Nスポ


12月31日

2005年

もこれを書いている時には終了してしまった。

社会的な生活を営んでいないと、どうも年末を感じる機会がない。

本日が大晦日で明日が元旦である意識がまったくないのだ。

これは少々問題だなと感じながら・・・・・

今年は8年ぶりに年越しを自宅でした。

毎年、山下公園にカウントダウンを聞きに行き、そのまま初詣をしていたのだが、今年は同伴する対象がいなかったため、自宅で過ごした。

自宅で年を越すとあまりに日常と変わらないのでより実感が薄れる。

さて、そんな中、私が唯一視聴するスポーツ格闘が大晦日は注目を浴びている。

それで、ちょっと思うところがあった。

やはり、温室にいることがその人間を腐らせるのだなと。

それはプライドの小川VS吉田を見ていて思ったことなのだが・・・・・

この手の試合は真剣勝負だから面白い。

しかし、普段やっている格闘の内容がエンターテイメント色の強いプロレスの選手であくるとよく負けるのである。

異論を持っている人もいるかもしれないが、私はプロレスというものにはエンターテイメントの要素が強く、真剣勝負であるとは思えないのだ。

人はあんなに簡単に投げられないし、K−1を見ていると思うが、一度でもクリーンヒットしたら即ダウンなのに、あの種目に関しては何度でも立ち上がるし、避けようとすることがない。

やはり、ショーである要素が強いのだと思ってしまう。

普段からショーでやっている者と真剣勝負を続けてきた者で勝負をすれば・・・・・

当然、キツイ方にいた人物が勝つのが必然なのだ。

実際に、軍配は吉田の方に上がった。

このことが示唆するのはなんだろうか?

やはり、楽な方を選択してはならないということなのではないだろうか。

本当に楽に走るのは簡単だ。

継続していることを放棄すること、始めからやらないこと、どれも楽で仕方がない。

だが、楽を選択すると、自分のためには決してならない。

若い時の苦労は買ってでもしろと言われているが、実際に最低のと最高の幅を知っていなければ・・・・

ちょっとキツイことがあると、比較する対象がないから心がすぐに折れるようになってしまう。

折らない心を手にするために、辛い体験が必要なのではないかと感じるが・・・・

なかなか、分っているこのことを実行するだけの強靭な意志を持っていない。

だが、試合の結果が、すべてを物語っている気がしてならない。

N企画
プライド観戦
(やまもも日記はやまももが休業のため、おやすみです)



12月30日

比較論者

穿った見方なのかもしれないが、私は皆、比較論者だと思っている。

すべてを満たされている人間はそうは存在しないから他人と比較することで勝っている部分で満足する。

そういった一面が無いとはいえない。

私は物事を勝負で考えることが多いが、そうじゃないと主張する人間もいる。

確かにそうじゃないと思いたいのだが・・・・

比較はしないのだろうか?

私は比較をしない人間などいないのではないかとすら思う。

比較をしてしまう以上、勝ち負けなのではないかと思うのだが・・・・

本当に、世の中は面白いと思うのが、すべてが比較論者だという視点に立ったときに、ジレンマが存在するのだ。

それは、比較論で優位に立つ事で満足を求めた場合、付き合う人間が自分に何かしらで優越感を与えていなければならなくなる。

だが、それだとその人間に競争の原理が生まれず、切磋琢磨がない。

しかし、逆に優秀すぎる人間とだけと付き合うと劣等感にさい悩まされつづける。

卑屈な人間の出来上がりになる可能性が否定できない。

結局、人間はプライドの生き物であり、どんな人間もプライドを持って生きている。


プライドの示し方は、個人によって差異が存在するが、どうしてもその存在を考えずに対人関係をこなすことはできない。

よく思うのが、他人のプライドを考慮しないやり方は結局、自分に仇なす結果となると思うのだが、他者のプライドを踏むことで自分のプライドを守っている側面がある。

12月21日のMアンドAの弊害の時も書いたが、力押しというのは結局、反発を招く理由が他者のプライドの踏み潰しに原因があると思うのだ。

比較をすると言うこと自体、他人の中での自分の位置付けの探求じゃないだろうか?

そして、それによって幸・不幸を計ることは人間のプライドの比重の重さを証明している気がしてならない。

だから、他人の顔、つまりプライドを考慮した上で、行動する必要があるのだ。

だが、表面的な相手のプライドのために分りながらも折れてやることは難しいと思うことが多い。

分りながら折れてやることができる人はすごいとよく思う。

なんとなく、まとまりのない更新になってしまった・・・・

N企画
明日の格闘をすべてビデオ録画



12月29日

やはり歴史は繰り返すのだろうか?

今週のビジネス誌を見る限り・・・・

2007年問題と言われている団塊の世代の退職を前提とした求人難が始まっているらしい。

話を聞く限り、バブル期は人材の雇用のために社員に車やスーツを与えたと言うのだから驚きだ。

今では想像もつかないが、同じようなことが繰り返されるかもしれない。

しかし、逆に言えば、ここで乗り遅れると先は暗い。

2006年は転職に向いている年なのではないだろうか?

市場原理として需要が供給を上回れば、当然商品価値は上昇する。

経団連の奥○会長が春闘の賃金アップ交渉を容認する発言をしたことからも、このことが伺える。

ようやく、デフレからインフレに転じようとしているのかもしれない。

しかし、デフレからインフレに転じると言うことはチャンスだ。

そう、これから与えられる紙幣の価値が落ちていくということだから、逆に言えば、投資をする者としては悪くない。

だが、最近の相場は加熱しすぎだ。

だから、降りどころと勝負どころの匙加減が難しいのだが・・・・

ようやく、明るい話題が実体験レベルで味わうことができそうである。

それにしても・・・・

今年の有馬記念の売上げは499億円と言っていた。

バブルの弾けた後の1995年でさえ830億円だったから・・・・

どれほど、末端にお金が回らなくなったかがよく分る。

少しは改善するのではないだろうか・・・

N企画
オールド回顧の会を結成



12月28日

発信と受信の比例

過去にも何度か書いているのですが・・・・・

情報は発信する者のところに集まると言われているように・・・・・

情報の発信量と受信量は比例すると思います。

本日も私のブログの方のリンク先の方で面白い情報を耳にしました。

何でも、書店で老夫婦やOLなどの俄か投資家が投資の本を読み漁っていることを目撃したそうです。

そう言えば、私の大学の後輩も今週から株を買うといった事を言っていました。

皆が大丈夫だと思って参入する時が天井と昔から言われています。

しばらくは様子見で早めにブレーキをかけなきゃならないと思いましたが・・・・・

こういった情報も、私が情報を放つという行為をしていることが原因で入ってきています。

やはり、情報の発信と受信は比例するなと感じました。

少々、本日は泥酔教を布教してきたので、公にすると少し気恥ずかしい気がする内容を酒の所為にして書こうと思います。

さて、プロフィールの方のホムペの目的に情報の共有と自分のメディアを持つことと記載していますが・・・・

2年間、毎日更新をすることで、実は学んだことがあります。

そして、どちらかと言えば、現在は目的がその学んだことになりつつあるんです。

端的に言ってしまえば、営業ツールなんです。

言い方は良くないかもしれませんが、人間は生まれた頃から、両親に友人に、面接官に先生に、取引先に、異性に営業していると言うのは嘘ではないと思うんです。

そう、友人には自分といると面白いし、安心できますよと営業しているのではないかというのは私には否定する材料が見つからない。

もちろん、直接的にそれをするわけではありませんが、行動や言動などで無意識の営業を行っている。

当然、社会は人が織り成すものですから他者になんらかの方法で自分を買ってもらわないとどうにもなりません。

会社に入ることも学校に入ることも、自分の売り込みの結果です。

例えば、豊臣秀吉が織田信長に買われなかったら・・・・・

絶対に今ごろ、、そんな氏名は歴史上存在しないし、木下藤吉朗って誰だ?という話になっているはずなんです。

その信長にしたって、数多くいる他の父信秀の子供から跡取に選ばれたのも、なんらかの営業を信秀にかけて認められたからです。

そう、前提として常に人間は何かに対して営業をしているという認識が私にあります。

ところが・・・・

営業のかけ方にも、効率的・非効率的が存在し・・・・・

個々に会うという方法は確実ですが、非効率的です。

それに最後に会ってから時間が経ってしまうと、どうしても印象が薄れるし、距離感が存在することは否めません。

結局、この距離感が信用することを邪魔し、腹を割った話などをさせないことがある。

さらに言えば、結局信じる自己基準に乖離が存在する人と会って会話をした場合・・・・

それが分るまでに時間がかかる。

ですから、個人個人が持つネットワークの規模には普通のやり方では限界があると思うのです。

私はそのネットワークの規模を大きくすることと、私の営業を個人個人に私がするのではなく、このホームページにアップした内容に営業をしてもらおう・・・・・というよりも、そうでなければ時間が足りない、そう考え、それが目的になりつつあります。

結局、継続していること、そう継続すると宣言して継続すること自体、信頼の構築の一環ですし、言葉でない以上推敲ができ、本意じゃない内容、つまり誤解を避けることができる。

大体、対人関係における失敗と言うのは、言わなくていいことを言ったり、やっちゃいけないことをやったりすることが多いと思われます。

逆に言えば、継続して見てくれている人と言うのは私と価値観が近く、そういった人に対しては私が個々にこういった価値観であるといったことを伝えなくても、ここに更新するだけで何人もに伝わる。

私営業支援ツールとしては非常に優れているなと感じさせられたことが多かったです。

これはやっている者としての実際に体感したことなので、継続していることで様々な用途や有利なことを思い浮かべることが多いのです。

例えば・・・・

私が再度、就職をして、営業を行うとして・・・・

こういった私的なページをお客さんに知らせて、お客さんが面白いと思って見てくれたらどうでしょうか?

私は黙って更新するだけで、何人もに営業をかけることが出来ます。

それに私が話のネタを用意しなくても、この更新ネタでお客さんの方が話を振ってくれるかもしれない。

さらに言えば、12月19日のNスポで書いた信用の話で書いたように、先に自己開示をすることを勝手にこのページがやってくれるのだ。

なかなか便利な方法なのではないか?

そう考え、私の自動営業システムとすることが最近の目的となっている。

だから、嘘は書かないけれども、悪い思考や他者を不快にさせるような内容は化粧の意を込めて、省いている。

少なくとも、何かを売るのに、この商品のここは悪いですよと売る営業など存在しないだろう。

今日の更新自体が私自身の営業に差し支えがあるかもしれないが、ただそれでも、なるほどと面白がってくれる人も存在するかもしれない。

そういった人が私を否定的に捉えることは無いだろう。

結局は、誰かのためになったりすれば、それはそれで、私自身の営業となるのだ。

少し、酔っているので、発信者としての思考を書いた。

誰かが参考にしてくれたら、それはそれで幸いだ。

N企画
来る営業復帰用に住所と電話番号を省いたプライベート名刺を作る



12月27日

年齢差のある友人を持て

とよく言われていますが、最近よくその理由が分ります。

ここのところ、個人的にやまもも常連の68歳の老人と懇意にして頂いているため、なかなか学ぶ機会が多いです。

やはり、人間はいたずらに年齢を重ねているわけではなく、それこそ酸いも甘いも噛み分けて生きてきた人が多数です。

よく、メンター(師)という言葉が使われますが、やはり年上の人からは学ぶことが多い。

半世紀くらい年齢が離れているとなおさらです。

そして、やはり年下からも学べます。

というのも、過去の自分を見る部分あり、不足を知ることが出来ます。

やはり、社会に出てそれなりの痛い目に合うと、お金を支払っている立場であるお客様である状態から、お金を受け取ることによる責務を知ります。

そうなった時に、人間の感情や青臭さといったものの重要性を知ることになると思うのですが・・・・

過去の私を振り返っても、感情や青臭さを軽視する傾向があったのですが、年下には同じ傾向を感じます。

ですが、年齢を重ねると、情や義理といったものの重みが増してくる。

その義理や、キャッチボールの返球や対人に対する考え方といった内容で非常に勉強させていただけている。

やはり、年上の友人は必要だと再認識させられます。

私が小学校の低学年の頃も、遊び場のようなところに行くと、小学6年生といった年上から刺激的な遊びや、知識を学ぶことが多かった記憶があります。

しかし、いつの頃からか同じ年齢の友人としか遊ばなくなり、世界が狭まった感がありました。

ですが、ここにきて学ばせてもらえると思う人と時間を共有できることに幸運を感じます。

29日も東京の方に一緒に行くのですが、対人に関する考え方や返球の仕方といった部分で感心させられることは多いです。

折角の機会なので、老人が生きてきた経験で学んだことを少しでも吸収できたらと思います。

N企画
リストカッター全員に泥酔教を布教する



12月26日

体験しなければ分らない

のだなと思う。

結局、他人の言葉と言うのは真意の50%も伝わっているかどうか怪しい。

何故なら言葉一つとっても、それは抽象的なものであり、私が認識している1つの言葉と会話の対象が認識するその言葉の解釈は一致しないからだ。

赤と聞いて脳内に私がイメージする赤と会話の対象が想像する赤が一致しないことと同じだ。

私がよく主張する「信用」という言葉も、私が思考する「信用」と読み手が想像する「信用」はかなり差異があるだろう。

読書などをしていても、読んだ当時に、言葉の意味を浅く捉えてしまうことはありがちである。

しかし、後ほどなんらかの手痛い経験をした時に、その言葉の本当の意味が分ったりすることは多多ある。

いくら私が信用と言う言葉を使って、物事を主張しても、結局、実体験上で信用が対人における最重要要素だと認識するような体験をしない限り・・・・

当人にとっては、どこか遠い他人の綺麗事でしかないのかもしれないなと感じる。

そう、結局、他人の言葉と言うのはいくら意味深で含蓄があったとしても・・・・

当人にその言葉の意味を裏付けるような実体験が存在しなければ、非常に薄いものでしかない。

実感する何かがない限り、人の言葉と言うのは薄いものなんだなと感じる。

過去の自分に振り返ってもそうだが・・・・

年齢が若い時と言うのは、何故か青臭さや熱さといったものが非常に子供じみたものに感じるのだが・・・

年齢を重ねるにつれて、逆にそうなれない人間が勝てないことを思い知る。

実体験がなければ、結局はどこか遠い他人の話でしかないのだろうなと思ってしまうが・・・

正しいかどうかは定かではない。

しかし、自分が経験したことで誰かの学習になればなと願う。

だが、おそらく私が伝わればいいと思うぐらいの年齢の人物には実体験がないから伝わらない。

結局、人は自分で経験し、失敗をして原因を思考しなければ分らないのだろう。

その時の理解のために、人の言葉を聞いておくことが役に立つことはあるのだろうが・・・

変化をすることでしか現状は変わらない。

しかし、変化をするためには現状の問題と解決の仕方を考える必要がある。

その答えを求めるためには体験が必要だ。

思考しているだけでは堂堂巡りになってしまう。

行動+思考が必要なのだろうな・・・


N企画
一日中飲酒



12月25日

保温庫

が売れているらしい。

よくコンビニなどでも、暖かい飲物を入れるようなケースのあれだ。

確かに私も以前から冷蔵庫は存在するのに保温庫が存在しないことに疑問を感じていた。

適度な温度で暖かいままにモノを保存することができたら、電子レンジが不要である気もする。


そもそも、電子レンジに求められる機能が冷えた物を温めることであれば、最初からずっと暖かい物はレンジに入れる必要がない。

防腐に関しても、保温庫の中が常時60度以上であれば、牛乳の低温殺菌温度の温度に一致するため腐敗することはないのではないだろうか?

私は細菌学に詳しいわけではないので何とも言えないが・・・・

しかし、減塩オーブンであるヘル○オに続いて、愛情ホ○ト庫という保温機で付き冷蔵庫が売れているらしい。

メーカーはシ○ープ。

液晶だけではなく、こういった白物家電でも大分強い企業となっているようだ。

そう言えば・・・

私が面白いと思ったデュアルビ○ーもシャー○がメーカーである。

低迷が続くソ○ーに変わって○ャープが日本ブランドの代名詞になる日が来るのかもしれないと感じた。


やまもも日記

♪きっと誰もこない〜、一人きりのやまもも♪

外から聞こえる毎年流れるクリスマスソングが私の脳内で上記のように変換される。

クリスマス・・・ね。

その行事が他人事となってしまっている現在は、特別な感慨もない。

今日は有馬記念。

今年の中央競馬の最後の日である。

だが・・・・

どうせ誰も来ないだろう。

私はここのところの睡眠不足を解消するため、早期に船の操舵を始めた。

久し振りの航海・・・・

気分は上々だ。

だが・・・・

そんな気持ちのいい航海はカランというやまももの扉が開く音とともに・・・・

終止符が打たれた。

ガバッと半身を起こすと、扉を見る。

そこには見たことがない人物が立っていた。

そう来客である。

私は珍しいと思いながら、珈琲を淹れた。

しかし、その後・・・・

中年の夫婦が入ってきた。


一体・・・・

本日はどうしてしまったんだ?

どうやら、有馬記念の所為で他所の店はどこも一杯らしい。

この日だけは需要が供給を大きく上回る。

他の店で断られた客達が、何人も入ってくる。

やまもも開店以来初めてのことだ。

これが次に繋がればいいと思いながらも、クリスマスプレゼントなのかもしれないななどと考える。

そして、不思議なことにやまももに初めて来る人はよく馬券が当るのだ。

来た客は本日は全員それなりの馬券を手にしたようだ。

これが変化へのきっかけとなって欲しい物だと感じた。

よって、常連の老人を含めて、本日は大盛況だった。

空席率が低くて本当に助かった。

やまもも総営業時間500時間
やまもも売上げ116400円+7000=123400円

時間あたりの販売価格約240円



12月24日

3回目のクリスマスイブ

ちょうど、このホームページを立ち上げてから、2年、本日で3回目のクリスマスイブを迎えた。

なので、たまには私的な更新をしたいと思う。

それで、一年前の更新と二年前の更新を眺めてみた。

一昨年の私は、メリーさんの羊を金色のスプレーで染めて、ヤンキー羊を作りたかったらしい・・・


どうかしている・・・・

そして、去年はギャンブル三昧でクリスマスを祝うことで消費を喚起しようとする企業の戦略に乗らずにエヌジマスを開催しようと主張していた・・・・


そして、今年はやまももの営業とやはりギャンブル。


なんだかんだと言いながらも、少しづつは変化をしているようだ。

さて、友人と連れ立って街を歩いていると、やはりイベント時は人の混雑がすごい。

サービス業でも女性の姿は目立たなかった。

やはり、この時期は普通であることを求める人物が多く、そこから逸脱すると何故だか相対的に惨めな気分になるような風潮が出来上がっている。

しかし、よく思うのが、結局、比較論でしか人間は幸・不幸を感じないのではないかと思うのだ。

勝ち負けじゃないというが、人の感情というものは他者との比較をしてしまいがちだ。

比較をするのに、勝ち負けじゃないと言えるのだろうか?

社内における給料もその多寡ではなく、同期と比較して勝っているか劣っているか・・・

それだけで気分は大きく異なってしまう。

相対的な平均年収よりも大きな給与を受け取っていたとしても・・・・

同期よりも少なければそれだけで不幸を感じる。

結局・・・・

見方を変えれば、常に何かと勝負をしているのだ。

勝ち負けじゃないと主張する人物にしたって、誰かとの比較をしないと言えるのだろうか?

比較をする心理が存在する以上、勝ち負けなのだと思うのだ。

さて、そんなことを考えながらも、私が唯一継続して見ているテレビ番組明石家サンタを見ていた。

今年で9年目、継続をしていると、なんだかそれだけでその行為が神聖なものに近づいていく。

おそらく私の自我がはっきりしている限り、番組が打ち切られなければ、今後も毎年見つづけるだろう。

さて・・・・

来年はどんな更新をしているだろうか?

ある意味、自分の変化を知るためにも楽しみである。


やまもも日記

睡眠時間が足りていない。

削れば削るほど、慣れてきて、深い睡眠を取れるようになると思っているが・・・・

自堕落な生活が、私に浅い睡眠しか取らせない。

無駄が多いと感じてしまう。


ここ、3日で8時間しか寝ていないこともあり、私は若干寝坊した。

すると・・・

大学時代の友人がやまももに訪れてくれた。

私は船の碇を下ろすことにした。

そのために眠くて仕方がない。

眠気覚まし用のガムを用意しなかったことを後悔するのにさほど時間はかからなかった。

そして、店を開けていると・・・・

中年の男性がドアを開けたり、外から覗いたりしていたが・・・・

結局、入っては来なかった。

店にも入りやすさと入りにくさがあるらしい。

ここを改善しないとやまももの先はないなと感じた。

照明の明るさに原因があるのかもしれない・・・・

やまもも総営業時間492時間
やまもも売上げ114400円+2000=116400円

時間あたりの販売価格約240円



12月23日

銀行代理店制度

現存する法律の一つではあるが・・・・

この法律が改正された。

これにより2006年4月1日以降、コンビニ・スーパー・百貨店・旅行代理店・ホテルなどが銀行の口座の開設や預金の預け入れ・払い出しができるようになるらしい。

だが・・・・

法律ではお題目のように、社会的信用といった抽象的な条件を提示しているが・・・・

便利になる分、不安も大きい。

何しろ、抽象的な条件に当てはまらない者の代行がコンビニ等で行われるようになったら、トラブルが絶えないと思うのだ。

現金というのはそれこそ、細心の注意を払って行わなければならないものだと思うが、それを仕事に対する哲学も、他者のお金という物に対する認識の薄いかもしれない、アルバイトに任せるようなことがあれば、間違いなく、問題は起きると思う。

仮に、その場において問題が起きなくても、大金を所持しているという人物の住所等が分かるようになるのだ。

これは危険なことなんじゃないだろうか?

私も以前に大学のサークルで代表者としての連絡先を載せていたとき・・・・

名簿を売らないか?

といった勧誘を受けたことがある。

より、個人情報の漏洩にも近づくし・・・・

名簿会社に電話をかければ、年収1千万円以上の人の名簿なども販売されている。

窃盗犯がこういったところで名簿を買わないとは言い切れない。

携帯の現金決済でも思うが・・・・

便利になることとリスクの一極化には相互関係が存在するように感じる。

便利になることのみに目を向けず、そのリスクヘッジにも注意を払いたいものだ。

N企画
温泉の元をブレンドする



12月22日

投資家の短期志向性

つい先日、仕手株になっている銘柄を購入した。

トラ○スデジタルという企業で、来年3月の決算の予想利益は前期の5・7倍となり過去最高利益を143%更新するらしい。

だが、株価は10%程度しか変わっておらず・・・

とても株価が業績を織り込み済みとは思えなかったので、まだ上昇気配があると思い、仕込んだ。

それで、このトランスデジタ○を検索したところ・・・

10%以内の騰落を10日以内に行っているのに・・・

下がって売り時を逃したと主張する投資家が多かった。

だが、高値をつけてからまだ一月も経っていない。

1日、2日で上がった、下がったを論じるにはデイトレーダーでもない限り、不毛なことなのではないだろうか?

こんな無名な企業の株など、それこそビジネス誌で紹介されるか、決算が出揃ってスクリーニングで引っかからない限り、多くの投資家の注目を引くことなどできないだろう。

だから私の感性から言えば、来年の3月以降でもない限り株価が上がることなど考えにくい。

私はそういった視点で見ているのだが、一日、二日の結果しか見ない投資家が思った以上に多いことに、私も勝てると思える要素を感じた。

結局、超短期志向は小刻みに利益を得ることはできるかもしれないが、大当たりはない。

余程感性や才能に溢れた人間ではない限り、これで勝ちつづけることは困難だろう。

結局、他の投機性を孕む何かだって、小刻みに常勝が一番難しい。

負けることもあるが、それを小さくし、大勝ちすることがなければ、少しも手元に資金は増えない。

そう考えると、私の投資スタイルでは超短期志向はかなり不利である。

自分の投資スタイルをどうするか?

テクニカルなのかグロースなのかバリューなのか?

それを決めなければ、なかなか見えてこない。

根拠もなく、感性だけで投資を行い、勝ちつづけることはブル相場ではいいのかもしれないが、ベアではかなり厳しくなるだろう。

日経平均も年内に一万六千円を超えそうである。

仕手株の動向に注目したい。

N企画
オーテックに追加投資



12月21日

MアンドAの弊害

先日、購読しているビジネス誌でゴー○社長の話が書かれていて、なるほどと思った。

それが、MアンドAの弊害だ。

内容は、買収側の社員に優位性が存在するため、やり方の押し付けが存在することや買収される側の企業で、リストラ等の不利益は買収される側に起きるため、される側のモチベーションが著しく低下するということだ。

特に、前者に関して、思うことがあった。

そう、やり方の押し付け・・・・

人はどう考えても、力でやらされることに対して強い反発を覚えがちである。

権力などで、望まぬ行為をやらせる側はさぞご満悦なのでしょうが、させられる側はモチベーションの低下と失望感は大きい。

言うことを聞かないと、こういう困った事をしますよとか、嫌がることをすることは、消費者金融の回収行為等では有効なのかもしれませんが、時間を共有する人間に対してすることとしては大きな損失です。

何しろ、大きな反発を感じます。

反発を感じれば、事あるごとに協力しようという思考よりも、足を引っ張ってやろうと人は考えがちです。

だから、力による押し付けは絶対に良くない。

一方で、先日亡くなった経営学の父とも言われたピータ○ドラッガー氏はこんなことを言っていました。



成功する企業というものは従業員が最大の力を発揮する環境を整えている。



少し大きめの書店に行けば、ドラッガー氏の著書を目にすることも多いです。

力による強制的な何かの行動の押し付けは、従業員に最大の力を発揮させる機会を消失させます。

さらに言えば、最高の組織というのは、何も言わなくても所属する組織の一員が勝手にその組織のためになることをすることだと思います。

個人の魅力の最終形もここだと思います。

何も言わなくても、その個人のためになるであろうことを勝手にする人たちに囲まれていること。

そう考えると、最近は盛んにMアンドAが行われていますが、慎重にやらなければならないことなのかもしれませんね。

N企画
MアンドA版人生ゲームを買う



12月20日

道理どおり

洒落のようなタイトルだが・・・・

実際に、世の中は道理に逆らうことはないと感じる。

栄枯必衰は必然であるし、道理に合わないモノはやはり衰退するのだ。

変化に対して適応していかなければ、当然淘汰される。

どうも、現状を考えるに・・・・

日本の企業は社員に購買力をつけさせようという配慮はなく、また、コストの削減が至上命題となっている。

その結果・・・・

さらに所得格差から二極化が進む。

本当に恐ろしい。

経済力を持つ者が子供に相応の教育をし、社会で相応の地位を得る。

そして、経済力がない者は相応の教育を提供することができず、社会でも地位を得がたくなる。

つまり、生まれた時の貧富の差がそのまま将来の経済力の差となるのだ。

類稀な才能を持つ者でない限り・・・・

見えない身分制度のようなものを逆転することは難しい。

だが、現状は過渡期だ。

経済力のない者、ある者を振り分けている段階だ。

この過渡期が唯一に近い、勝ち組みへと転じる機会であると私は思う。

末端の消費者の購買力の低下とコストの削減が生み出す物は何だろうか?

私が思うに、効率化が進み、労働者がさらにいらなくなる世の中だろう。

消費者の購買力の割には、人間が多すぎるのだ。


しかも・・・・

私にも言える事だが、勤勉な日本人が失われつつある。

まだ、それほどの凋落は感じない。

三島由紀夫の憂国論ではないが、実際に、亡国へと向かっている。

既に生まれた時から与えられすぎなのだ。

頑張らなくても、生活に困らないし・・・・

勤勉である必要性に迫られていない。

どう考えても・・・・

向上心に燃える韓国・中国に将来的に敵うはずもないのだ。

自国が優れているという自負は私にも存在するが・・・・

これから先は分らない。

繰り返しになってしまうが、栄えた国はいずれ必ず衰えるのだ。

歴史がそれを証明している。

無論・・・・

現在の食にも困るような途上国とまではいかないだろうが・・・・

だが、私が生きている間は、韓国・中国・インドあたりは成長しつづけ・・・・

その後、また違う国が台頭してくると思われる。

そう考えた上で、道理に従い、経済力を持つ者側になろうとすれば・・・

やはり投資が必須なのだ。

会社は誰のものか?という答えが、日本においても欧米よりの株主のものであるという答えになってきた。

実際に会社の社員は報われていないが、株主は報われはじめている。

世の流れがある土俵に立たなければ、有利な話は決して回ってこない。

さらに言えば、年金不信が存在するように、実際に破綻する。

だから401K型の投信が売られているのだ。

つまり、いずれは老後を考えて、全員が全員投資家に強制的にさせられる。

どう考えても、道理がこれが現実になると証明している。

ないものはない。

作ろうと思えば、過度のインフレになる。

何しろ、農業にしても、国が補助金を出しているからなくならないだけであって、実質は破綻している状況だ。

国が補助を止めたら・・・

日本の食料自給率は一桁になったって、驚くには値しない。

これも道理に合わない。

いずれは・・・・

農家はさらに減る。

どう考えても、これが道理だ。

人間の意思や思惑で、道理を捻じ曲げても、いつまでも続きはしない。

そう考えると・・・・

年金の支給はいつまでも続かないし・・・

自分の老後の資金は自分で作らなければならなくなる。

そうなった際に、投資は避けて通れない道だ。

既に米国では、年金は自分で作る物という考え方が主流だ。

いづれ、日本も踏襲することになるだろう。

何しろ、破綻がみえているのだから。

となると、金持ち父さんの著者の言葉をどう解釈するか?

2010年からベビーブーマーが引退し、投資してきた投信を売ることによって生活を始める。

株を売る人間は増えて、買う人間が減るのに株価が上がりようがあるのだろうかという。

これも、道理だし、事実だ。

しかし、これは米国の話。

恐らく、米国市場は2010年から暴落が始まるのだろう。

だが、もうひとつの要素を忘れるわけにはいかない。

それが、日本市場と中国市場だ。

日本市場は外国人投資家がそれなりに買い込んでいるが、中国はリスクを恐れるためか思ったよりも買いが少ない。

国家的信用のなさが逆に割安な株を多く存在させている。

これだけ、経済的に世界と関わっている中国は共産国特有の独裁的な行動を取るわけにはいかないだろうというのが私の見解だ。

もし、そんなことをすれば資金の引き上げが行われ・・・・

現在の好調な経済に水を差すことになる。

それに中国国民が経済力を持つようになれば、香港市場が中国国民に解放され、米国の3倍以上の人間が株の売り買いをするようになるのだ。

道理から言っても、長期的視野で見れば、中国が持たざる者の私にとっては唯一無二のチャンスである。

他の人がやらないからこそ、リスクを取ってやらなければ絶対に他者より利益を上げることなどできやしない。

過渡期である今こそ、そのチャンスだ。

二極化の振り分けでなんとしても望む方に振り分けられたいと思う。

N企画
酒と寿司と麻雀という素敵な一日を過ごす



12月19日

必須の意識

先日、読書をしていた時・・・・

少し目が覚めるような思考が浮かんだ。


私は以前に・・・

7月18日の私のメルマガの第20号で、目的意識について思考しました。


その時に、友人同士の会話にも自分を魅力的に思ってもらおうとする目的意識を持って会話をするように思考すれば、よりよくなるのではないかと提案した事があります。

私自身もなかなかそこまではできていなかったのですが・・・・

ただ、再度、やはり会話をする時に、目的意識は必要だと感じました。

というのも・・・・

老若男女を問わず、人間関係を成立させるためには、信用が必要だからです。

そう、信というものがなければ、その人物の言うことをまったく信じず、悪い方、悪い方に解釈してしまう。

これは否定できないと思います。

例えば、自分が嫌いであると認識している人物の言うことを、我々は信じるだろうか?

おそらく、いい事を言っても、嘘をつくなと思うであろうし、悪いことを言えば、やはりなと思う。

信じていないということはあらゆる否定につながります。

ということは、我々は対人関係を構築するにあたって、常に相手に自分が信用できる人間であると言う情報を放っていないと・・・・

かなりの不利益を被ることになる。

とくに初対面は重要ですし、親しさ=信用の深さなのではないかとすら感じます。

つまり、より親しくなろうと思うような対象には、より信用を深めなければならない。

では、どうすれば他者に信用を深められるか?


この回答の正解は即時出すことはできないが、私は大きく分けて3つあると思う。

1つは信用を重視しているという話やエピソードの話、つまり直接信用と言うものについて重きを置いているのですよと話をすること。

つまり、自分が信用できる人間であるという情報を話や、身なりから発すること。

もうひとつは先に信じることだ。

先にあなたを信じてますよという情報を放つ。

その方法は自己開示とも言える、対象が「なかなか他の人に話さないだろうな」と思うような自分の話をすること。

これは、相談や教えてくれとせがまれることを、その相談相手が喜ぶと言われていることと同様に、あなたを信じていますというメッセージになると思うのだ。

残りのひとつは、信用を失う行動を取らないことだ。

私が思いつくかぎり、信用を損なう行動は7つあると思う。
実際はもっとあると思うが、今思いついたのはこれだけである。


それは、嘘をつくこと、出し抜こうとすること、人情的に冷たいことを言うこと、一般的な倫理観に反することを言うこと、態度に一貫性がないこと、否定的に嗤うこと、ストレンジであること。

このうち、前半の5つは言わずもがななので、特に触れる気はない。

だが、後半の2つは無意識のうちにやってしまいがちで、気付かないうちに信用を損ねている人は多いのではないだろうか?

結局、同席する対象ではなくとも、第三者を嗤い、否定することを酒の肴にする人は多いが、そういう人は同席したその対象から、自分のいないところでは、同様に自分を嗤っているのだろうなと思われ、腹を割った話をその人物にすることはない。

嗤うことで自分は簡単に人を否定し、嘲る信用のできない人間ですよという情報を放ってしまっている。

私が以前の会社で、飲み会で一人のスケープゴートであるピエロを作ることで楽しむやり方に不信感を抱いたのも、これと共通するところがある。

一歩間違えれば、誰が魔女裁判にかけられるか分らない。

こういったことは、平均年齢が若い会社にありがちな気がしてならない。

若い人だけの会社がいい会社とは思えないのが、器が成長しきらない部分とそれを成長させてやる見本になるような年長者がいないことが原因に思える。

そして、後者のストレンジであること・・・

そう、ここはやはり、自信を持っていない人にありがちだ。

おどおどしたり、声が小さかったり・・・・

断言できなかったり・・・

優柔不断だったり・・・・

そういった少し、変、挙動不審な人間は悪さをしそうという信用ではなく、頼りないという部分の信用を損なう。

それで、結局は信じてもらえないのだ。

そうなると、他者は腹を割った話はしてくれない。

営業で勝つ瞬間というのは、お客さんに相談をされるときだと言われている。

同様に、女性と親密になる時も、本音を話してくれたとき、つまり信用してくれたときだと言われている。

ということは・・・・

我々は対人関係において、常に信用を重視すべきなのではないだろうか?

信用を構築しようという目的意識を持って、人と接する。

酷く疲弊することかもしれないが、その必要があるのではないかと考えさせられた。

N企画
部屋の中で息が白い時の対処法を考える



12月18日

篠崎○

という企業がある。

東証に上場している企業で、豆腐を販売している企業だ。

豆腐屋や食品会社を積極的にMアンドAを繰り返しており・・・・

現在も貪欲に拡大を続けているらしい。

だが、やはり豆腐の利益率はかなり低いらしく・・・・

PERは100倍を超えている。

私の後輩が言っていたように・・・・

ダ○ソーといった100円ショップの一つ商品を売った時の、利益率は1%だそうである。

従業員の賃金を考えると・・・・

1つ売って利益が1円しかでないらしいのだ。

1回に、ひとつでも万引きされたら・・・・

100個売らなければ、元は取れない。

かなりリスキーなビジネスだ。

このダイソ○の株主と同様に・・・

ここの株を持っている個人投資家も・・・・

一体何を求めているのだろうかと思ってしまう。

PERが100倍を超えているということは・・・・

株価に対しての利益率が1%を割っているということだ。

だが、ここは美味くて安全な食品を消費者に提供することで拡大を続けている。

「不揃いな油揚げ」を売り始めたのもこの会社だ。

基本的にスーパー等に販売されている油揚げは、形が整ったものだけであり、それ以外の油揚げは廃棄されるらしい。

しかも・・・・

手作りなのか、この不揃いなものは非常にできやすく、そこにコストが大きくかかっていた。

これを敢えて不揃いな油揚げと命名して販売することで、消費者に手作り感を提供し、よく売上げたらしい。

逆転の発想とも言えるなかなか優れたアイデアだと思うのだが・・・・

我々もいつのまにか常識にしているが、無駄にコストをかけているところがないかを考えさせられた。

また、この会社の創業社長は、豆腐を知るために、スーパーで豆腐コーナーを観察していたことがあるそうです。

その時に・・・・

お客さんが、豆腐のパックの角を親指と人差し指で摘むように買い物カゴにいれ、豆腐パックの表面の水分で手が濡れる事を嫌う傾向があることを発見した。

それで、その嫌がる部分を代行したら、より売れるのではないかと思考し、そのスーパーの豆腐売り場で売り子をさせてくれと交渉したらしい。

その結果、話がまとまり、自社の豆腐をお客さんの手が濡れないように渡すサービスを始めて売上げが伸びたことがこの篠○屋という企業の原点だそうです。

なかなか面白い話だと感じました。

やはり、現場に答えがあると言う定型句は決して嘘ではない。

何かに迷った時に・・・

現場を観察することは必要な事なのではないかと思わされました。


やまもも日記

飽きることなく行われる繰り返し・・・

どこか悠久な時を刻む自然の残された農村のように・・・・

変化の兆しはない。

この不変さ・・・・

これが私の焦燥を募らせる。

焦燥?

いや・・・・

すでに焦りすら存在しない。

どこか諦めてしまっている自分がいるのかもしれない。

待つだけでは変わらない。

だが、アクションを起こす気になれないのは・・・・

リスクと責任を背負っていないからではないかとすら思える。

リスクを背負わないということは心地よくもあるが・・・・

甘えを生み出す。

私を行動へと駆り立てる何らかの発奮材が必要だと思えてならない。

やまもも総営業時間492時間
やまもも売上げ114400円+1200=115600円

時間あたりの販売価格約240円



12月17日

ブランドの構築

ブランドとは何か?の問いに対して、婦人服○曲を販売するオンワード樫○の社長は身につけているとテンションが上がるものとの回答を出していた。

私的な経済的な視点で見れば・・・・

名前が価値を生むものである。

そう、名前が利益であったり、信用であったりするものを生み出す。

それがブランドだ。

なんとなく、聞いたことがある、名前だけは知っている・・・・

既にその時点でブランドとしての力を持ち始めている気がします。

そう考えると・・・

ライ○ドアの戦略は非常に巧みだ。

日本でライブ○アを知らない人間などそうはいないだろう。

やり方に疑問を感じることもあるが、着実にMアンドAによってライブ○アの冠名をいたる会社につけている。

既にそのブランドの構築すら、自己無限増殖をしている気すら否めない。

我々消費者の心理としても、聞いたことがないところと聞いたことがあるところ・・・

この漠然とした感覚でも条件が同じモノのどちらかを選択する時・・・・

やはり、聞いた事がある方を選ぶと思う。

コカ○ーラとセービ○グコーラの違いも名前と価格だけで、味は変わらないのに・・・

やはり○カコーラは売れて、セービン○コーラは売れないのだ。

そう考えると、有名人のその人自身の芸名のように・・・・

有名になるための売名行為とも言える、センセーショナルな話題を提供し続ける事で・・・

ブランドの構築も可能であることを証明している。

結果を考えるに・・・・

人によっては好悪の感情の落差は激しいだろうが・・・・

やはり、ラ○ブドアは正しいのだ。

何しろ、虚業がブランドを生んでいるのだから・・・・

ヴィト○を虚業という人はいないと思う。

しかし、ただのバックメーカーではないことも我々は認識している。

同様に、ライブ○アという名前が信用等の価値を生み始めている。

みなとみらいにある、中古車の販売が行われていた会社にもライブド○の冠が着いた。

既にブランドを構築するのに止まれない状況から、ブランドの自走が始まっている。

PERやPBRはとても買えないが・・・・

長期で見ると強い株かもしれない・・・・

何しろ・・・虚業と呼ばれるモデルからから利益の最大のビジネスモデル、ブランドを提供する会社へと変質し始めている気がする。

やまもも日記

冬になると・・・・

やまももの前の通り「柳通り」も人通りが少ない。

気温に比例するように・・・

人の出も増減を繰り返しているような錯覚を覚える。

だが・・・・

今日もやまももは変わらない。

そこだけ時が止まってしまっているかのように・・・・

いつもどおりなのだ。

変化はない。

そして・・・・

今日も常連の老人がきてくれた。

やまもも総営業時間484時間
やまもも売上げ113400円+1000=114400円

時間あたりの販売価格約240円



12月16日

結果を出した人物の言葉

はいつも思うのですが、共通する。

そう、皆、同じことを言うんです。

丁度、今週のビジネス誌の連載で、京セ○の稲盛○夫の第11回目の連載が載っていました。

そこで、目を引く文章を見かけました。

というのも、一つが島津いろは歌と呼ばれる歌の一つで・・・


いにしえの 道を聞きても 唱えても 我が行いに せすは甲斐なし


簡単に解釈すると、昔の人の教えを聞いても、それを暗記していても、それを実践できなければ意味がないという言葉です。

百聞は一見にしかずの締めの言葉、百考は一行にしかずを思い出します。

実行が最も尊い。

と共感しながら読んでいたところ・・・・

2つの言葉に注意を引きつけられました。

1つは、原理原則、正道といったものを軸に据えるようであれば、綺麗事を言うなとかいい格好をしたがるなと周囲に叩かれ、青臭い正義感を持ち出した自分が損をし不快な思いをするだけだと考える自分が現れる。

そのため、正しいことを実行できなくなる弱さが人間にはあるというところです。

どうも、私が以前から主張している青臭さを真っ向から否定する青臭さを持つ人間の存在と類似した感が否めず、確かに青臭い正義感といったものが必要ではあるけれども否定されやすいと感じました。

ただ、そこでそれを否定されることに対して、恐れては良くないと言うことを主張されているのだと思います。


また、もう一つ気になったのが・・・・

好きな仕事をしろと言うことです。

稲○氏は、仕事を好きになる努力をしろと主張していますが、これはなかなか難しい。

確かに、最初から好きな仕事などないでしょうが、まったく興味のない仕事を好きになることは私のような凡人には困難です。

だから最初から好きであろう仕事を探すべきだと感じます。

丁度、先日完読していなかったナポレオ○ヒルの本でも、好きになれる仕事をしなければ成功はおぼつかないと書かれていました。

確かに、そうだと思います。

というのも、繰り返しになってしまいますが、人間は好きなことでないと本気になれない。

本気になれなかったら、他者より、よい結果を出すことなどできるわけがない。

何故なら、他者は自分よりもその仕事が好きで、より真剣に取り組み、より時間をかけているかもしれないのだから。

この結果を出した人と主張が重なったこと・・・

あながち毎日的外れな自己回答を出しているわけではないと、少し安心しました。

なんとか投資でも・・・・

私の出す答えが正解であってほしい物です。

N企画
沖縄で豚の丸焼きを食す。



12月15日

個人的決算

ちょっと早いですが、個人的な通年の総決算をしようかと思っています。

といっても株式ですが・・・・

まず、私が株を買い始めたのは2004年4月。

ファンダメンタルズ分析もテクニカル分析も知らない状態で・・・・

知識の少ない、自分の感性で最初に買った株は・・・

天馬という会社と北海道の塾でした。

これは両方とも、ビジネス誌に紹介されてた銘柄で若干の利益を出すことに成功。

その後、株主優待狙いで買った株が・・・

TAC、サンリオ、イエローハット、平和でした。

これは業績も世情も詳細を把握していなかったため・・・

ほとんど儲からず・・・・

TACでは20〜30万円の損きりを今年行う結果となりました。

サン○オに関してはここ最近、業績は悪いのに、キテ○ちゃんブランドで外国人の買いが入っているのか信じられない価格になったため、今月になって利食いをすることに成功しました。

そして、昨年の丁度12月キャノン販売の株を購入しました。

これは、ビジネス誌で紹介されていた株でキャノンというブランドがついているのにPBRが1倍前後でかなり割安な上、キャノンのプリンター事業の売上げが急上昇しているのにまったく株価に反映されていないと記事になっていたので買ったのですが・・・・

これを今まで持っていたとしたら・・・・

1430円→2530円になったので、1.7倍になっている計算です。

しかし、私は人民元切り上げに張ることにして三月に1670円で売却。

これは30万円近くの利益になりました。

そして、平和を売った金額30万円ほどと合わせて、200万円でペトロチャイナを4.95香港ドルで28000株仕込みました。

これとは別に日本株が含み損を抱えたまま、156万張ったのに・・・・

平和で30万、残りが120万ほどなければいけないはずが・・・・

含み損で99万程度の価値。

しばらく凍結することにしました。

で、ご存知のように人民元の切り上げで今年7月にペトロチャイナ株が1・5倍に・・・

ところが・・・・

その後、新規株発行で、株価が低迷。

結局、一時は100万越えの利益にもかかわらず、66万ほどで利益を確定。

だが、6香港ドルで売りに出すと言われているものを6・45香港ドルの値段はおかしいと思って売ったので買い戻すつもりでした。

それで、案の定、5.9香港ドルになったので30000株を買い戻し。

2000株増えた計算です。

そしてあまりで天然自然食品の株を購入。

こちらはPERが3.7倍という信じがたい数値なのに・・・

株価が張り付いて動きません。

そして、TAC等を損切りし・・・・

バリュー株かわでんとオーテックを購入。

かわでんは早めに利食いで、日本株は現在オーテックのみ。

で・・・・

すべて計算すると・・・・

始めに日本株に156万円、その後2004年末にキャノン販売に140万円で、元本約300万円。

で、紆余曲折して・・・

現在ペトロチャイナの含み益をいれて、総資産を計算すると・・・・

430万円。

去年から今年にかけて、43%の運用益を出していることになる。

どうやら、今年はこれ以上どうにもなりそうにないですが・・・・

相場に助けられた感が否めません。

来年はどうなることやら・・・

少なくともペトロチャイナのインカムゲインで5%は保証されているのですが・・・

ただ、戦略としては待てる忍耐力が必要です。

日本株はオーテックが正当に評価されるのを待ち・・・・

有り金をペトロチャイナにすべて突っ込みたい。

狙いはペトロチャイナの来年の配当の権利落ち日後です。

そこで、配当で得た金額を加えて、一本化しようと思います。

N企画
再度バリュー株のスクリーニング



12月14日

リク○ートエイブ○ック

に行ってきました。

私の担当の方と、転職について話をしたのですが・・・・

いくつか思うことがありました。

やはり、乗馬クラブの体験入学でも感じたことなのですが営業をする人間というのは、常に自分の数字と言う目的が存在し、なんとかその目的のために相手に望む行動を取ってもらおうとするものです。

よく相談に乗ってくださってので、なんとか儲けさせてあげたいとは思うのですが・・・・

私も自己犠牲をしてまでという気になれません。

先方のお話を聞く限り、どうもIT系と不動産、医療系は門が開かれているようです。

それでいて、収入が悪くない。

こういった人材を斡旋する企業は、決まった人の年収の10%〜20%程度を手数料として売上げを立てることができます。

ただ、内定してから半年後に〜さんは出社されていますかと確認を取り、その確認が取れた時点での売上げです。

ですから、決められた営業の月間目標を達成するためには、早期に決まる手数料が高く取れるところを紹介したい。

そんな意図を感じました。

話は変わるのですが、私の友人の塾の講師が中学受験をする小学生を担当しています。

その友人は子供に親が望むよりずっと偏差値の低い滑り止めを受けさせるそうです。

その理由は、塾が合格率100%を謳うためと、もしその滑り止めしか受からなかったとしても、その時点になれば折角受かったのだからと妥協する人間の心理をついているからだといいます。

少し、ITとMRを勧めるところに重なることも感じましたが、逆にそれが営業なんだなと思います。

ただ、私のように天邪鬼さを持っていて、普通でありたくない人間にとっては逆効果にもなりうる気がします。

先日もコートを買ったときに、そのショップのスタッフがそのコートはもう生産されていないといった趣旨の説明を受けたのですが・・・

私は逆に気分を害しました。

というのも、私もそれなりに営業本を読んでおり、一般の顧客が限定と言う言葉に弱いからその言葉を使えといったセオリーのようなものの存在を知っているからです。

逆に言えば、その他大勢と同じで私も限定と言う言葉に弱いのだろうと決め付けられたことに不快さを感じたのだと思います。

そうじゃない。

特別でありたいとする私が、平均的だと言われて喜ぶはずがないではないか。

私が買うのは限定かどうかが判断の材料になることはないのだ。

その限定と言う事柄が事実かどうかも定かではないし、私が気に入るか気に入らないかが購買理由のすべてであり、その他の要素は関係ないのだ。

そういえば、若いショップのスタッフは本当に分っていないと感じることが多い。

というのも、以前にアクセサリーを購入した時・・・・

私は若干汚れが気になったので、在庫があるかどうかを尋ねた。

そうしたら「ございます」と言われ、現品を拭いた物を在庫商品とし私に販売した。

開封後に気付いたのだが、せめて拭いた跡が残らないくらいの工夫はすべきだと思うのだが・・・・

いや、それ以前に、私は在庫があるかどうか聞いただけだ。


たしかに現品というのはマイナスのファクターにはなりうるが、それ以上に大事なのは店の信用ではないだろうか?

嘘をついてまで、私に汚れた商品を掴ませたところで、その日1日の微微たる売上げはあがるかもしれないが・・・・

私は2度と利用しないと心に誓っている。

機会を消失しないためなら、不誠実さも許されると考えていることに不快さを感じる。

一時の機会を失っても、店の信用を重んじれば、また次回と考えるかもしれない。

しかし、不誠実でもその場で店が儲かるなら客が損をしてもいいと思考することはリピーターを無くし、かつ、私が友人にその店は避けるように負の広告をするかもしれないではないか。

信用を軽んじすぎている。

やはり・・・・

分っていない。

微微たる売上げと信用・・・

私だったら間違いなく信を取る。

なんだかとりとめのない話になってしまった・・・

N企画
絵の展覧会先に幸運の箸を逆に売りつける



12月13日

自由のはずなのに不自由

さて、今日も泥酔教の布教活動をしてきた。

酔えよ、さらば救われる。

確かに刹那的には救われるのだが・・・・

などと考えながら、相も変わらず酔っ払った勢いで更新をしようと思う。

弱さを見せることができる強さを持っていない私としては、誰もが思うであろう疑問を自問することは多いが、他者には聞かない。

そう、他者に弱さを見せることは他者を信じきったり、その弱さを否定されることに対する覚悟を持たなければできないことだと思うのだ。

私は否定を好まないため、弱い自分を出すことはない。

常に強者でなければ、安心できないのかもしれない。

だから、実際に対外的には常に精神的に強い自分でいることのできる自負がある。

いや・・・

事実、自分を精神的にはタフだと思うことも多いが、私だって常にタフなわけではない。

どうしよう?

という疑問は常時生まれるし、それはいつだって自分にぶつける。

他者にぶつけないのは、他者を恨まないためだ。

どうしようと聞いて、他者の答えを実行した時・・・・

うまくいかなかったら、自分がその答えを選択したのだから道理が違うと思っていても、やはり他者の所為にしてしまいがちだ。

常に自分は悪くないと思う、そちらの方が圧倒的に楽だ。

しかし、その楽を選択してしまえば・・・・

結局、私に起きるすべてと言ってもいい結果は私の望まぬものになるに違いない。

自己責任を認識しているからこそ、他者に迷いの答えは求めない。

もし、迷いの答えを求めて、それを実行して、望まぬ結果を起こした時・・・・

心の一片にも、その対象の所為だと思わないでいられるほどの強さを私は持っていない。

だが、逆にそれができた上で他者を恨まない人間であれば・・・

それが本当の強さだと思う。

私はそこまでの精神的強さを持っていないのだ。

だから、悩みと言うものは少ない。

何故なら、答えは大体自分で出している。

他者を恨まないために・・・・

答えが出ない悩みはない分、出した答えを実行することもどれだけ難しいかを知っている。

保証がない分、実行は難しい。

我々は保証されていることは、その保証と言う安心が継続する心を折らないが、無保証という代物にかんして実行を継続することはかなり困難だ。

そんなことを考えながら、本日は、自分にはぶつけるが、決して他人にぶつけることのない疑問を書こうと思う。

おそらく、誰もが何度も自問した疑問だと思う。

それは・・・・


いつになれば解放されるのか?だ。

我々は自由を認められているが、決して自由ではない。

やりたくもないことをやっていることは非常に多い。

何故・・・・

やりたくないことをやっているのだろうか?

それは、突き詰めれば、やりたくないことをしないと給与が得られず、生活を維持することが不可能だからだ。

つまり、己の自由を奪っているものの正体は経済力のなさである。

有り余る経済力があれば、やりたくないことを拒否できる。

だが、現実はそんな優遇された立場の人間は数少なく・・・・


「いつまでこんなことを続ければ解放されるのだろう?」


と疑問を持ちながら労働する人間が多い。

そう、いつになれば自由にできるのだろうか?

この答えは経済力を持ったときという一言に集約される。

だが、どのくらいの経済力を持ち、いつになれば、それを手にできるかを実際に計算した人間はいるだろうか?


私の感性で言えば、1億の現金を持てば、5%の利回りで回しても年収500万。

一般のサラリーマンレベルの所得は得られる。

5%の利回りは決して高望みではない。

だが、どうすれば1億円の現金をもてるだろうか?

こつこつと自己労働だけでは普通の人は決して貯まらないだろう。

つまり・・・・

言い換えれば、働けなくなるまで自由にはならないのだ。

定年を60までと考えたって、残り約45年。

今までの人生の約3倍だ。

それまで、決して解放されず、望まぬことをする我慢を続けること。

世の中はそういうものだと諦めてしまえば、それまでだが・・・・

なんとか工夫によって45年間の解放までの道のりをショートカットできないだろうか?

というより、残り45年と考えて、辟易しない強さを持っている人間がすごい。

私は、とても耐えられない。

だから、思考をし、実行することで、諦めている人間を出し抜いて、ショートカットを望むのだ。

日本国憲法では自由が保障されているが、我々は経済力と言う鎧を纏わない限り、それはお題目だ。

少しも自由には振舞えない。

自由なのに、不自由、これが現実だ。

私はギャンブルをするため、一時的とは言えお金がまったくない時を体験することがある。

財布にお札が一枚も入っていないことは本当に恐怖である。

カフェでもファミレスでも、コンビニですら人間としての扱いを受けることは不可能だ。


それでも、私は諦めている人間がいれば、諦めないでいることで早期に自由を手にする可能性が存在すると思う。

大多数の人間が諦めているのだ。

だから、マイノリティ側を目指したい。

ピラミッドでも頂点は少数、大多数と同じ思考をしたって、その人数が担う底辺から抜け出すことはできない。

そう思考して、人より早く自由を勝ち得る方法を考えた際にたたき出した答えが投資である。

もちろん、損をして失う可能性は多分にある。

だが、失わなくても同じなのだ。

解放のための年月のショートカットを求めている私にとって、ただの貯蓄は早期解放への諦めだ。

失うとしても、安全の約束された牧場から、チャンスを追えば可能性がある。

しかし、牧場から出なければ、いずれ誰かのための食肉となる。

0%か10%か・・・・

強く達成を望む目的のためであれば、迷わず私は10%を選ぶ。

0%では決して目的が達成されることはないが、10%だったら、10回に1回目的を達成できる可能性がある。

幸いにして、私の年齢で投資について調べている人間は少ない。

少なくとも、大多数の平均的な思考と同質化していないことが私の救いである。

いつまで、それを続けるのか?

自分に自問したことはないでしょうか?

そして、その答えは、仕方がないなのか、それともなんらかの抜け出すための回答を出したのか・・・・

私の答えは、0か100かの勝負をすることで、可能性を追うという答えです。

有り金を中国株に張りつづけます。

正解は20年・30年後の現実が表しているでしょう。

なんだか、本日は泥酔に任せて感情的な更新をしてしまいましたが・・・・

ご容赦下さい。

N企画
季節はずれの花火



12月12日

小学生の能力主義

本日、まだ読んでいないのだがいつものビジネス誌を購入した。

そこのタイトルに、10歳○○の能力主義と言う表題を見つけた。

内容を読んでいない分、何ともいえないのだが・・・

少し思うところがあった。

私が思うに・・・・

勝てる人間と負ける人間は子供の頃の教育で決まっていると思う。

もちろん、その後自己努力によって、ある程度の巻き返しは可能だ。

子供の頃いくら優秀な人間でも社会人となったときに、学習を怠れば、当然学習している人間には敵わない。

だが、逆に子供の頃から学習し、かつずっと学習を続けている人間には・・・・

決して敵わない。

いや、天才という特異な条件で、学習のスピードが他者の何倍も速ければ話は別かもしれないが・・・

私のような凡人には、差を詰めることは不可能に等しい。

思うに、子供の頃にどう生きるかという目的を持つことが大事だと思うのだ。

何故なら、目的が存在すれば、その目的のための行動しか取らない。

どの分野でも一流と呼ばれる人間は子供の頃からそれをやってはいないだろうか?

最も時間と選択肢を与えられている時から、1つの目的地に向かって直進していた人間に対して、あれこれどうしようか迷っていて、三十路を近づいてから決めたり、まったく決めなかったりする人間が、同じ土俵で勝負して敵うはずがない。

競争で言えば、スタートは同時なのに、トラックを1周多く走って抜き去らなければ勝てないのと同じことだ。

距離にもよると思うが、周回遅れが巻き返して勝つなどということは現実的ではない。

となると、小学生の時やもっと小さい時からどうしたいかという目的を持たせる教育が必要なのではないだろうか?

例えば、私のように俗物であるのならば、幸福と経済力は切ってもきり切れない縁だ。

経済力を持つことという目的を子供の頃から持っていれば・・・

幾多もの選択肢が与えられている時点で、その目的に添った選択をすることができる。

この目的を達成するためには人とファイナンシャルインテリジェンスが必要であり、子供の頃からこれに特化すれば、目的を達成する可能性は高いのではないだろうか?

何しろ・・・・

何度も書いているが、私が高校卒業したとき・・・・

奨学金を最大限まで借りていれば、4年間で無利子で720万円借りることができた。

もし、この有利性とそれが生み出す価値と、それが自分の経済力と言う目的にどれくらい貢献するのかを分っていれば・・・・

間違いなく行ったはずだ。

だが、どうしたいと言う目的とこの有利性を分っていなかった私はそれを行わなかった。

今、私が借金をしようとして成功するとしたら、黄色い看板かクレジットカードでしかない。

前者は年間利率約30%という出資法ギリギリの利率を取る。

これも、可能なら私が運用したい利率だ。

後者でも20%前後、これでも満足できる利回りになる。

つまり・・・・

まとまったお金を借り受けようとすれば、相応の対価が必要となるのだ。

にもかかわらず、一時とは言え、無料でこれだけの大金を借りられるチャンスをみすみす逸すのは痛い話だ。

もし、その目的のために学習を重ねていたら・・・・・

この有利性をきっちり手中に収めることができたはずなのに・・・・

だから、小さい頃の教育だと思うのだ。

目的を持たせ、そのための手段を教える教育。

例えば、私であったら、経済力と言う目的。

それを得るためには人と複利の力を利用した投資。

人を得るには、自分にとってその人がどれだけ重要かを伝えることなのだ。

たったこれだけのことを知るか知らないかで、広がる差は大きい。

N企画
深夜に焚き火



12月11日

不可思議な事

さて、先日、ほとんど見ないテレビ番組をチラッと眺めて不思議に思った。

というのも・・・・

Z○Iでも感じたが、株で大儲けしていない人が株で大儲けする方法を書いているのである。

テレビでも経済力を持っていない人間が経済力を持つ方法を放送していた。

何故、自分でやらないことを他人に勧めるのだろうか?

少なくとも、自分でやっていることなら、結果がまだでないだけで何ともいえないが、自分でもやってもいないことをうまくいく方法として他人に紹介しているのである。

おかしな話だと思う。

いや、だがこういった話は日常茶飯事だ。

だから、私は他者の意見ではなく、自分の意見を信じるべきだと思うのだが・・・・

例えば、ふと思ったのだが、幸福かも正しいかも分らないし、友人がそれほどいるかどうかすら分らないにもかかわらず、幸福になる方法や正しい生き方や、人付き合いについての方法を述べる人がいる。

見方によっては私もこの部類に入るかもしれないが、少なくとも、私は他人に勧めた記憶はないし、自分でもそれを実行している。

あくまでスタンスは情報も、思想も、皆が皆、取捨選択を自己責任において判断するものだと思うのだ。

非常に俗っぽい話になってしまうが・・・・

先日もファミレスでおやと思った事がある。

私はいつもどおり、読書をしていたのだが・・・・

近くに座っていた女性の二人組の話が聞こえてきた。

聞くつもりもなかったのだが・・・・

なかなか音量が大きく主張されていたので、断片的に話が聞こえてきた。

すると・・・

どうも一方の女性は持論をお持ちなようで、もう一方の女性はそうではなかった。

そして、その自己主張の強そうな女性は、現在、彼氏がいない上で、一人暮らしを始めてから近くに友人がいないらしい。

だが、その女性が一方の女性にアドバイスをしているのだ。

内容はもちろん、友人と彼氏についての〜すべき論だ。

酷い矛盾だなと私は感じた。

過去がどうであったかは一方の女性には分らないことだろうに・・・

現在実績がない人間が、そのことについて主張している。

そして、もう一方の女性は私から言えば与太話でしかない話を真剣に聞いているのだ。

何故、こんなにも安易に他者を信じきることができるのか私には理解ができない。

世の中に詐欺がなくならないわけだと再認識させられた。

何故、相手の話を鵜呑みにしてしまうのだろう。

正しい時もあるかもしれないが、結果や現在実績を出している人間の言う言葉でなければ信憑性がないではないか。

疑うことはいけないことだと教育されているのだろうか?

そう、私は特に不思議に思うのだが、どうも親しい人間の言う言葉より、そうではない人間の言う言葉を信じる人が多い。

おそらくだが、親しい人間には、慣れが存在する。

だから、例え、正しいことを言っていたとしても、本人の持つその人物の評価がずば抜けて高くないと、未知の親しくない人物の言うことの方がもっともらしく感じるのだ。

どんなにすごい人でも共有する時間が長ければ、それが普通の人に見えてくる。

つまり、親しい人の言うことは普通の人の言うことで、そうではない人が言うことは神秘性がある未知数の説得力があるのだ。

だから、親しい人間の言う言葉より、そうではない人間の言う言葉を信じる人を良く見かける。

だが、私は親しい人間の言っている言葉の方が、役に立つと思うのだ。

一時の感情や気分で判断をすると道を誤りかねない。

私も自戒する必要があるといつも思う。


やまもも日記

今日は誰か来るだろうか?

こういった期待をもつ事さえも・・・

現状では叶わない。

根競べ・・・・

本当にそうだ。

私は粘ったもの勝ちであると認識しているが・・・

分っていてもやはり保証がないことを継続するのは辛いものだ。

いつもどおり、時間だけが無為に流れていく。

今の私の行動は本当に意味のあるものなのだろうか?

つい、疑ってしまう。

ただ、2つの認識がある。

それは待つだけでは解決しない。

だが、待てなくてもうまくいかない。

正直、やはりどこかで甘えが存在する。

もし、本気だったら・・・

自力でパワーポイントでカラー広告を作り、どこかで出力し、断裁して自分で配っているだろう。

それすらしていないのに・・・

何かを望むことは横暴なのかもしれないとすら思う。

だが、改善をしなければいつまでたっても変化は起きないかもしれない。

いや・・・・

結局、ネット広告では集客効果は皆無だった。

やはり、対象に対しての広告の仕方は旧来の紙媒体の方がいいときもあるのかもしれない。

わざわざ、競馬客がネットで調べてから観戦する場所を探すとは思えない。

仮に、パソコンを使用するとしたら・・・・

ネットで馬券を買っているだろう。

つまり、パソコンと言うツールを使用していない人物相手にパソコンを使用した広告をしてもまったく意味はない。

そんな思考をしながら・・・・

気付けば、常連の老人が来て、今日も閉店。

やまもも総営業時間476時間
やまもも売上げ112400円+1000=113400円

時間あたりの販売価格約240円




12月10日

CFRP

と言う素材をご存知だろうか?

正式名称は炭素繊維強化プラスチック。

これは炭素繊維と呼ばれるものとプラスチック樹脂を合成させて作る新しい素材で、重量が鉄の5分の1にもかかわらず、強度が10倍らしい。

最近では航空機の機体やレーシングカーなどの高価格品に使われている。

話を聞く限りでも便利な素材のように思えるのだが・・・

なかなか、末端の消費者に馴染みがないものだ。

何故、認知度が低いのかといえば、やはりその素材による身近な商品が存在しないからだろう。

しかも、鉄と違い錆びたり腐食したりもしない。

まさにいいことづくしだと思うのだが・・・

これを生成し、成型を行える企業がほとんど存在しないため、高コストになり、かつできるところの絶対数の少なさが普及しない要因なのだと思われる。

私が大学生の時に思った事が一つある。

それは、よく技術や企業間のコラボレーションが行われて、何かが出来上がるとき、その協力を求めるべき素材や企業のことをどこで知ったのであろうかという疑問だ。

おそらく、ビジネス誌やどこかで見た記憶があるものを頼りに探すことになるのであろうが・・・

素材の存在を知ることも、何かがあったときの役に立つかもしれない。

CFRPの存在も、記憶に留めておこうと思わされた。


やまもも日記

先週のひしゃげた看板が痛々しい。

かろうじて引っかかるようにぶら下がっている枠組みは、私を何か悲しい気持ちにさせる。

いつになれば・・・・

やまももは繁盛するのだろうな。

もし・・・・

継続していることがある日突然、望む結果をもたらせるということを知らなかったら・・・・

とっくに心が折れているだろう。

冬の店内は一人では寒い。

暖房をいくらたいたところで、人間がいない店は気温が必要なほども上がらないものなのだ。

私は・・・

冬と言う季節の身を切る風の冷たさを受けながら、今日も舵を取る。

そして・・・・

気付けば、いつもの常連の老人が一人来るだけだった。

だが、少し奇妙な事が始まった。

この老人に私が囲碁を学ぶことになったのだ。

やはり、何事もやってみれば面白いし、機会が与えられること必然と考えて、楽しむようにしたいと思う。

やまもも総営業時間468時間
やまもも売上げ111400円+1000=112400円

時間あたりの販売価格約240円




12月9日

コンフェッション

日本語に直訳すると、告解・告白。

そう、本日も泥酔教の布教活動をしてきた。

そのため、かなり酩酊中である。

なので・・・・

素面では記述できない更新を行うと思う。

さて、私以外もそうだと思うのだが・・・・

皆さんは他者を試すことはないだろうか?

小学校・中学校と残念なことに負け続けたきた私としては、猜疑心が強くなっているため、あらゆるところで、その人物が信頼に足るかを試してしまう。

小学生の時に、オール最低の成績をもらった経験のある人物はそうは存在しないだろう。

遺憾ながら、当時の私は担任の教師に好意をもたれなかったため、勉強が人よりも劣っていた自覚と結果はないが、その成績を頂戴したことがある。

その上、その前の担任には好意を持っていただけていたため、落差が凄まじかった。

オール優秀である成績に近い成績から、オール最低の成績。

5段階評価で言うオール1をもらったことがある。

本当に、いい時と悪い時を存分に味わった。

そして、悪い時と言うのは残念なことに継続して引き継がれるという負のスパイラルを小学生と中学生において体験した。

中学生でその時点における人格の証明ともいえるテストの点数という結果を出すまでは、本当に酷い有様であった。

だから・・・

私は公正に物事を判断する信頼に足る人物であるかどうかの判断を下すに値する結果を事あるごとに他者から受け取らない限り、他者を全面的に信用できない猜疑心の強い人間と化している。

原因は、過去の負けすぎの経験だ。

負けてきたから、ジャッジをする人物を疑うし、己を変化させることでしか、状況は改善できないと認識している。

そう、負ける要因を作り出したのは己であるし、その己を作り出したのは教育だ。


それでも、教育の所為にして私は両親を責める気はない。

何しろ、現在の私にすべてが自己責任と言う思考と教育の重要性を認識させてくれたのだから。

だから、猜疑心が強い私はいつも私と係わり合いのある人間を試す。

いや・・・・

自ら試さないでも、その人物に起きた事態をどう対処するかを見ている。

そして、その判断基準はやはり私の基準が元になってしまう。

私の判断基準が世間の絶対的な正義ではないことは認識している。

だが、私にとっての正義は私の基準なのだ。

そして、私の判断基準の軸となっているのが、信頼であり、それを損ねるような行為を行う人物を黙って自己に存在するランキングを低下させる。

感情に任せて、受け取った好意のボールをスルーする人物や道理を重んじない人物。

おそらくは本人に自覚がないのであろうが、私はそこで、有事の時に、その人物がどういった行動を取るであろうかが想像がつくのだ。

逆に言えば、そうやって、最悪の場合の想定の範囲を広げているのかもしれない。

だが、他者の信頼や好意に対して、応えない人物は間違いなく自己都合の塊であり、常時では問題ないが、非常時に道理よりも自己都合を優先させる。

必要な時に役に立たないモノなど欲しいと思う人間はそうはいないだろう。

釘を叩く時だけ柔かくなるハンマーを欲しいと思う人物はいるだろうか?

平常時における、いい人が欲しいのなら、それこそネットや雀荘やキャバクラで十分だ。

逆に言えば、協力が欲しい時に、協力をしてくれる人物でなければ・・・

信用できない。

いつ、何時、その人物の自己都合によって、自分に不利益を与えられるか分らないからだ。

こういった私の思考は、騙されない代わりに信用されないだろう。

だが、見ていれば分る。

他者の好意をどう返しているだろうか?

自分の行動を見ているのは自分とその対象だけではない。

利害関係の少ない平常時だからこそ、好意に対する対処を考えるのだ。

小さなことをおざなりにする人間が大きな時に、応えてくれるはずがないではないか。

そう考えるからこそ、私は信用と言うものに大きな価値を見る。

繰り返しになってしまうが、信用と言うのはキャッチボールなのだ。

先に投げなければならないし、受け取ったボールにおまけをつけて投げ返す。

そして、そのおまけの分だけ信用を厚くする。

受け取るだけの人間は相手にされない。

他者から受け取った好意をその本人に投げ返さなくとも、違う他者に投げ返せばそうではない。

だが・・・

人間は忘れる生き物だ。

結局、好意も忘れてしまう。

だから、私は自分に言い聞かせる。

他人から受け取った好意を忘れないことを。

どこかで、絶対にお返しをすることを自分に課している。

物事を継続するにしても、何にしても、結局は自分の信用を構築するために行っているのだ。

いい情報だけを選別して流し、悪い情報を流さないのも同じ事。

私は聖人君子ではないが、わざわざ自分に不利益な情報を流す必要ない。

いい方向に誤解してもらい、信用してもらったほうが、遙に得策ではないか。

これも、信用が軸だと言う思考があるからそう思うのである。

なんだか、とりとめのないコンフェッションだが・・・

誰かが何かを思い、それで役に立てれば幸いに思う。

N企画
年末に屋台巡り



12月8日

下克上?

かどうかは分らないが、私にとって衝撃的なニュースを目にした。

それはセブンアンド○イつまり、セブンイレブンジ○パンが米国のセブンイ○ブンを完全子会社化したとのことなのだ。

本元は米国のセブ○イレブンだったのに・・・

いつのまにか、支流が本家を上回っていたのだ。

なんだか、創○学会みたいな話である。

だが、このことは示唆に富んでいる。

やはり・・・

結果を出すことがすべてなのだ。

与えられた状況で結果を出すことさえできれば・・・

既存の順列を逆転することも可能である。

そう考えると・・・

本当に最初に結果をだすことの重要性を認識できる。

最初の順列と言うのは、最初にだした結果に拠る。

最初に良い結果を出せば、物事を優位に進められるが、後からでは最初の認識を覆すこともかなり困難だし、不利な状況で結果を出さなければならない事態に追い込まれる。

私が子会社が親会社を子会社化させたことに驚きを感じたのも、一番最初の概念に拠るところが大きい。

最近、思うのが結果の持つ魔力である。

仮に私が投資で億の現金を掴んだら・・・

私募ファンドを募ったとき・・・・

現在では0円かもしれないが、過程が現実だったとしたらどのくらい集まるかは想像できないだろう。

やはり、他者はその人物の結果から出しか判断しないと言う認識は決して間違いではない。

だから・・・

評価する対象が存在する以上、我々は立ち止まることなく結果を出しつづけなければならない。

何もしないことで訪れる安定は存在しないと言えるのだろう。

安定を望むのなら継続努力による、継続した結果を出さなければならない。

結局、人間は楽を望んだ時点でそれが訪れることはないのだろうと思う。

N企画
餅つき大会開催



12月7日

関心が強い分だけ・・・

どうしても、投資の話が多くなってしまう。

さて、昨日に引き続き、本日も株ネタです。

とりあえず、このバブルな値動きのおかげで、多大な含み損を抱えていたサン○オで利食いをすると言うことが可能そうです。

また、バリュー投資で購入した株も軒並み株価が上昇し、含み益を抱えているのですが・・・

注目していたけど、買えなかった株ほどではありません。

ですが、それなりに利益は出ています。

かわで○とサ○リオは明日利食いをして、香港ドルに換金する予定です。

残りのオーテ○クは私の弾きだした理論株価よりもまだ割安なので、これは引き続き保持です。

で勝負のペトロチャイナですが、ようやくまた上がり始めました。

来年の3月頃に配当が出たあと、買い増しを行う腹づもりです。

これが、現時点での私の持ち株のすべてです。

ですが、今年は人民元の切り上げと現在の日本のバブル相場に救われて、年間利回りのパフォーマンスを40%で運用できそうです。

毎年、これだけのパフォーマンスを上げられれば・・・・

あと、3年で1000万円オーバーできるのですが・・・

さすがにこう、うまくはいかないでしょうね。

さて、私的な話はこれくらいにして、先日いつもの銀行員の友人と泥酔教の布教活動をしていたのですが・・・

そのとき、職業上の話で面白いと思った話を聞きました。

それが投信の話だったのですが・・・・

なんでも、一般の人は50歳くらいから将来が気になって投信を買うそうです。

でも、理想は35歳くらいから始めることだと。

現在、私は26歳。

この理想から比べてもかなり早いうちに手を打っているほうだと思います。

何しろ、利回りは運用した年月の長さで大きな差を生みます。

多分、35歳から始めるのと、私の歳から始めるのでは、最終的に、8%以上の利回りを上げられれば、倍変わります。

10年で倍。

そう考えると、投資は早くするのに越したことないし、自分に保険をかける意味でも、やっといて損はない。

人生が80年だと仮定して、8%で運用し、その配当などの利益をすべて再投資していると・・・・

私の年齢からで残り54年、35歳からで45年。

私の元金は2の6乗、つまり64倍、35歳からで32倍になります。

もし、この利回りで運用を続けられたら・・・・

私は80歳の時点で軽く億を超える現金を手にできます。

一方、35歳からだったら、億には届かない。

まあ、その頃に億をもっていても仕方ないかもしれませんが・・・

ただ・・・・

言い切れるのは安心していられます。

無一文で老後を過ごすことはないという安心がある。

私にはこの利回り8%が決して高い数字だとは思いませんが、銀行に預けていては不可能な数字です。

一時損をしても、倒産しない会社を死ぬ寸前まで持っていれば、元本割れすることはないと私は思います。

本来なら、株価も見ずに、積み立てたお金と配当をどんどんペトロチャイナ株に換えていきたいのですが・・・・

これは持っている人間のすることで、持たざる者である私のすることではない。

絶対に下がると確信があるときは、一度売って、下がったところで買戻しをする必要がある。

1株でも多く、積み増したい私としては、そういった時に手を抜くわけには行かない。

それにしても、私が株投資を始めることができるようになったのも、学生時代に気付いた時点で借りれるだけ奨学金を借りたおかげだ。

本来なら、高卒とともに可能な限り借りるべきなのであろうが・・・

ただ、利回りとお金の持つ加速性を考えるに、まとまった資金を無利子で借りられる信じられないほどの優遇措置を存分に利用し、18歳のころから、投資をしていれば・・・・

かなり早期に億の金が掴めるに違いない。

何しろ、奨学金だけで720万まで借りることができる。

無利子の元本720万円を5%で回すだけで・・・・

生涯お金に困ることなどなさそうだ。

投資はやはり早期に行うもの。

今、私の手元にある現金が私の中で、これから得る現金の中で最も価値が高い。

極力、お金を投資に回そう。

N企画
極力投資



12月6日

英国誌エコノミ○ト

最近、本当に日本株式市場が過熱気味だ。

ト○タの奥田会長も発言していたが、バブルな感が否めない。

何しろ、私が注目していたけれど、資金不足で変えなかった銘柄が、さらに加速度的な株価上昇がおきて、3ヶ月で1・5倍になったりしている。

そろそろ、チキンレースでブレーキを踏む人物が現れる頃だ。

で、ちょっと気になる記事を見つけた。

それは英国のエコノ○ストと言う雑誌が、逆説的に日本経済の先行きを的中させてきたと言う記事だ。

つまり、エ○ノミストが日本の勢いがよく、これから景気が上昇局面だと記事を載せると、下降になり、日本の未来が暗いと報じると、景気が上向きになるのである。

1998年から2002年にかけて、2回、エコノミス○の予想は完全に裏切られた。

そして・・・・

今、この雑誌で日本の経済は日の出の勢いと記載されているらしい。

なんだか、危険な香りがする。

臆病な私もそろそろブレーキを踏んだ方がいいのかもしれない。

日経平均がこの15500円付近をピークに反転する兆しなのかもしれない。

投機性のあるものは、他人がそうだと思っている常識の裏をかかないと勝てない。

日本株式を現金化しようかと思っている。

N企画
蕎麦屋で飲み会



12月5日

やはりすべては人

酔えよ、さらば救われる。

相も変わらず、泥酔教の布教活動をしています。

さて、どうも酔うと熱くなりがちです。

だが、逆に言えば、常時熱くなりたいのに、周囲の目を気にしてなれない自分を言い訳するために酔うという口実をつけている気もします。

だが、某私の友人が言うように、熱くなれない奴は信用できないと言うのは事実のような気がします。

というのも、熱さって対象を信用していないと出せないと思うんです。

何しろ、世の中には青臭さを嗤う青臭さを持つ人間がいます。

相手を信用しないと、青臭さを出せません。

何故なら、否定を恐れるから。

やはり、人間は肯定されたい生き物であり、否定を恐れます。

時間を共有する対象に否定されることを恐れるため、手探り状態が続くことは否定できません。

だから、相手を否定しない人間であると言う信用が存在しないと、熱くなれないのではないでしょうか?

そして、それとともに、人は自分を信用しない人間を信じない。

だから、自分に熱さを出す人間と言うのは、逆に言えば、自分をそれだけ信用している人間です。

私の友人の言うとおり、自分に対して熱さを出さない人間は自分を信じていない人間なのではないでしょうか?

それと同時に、他人を否定することはかなり容易です。

というか、言い方は悪いですが、馬鹿でもできます。

何しろ、私の見地から、否定できない人間は存在しない。

本当に、誰でも、どんな聖人君子でも否定しようと思えば、いくらでもできます。

ガンジーだろが、マザーテレサだろうが、売名行為だとでも言えるし、なんとでも否定できる。

すでに作ってしまった自分の大義名分を自己利益を保全するために、偽善を継続した等の誹謗中傷はいくらでもできるんです。

だから、私がそう思うため、他者を否定する人間は私の中で勝てない人間だと思う。

どちらかと言えば、他人を肯定できること、賞賛の声を素直に言えることのほうが私は賢いと思う。

といよりも、できた人間であると。

本当に思うのですが、人の矛盾などいくらでも突けるし、それにたいしてもっともらしいこと言うのは誰でもできるのです。

だが、自分の持論や感情や嫉妬を抑えて、素直に賞賛を送るのは本当に難しい。

そして、私は勝てる人間にはこれが必要だと思うのです。

何故なら・・・

突き詰めてくと、社会生活を送る上で、もっとも重要な能力は魅力だからです。

恐ろしいことに、知識や知恵なんか、魅力には敵わない。

何しろ、本当に魅力がある人間は、黙っていても知識や知恵のある優秀な他人が勝手にその人のためになるであろうと判断したことをやってしまうから。

その人自身は何の知識も知恵も経験もいらない。

それを持っている人間を惹きつけさえすれば勝手にやってくれるのだから。

頭のいい人だったら、相手の言動や行動の意図を考えますし、理解します。

その頭のいい人を魅了すれば、頭のいい人はその魅了された相手により好かれようと思うため、勝手にその人のためになることをします。

だから、魅力が最強だと私は思います。

何しろ、人がすべてなのですから。

勝手に自分のために何かをしてくれる人、こういった存在がいれば、魅力を持っていると言ってもいいでしょう。

逆に言えば・・・・

他人に、勝手にその人のためになる事をしてあげたら・・・・

どうでしょうか?

分っている人間であれば、そのことを覚えていて、必ず、ボールの返球があるはずです。

だが、先にやらなければそう言ったことは存在しない。

ボールは先に投げなければならないのに、先に投げるためには、相手を信じなければならない。

やはり、人間がすべてなんですけど、人間は難しいですね。

先に他人を信じてボールを投げているでしょうか・・・?

私は極力そうするようにしていますが、できていない事も多い。

でも、これはテストなんですよね。

自己ランキングのランキングのための。

ボールを投げて投げ返してこない人間はどんどん自己ランキングが落ちるわけです。

でも、逆に勝手に自分のためになる事をしてくれる人間はランキングが上がる。

ただ、それを気にかけていられるかどうか・・・

ここも明暗を分ける気がします。

なんだか、とりとめのない文になってしまいましたが、泥酔しているため、ご容赦下さい。

N企画

地元で元旦に何か企画します。
私と地元であると自認していて、読んでくださっている方は返信プラス予定を空けて置いてください。




12月4日

コンビニのカード決済

が徐々にだが、行われるようになっている。

で、先日、ビジネス誌で興味深いことが書かれていた。

それはICタグを利用したカード決済と、常連のいつもの商品を棚からなくさないための情報収集だ。

まずは前者から、ICタグを利用したカード決済が実際に行われるようになると、レジがETC化する。

つまり、決済のゲートを通れば、自動的に商品分が課金されカードから毎月残額が引き落とされる。

そうなると、袋詰をセルフサービスにすれば、かなり日常品の買い物の時間が短縮されることになるだろう。

これは、時間のビジネスの1つの形といってもよく、なかなか将来性のありそうな話だ。

ICタグと決済機能をコンビニ業界に売り込む企業は、ぼろ儲けだろう。

今の内に、そういった企業を探して先行投資しておくといいかもしれない。

さて、次に後者の方だが・・・

普段コンビニで買い物をしていて、自分は好きでいつも買っているのになくなってしまう商品などは存在しないだろうか?

私は記憶がある。

わざわざ近くのコンビニになかったので少し離れたコンビニまで買いに行っていたデリシャス○ォーターという飲料。

いつも買っていたのに、ある日突然なくなった。

これは私は好きだったが、他の人があまり買わなかったため・・・

コンビニの棚に置かれなくなったのだ。

だが、このカード決済があれば、いつ誰が何を買ったかが分る。

全国的に人気のない商品でも、その各店舗の常連によってはいつも購入している人もいるかもしれない。

そういったニーズを組み、画一的な商品の陳列ではなく、個々の店舗に合った商品を置くように変わっていく事になる。

なかなか便利そうな話しだ。

そう考えると、現金決済ではなくカード決済に買えるのも悪くはないかもしれない。

コンビニも進化している。

逆に進化や変化が止まると滅する時なのかもしれない。


やまもも日記

朝、やまもものシャッターの前に着くと・・・・

私は絶句した。

膝を折り、地につけ、天を仰いだ。

あああ・・・・

なんてこった。


神も仏も存在しない。

何故・・・

こんなにも客の来ない、か細い営業を続けているやまももに・・・・


このような不幸が起きるのだ。


昨日まで・・・・


昨日まではなんともなかった。


それは確認した。


しかし・・・・


その日のやまもものシャッターを上げにきた私の目にしたものは・・・・


壊れた夢の破片ともいえる・・・・


こなごなに打ち砕かれた・・・・


やまももの看板の破片・・・・


遠くから、何気に異変、違和感には気付いていた。

気付いてはいたが・・・・


まさか看板が粉々になっているとは思わなかった。

かき集めれば、やまももという単語を作るであろう、平仮名のパズルがなお痛々しい。

ピンクがかった看板が、落としたグラスのようにばらばらになって散乱していた。

見上げると・・・

それが看板の形をなしていたであろう所定の位置に・・・・

ひしゃげた枠組みが、かろうじてぶら下がっているだけだった。

あああ・・・

何故だ・・・・

一体誰が、こんな真似を・・・・

私は即座に2つの可能性を考えた。

1つ目は悪意をもった人物がバットで粉々にしに来た場合。

2つ目が背の高いトラックが違法駐車をしようとして、看板にぶつかりそのまま逃げた場合。

普通に考えれば・・・・

後者だ。

悔しい・・・・

次回はマキビシを撒いてやる。

そんな不毛なことを考えた。


そして、ひとつひとつ壊れたやまももの破片を拾い、片付ける。

涙が止まりそうもない。

ああ、やまももよ。

そして、折れそうになる心を支えて営業開始。

すると・・・・

傷心の私の傷口に辛子を捻りこむように・・・・

私が以前に購入した駐車禁止のコーンが中年の女性の乗った自家用車に轢き潰される。

ああああっ!!

なんてことを・・・・

厚顔無恥にも程がある。

何故、駐車禁止とかかれているコーンのところで駐車をしようとして、コーンを轢き潰すのだろう。

そこに駐車しないでくれという意図をもって置いていると言うのに・・・

これは本当にマキビシを買わなきゃならなさそうだな・・・

マキビシ注意という看板を置いてやろうか・・・

そんな悲しいことの連続の営業でした。

そして、来客はいつもの老人のみ。

生きるって悲しいこと?

やまもも総営業時間460時間
やまもも売上げ110400円+1000=111400円

時間あたりの販売価格約240円




12月3日

専門家の分析

これほどアテにならないこともないなと思わされた。

というのめ、私は10月からZ○Iの購読を始めたのだが・・・

証券アナリストの今後の市場動向の予想などが書かれている。

で、もちろん、原稿の執筆をしたのが、発売される日よりも何週間も前なのだろうが・・・・

現実との乖離が酷すぎて、失笑すらしかねない。

というのも、現在の日経平均株価は約1万5500円。

だが、彼らの予想の多くが、1月号にて、年内に13500円が天井だと主張しているのである。

もうピークは過ぎて12000円になると予想している人物すらいる。

つまり、専門家を自認する彼らの常識の彼らの予想はまったく事実とは異なった予想をしているのだ。

私が予想した方が当るのではないかとすら思えてくる。

彼らの学習しているのは、机上の学問であり、実学ではない。
まったく、予想に人間の心理と言ったものが組み込まれていないのだ。

あの雑誌にかかれている内容で、事実と意見の違いを見極めなければ、痛い目に合うなと再認識した。

それに・・・


書かれているお勧めの割安株など・・・

私的にはとても割安には見えない。

PER60倍の株を割安と主張するなど、私の概念からすれば、詐欺同然だ。

が、私とは認識の違いが存在するのだろうから、それに関しては非難できるものではない。

だが、やはり、最終的に大きく勝っている投資家の投資方法はバリュー投資だと再確認できたのはいい。

それはそうだ。

バリュー投資が、私のいう投機性をはらむものすべてにおいて言える必勝法である根拠の存在を確認できる。

どう考えても、実際の価値より安く売られているという現実の根拠に勝る、必勝の根拠など存在するだろうか?

ゴールデンクロス?

何故、チャート上にそれがでると株価が上がるのか説明して欲しいくらいだ。

統計学が持ち出されるのかもしれないが・・・

解散価値より株価が安いと言うことに比べて、根拠の薄さは否定できないと私は思う。

ZA○を読みながら、そんな否定的な感情を持ったのだが・・・

私見による、これから先を考えると・・・

やはり、人間である以上、1円でも多く、1%でも有利に運用がしたいとなるのが人情だ。

で、最近の日本株の株価上昇は外国人投資家の買いのためだといわれている。

つまり、本国では株価の上昇が期待できなくなったため、上昇余地の高い海外の株価に手を出して少しでもよい、キャピタルゲイン等を得ようとしているのだ。

一般的に、外国人投資家といえば、米国人がメインだと思われる。

米国では割のいい商品がなくなったので、日本にきた。

で、日本の株価が上がり始め、安全神話のようなものが出来上がり、新規に参入する個人投資家が株価をさらに吊り上げ、外国人投資家が売り抜ける姿が思い浮かぶ。

で、これで日本の株価が暴落する・・・・

というシナリオでは終わらない。

まだ、まだチキンレースは続く。

今度は、中国・インド・ロシア・ブラジルだ。

リスキーだが、高利回りにつられて、ここがまた高騰するだろう。

何しろ、中国株は、PER10倍が当たり前と、日本株に比べれば遙に割安だ。

今度、ここの株価が急騰し・・・・

新しい投資先が見つからなくなると、飽和して暴落がやってくると思う。

ということは・・・

私の体験上では、まだ大丈夫そうだ。

早めに、上昇基調の日本株を処分して中国株につぎ込みたい。

何気に・・・

株式投資では私は結構利益を得ていたりもする。

うまく転がせば、30代前に1000万円も不可能ではない状況だ。

あと、4年で2・5倍。

それほど困難だとは思いたくない。


やまもも日記

今日も無人の店で客を待つ。

どうも席の配置を仕方を父が変えたらしく、良くなった気がする。

でも・・・

どうせ誰も来やしないだろう。

なのに、何故続けると疑問に思うかもしれない。

その答えは、「どうせ」と「誰も」の間に、ある言葉が隠されていることを言っていないからだ。


その間には、「まだ」という2文字が隠れている。

そう、先日読んだ本でも知ったが、物事は3年続けてうまくいくというのだ。

やまももはまだ半年程度。

まだまだ、結果が出るのを求めるのは早いだろう。

たったこの5倍、継続すればいいのだ。

たいしたことではない。

必勝法はうまくいくまで続けること。

これを知っているか知らないかが勝負の分かれ目なんじゃないかとすら私は思う。

そして、大航海時代に突入していると・・・・

カランと扉が開いた。

先週の、リピーターの老人がまた顔を出してくれた。

馬券が取れたことに気を良くしたのだろうか?

が、常連が増えるかもしれないことは素直にうれしい。

そして、いつもの常連の老人が来てくれた。

このまま、やまももは常連の二人目を手にできるのだろうか?

可能であれば、常連は3〜4人ほしいところなのだが・・・・

少しづつ・・・・

本当に少しづつだが良くなってきている。

継続が望みを叶えるためのものであることを証明しよう!!

やまもも総営業時間452時間
やまもも売上げ109100円+1300=110400円

時間あたりの販売価格約240円



12月2日

報道について思うこと

基本的に私は、作り手に思考を操られているような気がしてテレビをまったく見ません。

やはり、聴覚、視覚に訴えるテレビの影響力は絶大で、偽りであったとして、テレビでそうやっていればそれが事実に思えてしまう。

そして、人は昔の記憶は忘れ、間近にテレビでやったことを正しいと信じ込む。

今でも、忘れられないのが、前にも記載したが、たしか・・・

フジテ○ビの18時から報道するスーパータ○ムというニュース番組だったと思う。

私が小学生5年生くらいのことだから・・・今から16年ほど前の話しだ。

その番組で堂々と、パソコンに付着している細菌を顕微鏡で見たものを映像にして、コンピューターウィルスであると断言していた。

仮に・・・

今同じ番組をやったとしたら・・・

抗議の電話が殺到するだろう。

つまり、その時点における作り手の知識以上の代物は報道されることはなく、視聴者にこう思わせようと思っている内容を流すのだ。

決して、真実・事実が報道されるわけではない。

作り手の意図が報道されるのだ。

それと同時に・・・・

テレビ番組には肯定力が存在すると思うのだ。

肯定力?

そう、肯定力だ。

どうも、ニュースに何にしても、センセーショナルであればあるほど・・・・

連鎖性がある気がする。

例えば、オレオレ詐欺にしても、いじめを苦に自殺も、少女殺人も、一度報道されると、その異常な事件が連鎖的に起きるとは思わないだろうか?

私だけじゃないはずだ、同じような事件が続くと思っているのは。

私が思うに・・・

こういった事件を報道することは、逆にタブー性の解放のような気がする。

というのも、それをやったらまずいと言う意識が、実際にやった人間の存在を知らせることで、そういう思考をするのが自分だけではなく、異常だというわけではないという自己肯定に繋がるのではないか?

また・・・嫉妬もあるのではないか?

自分がやりたいと思ってしまうことを他人がやることが羨ましい。

他人がやっているのに、自分がやらないのは不平等な気がしてしまう。

そんな意識を芽生えさせるのではないか?

だから、私が思うに、事件と言うのはあまりセンセーショナルに取り上げない方がいいのではないかと思うのだ。

いじめを苦に自殺にしたって、今から10年前、全国に吹き荒れた。

これも、大きく報道することで、そういった選択をすることがいけないことではなく、皆がやっていることなんだと言う意識を植え付けたためなのではないだろうか?

正直、今回の少女殺人だって、何故こんな近い時期に同様な事件が起きたのか?

異常者の心理は私には分らないが、それをやりたいと思っていた犯人が、実際にやってしまった人間の大きな報道を見て・・・

タガが外れたのではないか?

それを望んでいる自分を差し置いて、他人がやってしまった。

何故、自分もそれを我慢せねばならないのだろうか?

先を越されたという悔恨すら存在するのかもしれない。

だから、大きく報道する事件というものは連鎖性があると思うのだ。

そう考えると、報道はかなり危険なものだと思える。

実際に情報統制が行われて、ずっとテレビで流しつづけられていたら・・・・

見ない人間以外、間違いなく洗脳されるだろう。

視覚と聴覚に訴えかけつづけられて、作り手が、このように洗脳しようと言う意図をもって番組を流しつづけていたら・・・・

間違いなく、それが正しいことになる。

断言できる。

だから、私はテレビを見ない。

その恩恵よりも危険の方が大きく感じてしまうから。

皆さんは・・・

テレビで見たことを盲目的に信じてしまっていることはないでしょうか?

N企画
今ごろエヴァンゲ○オンを もう一度見る



12月1日

好調の法則

に気付きました。

結局、何事もそうなんですが・・・・

良くなるときって、加速度的によくなるんですよね。

例えば、株価もそうですし、営業成績や、売上高なんかも全部そうなんです。

それまでは、貼りついたようにまったく変わらないのに・・・

ある日、堰を切ったように急上昇する。

ブル(強気相場)はゆっくりと階段を踏むようにやってきて、ベア(弱気相場は)窓から飛び出すようにやってくる。

と言われますが・・・

私はブルも急にやってくるような気がします。

本日も日経平均は急上昇、1万5千4百円台になりました。

ほんの、3ヶ月前までは1万2千円の壁を越えられなかったのに・・・

ここ3ヶ月で約30%の上昇です。

私の注目していたけれども買えなかった銘柄も、ある日突然、変質したかのように・・・

軒並み1・5倍くらいになったりしています。

どれも、ここ三ヶ月間の話です。

こういった事例を見ても、良くも悪くも変化は急激であると言えます。

そう、変化はいずれにせよ急激なもの・・・

だから、何事も継続が大事なのだと思います。

理由は、そんなに急に変わることはないと思って、諦めてしまうことがあるからです。


でも、変化が急に起きるという認識があれば・・・

諦めなくなると思うのです。


何しろ、明日急に継続をしていることの結果が出るかもしれないから。


だから、好調も不調も急に起きるものだと言う認識が必要なのではないかと思います。

N企画
一晩中トランプを興じる。