口座を開かなければならないのだが、現在どうすればよいかは調査中である。

だが、総資産が倍も変わるかもしれないこの未曾有のチャンスをみすみす見逃すのはあまり賢い選択とは思えない。

バ○ェットほどの人物なら必ずニュースに載るし、ビジネス誌にも載るだろう。

無論、株価が下がることを考えれば、その死を知ってからでも遅くは無い。

バフェッ○を信じるからこそ、目に見えたチャンスに化ける。

人民元の切り上げと同じ位自信があるが・・・

結果はどうなるだろうか。

買う方法がわかり次第、ここに記載する。

N企画
米国証券にも手を出す



1月11日

リアル計算

さて、私のリアルな将来価値の計算をしようと思う。

まず、私は総資産をペトロチャイナに張って、昨年度の運用益は50%を得た。

そして、この銘柄は現代神のウォーレン・バフェッ○が保有している事実を踏まえて、私の計算を表記したいと思う。

まず、現時点で私はペトロチャイナを300万円分保有している。

2005年の3月に200万円買った株が300円になっているのだから投資としては大成功だろう。

だが、正直な話200万が300万円になったところでたいした意味はない。

1億円を1億1千万円にした方が遙に意味がある。

そのため、日々規模の経済力の力に圧倒されているのであるが・・・・

私なりの将来にむけての計算式を公開する事で、もしかしたら参考になると思う人がいるのかもしれないので、それを公開する。

まず、昨年度の運用実績のおかげで私の総資産は300万円から450万円になった。

だが、正直まだまだ足りない。

26歳という同年齢にしては持っていない方ではないと思うが、正直不労所得を目指す者としては話にならない。

それで、私の持つ投資の最低基準である年率5%を軸にしたと仮定していくらあれば不労所得が可能なのか?

それを考えたところ、1億円あれば、年率500万円で十分に豊かな暮らしができるという判断にいたった。

では、現在ある資産を1億円にするにはどうしたらよいか?

時間と言うものを無視すれば・・・・

現在の投資の配当金を再投資することで、控えめに見て年率10%の運用益を得られると仮定した際に、私の総資産は34年後に一億一千万円になる。

年率15%の運用益を得られるのであれば、五億二千万だ。

複利の力を思い知るに十分な結果だが・・・・

だが、現実には年利15%で運用できるか否かは分らないし・・・・

34年後の60歳代に億を握っていても仕方がないと思ってしまうのだ。

40歳代で億を握ってこそ意味がある。

そう考えた際にどうすれば40代で億を握れるか?

考えられるパターンは2つ。

1つは、最初の投資額を大きくすること。

つまり、年収を大きくして初期投資額を大きくすることだ。

だが、何の技能も持たない私にとってこれ以上難しいことは無いだろう。

ホストでもできる能力があれば、話は別だが、残念ながら与えられた能力で平均的な人並以上といえるのは思考すること以外ない。

もう一つパターンは、信じがたい運用益を上げつづけること。

それこそ、年率30%や40%といった。

だが、これが可能ならとっくに私は億万長者だ。

まだ投資をはじめて2年とはいえ、この運用益がどれくらい難しいかは認識しているつもりである。

去年の50%という運用益は時代の流れととんでもない僥倖があったおかげであると認識している。

この先、これほど確信の持てる僥倖はないだろうなとも感じている。

人民元の切り上げが間近だったことが私に幸をもたらしたが、4ヶ月遅かったらアウトだった。

だが、人民元の再切り上げが要求されるのは時間の問題だと思っている。

もちろん、その要求を回避する時間稼ぎとして通貨バスケット制になったのであろうが、安価な労働力で雇用を奪われている諸外国の圧力でもう一度、要請されるであろうと私は踏んでいる。

だから、バ○ェットの神通力と分析力、時勢を考えるにペトロチャイナは控えめに見て今後も10%の運用益は期待できるだろうと思うのだ。

なにしろ、現在の配当が5%弱で、株価が5%上がれば10%なのだから。

それで、もう少し突っ込んだ計算を書こうと思う。

現実的な数字を当てはめているが・・・・

私の現在の総資産450万円に毎年30万円加算して、10%の運用益の場合・・・・

私が60歳の時・・・・

総計は一億九千万円だ。

実に現在の450万を放置している時と倍も差がつかないのだ。

毎年50万円を加算した場合が2億5千万円。

複利と言うものの力を思い知らないだろうか?

では、ちょっと色気をだして15%で運用が回った場合はどうか?

まず、1円も付け足さないで450万が15%で回った場合・・・・

34年後には先ほども申し上げたとおり、5億2千万円になる

30万円づつ加算した場合は7億8千万円。

50万円づつの場合は9億6千万円だ。

エクセルで計算したので間違いは無い。

時間と複利の力を思い知る。

だが、私が生まれたときから運用しているのなら話は別だが、私は既に26歳である。

この数字が手に入るのは60歳なので、遅すぎるのだ。

60歳で金に困らなくなっても、もっていなくて困る人に比べればマシかもしれないが、遅すぎやしないだろうか?

40代で不労所得という目標に比べて遅すぎる。

つまり、どう考えても、私の目標を達成するにはどこかでショートカットが必要なのだ。

初期投資額を増やすか運用益を増やすかの。

その方法が分からずに、毎日思考を繰り返しているのではあるが・・・・

明快な答えはでていない。

ただ、断言できることがある。

それは、投資はスピードであり、いかに加速するかが大事であるということと複利という力を考えるに投資をはじめるのに遅すぎることはあっても早すぎることはないということだ。

生涯収入だけで、それを超える経済力を得ることはできないのは皆が分っていることであろう。

投資の現代神とも言える、ウォーレ○・バフェットがまだ生存していることを感謝しつつ、彼に乗っておくことができる機会が与えられていることを感謝して享受すべきだと私は思ってしまうのだが・・・・

歴史上、100万円を4兆以上にした投資家は彼以外存在しない。

結果を出している以上、それに勝る信頼はないと思うのだが・・・・

ここ、20年彼の買っている銘柄は平均するとすべて15倍以上になっている。

ペトロチャイナはまだ2〜3倍以内。

まだ余力があると私は勝手に思っている。

揺ぎない自信を私は持っているが、歴史は伝説の投資家の失敗を作るのか、それとも伝説の更新を認めるのか・・・・

私は後者であると確信している。

N企画
バフェット書籍を全部買う



1月10日

自己判断が大事

とことんだが、いつも思うのが、限りなく自己判断が重要であり、他人に下駄を預けることは自分を殺しかねないということだ。

一方で他人の協力無くして、何かを成すことも難しい。

だが、第三者が他人を率先して救ってくれるとは思わないほうがいい。

皆、自分が生きるのに必死なんだ。

さて、本日は読んだ本でなかなか意外なデータを見つけたので、それを書こうと思う。

コンビニのFC(フランチャイズ)が厳しいのは今に始まったことではないが、現実のデータとして見ると愕然とする。

新規出店と閉鎖店の数が恐ろしい。

こういうのは業界トップが一番強いものとは分っていたが、2位以下の悲惨さは言葉を失うに十分な数字だ。

下記が私が先日知ったおぞましいデータである。

 2005年度計画     新規出店     閉店

セブンイ○ブン      950店     300店

ローソ○          690店     430店

ファミ○ーマート     600店     300店

サークル○サンクス   400店     223店

ミ○ストップ        116店      82店

スリー○フ         32店      25店

有価証券報告なので、出店数は当然大きめに表現され、閉店数は少なめに表現されている物だと思う。

にしても・・・・

業界最大手で過大に見積って、生存率7割である。

2位以下の生存率は50%を軽く切っている。

FCが食えないのがよく分る。

結局、他人任せで他人の敷いたレールに安易に乗ると火傷する可能性が低くないのだ。

他人は私がどうなろうと知ったことじゃないだろう。

皆、自分を潤わせるのに必死であり、結局はゼロサムゲームなのかもしれない。

FC契約は違約金の問題や、契約書に縛られることで痛い目に合う人が多いようだ。

結局、システムを作った者が一人勝ちをし、他人になんとかしてもらおうと頼る者が煮え湯を飲まされるのだろう。

しかも、業界大手のセ○ンの利益率をご存知だろうか?

経常利益率が約36%で、純利益率が約20%だ。

それだけ、個人店のオーナーからピンハネをしているということだろう。

昔、バイトをしていたファミリー○ートで、オーナーがセブ○はロイヤリティーが高すぎると言っていた事を思い出した。

大学の後輩の談合が当たり前のように存在している企業の話でも思ったが、みんな本当に必死なんだ。

善悪ではなく、やらなきゃ自分が食えないからやるし、取れるところからは取っておくのだろう。

結局、対人では相手を見て出方を考えなければならないのだろうな。

海千山千の人物であれば、疑ってかかるべきだろうし、普通に生きてきているような人物であれば先に信じるべき、満たされた人物には誠実が最良の手段ではあるが、そうでなければ化粧をする方が良いかもしれない。

FC権の営業は、おそらく海千山千側だな・・・・

やはり他人に頼ると言う発想はどこかで自分を殺す罠となるかもしれない。

本当に自分のことを考えてくれる他人など、そうは存在しないと認識するべきだろう。

N企画
財務諸表分析をできるようにする



1月9日

多くを望むのなら・・・

やはりどこかの時点で乾坤一擲の博打を打たなければならないのだろうなと思う。

歴史に学ぶ限り、それが肯定される。

織田信長の桶狭間、毛利元就の厳島の戦い、徳川の関ヶ原、紀伊国屋文左衛門の蜜柑もそうかもしれない。

最近ではライブド○のフジTV買収もそうだろう。

ビジネス誌にはあれが裁判で負けていたら倒産だったと書かれていた。

織田が多くを望まず、今川に屈してたら間違いなく歴史は変わっていたであろう。

今川幕府が開かれていた可能性すらあるのだ。

だが・・・

現実は多くを求めた織田が大博打を打ち、勝利を物にした。

しかし・・・・


大きな博打は一度きりにすべきなのだ。

常に寡兵で大軍に勝てる者はいないし、ずっと幸運に恵まれる人間もいない。

織田も毛利も寡兵で大軍を制したのは両者ともに1度だけだ。

それ以外は、必ず敵よりも大軍をもって勝っているのだ。

最終的には正攻法に勝る方法は無いのかもしれない。


一方で多くを望まず、安全を追求することもできる。

確かに失わないが、安全を追求すると天井が見えるというつまらなさがある。

私が思うに、天井が見えていることもかなりの苦痛じゃないだろうか?

どこまでいっても頭打ち、これは自分の可能性の否定であり、特別であるという自分の否定だ。

たまらなくならないのだろうか?

私自身、大した才があるわけでもないが、不才なら不才なりの方法で可能性だけは追求していたいと思うのだ。

その私が多くを望んだ結果が中国株なのだが・・・

現在のところ、このペトロチャイナは出来すぎなくらいうまくいっている。

私が会社員時代、可能だった貯蓄の金額は月々3万円だった。

ところが、このペトロチャイナは一度売って、10月20日に買い戻したのであるが・・・

それから3ヶ月で月々10万円ほどの含み益を生んでいる。

私が労働している時の3倍のスピードだ。

有り金と将来手にする可処分所得の大部分をこの銘柄1点に張るのが、現在の私の乾坤一擲の勝負にあたる。

多くを望むからこそ、リスクを取らなきゃならない。

失う可能性も十二分にあるが・・・・

失うことを恐れるのなら、多くを望んじゃいけない。

私の乾坤一擲・・・

どんな答えがでるだろうか・・・

N企画
いつまでにいくら欲しいのか再計算



1月8日

逆転

面白いことが書かれていた。

私の崇拝する株の現人神ウォーレンバフェットが持つコ○コーラ。

そのコカ○ーラが1919年に株式上場して以来初、株式の時価総額でペプシ○に抜かれそうになっている。

一時は2倍以上の差が存在したらしいが・・・

2005年の12月の時点でその時価総額の差は約20億ドル。

2%だ。

これを見て、思うのだが、コカコー○の持つブランド力は凄まじいが、それでもどんなものにでも栄枯盛衰はやってくるということだ。

永遠の強者とも思えるところにすら、綻びは必ず起きる。

消滅することは無いにしても・・・・

もしかしたら万年ペプ○コに勝てない企業になるのかもしれない。

米国もこのまま中国が台頭するとアジアにおける影響力を失う。

感情を抜きにして、キャピタルフライト(財産の海外への移転)を中国にするのがいいのではないかと思える。

覇権は移ることは否定できないのかもしれない・・・

鎌倉幕府も足利幕府も徳川幕府もすべて革命が起きて、変わった。

日本国はいつまで、今の日本国でありつづけるだろうか。

逆に言えば国債の自転車操業の飽和点はいつやってくるのか・・・

それが気になって仕方がない。

やまもも日記

今日もやまももの営業だ

昨日は何故か、何人かの来客があり、意外だった。

もしかしたら有馬記念を境とした急激な変化がやまももにも訪れたのかもしれない。

今日も誰も来ないだろうからと船を漕いでいると・・・・

12時ごろ・・・・

有馬記念の日に来てくれた男性がリピーターとしてやってきた。

兆しを感じた。

その男性は気持ちよく馬券を3本も当てたので、それなりに注文を取ってくれたのだが、酒が飲めないらしい。

手っ取り早い売上げを期待することは出来ないが、誰かを紹介してくれるかもしれない。

そんなことを思っていると、これまた意外にも友人が連絡無しで来てくれた。

わざわざ手土産まで用意して。

ありがたいことだ。

それだけ私に重要だと思ってくれている情報を発してくれているのだから。

なんらかで応えなければならない。

さらに、いつもの老人とその老人が政治談義する相手の男性が現れて・・・

本日の来客は4名。

何かが、変わりそうな気がする。

やまもも総営業時間516時間
やまもも売上げ125000円+4300=129300円

時間あたりの販売価格約250円



1月7日

自己責任の再認識

穿った受け取り方なのかもしれない。

だが、私はそう思った。

今、結構売れている書籍に「あおぞ○」という本がある。

全部は読んでいないが、3章くらいまでは立ち読みした。

内容は非常に過酷な体験をした少女の手記で「生きる」というテーマだと思うのだが・・・

書評を読むと、感動したといった内容が書かれており、おそらくそういった救われる内容が書いてあるのだろう。

だが、前半の不運としかいいようがない、いや、あるいはそれさえも確認を取らなかった本人の自己責任だと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが・・・・

中学2年生の女の子にそこまでの自己責任を求めるのは酷だと思える事件。

それがきっかけになった。

だから、不運であると思う。

だが、その不運の後・・・・・

さらなる不幸を招いたのは自暴自棄となった本人が行った行動が引き寄せたとしか思えないのだ。

私も学生時代に犯した過ちがひとつある。

それは学生時代は怠けても良いと思っていたことだ。

ロクに学校にも通わず効率よく卒業することが、自分の中で格好のいいことだという勘違いをしていたのだが・・・・

その時、感じたことと共通なことを感じた。

それは如何なるときでも、自棄になってはならないし、怠けてもいけないのだ。

私は自棄になったことはあまり記憶に無いが、それが更なる不幸を自己責任で呼ぶことになると思うのだ。

自棄になってグレているという自己主張をする格好をする。

それだけで、対外的にはグレテいますよと言う情報発信となる。

その情報だけを受け取った人間が、果たしてその人物を普通の人として重んじてくれるかどうか?

私はそこに感じたモノがあり、結局自己責任だったのではないかとその本に対して思ったのだ。

非常に冷淡で穿った見解なのかもしれないが・・・・

そして怠けることも、数年後の自分をきっちり殺す。

結果的に言えるのが、やはりすべては自己責任であると言うことだ。

失敗をするのも、知らない自分が悪いのだし、他人に軽んじられるのも、それを招くような情報を放った己に責任がある。

だから、極力最善を尽くさなきゃ、絶対に良くならないと思うのだ。

投げることが一番、自分に更なる負の何かをもたらせるのではないか?

私は足掻く人間と足掻くことが好きなのは、こういった意識が根底にあるからかもしれない。

神は自らを助くる者を助く。

聖書の言葉もあながち間違いではない気がする。


やまもも日記

冬の航海は辛い。

いくら暖房をつけても、体温が下がるため寒くて仕方が無い。

まあ、どうで15時ごろまで誰も来ないだろうし、ゆっくりと船を漕ぐとするか・・・

そんなことを思いながら、もう時代錯誤といってもいい大学生時代に買ったロングコートを被る。

どのくらい時間が経っただろうか・・・・

あまり経っていない気もするが・・・・

やまももの扉が開いた。

誰だ・・・?

といっても客以外いるはずがないではないか。

いらっしゃいませ

私は飛び起きながら言った。

初顔の客だ。

リピーターになってくれるか否かは分からないが、午前のレースだけ見たいそうである。

話を聞くと、市場の仕事の帰りに馬券を買って帰るつもりだったらしい。

ビールを飲むとすぐに帰っていった。

だが、本来の目的の父の夜の営業の広告に手応えがあったので、良かった。

その後、再び航海に出た。

だが・・・・

またもや、カランとやまももの扉が開いた。

見知らぬ老人が立っているが、すぐにできる食事が無いと知ると去っていった。

やはり料理できるようにならないとまずいかもしれない。

だが、年明け初日の営業から幸先がいい。

明日にも期待したい。

その後、常連の老人がきてくれた。

やまもも総営業時間508時間
やまもも売上げ123400円+1600=125000円

時間あたりの販売価格約240円




1月6日

先々の戦略

それをどうしても考えてしまう。

理由は、知らないこと、つまり不知がすべての問題の原因であり、先の戦略がないと大体自分にとって望ましくない結果が起きる。

会社員時代もどれだけ、知らないことが私に辛酸を舐めさせたであろうか?

さて、そんなわけで私の先を考えるに、もう投資で一か八かの勝負をしない限り、最初から最後まで勝てない状況から抜け出せないと結論付けた。

例え、負けたとしても結果は同じなのだから、それでも可能性を追ったほうがいいと今でも言える。

それに、0になる確率はかなり薄いし、運と実力を兼ね備えた人物に乗っているという部分もあり、大負けという結果はないという自信がある。

さて、問題はその運と実力を兼ね備えた人物がこの世を去った後と、私のその後の戦略だ。

現在、私はペトロチャイナを原油の有限性と、必要な物であることと、ウォーレンバフェットが保有していること、途上国の進化のためにはオイルが絶対必要で需要がしばらくなくならないこと、ペトロチャイナが既得権益を持っており、独占性が保たれていることを根拠に保有している。

だが、問題は代替エネルギーとウォーレンバフェットの死だ。

これが起きるとどうにもならなくなる。

私の昨年度の運用パフォーマンスは総資産の50%。

これが10回できれば、57倍になる。

つまり、10年間このパフォーマンスを継続できたら億の経済力が掴めるのだ。

だが、取らぬ狸であることは否定できない。

現在のところ、代替エネルギーは高コストであること、オイルを売ることで利益を得ている側の政治的・経済的圧力といったもので、まだ安心できる。

だが、友人のドバイの話でも再度思ったが、産油国が脱オイル化をはかっている。

これはいずれオイルではどうにもならないということを理解しているし、受け入れるつもりであることを暗示していると私は受け取る。

しかし、これは問題だ。

何故なら、現在の株式市場といった投機性のあるものの上昇はこういった産油国の、オイルが枯れたときの将来を恐れている人たちのオイルマネーがそのときに備えてつぎ込んでいる側面が否定できない。

オイルが枯れたり、不要になればオイルマネーがなくなり株式市場は上昇しない土壌の要因となる。

こうなったら、世界的に退職者などを含めて、暴落の要因となる材料しか私には思いつかない。

その際にどうするか?

それを思考しているのだが、未だに答えが出ない。

しばらくは現在の戦略でいいのだが、その後だ、その後の方針と戦略が決まっていないことが問題なのだ。

材料が足りないのかもしれないが、対策を知っていることであれば、火傷はしない。

だが、対策すら考えていなかったら・・・・

大火傷を負う可能性が非常に高い。

オイルの後はどうするか?

しばらく、私のテーマはこれだけだ。

世の中は結果的には道理どおりになることが多いと思うのだ。

オイルが有限で必要なのは道理だ。

しかし、それが否定されると・・・・

次の道理は何になるだろうか?

絶対に一発逆転をしたいと願うから、思考はとまらない。

だが、材料も足りず答えがでない。

もどかしいが、常に意識していて、情報摂取を怠らなければインスピレーションが沸くこともあるだろう。

N企画
どうなるのが世の中の道理となるか思考することを泥酔教のテーマにする



1月5日

功名が辻

司馬遼太郎の作品を先日買い、3冊と半分を一晩で読んだ。

「人間というもの」と「黒田官兵衛」の話を読んだ時も感じたが、人間をよく知っていると感じた。

今度、NHKの大河ドラマで「功名が辻」をやるらしく購入したのだが・・・

分っているのに、何も言わずに譲ることというのは非常に難しい。

しかし、この土佐の国主山之内一豊の妻の話はその部分に長けていると思わされた。

やはり、人間が分っていないと人間の作る社会など分らないだろう。

本当に、とことん人なんだ。

組織でもなんでも、良くなるのも悪くなるのも、そこにいる人間次第。

だから人間を知らなきゃなと思う。

いや、そんなこと言われなくてもとみんな思っているだろう。

私が小説、特にホラー物を読むのは、人間の心理がよく描かれているからで、おそらくあれは作家の基準と心理なのだ。

少なくとも、作家という人間のもつものには触れることができる。

大体が共感できる部分が多いのだが、それは作家が多くの人間がこう思うだろうなと思うことを書いているからなのかもしれない。

が一方で、理解に苦しむことが書かれている事もあり、それがその作家のオリジナルの価値なのかもしれない。

話がずれたが、司馬遼太郎の人間を見る視点はかなり面白い。

一度読むことをオススメしたい。

N企画
不眠不休で煎餅試食



1月4日

インドにおけるシャンプー販売の話

を読んだ。

少し思うところがあったのだが・・・

基本的に企業がモノを売る対象というのは高所得層をターゲットにするわけだが・・・

低所得層にも販売が可能になれば、ビジネスチャンスの増大につながる。

そのために、低所得層をターゲットとした販売の仕方が書かれていた。

それが量り売りである。

父や高齢の方から、たまに聞くことがある醤油や酒などの量り売り。

まとまった金額を出せないから、最小単位で販売しようと言う業態だ。

どうも、1回きりの使い捨てのシャンプーがインドで売れているらしい。

まとまった容器では購買力を持たない層にそれを買って貰う為の戦略だ。

これは確かに面白いと感じる。

だが、一方でルームランナー上のランナーを作り出すきっかけでもあるんだろうと感じるのだ。

実際に、モノを少量化すれば、価格は手頃になるが、価格に対する分量の割が下がってしまうことは否定できない。

つまり、少量の方が利益率が高くなってしまう。

その代わり、手の届く物になる。

だが、これはそれまで存在しなかった新しいコストの誕生になると思う。

つまり・・・

選択権は確かに消費者に与えられているのだが、新コストは経済的な変化を望む者に対して目的を遠ざけることになるのではないかと思うのだ。

結局、高コスト状態であることは本人をルームランナーから降ろす事を許さない。

企業でも個人でもそうだが・・・・

変化を望む場合は、コストを減らし収支を上げるしかない。

ただ、低所得層にとって手の届く新コストの誕生は、やはり搾取する側とされる側の存在を浮き彫りにさせるような戦略に感じた。

面白いとは思う、だが・・・・

その戦略に躍らされる側ではありたくないという感覚に襲われた。

何を目的にするかで正誤は変わってくるのであろうが・・・・

私の目的においては、新コストを極力作らないことが正解なのだろうと思う。

だが、一方で必要なコストをかけることも重要なのだが・・・

N企画
一日で何冊本を読めるかの記録に挑戦



1月3日

牛丼屋の異邦人

私は基本的に、人種による偏見に対しては疑問を感じている。

実際にその個人に問題があれば、話は別だが、私の中で人種による決め付けや部落差別といった行為が知的なそれとは思えないのだ。

なので、極力異邦人に対しては同様であるように接しているのだが・・・・

人種に問題があるのではなく、その人種が受けてきた教育に問題がある。

そこで、本日も教育不足というものを目の当たりにしたのだが・・・

私は本日、夕食をチェーンの牛丼屋で済ませた。


だが、2度と利用しないことを心に誓った。

その理由は店員の客対応の悪さだ。

その店員は女性の中国系の店員だったのだが、注文をしても違う物が届くし、こちらが丁寧に伝えても、返事も非常に横暴なやり方である。

会計も頼んだ物と実際に出てきた物とも違う金額を提示され、且つ、お釣を出すのに小銭が無いからと平気でいつまでも私を待たせた。

正直、食事を出すと言うサービスを受けたことに感謝はしているが、私は一方的にして頂いているわけではない。

対価は支払っているし、少なくとも対等以上の状態にいたわけだが・・・・

それでもやってやっているという店員の態度に、対価を支払っていることで免責性が存在する私は、かなり不快感を感じた。

だが、これも店長の教育不足が原因なのだろう。

私は選択権を持っているし、この店の店長に代わってこの店員を教育するつもりも無かったし、とてもリピーターになりたいとは思えなかったので・・・・

黙ってお釣を受け取って帰ってきた。

だが、自分が顔となっている場においては、たとえそこに自分がいなかったとしても、その場にいる存在が自分を表すことになるのだと痛感した。

2日に、やまもも常連の老人の家に、一晩、徹夜で麻雀をさせていただいて、自動麻雀卓を使わせていただいたのだが・・・

友人達は私の顔を立ててくれて、ゴミ一つ残さず帰ってくれた。

それに、どう思っていたかは分らない。

それでも、老人の話を老人を不快にさせない聞き方をしていてくれたと思う。

これは私の顔を考えてくれてのものだと思うが・・・・

自分がいない場でも、自分が仕切ったら責任は自分だ。

分っている人に察してもらうことは非常に楽なのだが、問題は分っていない人なのだろうな。

そして国柄が違うと教育が違うから日本人から見て分っていないと思えてしまう異邦人は多いのだ。

その場において、分ってもらえるように伝えること、この牛丼屋の店長であれば、リピーターを作るための従業員教育をきっちり行うこと。

国柄ではなく、必要な事は絶対に理解してもらえるまで伝えなくてはならないのだと感じて仕方が無い。

ビジネス誌を読むと繰り返し理解してもらえるまで同じ話を社員にすると多くの社長が言っていたが、この牛丼屋の店員を見て、共感するところがあった。

N企画
クリスマス用にシングルベルをオリジナル作成



1月2日

根回しとプライドの話

非常に私的な更新になってしまうのだが・・・・

特定の人物に真意が伝わらなかったかもしれないことと、私の説明にまとまりがなかったかもしれないので、その人物の先のためと私が自分が器が小さいからそれを言ったのではないと主張するために書いておこうと思う。

まずはプライドの話だが、私は実はこれが低い人間などそうは存在しないと思っている。

本人が自覚しないところでも、それは着実にもあるなと感じさせられることはあるし、人間の行動の動機にはマズローの主張通り、名を強く意識する部分がある、実際に名のために命を賭す人間すらいるくらいだ。

だから、他人のプライドを叩き潰す行為は、少なくとも自分にとって協力を取り付けるための行動ではないことを私は確信している。

実際に、分っていて完全に実行できているとは言いがたいが、私なりに分る範囲では実行をしている。

さて、その際に、1つの組織で利害関係のある無しは問わないが、順位付けを明確に行おうとする組織はあるだろうか?

もちろん、順位をつけるのは組織内の協議ではなく、判断は誰かに委ねるとして。

おそらく・・・・

それをやりたがる組織は存在しないだろう。

その理由は、順位付けをすることでトップ以外のすべての人間がその判断をする何らかの審判の目において、トップには劣ると突きつけられるからだ。

自分がトップより劣っていると言われた2番手以下が、その組織で皆仲良く頑張りましょうとは絶対にならない。

相当な差があると本人が自覚しない限り、違う場所ではその順位付けを引っくり返せるよと自己重要感が自分に囁く。

つまり、自分が劣っていると他人に言われることを納得できる人間はそうはいない。

だから、企業内だって私の前の会社は同期で同部署の人間は必ず、同時に昇進させたし、他部署の人間で同期間に差がついたときは、事前に組織の上層部による根回しを行ったものだ。

それに、大体同期間で差がついたら、差をつけられた方が辞める。

私でも、相当その屈辱を耐えることで先がある根拠が存在しない限り、辞表を次の日にでも叩きつけるだろう。

だから会社にとってその人物が必要でどうしても差をつけなければならないときだったら、自分のことをどうでもいいと思っているなと思われないために、根回しをしたり配慮をしたりするのだ。

逆に、それをしないということは、対象に自分にとって対象が不要であると伝えるようなものだ。

だが、もし、その順位付けが明らかになる方法で、かつその順位付けの対象が2名だったとき・・・

1名がもう1名に事前に何も言わずに、この順位付けをしてきましたよと言う話をして、自分がトップであなたは私に劣りますよという話を聞いたとしたら・・・

聞かされた方はどう思うだろうか?

自分の知らないところで、勝手にそんな話が進み、その結果だと言われて、自尊心が認めるわけが無い。

かなり気分を害すことは間違いないし、じゃあ、こちらも黙ってその結果をひっくり返すことで、その順位付けの反転を証明しようと試みるだろう。

もしくは、企業の社員として違う場での順位付けなら引っくり返せると思うだろう。

だが、先にその順位付けにあたることをするけれども、そういった意図ではないことを伝え、相応の根回しをしたとしたらどうだろうか?

そこには相手に配慮をしていますという情報の発信と、大義名分が出来上がる。

相応に名を惜しむ者としては、大義名分があれば、納得はするし、名を惜しむからこそ何も言わないし、何も言えない。

また、根回しとしての話をすることは対象への器の信用だ。

対象に話をした時に、面倒なことになりかねないのではないかという対象が狭量であるという疑いを持っていないことと信が存在することの伝達になる。


逆に何も言わずに、事後結果でこうでしたという話になった際・・・・

一方の対象がその順位付けの結果を、自分に不利であれば、事無きを得るだろう。

がしかし、有利であった際にそれは明確になり、もう一方に知れることになる。

知ったほうは、出し抜かれた感があり、その順位付けに対して、何も感じずに済むだろうか?

少なくとも、いい気分はしない。

問題なのはその判定をする者がどういった者なのかではなく、一方に唐突に共通の知る判定者の判断による順位付けで劣りますよと伝わってしまうことなのだ。

そして、敢えて既存の組織間でその順位付けをせねばならなかった時に・・・

その相手に劣勢である順位付けを伝えるリスクに対して、どう事前に対応するかで、その人物が思っている、比較の対象の重要度が伝わる。

当然、何もしなければどうでもいいと思っているとしか思えない。

友人に面と向かってあなたはどうでもいいと言われて、気分を害さない人間はそうは存在しないのではないだろうか?

さらに言えば・・・・

順位付けを行う腹積もりで、その話を対象にしないまま、そのタイミングがやってきたから順位付けをやると言う話をするというのは、タイミングが来なければ、するつもりは無かったし、対象にいきなり順位付けの劣勢を与える可能性に対して抵抗を感じないというように受け取れる。

そして、結果が出たときに、相手が劣勢にいたら、その時は相手の出方次第で野となれ山となれというのは、本当に相手にどうでもいいですと伝えることにはならないだろうか?

順付けをする行為自体は、私は道理に反しているとは思わないが、ただ、その行為で対象のプライドを叩くことになりかねない際に・・・

そのことを考慮しないことは問題だと思うのだ。

今後のためになればいいと思うのだが・・・

N企画
大きな杯を購入




1月1日

円の中心と視点と慣性と

2005年度も学ばせてもらった事が多かった。

やはり、思うのだが結局、突き詰めてしまうと現状の世の中のシステム、つまり社会で生きることを前提にすると、人間と言うものを避けては通れないのだと思う。

私は、常々主張しているが、金は他人のために使うモノだと思っている。

同様に、思考も他人を考えることがメインになってくるのではないだろうか?

そのため、私自身はNスポでも私と言う人間の思考と他人をどう考えるかをネタにしていることは少なくない。

それで感じたことがあるのだが・・・・

「盲人と象の話」

を聞いたことはあるだろうか?

数名の盲人が像というのに触れて、各々が言った台詞が下記のとおりである。

鼻を触った盲人は、象はホースのような存在だと言った。

尾を触った盲人は、象ははたきのような存在だと言った。

皮膚を触った盲人は、象は壁のような存在だと言った。


簡略すれば、どこの視点で象というものに関わるかでそれぞれ受け止め方が違うということになる。

つまり、円の中心の点が象だとして、それを囲うその円を作り出すそれぞれの点と中心を直線で結んだ時・・・・

線一つ一つの角度は違う、十人十色であることは明白だ。

だが、もし仮に、それを分っていたとしても、その円の中心にいる象がはたきのような存在であると認識している人物が、別の象を連れてこられた時・・・・

尾から触れさせなかったら、それが象だと言われても信じないだろう。

逆に尾から触れさせれば、やはりそうだと確信し、ますます、象ははたきのような存在であると確信を深める。

つまり、最初にどこかのタイミングでそうだと感じた物に関しては、人間は心理の慣性が働くのだと思うのだ。

言い方を変えれば、レンズが赤いサングラスをかけたときに、赤色以外に周囲のものが見れるだろうか?という話になる。

このサングラスが心理の慣性である。

だから第一印象が大事であると言われるのだ。

第一印象が、心理の慣性を生み出し、かつカラフルな世界を単一色にしか見せないサングラスをかけさせることになるのだから。

疑念もこの単一色のサングラスをかけさせることと同様になる。

警察官がすべての人を悪人だと思ったり、私が以前に話したお金を持ち逃げされた同級生が他人がみんな悪人に見えるのも、単一色のサングラスをかけてしまっているからだろう。

きっかけは何かは知らないが、疑念のサングラスをかけてしまうことと言うのは、他に対する信の存在が無いということなのかもしれない。

ブログの方でI氏の話でも書いたが、信じることというのは難しい物だ。

N企画
ヘルシア1L一気飲み