Nスポ


11月30日

モチベーションコントロール

さて、本日は泥酔更新です。

本当は日経平均一万五千円越えを間近して注目していて買い損ねたコンビニ代行収納システムを作った企業のい○たかの話をしようと思っていたのですが・・・・

この企業今年の4月12日号のNスポでも紹介しました。

親子逆転現象の起きている会社で、私が紹介したとき、株価は600円〜700円だったのですが・・・・

現在900円、勝てると私が思った根拠を書こうと考えていました。

ですが、泥酔教の布教活動です。


酔えよ、さらば救われる。


ちょっと、飲んで会話して思うところがあったので、そちらを優先します。

若干、酒が落ちないので、論理の飛躍等があるかもしれないですが・・・・

それに関してはご容赦ください。


正直、傲慢な話かもしれませんが、人と接する時間に、私は楽しい以外の何か学習を求めてしまいがちです。

つまり、相手の話から学べる何かがあるとかなり嬉しい。

もちろん、私の学ぶ能力が低くて、何も学べない場というのも存在すると思いますが、反面も正当も合わせて人と会う時間はやはり何らかの学習があると思っています。

今日はいつもの大学時代の友人に誘われて飲んだわけですが・・・・

何度と聞いている話から、少し思うところがありました。

同じ話でも受け取り側の心理的状態によっては、関連して思考することが違うのだな等と感慨に耽りながらも・・・・

思考する材料をもらえたことを感謝しようと思えます。

それは私の会社員時代と彼の会社員生活との対比です。

彼は昨年度、絶対的に不可能だと思える条件で、休日出勤等の自己努力をを繰り返し、与えられた目標を達成し、責任者にどんな魔法を使ったんだと問われる結果を出した。

一方私は、会社員時代、軽んじられているとしか思えない条件での目標を与えられた。

で、私はその自分を軽んじているなと思える条件に対して憤りを覚えて、やる気が0になったわけですが・・・

彼は結果を出して、現在は不満が大分少なくなった状況にいる。


一方私は、既にその場においては巻き返しは、労力に対して既成の私に対する概念を変化させるのは割に合わないと断定し、且つ、巻き返したところで何もいい事がないと判断して退職した。


さて、違いは何だろうか?

まず、言える事としては、最初に結果を出すことの重要性の認識が私は甘かった。

だから、自分に不利な条件で最初の土俵に上がることになった。

ここに関しては私に責任がある。

だが、同様に私は自分が所属した会社の社員との価値観の乖離が大きいことを認識していた。

普通でありたくて、普通の概念の範囲を広げるがためにごく狭い範囲の特異を作り出し、その特異を叩くことで普通を維持するようなやり方に、疑問を感じたのだ。


そう、以前にも主張したが、飲み会でそこにいる一人の人物をピエロにするやり方だ。

それなりの精神年齢を持っていれば、こんな飲み方をしない。

女性を口説くような状況でない限り・・・・

ピエロを作るのであれば、他人ではなく自分にするべきなのではないかと私の価値観が主張している。

そう、飲み会といった会の目的は参加者全員の懇親という目的が強いのではないだろうか?


何故、その場にいる人間のスケープゴートを作ることで、他の全員が楽しめればいいという飲み方をするんだ?

これでは江戸時代の身分制度、えた・ひにんを作ることとなんら変わりがない。

私の持つ物差しで言えば、クレイジーな部類だ。

今は現代で、学校で歴史を学んでいると言うのに・・・・

昔ながらのこのやり方はスマートさを感じさせない。


私の一つ上の先輩が丁度このえた・ひにん役のピエロだった。


正直、私が大学関係で飲んだ飲みでこんな飲み方をする場は存在しなかった。

もしかしたら、私の認識においてだけかもしれないが・・・・

皆が皆、その場にいる全員が楽しめるように配慮しあうのが飲み会の正しい飲み方だと信じていた。

だから、私は極力関わりたくないと判断した。

精神的な若さがそうさせることなのだろうが、何故、自己認識における普通の範囲外の人間をその認識の中で普通の人の外にしてしまうのだろうか?

受け入れる度量の広さがなければ、度量の狭い人間が上に立つ企業であると末端が考えるとは思わないのだろうか?

だから、私は平均年齢の若い企業は危ないと思う。

こう、度量の広さを示す大人がいないのだ。

だから、誰もそれを学べない。

力をもった派閥のような存在があり、その長が若ければ、その長の正義が絶対の正義となる。

その絶対の正義以外の存在を排除するやり方は、弱者同士でやることだ。

役職者というのは、すでにそれだけで強者だ。

強者は自ら握手を求めることができるが、弱者はそれができない。

何故なら、強者には選択肢が存在するが、弱者にはそれがないから。

だから、まずは、上に立つ者というのは、弱者である新入社員などに受け入れる度量があるよという情報発信をすべきなのだ。

大丈夫だからと。

受け入れた上で、まずいところは指摘するよと言うスタンスであるべきだと思うのだが・・・・


若すぎる人間だと、そうは思えない。


最初から、自分の正義・常識に抵触する人間は排除すると言うスタンスだ。


I am low.

それはそれで構わない。

だが、そういえる強者であるのだから・・・・

先に強者は寛容さを示すべきだと考えるのは、私だけのlowなのだろうか?


そんなわけで、私には会社とそれを支える社員に対しての不信が存在した。

実際に、一部を除いて、この人物が役職者である時点でこの会社は頭打ちだなと思っていた。

自分が信じていない人間によく思われようと努力できるほど、私はできた人間ではない。

だから、どう思われてもいいという開き直りが存在したのだ。

というよりも、何も考えずに就職したため、入社後、一ヶ月で3年以内の退社を決意したのだから・・・・

どうでもよかったには違いない。

その場における結果を出すことに価値を見出せなければ、労力を割いて結果を出すことに己の自尊心を投じることはできない。

私はその場で結果を出しても意味がないと結論付けたため、努力をしなかった。

本気になれば・・・・という言い訳に似た感もあるが、実際に、自分が価値を認めるもの、面白いと思えるものに対してでなければ、人間は本気になることは難しいと思うのだ。

一方・・・・

この友人はどうだろうか?

様々な別の要素があるとは言え、私と同様に不可能であると思える条件であったには違いない。

だが、彼は努力によって不可能を可能に転じさせた。

何故、それができたのかを問うと・・・・

今まで負けてきたことがなかったこともあるのだろうが、彼はすべて達成できない自分が許せないから、本気になれば1つくらい可能であるという自尊心を満たすためにそうしたと言ったように私は解釈した。

そう結局、人間はプライドの生き物なのだ。

私にもプライドは多分にある。

だが、そのプライドを証明する場として、現在自分のいるところが妥当であるかどうか、そこの判断に違いがあった気がする。

もちろん、彼は努力で結果を出し、私は結果を出していないのだから、どうこう言える権利はない、

しかし、プライドと言うものは、そのプライドを証明するための対象が必要なのではないだろうか。

誰に己が自尊心を誇りたいか?

小学生相手に、私はそれなりの有名私大を出ていると誇ったところで意味がない。

何故なら、私は小学生に対して価値を見出せないから。

逆に言えば、自分が価値があると認識できる場において、結果を出すために努力をすることは正常な自尊心だ。

だが、どうでもいいと思える場で結果をだすことが自尊心と思えるか否か。

いや・・・・

それを含めて、自尊心の高低かもしれない。

だが、私はどうでもいいと認識した場で結果を出すことで自尊心を誇る気になれなかった。

彼は、どうなのかは分らないが、おそらくそこで結果を出すことが自尊心を満たすと判断し、実際そうなった。

ここの価値観に差があると思うのだが、私のような思考をすることがそもそもの過ちなのかもしれない。

他に価値を見出せないから、その他から価値を見出されないのだろうか・・・

それとも、自己基準で物事を計ること、つまり郷に従いきれないこと自体が私の勉強不足なのだろうか・・・・

彼の話を聞いて、そんな思考をした。

結局、モチベーションのコントロールは自尊心に拠るものなんじゃないだろうか?

ちょっと泥酔しているので、感情論も入っていますが、今日は推敲なしでいきます。

たまには、そちらの方が面白いと思ってもらえるかもしれない。


N企画
独楽を作る



11月29日

JBR

という会社が存在する。

ここのビジネスモデルがなかなか面白いと感じたので、紹介する。

正式名称はジャパンベストレ○キューシステム。

何をしている会社かといえば、全国に加盟店を持ち、顧客から電話があると、いつでもすぐに顧客から一番近い代理店が駆けつけて、生活における困りごとを解決するサービスを提供している企業だ。

24時間対応しており、窓ガラスが割れたとか水漏れがするとか、雨漏りがするとか、鍵を無くしたとか、そういった困りごとの電話を受けると、一番顧客に近い代理店から、それを解決できる人を派遣する。

料金は、それなりの金額だが、困りごとを放置しているよりはいい。

実際に、我々は日常の困りごとの解決方法を実は知らなかったりすることが多いのではないだろうか?

例えば・・・・

風呂場が詰まったら・・・・

どうやって解決するだろう。

次の日になって下水管等の会社を探し、来てもらう。

修理がその場でできるとは限らない。

というよりも・・・・

連絡をして、その日にきてくれるかどうだって分りはしない。

ところが、このビジネスモデルのうまい所が24時間対応をしており、すぐに現場に向かうところだ。

私が思う、時間のビジネスに入ると思われる。

そして、すぐに行くから、若干割高であったとしても、納得はできるし、最初のどこに連絡したら解決できるかに時間を取られない。

本社は愛知にあるようだが・・・・

代理店は全国にあるそうなので・・・・

困ったことがあれば、ネットでJBRを検索してみるのもいいかもしれない。

N企画
300Kくらいでデイトレ



11月28日

良い会社の結論

ふと、考えた、良い会社とはどういう会社かと。

そして、だした答えはこれ以上ないくらい単純かつ明確な答えだった。

それは・・・・

儲かり続けている会社がいい会社だということだ。

何を当たり前の事をというかもしれない。

だが、突き詰めて考えるとこれは最も妥当な答えだ。

何故なら・・・・

儲かっているという結果は、なんらかの儲かる原因が存在するから起きるのである。

私が兼ねてから主張しているように、仕事で結果を出すには、結果を出す為の因が存在しなければならない。

それを私は本人が面白いと思うことに置いている。

同様に、儲かっている会社は儲かる要素が存在する。

社員が自主的にその企業のために何ができるかを考え、実行するといった原因があるはずなのだ。

その原因を作り出すためには社員が高いモチベーションをもっていなければ、できない。

つまり、ES(従業員満足)がないとこれは起きないのではないだろうか?

ただ、儲かっている企業の中にも不当利得を得ている企業もあるかもしれないので、すべてがすべてとは言えないが・・・・・

ただ・・・・

儲かっていない企業は最初から話にならない。

無論、儲かっているという表現は非常に抽象的でどのくらいをそう指すのかは個人差が存在するが・・・・

やはり、結果というものがすべてとはよく言ったものだ。

何故なら、結果を出すためには結果を出すための要素がなければ不可能だからだ。

つまり、結果を出せる人間は即ち、求めるものを持っている人間や企業と考えることができる。

そう考えると、やはり、人や企業はその存在が続くまで結果を出しつづけなければならないのかもしれない。

N企画
儲かっている企業ランキングを調べる



11月27日

失敗本

成功本も、私はかなり役に立つと思ったが・・・

やはり失敗がかかれている本も、かなり役に立つ。

何故なら、当事者でないため、冷静に他人の失敗の理由がわかるからだ。

11月24日のNスポで書いたとおり、起業バ○という本を読んだ。

先日ビジネス誌にも載っていたテンポスバス○ーズの社長の話も書かれていて、非常に面白かった。

それ以上に・・・・

何が失敗をもたらせたのかが良くわかり、考えさせられた。

やはり、世の中世知辛い。

リアルな現実がかかれている分、非常に納得がいった。

そこに、かかれていた言葉で面白いと思ったのが・・・・

バカは他人の成功に学んで失敗し賢い人間は他人の失敗に学んで成功する。

なんだか、ビスマルクの言葉とされている・・・

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという言葉に似ている。


だが、実際に、自分の経験上の判断など、判断の範囲が小さいことは否めない。

やはり、他人の失敗を自分の糧とするのが一番正しいだろう。

なにしろ・・・・


自分の失敗は気付かない時がある。

でその本を読んで再度確認したのだが・・・・

やはり・・・・

要はコストと利益率だ。

固定費が企業を殺し、利益率の低い仕事が社員をルームランナーに乗せ疲弊させる。

絶対的に・・・・

無から有を作り出す何かでない限り・・・・

もたないだろう。

その本を読む限り、当たり前の話しだが、倒産する企業というのはお金が回らなくなった企業だ。

つまり、固定費が利益を上回っている企業。

当たり前すぎる話だ。

だが、案外当たり前を見逃す人間は多い。

基本的には一円もかからず、自分の行動、つまり労働を高い利益に変換できるサービスであれば利益は出る。

だが、固定費が高いと苦しい。

家賃や光熱費、人件費、こういった当たり前にかかる費用を0に近づけないと・・・

利益は出ないものというイメージができた。

やはり、そう考えると究極のビジネスはブランドだろう。

無のものにブランドと言う価値をつけて高額で販売する。

だが、無からブランドを構築するには金が要る。

やはり・・・

2極化が進むのは否定できないかもしれない。


持たざる者は、名や体裁を捨てて、実を取ることを選択すべきなのかもしれないと思う。


やまもも日記

しかし、誰も来ない。

だが、少し、この読んだ書籍に救われた。

というのも、新しいことをやって軌道に乗せるためには3年かかるそうである。

やまももはまだ半年。

この6倍くらいの期間が必要だと言うことなのだろう。

そして、成功本にも失敗本にも書かれている必勝法は同じだった。

それは・・・・

うまくいくまで継続すること。

これ以外に勝つための必勝法など存在しないのだ。

こんな当たり前の事だが、知っているのと知らないのでは雲泥の差だ。

何しろ、予兆はない。

うまく行くときというのは加速度的に急に良くなるから。

だから、ある日を境に急変する。

そのある日がいつくるか分らない。

であるから、うまくいくまで継続することが必要なのだ。

やまももも・・・・

きっとある日を境に急激に良くなるだろう。

そもそも、世の中に最初からうまく行きっぱなしのことがあると聞いたためしはない。

さあ・・・・我慢比べだ。

そんな私は今日も大航海時代。

もはや、世界中を捜しても私の操舵の右に出るものはいないのではないかと思える。

そして・・・・

いつもの常連がきてくれて、今日もやまももは閉店。

ありえないくらいに人が来る日を願って止まない。

やまもも総営業時間444時間
やまもも売上げ108100円+1000=109100円

時間あたりの販売価格約240円




11月26日

ずっと書かれていたが・・・・

それほど気にしていなかったビジネス誌の話題がある。

それが世界的金余り現象だ。

どうも、以前になんかの本で読んだが、お金はそれ自体に自己増殖機能のようなものを持っている。

だから、効果的な投資を求めて、潤沢な資金が飛交い続けるのだ。

ただ、現在はその有利な投資が見つからず、お金がだぶついている。

だから金余りと表現されているのだが・・・

その金余り現象は、リスクが高い高利回りの投資商品市場を活性化する。

現在世界の年金・保険・投資信託の運用資産総額は約46兆ドルで、ここ5年で3割増加したらしい。

そしてリスクプレミアムの低下が指摘されている。

リスクプレミアムとは、投資家が資産所有に伴なうリスクに対してのリターンの高低を表す。

つまり、リスクプレミアムが低いと、リスクに対してリターンが小さくても構わない投資家が増えているということになる。

そして、歴史はこの低いリスクプレミアムが相場下落と経済成長鈍化の前兆となってきたらしい。

だから、最近、日経平均の上昇がおかしなことになっているのだろう。

だが・・・・
低いリスクプレミアムでも投資家が投資をするようになると・・・・

チキンレースのスタートだ。

どこまで、投資を続けるか?

海に落ちたらゲームオーバーだが・・・

ぎりぎりまでアクセルを踏み込む。

で、他人が投資で利益を得ているのをみて、次々とチキンレースの参加者が増えていく。

確かに・・・・

リートを含めて、最近は危ないと感じる物が多い。

だが・・・

私の周りで新たな参加者の話を聞かないから・・・・

まだしばらくは大丈夫だろう。

ただ・・・

トップページにある売り時は、厳守した方がいいかもしれない・・・・

さて、そんな世界的金余りで感じたことが一つ。

やはり二極化は止まらない。

そして・・・逆転はまずます起こりえないことになっていく。

何しろ、持たざる者の我々は持っている人間よりも有利な利回りで回していかなければ資産は増えない。

だが、有利な投資があれば・・・・

余っている資金が殺到する。

だから・・・

すぐに有利な投資は消滅し・・・・

持たざる者はやはり勝てない。

結局、有利じゃない投資をリスクを取って行い、まだ儲かると思って後から参入してきた自分より知識の不足している相手から毟るしかないのだ。

かくして、毟られる人間と毟る人間が同居し、チキンレースは終わらない。

そして、一度チキンレースが終われば・・・・

暴落の嵐・・・・

どう考えても・・・・

既に持っている人間と同じ条件になろうとすることはかなり難しい。

新しいものにリスクを取って入っていくしかないのではないだろうか?

幸いなことに、ネットで中国株が買えるようになった初期に私はそれなりに仕込んでいる。

日本株の上昇が落ち着いた後は・・・・

再度中国株だろう。

何しろ・・・・

日本株に比べて、まだ有利な投資といえるから。

PERも配当も。

なんとか持たざる者から脱出したい。


やまもも日記

どうせいつもどおりだろう。

そんなことを思っていた。

私はサクッと準備をすると、ネットを開いてやることを少々片付けた。

そして、船旅にでる。

冬の航海は寒くて仕方がない。

暖房をつけるが、どうも体温が落ちるので眠れない。

がしかし・・・・

気付けば、船旅にでていた。

その時・・・

カランとやまももの扉が開いた。

反射的にいらっしゃいませと叫んだ。

てっきりいつもの常連の老人だと思っていたのだが・・・

見ると以前にリピーターとして2〜3回来た老人が立っていた。

約・・・・4ヶ月ぶりだ。

本当に久し振りだが、まだ忘れられていなかったらしい。

こういった客が100人くらいいれば、やまももも繁盛するのだろうけどな・・・・

だが、継続をしていけば・・・・

いずれそうなる可能性も高い。

うまくいくまで続けるだけでいい。

その後、乗馬帰りの友人がわざわざ顔をだしてくれて・・・・

常連の老人を含めて3人。

今日は盛況と言えそうだった。


やまもも総営業時間436時間
やまもも売上げ106200円+1900=108100円

時間あたりの販売価格約240円




11月25日

自主性

について考えさせられる体験を2つした。

1つはいつものファミレス○ニーズで深夜の読書をしていたときだ。

夜○ニセットと価格の安いセットがあるので、それを頼む。

タラコスパゲティがお気に入りだったりして、セットの紅茶を頼む。

やはり、珈琲はカフェでないと美味しくない。

だから、ファミレスでは基本的にはホットミルクティをよく頼む。


それで、食事とスープと紅茶を頼んだのだが・・・・


私は絶句させられた。

と言うのも・・・・

一番最初に出てきたのがホットの紅茶だったからだ。

これからスープと食事がくると言うのに・・・

最初に紅茶?

この店員が自分で食事をするとしたら、最初に紅茶を飲んでから食事を取るのだろうか?

それとも、自分じゃないから、手間を省略するために先にそうしたのだろうか?

少し思考をすれば、どうすれば、私が快適な食事をできるかは分りそうなものだが・・・

そんなサービスをする必要はないと考えているのであろう。

私が飲む頃には紅茶も冷めている。

マニュアルに載ってはいないのかもしれないが、ただ、何のために頭はあるのだろうか?

決してそれは飾りではなく、自主的に工夫をすることができるはずだ。

店員同士で夜中にずっと談笑していられるほど時間があるのであれば・・・

もう少し、自己価値を高めるための自主的思考があったっていい。

とは言え、私自身もそれを求めるだけの相応の対価を支払っているとは思っていないし、それでも食事を出すと言うサービスを受け取っている以上、感謝はしている。

だが、この自主性のなさは学ばせてもらった。

言われたことをやっていればいいと言う姿勢は自己価値の毀損だ。


逆に行きつけの居酒屋のチェーンの女性店員は面白いことを言っていた。

夜は居酒屋でバイトをして、昼間は英会話の教師をしているそうである。

最初は、どこかの会社に所属してやっていたのだが・・・・

やり方に疑問を感じて独立をしたらしい。

そして、お客もそのまま、独立した自分の方を選択してくれたと言っていた。

そのため、授業料の実入りは良くなったし、やりたいやり方でできるようになり、お客も授業料が安くなったらしい。

会社との雇用契約上は問題のある行為なのかもしれないが、この自主性は面白い。

やはり、自分で思考して自分で行動すること。

果実を得ようと思ったら、それをするしかない。

FCのように・・・・

他人の作ったシステムで儲けようと言ったって、そんなにうまくいくことなどないのだ。

自主性・・・・

仕事や日常にそれを取り入れているだろうか・・・・

N企画
来るべき時(暗殺?)に備えて剣舞を習う



11月24日

引き屋と買い屋

本日、近所のツ○ヤに行き、書籍を1つ購入した。

その名も「起業バ○2」

要するに起業だ独立だと言う煽り文句を真に受けて、他人の褌で利益を出そうとし、破滅する人々を書いた本だ。

2というだけあり、1の方もかなり売れたらしい。

これを途中まで読んで思ったのが・・・

やはりFC(フランチャイズ)は運営する側に居るべきであって、フランチャイズ権を購入するものではない。

他人がシステムを作り、その道の上で利益を出すことなど困難極まりない。

もし・・・・

本当に儲かる立地条件なら、胴元がフランチャイズ権を販売するより、直営店を出店しているだろう。

FCなどまさに他人の養分と断言できる。

他にもIT起業やアフェリエイト型で破滅する人々について書かれていたのだが・・・

やはり、本質は無から有を作り出していないことで、コストを発生させているところに問題がある。

それと仕事を回してくれる人脈のなさだ。


なかなか興味深く読んでいる途中なのだが、ひどく目が覚めた内容が書かれていた。

それが引き屋と買い屋の話しだ。

世にあるディスカウントショップ。

いつもいいものが安く売られたりしている。

何故、それが可能なのだろうか?

コストの安い中国から輸入している?

倒産の在庫品を安く買い取っている?

そう言われているが、私は前々から疑問を感じていたのだ。

そんなに安定供給を続けられるほど、倒産が繰り返されているのだろうか?と。

ブランド品だったら、例えばお菓子一つとっても中国産などは存在しない。

たけ○この里がメイドインチャイナなはずはないだろう。

メーカー直取引にしたって、あまりの安値での商品の販売はメーカーのブランド力を傷つけるから、メーカーはそんなところに卸したがらない。

なのに、何故・・・・?

その答えがやっとわかった。

それがアングラ系(不法)の流通経路の存在なのだ。


そして、それが引き屋と買い屋。

引き屋は卸し業を営んでいる企業を信頼させて、商品を騙し取る仕事だ。

つまり、既存のペーパーカンパニーを購入して、ビルを借り、カモを信用させて、取引を開始する。

そして、最初の方、ある程度の注文をし・・・・・

ちゃんと代金を支払う。

そしてあるとき・・・・

破格の物量を注文し・・・・

代金を払わないで夜逃げする。

で、その持ち逃げした商品をロンダリングするのが買い屋の仕事。

卸値の50%程度で引き屋から購入し、ディスカウントショップに卸したりする。

ディスカウントショップそのものが買い屋の場合もある。

結局、商品を騙し取られた企業がまるまる赤字を被り・・・

その間から、末端の消費者まで全員が得をすると言う恐ろしいシステムになっている。

世の中、本当に旨い話というのはない。

すべてが旨く行きすぎていたら、何かがおかしいと疑ってかかる必要があるかもしれない。

それにしても、やはり他人任せで利益を出そうとする助平心が破滅をもたらせるのだ。

投資信託もやはり同様だろうなと思ってしまう。

かねてから言われていることだが、他人がもってくる儲け話は何故その本人がやらないのかを聞いてみたほうがいい。

旨いことだけの話は嘘だ。

利があるものには必ず、リスクが存在する。

いいところ取りは出来ないようになっているのだ。

だから、リスクを説明する話のほうが絶対に安全だと話す話より信用できるし、そちらの方が利益を出せる可能性が高いのではないだろうか?

そんなことを考えさせられた。

N企画
破滅した人をブログ検索



11月23日

ワインファンド

本当に、世の中は経済を中心に回っていると思わされる。

不動産ファンドや言葉のファンド、本当にいろんなものがある。

おそらく、美術品や骨董品のファンドすらあるんじゃないかと思わされる。

さて、本日はその中でもワインファンドが気になった。

というのも、私自身はそれほどワインに興味がないのだが・・・・

青年誌を書いている漫画家等はよくワインの話を書くことが多い。

味が分るのかどうかは不明だが、薀蓄としてワインの話をしたがる人が多いことも事実だ。


もちろん、そういった人物はやはりそれなりの経済力を持っているだろうし、ワインの話ができた方ができないよりはいいだろう。

やはり有名なのはフランスのブルゴーニュ地方の葡萄畑で作られる葡萄からできたワインだろう。

で・・・

ワインを寝かせておくと、熟成し風味が良くなるとされています。

コルクを通して、微量の酸素で酸化させるためなのですが・・・

その旨いワインにとんでもない金額がつく。

で、これを保管して味が良くなった頃にだして転売しましょうと言うのが、ワインファンドの目的なのだが・・・・

このワインに投資する話で面白かった話が2つある。

1つが使用されなくなった鉄道トンネルを利用したワインセラーで、出来が良いとされている今年のワインを寝かせておくという投資だ。

1本2500円の2005年もののワイン。

これが、一口400本にして、出資者を募るらしい。

だが、年間の保管料が1本につき150円。

保管料だけで年間6万円かかってしまう。

だが、そんな元の定価が安いワインがそれほど値上がりするとは思えないのだが・・・

それでも発想は面白い。

そして、もう一つがヴァンネ○トというワインファンドだ。

ここはフランスの超高級ワインを選んで投資する日本国内唯一のワインファンドらしい。


確かに、もともと高級な物、つまりブランドが構築されているものを熟成させることで値段が上がるのであれば・・・

なかなか手堅い気がする。

ワインファンド、機会があれば、一度投資してみたい。

N企画
ワインファンドの説明会に参加



11月22日

率先しない事で起きる希薄さ

さて、先日のやまもも日記でも書いたが・・・・

先々日、私の友人がわざわざワインとケーキを持って、私の誕生日を祝ってくれた。

正直、ここ4年は前の彼女が祝ってくれていたので、今年は誰からも祝われることはないと思っていたからなお有難い。

さて、正直を言うと、この友人は営業をしているのだが・・・・


1つその仕事の流れから、大きな学習をさせてもらったことがある。


それが他人を祝うという行動を起こすことだ。

彼は自分のお客さんに対して、特にお世話になっているお客さんに対して何かがあった日に、お祝いをする習慣を持っているのだ。

他人を祝うという行動は、あなたを重要に思っていますよと言うメッセージになる。

少し、話がずれるが・・・・

私のブログのリンク先の女性が、こんなことを言っていた。

絶対に譲れないのが・・・・


車で送ってもらったときに、運転席から降りて玄関まで送ってくれることと。


実際に、理屈から言えば、車から玄関までの距離などたいしたことはないし、それはしなくてもいいように思える。

しかし、そのかけなくてもいい手間をかけるのが、相手に対するメッセージになるのだ。

人を祝うという行動を起こすことも自分から相手に対するメッセージになる。

実際、我々男性は男性同士で祝いあうことが少ない気がする。

理屈から言えば、お互いの手間を合うようなことをしないことが、最善なのかもしれないが・・・・

結局、それは人間関係の希薄さをもたらせるのではないだろうか?

実際に、私は他人を祝うための行動を起こした記憶がほとんどない。

結婚式は祝われる当事者が行動を起こすものである。

そう考えると、誰かの何かを祝おうとする意識が乏しい気がする。

これは、私にデメリットこそ与えるだろうが、メリットを与えるとは思えない。


だから・・・・


面倒くさがらずに、他人の慶事を祝うようにすべきなのではないだろうか?

そういった他人に対する手間を惜しんでは・・・・

希薄な人間関係を構築するだけだろう。


それに・・・・

いやらしい話だが、祝ってあげても、自分を祝ってくれない人物だったら・・・・

相手が自分をどう思っているかがよく分る。

信頼関係を探るのにしては安いものなのではないだろうか?

こういう思考をする私は過っているのだろうか・・・・

だが・・・

おかげで信じていた他人に痛い目に合わされたことは一度もない。

N企画
騙されるリスクを受け入れられる器を目指す。



11月21日

敬天愛人

西郷隆盛の言葉で、その言葉どおり、天を敬い人を愛すという意味だそうです。

丁度、私の愛読しているビジネス誌に京○ラの稲盛和○氏がこのタイトルで連載をしています。

やはり、勝つ側の人間は違うなと感じるのですよね。

まあ、違うから勝てたのでしょうが・・・・

勝つ事が目的じゃなくて、違う目的を目指していたら、結果的に私のいう「勝っている状態」になっていたということのようです。

さて、そこで気になる記述を見つけました。

といっても、私はそれを想定して行動をしているので、目を奪われているだけかもしれませんが・・・・

さて、以前にも紹介した日本○借金時計、これをみると、現時点で761兆円です。

で、ここに気になった記事には1000兆円とかかれていましたが・・・・

正確な数字はわかりません。

で・・・かかれていることは・・・

やはり、この国家の借金を返済することなど不可能だから、インフレを誘導することで貨幣価値を下げるという経済学者が存在するという話でした。

稲○氏はこれに対して、老後の備え等でコツコツと貯めた国民のお金が紙屑になってしまいとんでもないことであると評しています。

そう、実際にとんでもないことです。

だが・・・・

誰かが私服を肥やせば、誰かがその割を食うことになる。

私服を肥やす人間が・・・・

最後の最後で責任を取るとは思えません。

つまり、優勝劣敗、適者生存という言葉がリアルである現在においては・・・・

気付いた者が得をし、気付かなかった者が損をするのが必然です。

繰り返しになりますが・・・・

私が高校を卒業した時に、奨学金を無利子でMAXまで借りることがどれだけのチャンスであるかを気付いていれば・・・

相応以上の得をしていたはずです。


しかし、気付かなかった。

だから、損をしている。

実際に、インフレが起きることは否定できないと思います。

インフレの起こし方は、大量に紙幣を印刷し、ヘリコプターで撒くといったことが言われていますが・・・・

私はそれが現実のものとなり、気付かないものが割を食う事態がいつか起きると思っています。

だから・・・・

日本円を現金で貯蓄していることに 危険を感じます。

株式にインフレを吸収する力があるのかないのかが言われていますが・・・

その株式市場が平均年7%成長してきたというのは、まさにこのインフレ分なんじゃないかと私は思っています。

何度考えても、将来のインフレリスクを念頭において、次は必ず・・・・

気付くようにしたいですね。


PS・誕生日に祝福の言葉をくださった友人の皆様、ありがとうございます。
この場を借りて、お礼申し上げます。

N企画
本当に一週間放浪する



11月20日

幸運についての思考

さて、本日は幸運という漠然としたものについて思考しようと思う。

以前にも書いたかもしれないが・・・・

私は運も実力のうちではなく、運こそが実力であると思っている。

周囲を見回してみれば分るが、幸運な人間は幸運になるような生き方をしていると思うのだ。

逆についていない人間はそれをツキという外的要因にして、自己改善を行っていない。

実際に、幸運は積み重ねや他者を幸福にした総量に比例すると思う。

残念ながらメカニズムを説明することはできないが・・・・

ネットサーフィンをしたりして、運を必要とする何かをしている人物の日記を見ると・・・

ツイテいない人間というのは、非常に利己的であり、すぐに他者が悪いという発想になりがちである。

例えば、自分が利用するサービス店において・・・・

店員の「ありがとうございます」がないと言って憤慨していたりする。

おそらく金を払ってやっているのだからという優位意識があるのだと思うのだが・・・


これは違うと思うのだ。

寧ろ、客である我々が快適なサービスを提供してくれたことに感謝すべきなんじゃないかと思う。

確かに、手を抜かれたり、不当な扱いを受ければ、むっとくることもあるが・・・

見ている人は見ている以上、いずれ何らかの不利益を本人が被ることだし、対価を支払うとは言え、自分のために労働をしてくれている人間に対して、不足をいちいち指摘して文句を言ったところで・・・・

いい事など何もない。

もし、再度利用をしたくて、クレームを言っているのであれば、静かにアンケート用紙か何かに書いて、改善を求めればよいと思うのだが・・・・

どうもこういった、他者の不足に対して憤慨する人物はツイテいないように見える。

おそらく、ちょっとしたことでも不満に思い、ついていないと思うためだろうと感じるが・・・・

実際に、ツキの太い人が何人か周囲にいるので・・・・

私は思考の差や生き方に運・不運が影響しているとしか思えないのだ。

だから、成功者や勝っている人間、ツイテイル人間と同様の思考をすることが、自分に幸運をもたらせるものになると私は思う。

実際、ツキについて考えることはみなさんはありますか?

最終的にはキーを握るのは、すべてのシチュエーションにおいて、このツキであると私は思うのだが・・・・


ツイている人間の思考をしよう。

やまもも日記

本日はG1。
ちょうどやまももも開店したのがオークスの日の土曜日。

あの頃は誰もいないことが恐怖であり、悲しかった。

しかし、どうにか毎週来てくださる常連客ができた。

それで、当時は秋のG1になれば・・・

とずっと思っていたが、残念なことに・・・・

秋のG1も残すところ5つとなってしまった。

うち、来週に2つ・・・・


フリーの客がまったく入ってこない。

悲しい話しだ・・・

腹を括って、サンドイッチマンでもやるか?

そんなことを思うときがある。

さて・・・・

本日はわざわざ友人が昼間に来てくれて、一日早い誕生日を祝ってくれた。

ワインとケーキまで用意してくれたのが本当に感謝だ。

白ワイン・・・・

これはかなり美味しかった。

ただ、飲みやすかった分、かなり酩酊する。

いつもの常連の老人と友人と皆でこのワインとケーキを頂いた。

有難い話しだ。

こういった好意のボールを投げてくれる友人の存在は本当に有難い。

だから、私も投げ返さなければといつも思う。

結局・・・

信頼の重さというのは、相手が投げてくれた好意のボールにどれだけ重みを加算して投げ返すかだと思うのだ。

加算した重みの分だけ信頼は増す。

人を祝おうとする習慣や、思考、あらためて定着させるべきだなと感じた。

結局、これも投げたボールをスルーはしないだろうという相手にたいする信頼感がなければできないことなのかもしれない。

そんなわけで、珍しくやまももは賑やかだった。

そして、祝ってくれた友人の馬券的中おめでとう。

それとありがとう。

やまもも総営業時間428時間
やまもも売上げ104600円+1600=106200円

時間あたりの販売価格約240円



11月19日

ヘッドをハンティング

やはり・・・・

これが一番手っ取り早いのだろうと思う。

ちょっと友人に指摘されたことを含めて再度そう思った。

古くから、企業が労働組合の活動を沈静化するために、その組合長にポストを与えて、会社側に取り込むように・・・・

盗賊の頭目に官職を与えて、官軍にしてしまうように・・・

それを束ねている人物を自分側に引き入れるという行為は、スピードで言えば最高に手っ取り早い行動だ。

友人にそのことを指摘されて、はっとさせられた。

そう、自分が望む能力や、道具を持っている人間を束ねている人間と懇意になること。

たったこれだけで、自分が1から集める必要がなくなる。

なんだか、目から鱗が落ちた。

そう言えば・・・

私のブログの方でも面白いことに気付いた。

それは・・・

就職斡旋企業のブログだ。

この企業は、いろいろな人のところに行っているようだが・・・

おそらく、ラ○ブドアや楽○の検索機能を使い、会社員、NEET、無職、フリーターという用語で検索し、訪れる。

そして足跡を残し、興味を持つように仕向けるのだ。

で、実際に文章に目を通して、いけると判断すれば、時折メールを送り、忘れられないように印象付ける。

そして、そこで確保した人材を紹介することでリク○ビのように紹介料を得るのだ。

そう言えば・・・・

この人材派遣、一度紹介が成功すると、どのくらいの利益になるかご存知だろうか?

確か、聞いた話で私の記憶が正しければ・・・

その人の年収の10〜20%程度が紹介料になるらしい。

これも考え方によってはヘッドハンティングの要素を持っていないだろうか?

というのも、ブログやHPというのは基本的に、その人物と似たような思考の持ち主や共感する人物がやってきやすい。

つまり、そこにコメントのカキコミといった何らかの情報発信をすることで、ターゲットを得ようとすることができるのだ。

なかなか面白い事をする企業だと感心した。

必要なスキルがあった場合、そのスキルを持つ者を集めることができる人物を見つけるのもいいかもしれない。


やまもも日記

♪今日もお客はまだこない、まだ、まだ、まだこない♪

♪リピーターもまだこない、まだ、まだ、まだこない♪

♪ぼーけ、ぼーけ、待ちぼーけ♪

♪待たせすぎです、やまももボンバー、やまももボンバー♪

♪航海にでるー、やまももボンバー、やまももボンバー♪

♪辛さ爆発、やまももボンバー、やまももボンバー♪

♪叫びだすのさ、やまももボンバー、やまももボンバー♪

(ファミ○スボンバーより・・・)

歌詞のとおりです。

何事もなく、常連のみ・・・

ふぅ・・・・

やまもも総営業時間420時間
やまもも売上げ103600円+1000=104600円

時間あたりの販売価格約250円



11月18日

高級料理店?

新宿にある石器料理に行ってきた。

スーツ着用で無いと、入れないというなかなか敷居の高い店だ。

以前に、私服で行った時・・・・

残念なことにお断りされた。

なので、本日はリベンジとばかりに行ってきた。

そう、サークルの後輩の就職祝いのためだ。

実際にコースで1万円近い価格は、普段の我々を考えるに、高級といって差し支えないだろう。

私は正直、こういった敷居の高い店に行く機会は少ないが、チャンスがあれば行くべきだと思う。

その店にいる洗練された人間に学ぶためだ。

やはり、なんでも経験をすることで学べることは多い。

ただ、今回の店は、結婚式と変わらず、サービスを担当する人物がそこの石器の鉄板のようなもので調理をして、我々に出すと言う形式で、結婚式を経験しているのであれば、それほど学ぶところはなかった。

だが・・・・

リッツカールトンホテルや、ブランドを持つホテルのバーや喫茶室などでサービスを受けてみる機会は一度は設けるべきだと思う。

それも若いうちに。

いつ、何時、そういった機会が訪れるか分らないし、そこで体験や経験をしていないがために失態をし、同席した人物との何らかのチャンスを失うかもしれない。

だから・・・・

一度は、一過性の時に自腹を切って自分に投資する必要があると私は思うのだ。


そんなことを思いながら・・・

この店で話した内容で印象に残った話があった。

それは、後輩の会社の話だったのだが・・・・

聞くと・・・・

公的な仕事に対しては、やはり談合天国なのだそうである。

というよりも、話を聞く限り、もうそこには違法だと言う意識すらないように当たり前にそれが行われている。

私はそれに対してコンプライアンス云々を言うつもりはない。

ただ、このことが示していることを思考させられた。


つまり・・・

世の中はやはり我々が思っている以上にリアルなのだ。

逆に言えば、そのリアルさを知らないことで、どれだけ割を食っているかは分らない。

金がすべてであるとまでは言わないが・・・・

ほとんどであるとは言える。

残念なことに・・・・

少なくとも、我々が生きる社会はそうきっちり伝えてきている。


私は、理想や青臭さといった錦の御旗は必要であると思っている。


逆に、そういった信じる何かが存在しなければ、無から有を創出することは難しいと思う。


だから、青臭さを嗤う者も逆に青臭いと思うこともある。


だが、残念なことに完成された状況においては・・・

既に既得の利権が存在し、その利権を守るためだけに、人は必死になる。

労働組合の運動など、まさにこれの典型だ。

○Rの労働組合のデモなど、これの最たるものではないだろうか?


つまり・・・・

やはり、世の中の軸は経済であり、利権なのだ。

それを強く認識していないと、足元をすくわれる可能性が存在する。

談合が当たり前と言う感覚・・・・

これが異常なのか、それとも、これを異常と思う方が異常なのか・・・・

公的権力に対しては、談合や贈賄が当たり前のように蔓延し、発覚は発覚する人間の注意不足や心づけに問題があると言う思考。

倫理的には正しいとはいえない。

しかし、それが現実なのだ。

自分はそうではなくても他人はそう。


違法をしろという主張をする気はないが、ただ、他の基準を知ることで、自己判断を下す際の材料となる。

世の中は、とことんリアルだ・・・

N企画
桜木町のホテルの喫茶室で珈琲を飲む。



11月17日

亡国

日本がそうならないとは言い切れない。

辞書を引くと、亡国とはそのまま滅びる国の事を指す。

正直、私は日本が現在、この道を進みつつあると思っている。

もちろん、消滅はしない。

消滅はしないだろうが・・・・

かつての経済大国、世界2位の国はいずれ・・・・

ランキングの外に行くことになると思われる。

変わって、台頭するのがBRICs。

と言うのは、外資の大手金融機関の論文で、2040年までには現在のG6のGDPをこれらの国が抜くと言われている。

実際に私の生きている間だけの観念でいえば・・・・

日本の衰退を目の当たりにしながら・・・・

これらの国々の成長を眺めることになるだろう。

日本は少子高齢化ですでに物余り、私自身を振り返っても思うが、すでに飽食と便利なものに囲まれ・・・・

それほど、金銭や何かに執着しようとしない人が増えてきた。

何かへの欲望は向上心に繋がる。

現在の私のように無職の青年が増えているのも・・・・

無欲化したことが原因かもしれない。

だが・・・・

私は欲望の塊である。

特に経済力への欲は強い。

何度も、自問して答えを出したことだが・・・・

やはり、成長国への投資無くして、私に先はないだろう。


考えてみれば・・・・

終戦後、つまり1945年に、日本人よりも経済力のあった米国人が日本に個人的な投資をしていたら・・・・

1980年代にはどうなっていただろうか?

おそらく、使い切れないほどの金銭になっていたに違いない。

これと同じことが、今現実に起きているのではないだろうか?

そう、中国とインドで。

日本は少子高齢化で人口が減少し、無欲化している。

言い換えれば、全体的にハングリー精神による向上心が減少している傾向にある。

ということは・・・・

将来性は非常に低い。

だから、日本で先のある仕事というものは見つけにくい。

それこそ、一部の優秀な人間が技術でということもできるかもしれないが・・・・

そうではない人も多数いるはずだ。

寧ろ、技術の優越で食おうとしたら・・・・

本当に少数の人間しか生き残れないことになってしまう。

となると・・・・

日本で将来性のない仕事につく人が大半だ。

将来性がないということは、極端に言えば、不要とされていることをして利益を得ようとするのだから・・・・

非常に苦しい。

お猪口でプールに水を溜めるような感覚がする。

だから・・・・

貨幣価値の格差、労働人口の増加、国民所得の増加と消費、そういった現在の日本円の価値の優位性を埋める可能性の高い海外の国に投資することが私の保険となる。

歴史に学ぶというように・・・

よくよく考えれば、栄えた国はいずれ衰える。

これはもう、間違いない。

かつて、世界に大きな影響力をもっていた国は、今やその面影もない。

米国は強い国だと思うが・・・・

最近は少し思うことがある。

いくら頑張ったところで、衰えの延命しかできないのではないか?と。

よくよく考えれば、米国がどのように世界一の国力を持つようになったか、私は詳しく知らない。

一度、米国史に目を通すべきかもしれない。

古くはローマ帝国から・・・・

スペイン、ポルトガル、と覇者は常に変わって来た。

米国が覇者でありつづけるのもそう長い間ではないかもしれない。

次の覇権を手にするのは・・・

中国だろうか、インドだろうか?

それとも・・・・

まだ、認識のない別の国なのか?

ともかく、私が亡国になると思っている日本の貨幣に価値があるうちに・・・・

これから価値を持つ貨幣と交換をしなければと思う。


N企画
衰国の現在を調べる



11月16日

要約すると・・・・

すべては、自分を他者にすごいと思わせたい情報。

本日も、引き続きダーツを投げに行った。

そこで、見知らぬ人とダーツを投げることになったのだが・・・・

やはり、まったく面識のない人物との接触というのは勉強になるものである。

また1人、反面教師を見つけた。

その人物は、最初は職場の仲間達8名くらいと来ていたのだが、最後にはその人物を含めて2名で投げているところに、私達に声を掛けてきたわけなのだが・・・

正直、この人はこの先頭打ちだなと感じた。

11月10日のNスポのトークに関する話にも少し関連するのだが・・・

結局、他人が興味のない自分の話をする人間は何を求めているのだろうか?

その答えは、相手にそう思ってほしい自分像を情報として発しているのだ。

例えば・・・・


仮に私が、アインシュタインの相対性理論について(実際はまったく知らないが)、その内容を語り、よく読むんだという情報を発した場合・・・・

これは自分は知的な人間であるのだと主張したいに違いない。

言い換えて要約すれば・・・・

私はすごい。そう思わないか?と相手に肯定を強要するに等しい。

だから・・・・

どうでもいい相手自身の話をつまらないと思う人が多いのだ。

仮に私が、友人全員に私ってすごいだろ?そう思うだろ?と言いつづけていたら・・・
友人を0にするのに一ヶ月はかからないだろう。

相手にとってどうでもいい自分の話をすることは、こう言い続けることと同じなのだと私は思う。

で、これと同じことをストレートではなく、幾多もの曲がり角を越えて、私達の元に到達するような言動を発していたのが、この人物である。

我々は残念なことにお世辞にもそれほどダーツが巧いとは言えない。

だが、この二人組みは大分やっていて、事実巧かった。

見ていれば、分るし、最初から負けると思いながら勝負をしたわけだから・・・

差があるのは仕方がないと認識していた。

だが・・・・

我々もそれなりの自尊心を持っているわけで・・・

それを否定されるような行動や言動を発せられると、流石に心中穏やかでい続けることはできない。

彼らと我々はチームでダーツを投げたのだが・・・・

最初から点数に大きく差を開けられていた。

それで、後半の方は、彼らが勝ちにくればすぐに勝負がつくことは分っていたが・・・・

彼らも、我々に気を使ってか、わざと的を外しているのが分った。

私としては手を抜かれると言う行為があまり好きではなく、それだったら最初からハンデをつけて常に本気で勝負がしたいと思うので、快くは思えなかったのだが・・・

彼らなりの気の使い方だろうと思っていた。

しかし・・・・

この先に声を掛けてきた人物が、自分のパート−ナーが的に2つ入れると、次の発言をした。

「もう、点数に差がついているのだから、2つも入れることはない。わざと1つにすればいいんだよ。相手に楽しませてあげなければ・・・・空気読もうよ。」

と。

この人物の言動を要約するとどうなるであろうか?

私の解釈では・・・・

「私達は巧いのだから、下手な奴にはサービスしてやっても負けないよ。」

つまり、結局は自分はすごい奴だろ、そう思うだろ?という質問の肯定の答えを求めているのだ。

私は、辟易としてきた。

彼の会社の仲間達が彼らを置いて帰ったのも、このあたりに原因があるのではないかと私は思う。


結局、黙っていても結果を出しているのを見れば、分るものだ。

わざわざ自分で主張して、相手を二重に不快にさせることはない。

このあたりの配慮とも言うべきものが分っていないと・・・・

生涯頭打ちだ。

そんな学習をさせてもらえた。

私にとってはその分、有意義だったかもしれない。

N企画
暖炉がある宿に冬に宿泊



11月15日

特別感と利他

本日はかなり酩酊しての更新となる。

普段は、酔いが酷いと先送りするようにしていたが・・・・

酔っていた方が、リスクを考えずに書ける事もあり、本日は酩酊更新となる。

さて・・・


本日、大学の友人とダーツバーへ向かった。

その途中・・・

やまもも常連の老人と出会い、共に飲むことになった。

その際に・・・

タイトルの2つを考えさせられることがあった。

直接、素面で本人に言うこともなんとなく気恥ずかしかった事もあるのと・・・

違うケースで、他の方の参考になることもあるかもしれないので、本日のNスポネタとすることにしたのだが・・・・

まず、特別感の話をしよう。

やまももの近くに馬鹿鍋という店がある。

その名の通り、馬と鹿の鍋を提供しているのだが・・・・


このやまもも常連の老人は、元はここの常連だったらしい。


しかし、初代の店主が亡くなって、2代目になってから・・・・

ここに行かなくなったそうである。

理由は、初代の時は常連として、常連の扱いをしてくれたが、2代目となってからは他の客と同様に扱われるようになったからと言っていた。

この気持ち・・・・

よく分る。

そう人間は常に誰かにとっての特別な存在でありたく、こうなることがが自尊心の満足にいたる。

しかし・・・・

特別な存在から、他者と同様な扱いになると著しく自尊心が損なわれる。

人間はプライドの生き物だ。

この気持ち、私は非常に共感できる。

だから・・・

私は自己重要感を満たす人間が好かれるということが真理だと思うのだ。

言動でも行動でも、相手が自分にとってどれだけ重要な人物かを伝えること、言い換えれば特別であること、それがその人の自尊心をくすぐるのだ。

だから、私は他者にその人物が自分にとってどれだけ重要かを何らかの方法で伝えることが大事なのだと思う。

処世術の必勝法と言っても過言ではない。

私はこのことを理解しているが・・・・

これを常時実行できるほど、感情をコントロールできていない。

だから、なかなか実行できない。

だが、これは真理だと確信している。


そして、次にもう一つのタイトルの利他。

以前にも書いたが、私も最近は他者の行動や言動の意図をよく思考する。

いやらしい話だがそれで、その思考の結果、他者が自分のメリットのために私に割を食わそうと気付いても・・・

その他者の価値と私が受けるデメリットを天秤にかけて重たい方を選択する。

ただ・・・・

私に割を食わせる機会が多くなれば・・・・

当然、私が思うその他者の価値が軽くなる。

いつかは反転するかもしれない。

だが、これは私に限った話ではないと思う。

そう、他者に割を食わせることは結局、他者にある自分の信用を担保にするようなものなのだ。

だから・・・・

何かを受け取ったら、見返りを相手は求めていなくても、見返りを提供すべきなのだ。

そうでないと、自分の担保の信用が軽くなる。

つまり、利己は自分の担保を軽くする。

だが、利他はどうであろうか?

結局、気付く気付かないはその人に拠るが・・・・・

自分の利益を考えてくれる他者はやはり信用を重くする。

というのも・・・・

本日の件で言えば、このやまももの常連は私の友人にとっては、まったく無関係のどうでもいい存在である。

しかし、私にとっては常連と言う非常に重要な人物である。

この私にとって重要だと分る人物に対してどういった行動を取るか?

私はそうではないが、私以外の人物にとってはこの老人の話が退屈きわまりないものかもしれない。

しかし・・・・

退屈だと言う態度をこの老人に示せば、老人は当然不快になるだろう。

老人が不快になれば間接的に私に不利益となる。

しかし、逆に、老人が愉快になれば・・・

間接的に私にとってメリットとなるだろう。

基本的に、私の友人の弁を借りれば、人間は喋りたがり屋である。

だから、聞く人間は重宝される。

私の友人は、飲み屋で、喋りたいと思ったときも多数あるであろうが、私のメリットを考慮して自分の言動を発することよりも、老人の話を聞くことを優先させてくれた。

つまり、自分が愉快にになることよりも老人を不愉快にさせないことで、私に起こるデメリットを避けてくれたのだ。

ここに、私はこの友人の意図を感じ、ありがたいと思うのである。

そう、この利他の精神。

これに気付かないようでは、先は暗い。

このダーツバーでも・・・・

以前に来た時に、常連の質の高さに舌を巻いた記憶がある。

というのも・・・・

我々のような初顔に、愉快になってもらおうと常連が気を使ってくれるのだ。

つまり、我々を常連に取り込むことで店主にメリットを提供しようとしている。

そして、店主はそれに気付いているし、そうしてくれる常連をますます大事にするだろう。

この利他の精神。

これが大事なのではないか?

我々は他者に割を食わせようとすることが多いであろうか?

それとも、メリットを提供しようと努力することが多いであろうか?

今日、再度思考させられた。

やまももの常連に対して、気を使ってくれた友人にこの場を借りて感謝を述べたい。


言わなければ伝わらないと分っているが、どうしても以心伝心を望んでしまう。

そして、以心伝心がされていると・・・・

理解されていると感じ、たまらなく嬉しくなる。

ここに価値観の近いもの同士が引き寄せられる原因が存在するのだと思う。

利他をしてくれる他者の粋な心遣いだけは気付かないような愚は避けたいものである。

N企画
コンビニの職人気質にハマル。



11月14日

抜け道は・・・

規模の大きなところにしかない。

つまり国家だ。


そう思わされた。

というのも、本日発売の愛読しているビジネス誌を眺めると・・・・

産学連携の特集が組まれていた。

読んでみると・・・

タックスイーターとも言うべき、税金の無駄遣いが書かれていた。

例えば、大学の教授の研究を元に大学内ベンチャーを起こすと・・・・

補助金と言う名目で、何千万円もの税金が投入されるのだ。

そして、省庁の自己拡大の論理である、予算の増加のために、湯水の如くここに予算が投じられている。

だから、大学発のベンチャー企業であれば、ノーリスクで起業することができた上、事業に失敗した際には補助金の返還義務を負わないのだ。

そして、上場に成功すれば、株の上場益を貪ることができる。

正直、美味過ぎる話しだ。

だが、大学の技術と産業の振興という大義名分が存在する以上・・・・

それを止めるチェック機能はない。

結局、郵政を改革しようとも、既得権益の位置が左から右へと移るだけなのだ。

古い既得権益が潰れれば、新しい既得権益が誕生する。

メリットを享受したい人間がいつまでも存在する以上、既得権益のないクリーンな世の中が誕生することはないと断言できる。

それに・・・・

中国でもそうだが、役人を目指すものは既得権益を求めて勉強するのである。

日本の東大→旧大蔵省というコースも、結局、既得権益を求めるための努力なのではないかと私は思う。


だったら・・・

博打と同じで、常に自分が有利なところにだけ参加すべきように感じる。

正直、先日読んだ折口氏の本でも少し思い出したが・・・・

老人介護に参入した時に、国からの補助金が出ると言う話が書かれていた。

何かを為すときに国の補助金が存在するという保険を用意する必要があるといいかもしれない。

それに・・・

気付いた時には遅いことが多いが・・・・

国が公共の福祉のためという大義名分の下では、結構優遇的な措置を得ることができることが多い。

繰り返しになってしまうが、学生の奨学金などいい例だ。

恐ろしいことに・・・・

なかなか気付かないが、これを利用するメリットは信じられないほど多い。

何しろ・・・・

ほんのちょこっとだけ成績がよければ・・・・

最大で無利子で800万円近くを借りることができるのだ。

無利子で800万円を借りれると言うことは・・・・

私の感覚からすれば、800万円をもらうことと等しい。

デフレに進んでも、インフレに進んでもどっちにしても都合がいい。

それに、800万円を5%で運用すれば、年間40万。

5%と言うのはそれほど高い数字ではないし、現実的過ぎる数字だ。

ただ、金銭の将来価値を考えれば、800万円が無利子で手元にあるということがどれだけ優れたことか分る。

つまり・・・

国の方針を見極めれば、何もない人間でもチャンスを掴めるかもしれないのだ。

少し・・・

国の補助金について調べてみようかと思う。

もしかしたら・・・・

大きな抜け道を発見できるかもしれない。

それにしても・・・

大学と言うものは思った以上に、美味い話が多い。

奨学金も産学連携の補助金も・・・

気付いていれば・・・・

と思うことは非常に多い。

だから・・・・・

次のチャンスはきっちり気付けるように目を光らせたい。

N企画
補助金探し



11月13日

AIDMA

広告系の企業に勤めたことのある方であればご存知だろうが・・・・

AIDMAとは消費者の購入プロセスを示したものである。

これは頭文字を取って作った言葉で・・・・

元はA(アテンション:注意喚起)、I(インタレスト:興味)、D(デザイアー:欲求)、M(メモリー:記憶)、A(アクション:購入)という一連の流れを指したものである。

だから、消費者に上記の行動をさせるようにするのが広告代理店の仕事だと思われていた。

しかし・・・・

インターネットの普及がこの概念を壊そうとしている。

その新しい概念が・・・・

AISASである。

A(アテンション)とI(インタレスト)はいままでどおりだが・・・・

その後・・・

S(サーチ:検索)するのである。

そして、納得した時A(アクション)を起こして、購入する。

その後、ネットでその買った品物の情報をS(シェア:共有)するのだ。

私が印刷会社で勤めていた頃、このAIDMAはよく聞いた言葉だったが・・・・

時代は変わりつつある。

新しい、概念のほうをしっかりと認識したい。

やまもも日記

今日はG1がある。

以前から、秋口に大きなレースになればやまももに来客が増えると信じていたが・・・・

信じればいいというものでもないらしい。

結果は悲しくなる結果だ。

だが・・・

いつも思うのだが、一度流れに乗るまでだと思う。

大体の人がそこまで我慢できないのだ。

本当に不思議なもので、人は来はじめるとどんどんやってくるようになる。

人間が人間を呼ぶのだ。

だから・・・・

人が来る波が来るまで・・・

粘りつづけるべきなのだ。

そんな気休めを自分に言いながら・・・

今日も大航海時代へタイムスリップだ。

私の船長姿は今日もサマになっていると一人悦に入る。

誰も来る気配はないし・・・・

私の華麗な舵捌きは今日も健在だ。

私は・・・・

ご機嫌だった。

その時・・・・・

航海をしていた私は上陸を余儀なくされた。

来客だ。

カランと言う音と共に・・・

誰かが立っている。

めがね・・・めがね・・・・

眼鏡を探すとなんとか見つかった。

見ると、前日も来ていた友人がやまももでもう1人の友人と待ち合わせをしているらしい。

その後・・・・

WINSで東京に住んでいるのに準常連とも言える友人が意外にもきてくれた。

また、本日も約束を違えることなく、いつもの老人はきてくれた。

おかげで、本日のやまももは大分賑やかだったと思う。

やまもも総営業時間412時間
やまもも売上げ101200円+2400=103600円

時間あたりの販売価格約250円



11月12日

株式用語

自習の意を含めて、私が重要だと思う株式用語を記載しようと思う。

さて、私はまず、投機性を孕むすべての事物においては、根拠が存在しなければ自己都合にとって望ましい結果をだすことができないと思っている。

そのため・・・・

購入しようと考える株式を分析するのが一般的だ。

分析には2通り存在し、ファンダメンタルズ分析と呼ばれるものとテクニカル分析と呼ばれるものがある。

テクニカル分析は一般的に、株価の推移の統計などを取り、チャートを利用して上昇する株価を見つける方法である。

ファンダメンタルズ分析は逆に、企業の財務状態や業績を元にして、将来利益をあげる要素がある企業を見つけ出す方法である。

一般的に短期売買にはテクニカル分析が向いているが、長期を視野にいれるとファンダメンタルズ分析のほうが向いているようだ。

私としてはテクニカル分析には株価上昇の根拠を見つけることができない。

だから、ファンダメンタルズ分析を私はしている。

その際に、必要となってくる指標が存在する。

それを再度Nスポに掲載することで、その言葉を再度学習したいと思う。

まず・・・・

私が重視する指標は・・・・

RER、PBR、EPS、ROEだ。

この4つがすべて優れていれば、投資に値する。

まず、PERから書こう。

PERとは株価収益率の事を指し、EPSの何倍まで株が買われているかを表す。

そして、EPSとは1株あたりの税引き後の利益のことを指し、1株あたりいくら稼いでいるかを表す。

例を挙げると・・・

株価が1000円でEPS、つまり1株あたりの税引き後の利益が100円だとすると・・・・

EPSは100/1000で10分の1、つまり10%です。

で、PERを考えると、株価がEPSの何倍かであるから・・・・

1000(例題の株価)=100(EPS)×□

1000/100=□

□=10

でPERは10倍となる。

つまり・・・・

PERが10倍の株は10年で倍の価値を持つと考えて差し支えない。

次に、ROEであるが・・・

これは株主資本利益率を指す。

銀行からの借り入れではなく、株式発行等で集めた資本を利用してどのくらいの利益をあげているかの指標です。

その期の純利益を株主資本で割って、100を掛けたものがROEです。

だから・・・

株主資本が極端に少ないと・・・

ROEが高くなります。

そうすると、バリュー投資の観点からいくと自己資本率が60%を超えていて、高ROE企業は超優良企業ということになります。

自己資本率が1%で99%が借入金だったら・・・

危険な企業になってしまうので・・・・

あくまで自己資本率が高いと言う前提の指標です。

で、最後にPBRですが・・・・

PBRとは株価純資産倍数の事を指し・・・

1株あたりの資産を株価で割った倍率を指します。

だから、例えば、一株あたり1000円の資産をもっている企業の株価が500円だとしたら・・・

500/1000=0.5になります。

つまり、PBRが低ければ低いほど、その企業が持っている資産より株価が安いと言うことになります。

そんな株存在するのかと思うかもしれませんが、おそらく財務表は取得原価で表示されているので、実際にはそれほど換金性の無いものも、その企業が買った値段で表記されています。

だから・・・・

何気にPBRが1倍を割っている企業はそれなりにあります。

私は、この4つの指標に優れた企業を買うようにしていますが・・・・

また、株式について理解を含めたら、気になる用語を紹介していきたいと思います。


やまもも日記

バタバタと風で、やまももの扉にかかっているOPENとかかれた札が舞っている。

風が吹いて、音がするたびに私は扉へと目を向けるが・・・

相も変わらず固く閉ざされたままだ。

やはり・・・・

駅の道から外れていると、なかなか来客を望むのは難しいのかもしれない。

いつも以上に悲しい気持ちにさせられながら・・・・

来客を待ち望む。

しかし・・・

定められた運命であるかのように・・・・

誰も来る気配はない。

今日も常連さんだけかな・・・・

その常連さんがいなかったときを想像するとぞっとする。

誰かが来てくれるアテが存在するだけでもありがたいものだ。

すると・・・・

友人夫妻から電話がかかってきた。

このやまももに顔を出してくれると言うのである。

なかなか、有難い。

こういうことがあると・・・

他者に支えられているということを実感できる。

本日は地元の友人と友人家族と常連の老人がやってきてくれた。

有難い話である。

やまもも総営業時間404時間
やまもも売上げ98700円+2500=101200円

時間あたりの販売価格約250円



11月11日

幾多もの原因の交錯

から導き出される解は何だろうか?

さて、仕事を辞めてからすでに9ヶ月が経過している。

行動は伴っていないが、焦燥が若干募る。

だが、その理由は、何が最善かの回答が見つからないからだ。

最近になって漸く、輪郭が見えてはきたが・・・

最善・・・・そんなものが見つかれば、みんなやっているだろうが、個々によって最善は違う。

私はNスポ用のネタ帳を毎日携帯しているが、そこには自問を書くことも多い。

そんな自問を再度発してみようと思う。

まず、私の幸の形は経済力であり、当然、経済力を手にするためには、私自身の労働と私の持ち物による私のための労働が必要であると結論付けた。

つまり、労働と投資が必要になる。

ただ、労働には条件が必要だ。

私が大学を卒業するまでにかかった費用の投下資本を回収できる職でなければ、理に合わない。

私が大学を卒業するまでにかかった費用は、一般的に言って2000万。

現在日本の長期国債の金利は2%弱。

インフレ率に絶対に負けるこの金利は投資とはいえない。

そこで、私は自分の投資しているペトロチャイナの配当利率を投資目安にしている。

その率年間5%。

だから、私は2000万の5%を諸経費を支払った後に貯蓄できなければ、投下資本の回収ができないと考える。

以前の会社では、部長になっても投下資本は回収できなかった。

だから、最初からは難しくても、いずれ投下資本を回収できる年収を得られなければならないと思う。

これが一因目。

また・・・

今月の11月7日のNスポの因果で書いたとおり・・・

結果を出すためには、自分が面白いと思うことに取り組まなければならないと思う。

これが二因目。

そして、世の中の分っている流れに沿わなければならない。

本当に繰り返しになってしまうが、今の世の中は少子高齢化。

老人が増え、人口が減少するのである。

これは、現時点における事実だ。

しかも、晩婚化と子供を持たない家庭の存在から、これも加速していく可能性が高い。

これが三因目。

そして、これも繰り返しになってしまうが、消費の変化だ。

我々は、最近、物にはお金を使わない。

我々が欲しているのは、時間の短縮であったり、体験であったり、娯楽であったり、情報であったりと、目に見える形があるものではない。

形のないものへと価値基準を傾倒させている。

もう、冷蔵庫やテレビといった家電は消費の対象としての比重を落としている。

物ではなく、一過性の体験・・・

そこに消費が移行している。

つまり、消費の流れは・・・・

時間、エンターテイメント、情報の3つに集約されるというのが私の見解だ。

これが四因目。

そして、もうひとつが歴史は繰り返し、今いいものはいずれ良くなくなるということ。

今では、紡績などはお話にならないが、かつては人気企業だった。

そして、鉄鋼もいまでこそ、持ち直したが、少し前まではかなり暗い業界だった。

これも、大分昔は人気の最上位にいた企業だ。

今は、公務員が人気だが、郵政改革などを見る限り、これもいつまで美味しいかは懐疑的になる。

この、今いいところは将来いいとは限らないという繰り返されてきた歴史。

これを考慮するのが五因目。

私の思考にとって、必要なのはこの五因であると考えた。

この五因が交差する点、つまり現在において最善は何か?

それを常に思考するのだ。

私の目的は明確で、他者に依存した年金と言った経済システムに疑問を持つので、己を守るために経済力を得るということだ。

この五因を交差させ、この目的に向かって線を引いたときに、でる答えはなんだろうか?

いくつかの回答は出ているが、まだ、完全ではない。

だが、答えを出し、前に進む日を早く迎えようと思う。

さて、皆さんは将来この国がどういった方向に進むと思いますか?

N企画
摘発された家屋を購入して賃貸。



11月10日

ピースが見つかった!!

以前から・・・
私はトークについて考えることが多かった。


というのも・・・


この年齢になると、面白さの演出はトークがメインとなる。


トークがつまらないと・・・・

なかなか厳しいと感じることが多い。

面白いトークとはこれだと言える物はないが、敢えて言えば、笑いであれば不条理をイメージさせるトーク。

知的好奇心を満たすものであれば、相手に興味がある分野の薀蓄だろうと思う。

だが、それよりもつまらないトークについて私は原因を考えてきた。

世の中には可哀想になってしまうくらいトークのつまらない人が存在する。

それで、その原因を以前から考えていたのだが・・・・

そのピースが見つかった。

それは私のブログのほうのリンク先の人の日記を読んで感じたことだ。

こういった発見があるから情報発信は面白い。

私は、トークがつまらない2大要素に気付いた。

まず、1つ目は会話をする相手を否定する会話。

これはもう、駄目だ。

つまらないどころか不快にさせるのが関の山だ。


で、もう一つが・・・・

会話をする相手にとって死ぬほどどうでもいい自分の話をすることだ。

これが相手につまらなさを感じさせるのだ。

しかも、そのトークが投げっぱなしの会話だとしたら・・・・目も当てられない。

想像どおりの、どこかで聞いたことのあるオチも致命的だが・・・


だからどうしたのどうしたの部分に当る会話がないと正直苦しい。


例えば・・・

私がドトー○のコーヒーが美味いから好きだという話をしたらどうだろうか?

聞いている人にとって、この情報はどうでもいいにも程がある。

だが、ここにエピソードが加わったり、会話の相手が当事者として参加できる話であれば変わってくる。

ド○ールのコーヒーが好きだと言う話の理由に・・・

昔、亡くなった父(私の父は健在である。)が喫茶店を経営していた時に、ブルーマウンテンがブレンドされているコーヒーと同じ味で、もう飲めないと思っていたから懐かしいといったエピソードが加われば多少はマシになるだろうが・・・

でも、これも私に興味をもっていたり、コーヒーに関心のある人物に対してでなければ、やはりつまらないトークになってしまうだろう。

また、会話の相手が当事者として参加するためには・・・・

相手に自分の会話で共感を得られる話をしなければならないだろう・・・

結局、これも相手を見て会話を選択しなければならないということになるのだが・・・


そうなると、つまらないトークを避けるためには、会話相手の話をするか、まったく第3者の信じられない話をするか、相手の話を聞くか、共通の興味ある話をするかということになるのではないだろうか?

以前にも書いたが、集団の飲み会の話題で、誰かをピエロとして贄にする飲み会には私は抵抗を覚える。

逆に言えば、誰かをピエロにしなければトークがつまらないということなのだろう。

逆に・・・

芸能人等のまったくその場にいない人物を話題のピエロにする飲み会は、なかなか上手いと感じたことがある。

トークの面白さを決めるのは、会話する相手にとって興味のある内容かどうかを見抜く観察力に拠るのではないだろうか。

決して、相手にとって死ぬほどどうでもいい自分の話をしないほうがいいと思う。

N企画
草原に草を結んだトラップを仕掛ける。



11月9日

バフ○ットの銘柄選択術

という本を現在読んでいる途中なのだが・・・

これを読み終われば、漸く溜まっていた読書を清算することができる。

折○氏の本を読んだので、是非ともナポレオンヒルも完読したいのだが・・・

これについては近日中にどうするか考えることにしよう。

それにしても・・・

バ○ェットの株式取得に関しての基準は面白い。

これはそのまま、求職者に当てはめてみてもいい。

だが、こんな会社を見つけたのであれば・・・

それは求職者よりも投資家になった方がいいかもしれない。

というのも、そこに書かれていたことで一番大事だと思わされたのは・・・

参入障壁の存在だ。

つまり、その企業がなんらかの参入障壁、もしくはブランドを持っていて、その会社のその製品が求められているかどうかが重要で、それを低コストで作られている会社を選択するというものである。

よく例に挙げられる一番代表的な例がコカ○ーラだ。

私も会社員時代、わずかながら関わったのだが・・・

コ○コーラには本体とボトラーズが存在する。

このボトラーズは本体からコーラの原液を買い、瓶や缶、ペットボトルに詰めて販売する会社だ。

正直、ここはあまり美味しくない。

ところが、本体は原液を作り、ボトラーに定価で販売することで、確実に利益を抜いている。

あの砂糖水を作るのに、それほど技術は必要ないし、大量製造すれば、低コストで済む。

一度作った設備も、最新鋭化させなければならないような事態も起こりえない。

だから、コーラが売れる限り永遠に利益が上がるシステムとなっている。

そして、コカコ○ラを作る権利もこの会社しか持っていない。

おまけに、例えコーラを作る権利を得たとしても・・・・

コカコー○に勝つのは不可能ともいえるべきブランドがここには存在する。


皆さんは覚えているだろうか?

まだあるのかどうかは知らないが・・・・

一時セービングコ○ラという格安のコーラが販売されたことがある。

コカコー○が110円で販売されていた時、同じ内容量で味も遜色がなかったこのコーラが1缶40円程度で販売されていた。

しかし・・・

このコーラまったく売れていなかったと記憶している。

両隣に並んでいると、我々は高くてもコ○コーラの方を手にとってしまうのだ。

これがブランドの力だと、当時はそうは思わなかったが、今はそう思う。

コ○コーラと言うブランドは○カコーラと言う会社でなければ使えない。

だから、投資家にとってコ○コーラの本体は非常にいい会社だったのだ。


これは従業員にとっても言えるのではないだろうか?


ブランドと参入障壁を持っており、その商品やサービスを望む消費者が存在し、そこだけしか提供できないものを提供している企業があれば・・・

放っておいても売れるし、待遇も悪くないだろう。

そんな企業を探してみるのもいいかもしれない・・・

N企画
公園のベンチで飲み会。



11月8日

グ○グル

と言えば、上場でかなり話題になったが・・・

あのマ○クロソフトを相手にして検索サイト運営では、優越するらしい。

日本ではヤフ○の方が一般的だが、米国ではグー○ルの方がメジャーと言う記事を何度も目にした。

で、このグーグ○、なかなか面白い試みをしている。

そう言えば、グー○ルは2008年にアマゾ○と合併し、グ○グルゾンという企業が誕生するらしい。

米国ではグーグ○で検索をして、ア○ゾンで購入すると言うライフスタイルが確立されているとのこと。

日本でも2008年以降、この形式が主流になるかもしれない。

私自身は、アマ○ンが使いにくいので、いつもセブンア○ドワイで書籍を買うことが多い。

自宅の近所がセブンイレブ○なので、そこで書籍を受け取れるのがいい。

だが、この企業が誕生したら、こちらに乗り換えるかもしれない。

というのも、試みが好感が持てるからだ。

どうも、このグー○ル、世界中の図書館の蔵書をスキャンしてデータ−化し、一般の人が誰でも閲覧できる電子図書館を運営しようとしているらしいのだ。

確かに、データ−化すれば、その書籍に書かれた情報は失われないし、紛失や消失といったこともない。

焚書ということは起きないにしても、なんかの事件で失われた書籍と言うのは過去に多数あるはずだ。

その保全を無償で行おうと言うのだから・・・

評価できる。

何らかの形で応援したい。

だから、このグー○ルゾンとう企業が誕生し、日本で運営が始まったら・・・

私はネットでの買い物をここに絞るかもしれない。

是非とも、電子図書館の恩恵を受けたいものである。

N企画
近所にできた南米系バーに行く。



11月7日

因果

というとジェームズアレンの原因と結果の法則という書籍のタイトルを思い浮かべる。

私はまだ未読だが、この書籍はかなり有名だ。

私の記憶が正しければ、100年も前にかかれたこの書籍が未だに売れているというのだから・・・

真理が書かれているのかもしれない。

実際の話、繰り返しになってしまうかもしれないが、少なくとも、日本においては私は自己に起こりうるすべての結果は自己に責任(原因)があると認識している。

例えば、他者が自分をよく思ってくれないという事象を一つ挙げても、これはそう思う他者に原因があるのではなく、他者にそう判断させる情報を放った自分に原因がある。

同時に、昔から世の中は結果がすべてである。

そう、結果には原因があり、その結果がすべてであるのだから・・・・

結果を出す→望む結果が出る原因を作り出す・・・

という図式が成立するのではないだろうか?

実際の話、恐ろしいぐらいに世の中は結果を出しつづけることが要求される。

立ち止まることが許されない。

それまで、結果を出しつづけてきたとしても・・・

あるとき、結果を出せなければ、それだけで、結果を出せなくなった人間であるという情報発信になる。

だが、一方で最初に結果を出せなければ、最初から結果を出せない人間であるという情報発信になる。

他者になんらかの意図を汲んでもらおうとする時、他者はその人間が信用できるか否かを判断する。

その判断材料はそれまでその人物が出してきた結果に拠るものではないだろうか?

となると・・・

我々は生きている間中、常に結果を出しつづけないと他者から信用されない。

なかなか疲弊する構造だ。

だが、事実でもある。

となると・・・・

図式は・・・

他者の協力・他者への望み→信用が必要→結果を出すこと→結果が出る原因を作り出すこと

になるのではないだろうか?


本日読んだビジネス誌に「働きたい会社」の特集が組まれていた。


そこに「好きな仕事をさせてくれる」というものの順列がかなり上位に来ていた。

さて、仕事というものを例にとって、少し思考をしたいと思う。

仕事の結果というと、だいたい、会社で言えば、売上げの達成か、新技術・システムの完成というものになると思う。

さて、どうすれば、求められる結果を出すことができるだろうか?

その答えの一つは、最善を尽くすこと、つまり本気を出すことだと私は認識している。

しかし・・・

自身を振り返ってみれば、分ると思うが・・・・

本気を出すことは想像以上に難しい。

本気という概念の違いも存在するだろうが・・・・

なかなか人間は本気になれない。

本気になったつもりでいても、実際にはもっと集中した取り組みができると認識しながらそれをしないことが多い。


結局・・・・

本気ではないのだ。


私の本気の概念は、1つの目的のために、すべての行動を最大限に効率化し、最大限の手間暇と集中力を目的達成まで投じることである。

こんなこと、できるはずがないともいえるレベルだ。

だから、私は人は本気になれないと思う。

だが・・・

唯一、人が本気になれる時がある。


それは、面白い時だ。

人間、自分が面白いと思い、好きだと思うことを自主的にやるときだけは本気になれると私は思う。

だから、仕事は面白いと思うものでなければ駄目だと思うのだ。

もちろん、この面白味というのは、個人差が存在する。

他者から褒められることを面白いと思うのか、期待されることを面白いと思うのか、それとも行う行為自体が面白いのかはそれぞれだが・・・

いずれにせよ、根底に面白味がなければ、人間は本気にならない。

本気にならねば、結果がでない。

結果が出なければ、人から信用されない。

だからこそ、面白い事をすべきだと思うのだ。

これには当人の面白がる能力も関係してくるとは思うのだが・・・・

いずれにせよ、私は結果というものに焦点を当てた際に、それに対して望みを叶えるためには面白がるという因を作り出さなければならないと思う。

だから・・・面白いことをしよう。

そうとしか思えない。

N企画
奈女沢温泉に行く。(ゲルマニウムが豊富な有名な温泉らしい。)



11月6日

貨幣価値の格差を利用した

結婚相談所は存在するのだろうか?

最近、私が買うビジネス誌でも、普通の雑誌でも、電車でも、駅でもやたら結婚相談所の広告を見かける。

当然、これだけ広告を出しているということは・・・・

それなりに利用者が存在し、利益を得ているということなのだろう。

だが、私が思うに、こういった機関を利用する男性は・・・・

利用してもなかなか、結果を出すことが難しいのではないか?

というのも、こう言っては失礼だが、自力でどうにもならないからこういった機関を使用するのだろう。

例え、きっかけをこういった機関で作ったとしても、日常で自力でどうにもできなければ・・・・

結局はきっかけを生かして目的は達成することは難しい。

何故なら、他者との優位性を明確に表すことができないからだ。

優位性という表現は的確ではないかもしれない。

言い換えれば、魅力だ。

この魅力には2通りある。

本人の人間性と本人の持ち物だ。

前者がふんだんにあるのであれば、こういった機関を使用することはないだろう。

だから、こういった機関を利用するのであれば後者の魅力を磨くしかない。

ただ、同じ国内であれば、優位性を持つには、相当な努力が必要だし、早期に結果を出さないと苦しい。

だからこそ、ロシアのような貨幣価値の低いところに行けば、後者の魅力を手にできる。

現在1ルーブルは約4円で、物価は日本の2分の1。

それで、自力でこのルートを確立すればぼろ儲けじゃないか?

と思い、ロシアの物価レートなどを調べてみると・・・・

実は既にこういった相談所も多数存在するらしい。

迂闊だった。

そりゃ、儲かりそうなら誰もがやる。

ゲーム機のリースも貸しコインロッカーも、REITも不動産投資も・・・・

みんなやっているものなあ・・・・・

であれば、もっと信じられないほど貨幣価値の低い国を狙えば、可能性は存在するかもしれないなどと思わされた。

以外にも、ネットで検索するとこういうところの利用者も結構いるらしい。

ただ、やはり悪徳業者も多数存在するようである。

妙案だと思ったのだが・・・

やまもも日記

最近、早寝早起きをしているためか・・・

私の愛船スリーピー号に貝が付着してしまっている。

停泊しすぎるのも考え物だ。

それにしても・・・

今日も扉は開かない。

仕方がないので、メニューを書いた看板を書き直した。

だが・・・

雨が降り始めている。

雨が降ると・・・

フリーの来客は厳しいだろう。

事実・・・

道を通る人はすっかり見えない。

やはり・・・・

今日もいつもの常連だけなのかもしれない。

ただ待つというのは辛いものだ。

いつになれば・・・

やまももに活気が訪れるのであろうか?

もう半年になろうとしているが・・・

いまだに常連は1名だ。

ただ、ただ・・・

忍耐するしか手は残されていないのかもしれない。

そして・・・

予想通り、老人が来てくれただけだった。

やまもも総営業時間396時間
やまもも売上げ98000円+700=98700円

時間あたりの販売価格約250円




11月5日

裏を主張している雑誌

は存在しないのだろうか?

というのも、先月から購入し始めた株式雑誌ZA○を読んでいて思ったことだ。

Z○Iは株式初心者に株式を教えることから、ファンドマネージャーオススメ銘柄などの情報が記載されているが・・・

どれも買うことを勧める内容ばかりである。

これは広告主が証券会社なので、その広告主を満足させるために読者に手数料を落としていくような記事を書くためなのだろうが・・・

だが、騰がるという記事ばかりはどうなのだろうか?

騰がるというのは不確定要素に基づいた予想である。

かといって下がるという予想も同様なのだが・・・・

だが、どちらかと言えば、騰がる根拠より下がる根拠の方がはっきりしていると私は思う。

であるから・・・・

リスクが高い株式ばかりを紹介した雑誌があってもいい。

何故、騰がることに主眼をおくのであろうか?

寧ろ、リスクが高い企業を避けるためや、それを信用取引で空売りすることで利益が出そうな企業ばかりを特集した裏を主張する雑誌があってもいい。

目的は利益を得るということで同様なのだが、アプローチには表裏が存在してもいいと思うのだ。

何故、空売りを専門とした雑誌は出ないのだろうか・・・

それとも・・・

私が知らないだけなのか?

人の行く道の裏に花ありという言葉が浸透しているのだったら・・・・

そんな情報があってもいい。

話は変わりますが、そう言えば・・・

不可解な事象が・・・

私の持っている数少ない日本株。

損きりをして、つい最近どれも高騰し、かなり凹んでいるのですが・・・・

自己基準で購入した、まったく見向きもされず毎日出来高が0だったバリュー株が急騰し始めました。

といっても、まだしょぼいですが・・・

注目されるまでは苦しいですが、一度注目されると株価の騰がり方はすごいですね。


やまもも日記

懲りずに・・・

誰もこない店を営業しよう!!

そんな投げやりな気分のまま、本日もやまももの看板を表に出した。

今日も常連の老人一人だろう・・・

そう思っていたが・・・・

意外にも、午前10時ごろやまももの扉が開いた。

見ると、以前来た中年男性が立っていた。

前回どおり、徹夜で飲んでいたらしい。

なかなかタフなお人だ。

この人は人がいいのか、やたらお金を落そうとしてくれる。

毎週土日、WINSにきているみたいなので常連の2号になってくれるかもしれない。

しかし・・・

いつも訪れてくれるのは午前中。

そして、午後には常連の老人がきてくれる。

私の航海日誌が白紙になってしまうではないかっ!!

嬉しいような、悲しいような心持で、会話をした。

男性は12時ごろ帰っていった。

その後、いつもの老人がきてくれて、本日やまももの来客数は2名だった。

少しづつ・・・・

増えてくれるのかもしれない。

世の中・・・・

粘った者勝ちだ。

やまもも総営業時間388時間
やまもも売上げ95500円+2500=98000円

時間あたりの販売価格約250円



11月4日

言葉のファンドマネージャー

最近、こんな仕事が存在するらしい。

ファンドマネージャーと言えば、多くの人から資金を集めて出来上がるファンドのその資金を運用することで利益を上げる人の事を指す。

では、言葉のファンドマネージャーとは何か?

それは、インターネット広告の検索連動型広告の躍進によりできたものだ。

我々が、検索サイトで検索をする時・・・

それは何かについて知りたかったり、何かが欲しかったりするときである。

つまり、何らかのニーズが存在するから、我々は検索という行為を行う。

その時に、その欲しい物や知りたい物を提供している店舗や企業が検索されたら・・・

我々はそこをクリックして、情報を得るのではないだろうか?

それで、それが自分の望むものだったら・・・・

購入に結びつく可能性は高い。

その時に、検索結果の上位にいれば・・・・

より購入に結びつく可能性が高くなるだろう。

その検索される言葉に値段がつき始めている。


ヤ○ー傘下の広告代理店のオーバ○チェアでは、ヤフ○における検索連動型広告でその「言葉」を検索した時に、上位に来る企業や店舗はその言葉に高価格をつけて支払った順になるのだ。

つまり、言葉の値段が常に変わり、最高値をつけた者が検索結果の最上位にくるのである。

例を挙げると、キャッシングという言葉は、ワンクリック約3500円支払う企業が最上位に検索されるらしい。

1回キャッシングで検索されて、その企業がクリックされると、それだけで3500円。

信じられない広告料になると思われる。

だから、あらかじめ、検索されることが多いであろう言葉を考えて、それを先物買いするのが言葉のファンドマネージャーの仕事だ。

なかなか面白い。

電車と映画という言葉も電車男のヒットが価値が上昇した言葉のようだ。

これを見るに、益々広告はTVCMや印刷物といった物から離れていくものと思われる。

それにしても、個人で言葉の先物取引をして利益を出すことはできないだろうか?

そんなことを考えてしまった。

N企画
マッドハシリーヤ将軍ショーを次回も見る。(東京モーターショーにて)



11月3日

東京モーターショー

に行ってきました。
会社員時代に広告代理店のお客さん関連で印刷物を作った記憶があり、2年に一度とは言え大きなお金の動くイベントです。

私自身は車に興味を持っていないので、楽しむためには体験物に触れることが一番だったのですが・・・

客層が若干、不可解でした。

というのも、私のイメージでは車好きの男性やビジネスマンが来客のほとんどを占めると思っていたのですが・・・

カップルや家族連れが目立ちました。

う〜ん、ウインドウショッピングのようなものなのでしょうか?

なかなか子供や男性の連れ添いという形できた女性には楽しむことが難しそうだったのですが・・・

ともかく、私自身も機会があれば一度行こうと考えていたイベントなので、経験ができたことは良かったです。

企業の新技術の発表を見れるのは面白かったです。

一番、良かったのは再三取り上げているデュアルビューを実際に見ることができたことでした。

ただ、まだ改良の余地はありそうで、視差バリアが完全ではないので、もう一つの画面もうっすらと見える点が気になります。

それにしても、家が買えてしまうほどの価格の車が所狭しと並べられているのを見て、再度ブランドの力を思い知りました。

名前が価値を生む。

最高のビジネスモデルですよね。

そう言えば、気になったのが本当にキャンペーンガールを撮影する人が多数いるのですね。

その撮影される時の女性の妖艶な微笑みに、何かしらの凄味を感じました。

技術のある笑顔は武器だと改めて認識させられた・・・

N企画
来年の流行語大賞は「おっきなお友達」を推す。



11月2日

20−10−5の法則

先日読んだ「金持○父さん」に興味深い話が書かれていた。

それが表題の話だ。

なんでも、投資市場にはサイクルが存在しているそうである。

そのサイクルが株式市場が20年間好調で、その後大暴落する。

そして株式市場が大暴落すると・・・

次の10年は石油・金・銀・大豆といった商品の価値が上昇する。
その間は株式市場は低迷するというのだ。

そして、最後の5は5年毎に大きな悲劇的な事件が起きるというものだ。

5年毎の悲劇をどう考えるかは疑問だが・・・

鳥インフルエンザやオウムの事件や9・11を指すのかもしれない。

それで、少し、検証してみようと思う。

まず、20年間株式市場が投資の花形になるという話であるが・・・

日経平均が暴落し始め、底を打ったのが2003年の4月、7874円の時だ。

この時に・・・
トヨ○株を仕込んでおけば、今ごろ、資産は3〜4倍になっていたのではないだろうか?

私が目をつけた2004年7月くらいの時点で3000円台だったト○タ株は今や5500円付近。

だが、当時ですら、私には1単元を購入する資金はなかった。

だが、このサイクル説が正しいとすると・・・・

2003年から2013年まで日本における株式市場は急激に伸びたりはしないということになる。

そして、その間は石油を含めた商品市場が伸びる。

で、石油と言えば、私の買っているペトロチャイナも大きく関与してくるので、これまた調べてみた。

私は毎日ニューヨーク市場のWTIの価格で石油価格を見ているが、一般的にはドバイの原油価格を参考にするらしい。

それで調べてみると・・・・

ドバイの石油価格は2001年12月に1バレル17ドルをつけ、それ以降毎年上昇している。

2004年の5月で1バレル34ドル、そして、現在は・・・・1バレル53ドル付近らしい。

ニューヨーク市場は1バレル60ドルくらいだが・・・


確かに・・・・

株式の暴落と商品の価格の上昇の時期は似通っている。

このサイクルが正しいとなると・・・・

2011年付近まで商品価格は安定して伸びて、その後、株式市場が伸び始めるということになる。

そして、2031年くらいまた大暴落するということになる。

そういえば、日本においては失われた10年とは1990年代のことを指すらしい。

明確にいつからいつまでとの定義はなされていないが・・・

この間に商品市場が良かった話も聞かない。

とすると・・・・

まだこの時期が株式市場が投資における主役をつとめていた時期なのかもしれない。

すると・・・・
主役の株式で、伸び始めるのが2010年あたり、そして暴落が始まるのは2020年くらいということになるのであろうか?

底を打つのが2030年くらい・・・・

となると・・・・

これからしばらく株式市場は期待ができるということになる。

というのも・・・・

普通の人は損をするほどを恐れる。

だから、周りの人全員が儲かっている状態を確認して、つまり自分が安全であることを確認してから参入しようとするのだ。

つまり、石橋を叩いて安全かどうかを確認して、渡るとき・・・・

自分の叩いた確認行為が石橋にヒビを入れることになり、石橋を渡る途中で崩壊する。

ねずみ講のように、最後の順番になった人が大損をすることで、暴落が始まることを考えると・・・・

このサイクルはあながち誤りでもないかもしれない。

頭の片隅にでもいれておいて、ババを掴まないように注意をしたい。

やはり・・・・

リスクを取らない限り、果実は得られないのではないだろうか?

安全だと思ったときには、逆に危険だ。

車の運転と同じである。

大丈夫だと思うようになったときほど事故に合う。

リスクがあると思われているうちに、先行投資をしたいと思う。

N企画
N予想、2010年くらいにこのサイクルが正しいとしたら代替エネルギーができるのではないかと予想。



11月1日

こころ

タイトルは夏目漱石の著作のうちの1つだ。

やまももの常連の老人に勧められて、読むことにした。

漱石の作品は「それから」に続いて2作目になる。

高校生の時に読んだ純文学と呼ばれるこの分野は面白さが分らなかったが・・・

現在読むと、面白かった。

人間の複雑な心理を見事に描写している。

主人公の心理に共感できる人間がそれだけ多いから名作なのだと思う。

それで、触発されたので、若干心理的なものと哲学的な更新をしようと思う。

さて、哲学と言うと・・・

一般的には「各人の経験に基づく人生観や世界観」を指す。

言い換えれば、一つの事象にたいする捉え方とどう生きるかということになる。

私は、人は漠然と生きているようだが、目的を持っていると思っている。

以前にも書いたが、その目的とは大体が幸を感じることではないだろうか?


その目的を達成するとなると、どうすれば幸を感じることができるか?


との問いに対する答えが必要となる。

これは各々に価値観が存在し、一概には言えないが・・・


不可欠な要素として金銭がある。

ある程度の経済力は幸であるための必要条件であるが、十分条件ではない。

しかし、幸であるためのすべての必要条件は何か?

の問いの答えは個々によって違う。

すべての人間に共通するだろうと思われる幸であるための必要条件は一定の経済力と健康であると私は考える。

健康は努力も必要だが、すでにあるということを前提にした場合・・・

必要条件を満たためには経済力を得ることにならないだろうか。


そう考えるため、私の軸は経済力に置かれており、それを重視しています。


ただ、次に経済力を手にするためには当然、信用のできる他者との対人関係を思考する必要がでてくる。

他者との協力関係や、他者へのサービスの提供による価値の獲得といった話をしてしまうと、永遠に終わらないので・・・

対人における私の物差しを記載しようと思います。


まず、私は個人には必ず、信仰が存在すると思っています、

その信仰の対象は、他者が作った神であったり、自分のそれまでの人生経験に基づいた基準であったり、現金であったり、法律であったり・・・

基本的には、我々は自分の経験則に基づいた基準を信仰しています。

それで、見方を変えれば、その基準の範囲内から逸脱する他者は異教徒です。

宗教戦争が激しいのは、結局、それまでの自分の生き方が否定されることに原因が存在するからです。

自分の今までの人生がすべて無駄だと思いたい人間はいないでしょう。

ですから、我々も自分の基準から離れた人間に対しては存在は容認できても、同調することはできません。


それで、繰り返しになってしまいますが、私の軸は経済力です。

そして、本質を突けば、経済力に必要な物の第一は信用です。

イメージで言えば、信用という土台の上に経済力という柱を立てて、健康と言う壁を塗り、幸と言う家を建てる。

でその家の中の家具は個人によって違う。

ですから、私の場合は人の見方を他者の金銭と信用をどう取り扱うかでその人を判断してしまいがちです。

これは良くないのですが、私はそれを減点法でみる癖がある。

もちろん、当人にはそう思っても伝えませんし、私の中で、勝手に減点法に基づいたランキングが出来上がってしまう。

これは、他の人も無意識でやっていることだと思います。

疎遠な友人に、自分から連絡を取らないのは、その疎遠な友人が自分の中で下位のランキングにいるからではないでしょうか?

当然、私自身も他者にこういったランキングをされていることを否定しません。

で、このランキングはどのように出来上がるのか?

おそらくですが、当人が重視する基準を他者がどう扱うかによって決められる。

私の場合は、当然現金です。

それで、自分で重要なものだと思っているから、私は金を他者のために使うものだと認識しています。

昔、読んだ本○健氏の著書に、あるとき娘さんが、友人に一番大切にしていたものをあげたそうです。

で、何故一番大切にしていたものをあげたのかを氏が娘さんに問うと、一番大切なものだからあげたという回答がでたそうです。

豊かな発想だと私は思いました。

ですが、私はまだ、ここまで豊かな発想になれません。

自戒しなければならないのですが、人間は「してあげたこと」は覚えていても「してもらったこと」は忘れるものです。

私も同様です。

なので、善意のボールを投げられたら、私は投げ返すことを必ず記憶に留めようと意識するようにしています。

ここで、私が当事者でなくとも第3者としての視点でも、人にしてもらいっぱなしの人は、やはり勝手に減点します。

見返りを求めての行為ではないからこそ、善意のボールを投げ返さなければならないと私は思います。

そして、そう思う理由が、土台となる信用にある。

結局、他人の善意を平気で忘れたり、スルーしたりする人間は、不義理をしかねないと思うのですよ。

無論、人間ですから、感情の嫌悪もあるでしょうが、なんらかの形で義理を忘れない人間でないと利害関係になった際に、平気で自己都合による利を優先させかねないと思います。

ただ、年齢を重ねると、譲ることで煮え湯を飲まされた人が増加してきて、結局自分の飲まされた煮え湯を誰かに飲ませる傾向がある。

本人はそんなつもりはなくても、私も分っていてその人が他人に飲まされた煮え湯を飲むことはあります。

ですが、そんなときはしっかりと私は自己基準による減点を行ってしまいます。

結局、私の判断の軸は経済力なのですが、その下の土台の信用を一番重視している。

だから、自分を信用してくれている人間の顔を潰すような行為を平気でできる人間は私はやはり信用しない。

自分が重視しているものを他者がどう扱うか。

私は他者の信用を尊重できることと、他者が自分のために使ってくれるお金に対してどういったアクションをするかを判断の優先順位の高い位置においてしまう傾向がある。

それは、やはり、信用と経済力を私が重視しているためだとは思うが・・・

N企画
自己判断基準の優先順位付けを行う。