Nスポ


7月31日

資産運用という考え方

最近、私は株の本を購入しつづけている。
バランスシートの読み方から、銘柄のバリューの見方まで。

バリュー投資という一貫した方法で利益を享受しようとしている私はテクニカル分析が主流の現状に逆行しているが、より確実な投資方法であるその手の本をよく読む。

さて、私は何故これほどまでに投資に拘るのだろうか?

そう思う人は多いのではないかと思う。

その答えは、ルームランナーを降りるためである。

考えてもみて欲しい、自分一人の働きで賃金として得られる生涯年収は、ほぼ決まっている。

そして収入に比例して交際費等による支出も増えるのが世の常であるから・・・・
結局、貯蓄をするのは非常に困難であるし、インフレリスクが存在する以上、ただの貯蓄は価値の保全にはならない。

つまり、いつまでたっても経済的に楽になることは難しい。

がしかし、投資をすれば徐々にではあるが、生涯年収が増えていく。

その理由は自分の代わりに自分の持ち物に働いてもらうという発想だからだ。

当然、働き手が増えれば収入は増加する。
そして、その働き手に経費がかからなければ・・・・・

まるまる利益を享受できるのだ。

私は経済的に優位になりたくない人間など存在しないと思う。
誰だって貧乏よりは富者になりたいはずだ。

しかし、不思議なことに皆金持ちになりたくても具体的な行動までには移さない。

どう考えても、起業し株式公開するか、自分のための働き手を増やすしかしない限り、生涯の収入は動かないだろう。


貯蓄の本に書いてあるが、貯蓄をする方法は収入を増やすか支出を減らすしかない。
我々は生活レベルを落すことはなかなかできないから、支出は減らない。

そう考えると、収入を増やす以外、経済力を持つ方法などないと私は思う。

ビジネス誌にもよく出ているが、例えば大きく成長しているフランチャイズ本部などでは創業者が一人ではとても仕事が回らない。

だから、成長を続けるためには創業者は第2、第3の自分を育てる必要があると言う。

投資も同じではないか?

大きな資本を投下することで、第2、第3の自分を作り出せば、自己資産は膨張を続けていくことになる。

毎年、みなさんはどのくらいの収入を得て、どのくらい貯蓄できているでしょうか?

私は年収約300万円で、貯蓄が毎年40万程度しかできていませんでした。

つまり、私は食費等の経費で260万かかっており、純粋に私が生み出すことができた価値というのは40万円です。

おそろしいことに・・・・
この40万円という数字は5%配当の中国株を800万円分持っていれば、出る数字です。

言い換えれば、私の経済的価値は800万円です。
逆に言えば、800万円は第2の私として、働いてくれる金額であるということです。

つまり前職を続けていたとしたら・・・・
5%以上で投資を続ける限り、私は800万円貯まるごとに自分をもう一人手にするのと同じことになる。

そう考えれば・・・

投資をしない限りいつまでたっても収入が増えることなく苦しいまま。
しかし、投資をすれば少しずつではあっても生涯収入の枠は拡大します。

だから私は投資に拘る。

第2、第3の私を作るため。
子供の頃に自分の代わりがいればと思った事があると思います。

それを経済的に現実にするのが投資であると私は考えます。

さあ、総収入の枠の拡大を加速しよう。
そのために必要な物は自分の持ち物を自分のために働かせることのみ。

明日も投資の本を一日読みます。


やまもも日記

待ち人きたらず

御神籤で言えば、そんなところだ。
相変わらず、やまももの前の柳通りには人通りがない。

今日も誰も来ないのか・・・・

気が滅入りそうになる。

一体全体世の中はどうなってしまっているんだ?


何故、こんなリーズナブルな価格でやっている誠実なやまももに誰も来ないんだ?

どうかしている・・・・・

何故だ?何故なんだ?

やまももは「ぼったくり」などしない。
来たフリーの客は価格の安さに驚くくらいだ。

それなのに・・・・・

リピーターはできないし、フリーの客も入ってこない。

私は悲しげな目で店全体を見渡す。

どう考えても、いい店だ。

看板には疑問を感じるが、店内の雰囲気は悪くない。


はあ・・・・


深いため息をつく。

いいさ、いいさ、私を嬲るがいい。
決して負けないからな。

商売を司る何者かよ、ここに宣言する。
私は絶対に折れないし、負けない。

徹底的な根競べ勝負だ。

それにしても・・・・・
人が来る気配が本当にない。

もういいよ、不貞寝だ。

そうして船を漕ぐこと2時間ほど・・・・

時刻は14時を刻んでた。

カラン・・・・


やまももの扉が開いた。
見ると、意外な友人が立っていた。

顔を出してくれるとは思わなかった友人なので驚いた。

その友人のおかげで、やまももは本日も売上げが立つことができた。
だが、真っ赤である。

友人に感謝しよう。
どうもありがとう。

やまもも総営業時間179時間
やまもも売上げ29200円+300=29500円

時間あたりの販売価格約160円

※緊急告知!!
もう一方のブログでお馴染みのあのI氏が8月7日、つまり来週の日曜日やまももにやってきます。

来週やまもも店内で繰り広げられる150万円をかけた戦い。

I氏は150万円で紙屑を掴むことになるのか?
それとも栄光と帯を2束以上手にできるのか?

気になる方はいざ「やまもも」へ!!

↑初の宣伝らしい宣伝です。





7月30日

エス○ス製薬

あの強壮滋養剤のドリンクを作っている企業です。
今週のビジネス誌で特集が組まれていました。

なんでも今や、栄養ドリンクは水よりも安いそうです。

確かにミネラルウォーターは130円しますが、ドリンクはチェーン店などで100円付近で手にできるようになっています。

その製薬会社はドリンクに比較的女性の美容によい成分が入っているため、どうしても女性の顧客を増やしたかった。

そこで、女性へのブランドの認知を高めるため、広告媒体で工夫をしたそうです。

一般的に広告というと我々はTVCMを想像しがちですが、化粧品会社からヘッドハンティングされた専務はそうは考えなかった。

ターゲットが決まっている以上、そのターゲットがいる分野においてだけ広告をすればいい。

そこで、女性誌においてのみに広告を絞った。

その結果、目的の女性の認識は向上した。

この教訓をどう考えるか?

それは、釣は魚がいるところでしろということではないだろうか?

以前に友人の不動産屋がマンション販売のチラシを撒くときに・・・・

彼自身は汚いアパートやマンションを中心に回った。
他の同僚は配りやすい綺麗なマンションにチラシを投函した。

結果はどうであったか?

当然、汚いアパートで賃貸生活をしている人はマンションを欲しいと思うが、綺麗なマンションに住んでいる人はすでにそのマンションを購入している可能性が高い。

反応率は倍以上に違ったそうです。

こういった小さいことでも、自分の客はどこにいるか?

それを念頭において行動することが重要なのではないでしょうか。
魚はどこにいるか、それを見極めてから行動するようにしたいですね。

やまもも日記

じりじりと暑い日ざしが照りつける。
本日の気温はかなり危険だ。

人の生命を刈り取ることも可能そうなほどの熱量。

今日はやまももに人は来てくれるのだろうか。

私は友人が来訪してくれる約束をくれていたので、ボウズにはならない自信があった。

しかし・・・・
フリーの客にも来てもらいたい。

私はエアコンの温度を極力下げて、熱射から免れようと逃げ込む旅人を迎え入れる準備をした。

約束どおり、友人は午前中に来てくれた。

そして、予定がある彼はわざわざ顔だけ出してくれると、颯爽と去っていった。
あとは競馬の中継が終わるまで・・・・

私ができることは待つことのみ。

刻々と時間が経過していく。

しかし、いつもどおり誰も来る気配はない。

エアコンが吐き出す冷気が私には現金に羽が生えているように見える。
経費だけが積み増され、一向に増えない売上・・・

あきらかにやまももは赤字店だ。
何故こんなに・・・・人がこない店は哀しいのだろうと毎週同じ疑問を自分にぶつける。

答えは分っている。
そして、何度同じ答えに行き着いたことか。

そう、自分の命である時間が無駄にされていて、かつ価値を生んでいないという事実が哀しさを作り出しているのだ。

私は自我を殺し、待って、待って、待ちつづけた。

とうとう日は暮れてしまい、日光の輝きは失われてしまっても、私はまだ待ちつづけた。

メロスを待つセリヌンティウスはこんな気持ちだったに違いない。

私の方が・・・・
約束もアテもない分、さらに疑念が湧く。

本当にやまももに人は来るのだろうか?・・・・と。

結局、本日の来客は友人だけだった。

やまもも総営業時間171時間
やまもも売上げ28900円+300=29200円

時間あたりの販売価格約170円



7月29日

意図が読めない国政

最近、気になっているのが・・・・・
クールビズです。

環境省のホームページでクールビズを推進する理由を見る限り、軽装をすることで、オフィスのエアコンの設定温度を上げて、室外機による熱の放出と二酸化炭素の放出を抑え、温暖化を阻止しようと書かれていますが・・・・

弊害の方が多い気がします。

どう考えても、ネクタイを作っている会社との利益相反になることは見えている。

よっぽどこれに税金をかけるくらいなら、植林をした方が二酸化炭素は抑えられると思うのは私だけではないはずです。


案の定、今週のビジネス誌に日本ネクタイ組合の抗議文が掲載されていました。

特定の分野を政府が否定することで、その業界が打撃を受ける。
只でさえ・・・物が売れなく、末端の消費者にお金が回らない状態なのに、ネクタイの産業に携わる人はさらに苦しくなる。

もう少し、やり方があるのではないかと私は思います。

私は決してネクタイ業者の回し者ではありませんが、モノに対する消費が落ち込んでいる現状でさらにそれを否定するような内容を政府主導でやってしまっては、ますます消費が冷え込む気がしてなりません。

どうも最近の国政の意図が読めません。

何を求めて、クールビズを推進しているのでしょうか?

特定の業界を叩いても意味がない。

全体が共存しつつ、環境を改善する方法を考えるべきなのではないだろうか・・・?

N企画
バリュー株をスクリーニング



7月28日

幸か不幸か・・・・

私は、過去のチャンスをその場で気付くほど賢くはなく、かといって永遠に気付かないほど愚かでもないのです。

ですから、今でもとんでもなく後悔していることというのが非常に多い。
多分、人は後にチャンスだったと気付かなければ、もっと一生の後悔は少ないでしょうね。



さて、今日は少々、酩酊気味の更新です。

普段は読者に一緒に思考してもらえるような内容を書いていますが、本日は吐露に近い。


私は事ある度にチャンスという言葉を使います。
それこそ、青い鳥であるかのように・・・

チャンスがあればなあ・・・と

どちらかというと、ぼやきに近く、あまりぱっとした台詞ではありません。

ところが、よくよく考えると私は結構チャンスに恵まれています。
しかし、そのチャンスを手にしていない。


具体的話でいえば・・・・とあるベンチャー企業の社長と懇意になる機会を逃したことなどが挙げられます。


その方は東大卒の方で、人脈も知識も行動力もかなり優れていました。
もし、親しくなっていれば、非常に大きな学習ができたでしょう。


しかし、私はそれをスルーしてしまった。
まさに柳生家における小才です。


縁に出あって、縁に気付かないのですから。


私はビジョンを描くため、過去を回想しているうちに、恵まれているチャンスにその時点で気付いていないという驚愕的な事実に気付いたのです。

ですから、今思えば、私は相当のチャンスを無視しつづけていた。
だから、無視されたチャンスは気分を害し、私の元へあまり訪れなくなってきた気がします。


そう、7月21日号のNスポでに書いた本田○氏のチャンスの3つの関門の話のように、まずは気付く関門を突破しなければならない。

そして、気付いたのなら、すぐに掴まなければ・・・・

機を逃す。

だから、私はチャンスに対して気付くように意識を高めようと心がけています。
どうやってか?

それは人の言動であったり、情報媒体に触れて面白いと思ったときに、それはチャンスかと自分に問うようにしているんです。

そして、チャンスだとしたらどういった?

と自問をします。

人民元の切り上げはまさにこのパターンでした。


最近、頓に思うのがリスクを取らないで機を逃すリスクの重さです。


過去を回想してみて、あれはチャンスだったなと思うことはないでしょうか?

その時、そのチャンス掴みましたでしょうか?

掴めていないとしたら、その原因は・・・?


私の場合は機を機だと気付かなかったことです。

周囲には機がたくさんあるのに、気付かないばかりに望みを取りこぼす。
私はこの手の後悔をしすぎました。

だから・・・・
私は私の元に訪れる機を逃したくありません。

逃すと、夜、寝床で暴れだすほど悔しいので。

そのため、私は機だと思った瞬間手を伸ばすようにしています。
やってしまって失敗する後悔より、やらないで、たらればを考える後悔の方が明らかに大きいから。

例え、手を伸ばした先に棘があったっていいじゃないですか。

その棘を引っ張った先に、果実がついているかもしれないですし。

リスクを恐れる方がよほどリスクであると思います。


私は今、経済的に逆転できるチャンスであると思っています。
もちろん中国株で。

有り金すべてを中国株に投じていますし、今後も収入があれば投じ続けるつもりです。

株価が下がったらどうするのか?
思う方もいるかもしれません。



そうしたら・・・・・
それは買い足すチャンスです。


確かに中国株はリスキーです。
しかし、先行者利益という言葉が存在するように、みんなが安全だと思ってから出て行ったのでは、いい思いできるはずがない。

一番槍は真っ先に敵に討たれるかもしれないリスクを取るから大きな手柄となる。

チャンスに対しての意識をもっともっと上げていきたい。
そんなことをよく考えます。

N企画
岩窟風呂に行く



7月27日

CCC

暗号のようですが違います。
皆さんも利用したことが必ずあると思いますが・・・・

カルチュ○・コンビニエンス・ク○ブのことです。

そう、AV(音響・映像)ソフトレンタルツ○ヤを運営するあの会社です。

今週の日経ビジネスの第2特集に載っていました。
そう、ここ2年・・・・

2002年2月から14ヶ月連続、既存店の売上げが前年比割れを起こしていた会社です。

今年になり、売上げが上向いてきており、ビジネス誌には「復活」の景気の良い文字が躍っていました。

しかし・・・・・

私はこの会社の成長が楽観視できる状況にあるとは思えません。

ノウハウに縛られ、柔軟な発想ができないとか、お客様の方向を向いていなくて、サービスの提供が悪かった等が書いてあり、さも改善したかのように記載されていましたが・・・・

少なくとも、私の自宅の近所の○タヤは少しも改善されていません。

7月11日号のNスポでも書いたとおり、有隣堂は非常にCSが行き届いている書店です。
汚れた本を自主的に店員が変えてくれるだけなく・・・・

読書の習慣のない友人に読書の面白味を知ってもらおうと、本を購入した時、「プレゼント用なのですが・・・・」といっただけでカバーから包装まで無料でしてくれます。

ところが・・・・
お客様の方向を向いたと主張しているツタ○ではそのようなこと頼んでもしてくれません。

同じように書籍を取り扱っているのに・・・・

それどころか、レジにお客さんが何人並んでも一向に店員が新しいレジを空けることなく、平気で待たせます。

7月6日号のNスポに書いたウォ○グリーンのお店と対照的ではないでしょうか?

それに、カバーも言わなければかけてくれないし、カバーのかけ方すら知らない。

本が破けてたらそれを交換しようとせずに、早く顧客に押し付けようとすらします。

私は近いからツタ○を利用しますが、有隣堂と隣り合わせだったら絶対に有隣堂の方に行くと断言できます。

店員の質がこの程度なのに、売上げが上がったからと言って、長期成長はありえないと思います。

ですから、CCCの株にプレミアが乗っているなら・・・・・
是非空売りを仕掛けたい。

このままで行けば、また来年は減収減益になると私は思います。

どんなビジネスでも顧客を見なくなったらお終いです。

こういった反面教師を見て、私達は正しい選択をしたいものですね。

N企画
自己の財務諸表作成



7月26日

ニ○テンドックス

をご存知でしょうか?
そう、あの任○堂のニンテ○ドーDSのゲームソフトです。

私も最近以前ほど、ゲームには興味を持たなくなったので、あまり詳しくはないのですが、このソフト信じられない売れ方をしているそうです。

今週のビジネス誌に載っており、面白いと思ったので我がNスポでも取り上げてみました。

発売後10日で50万本も売れたというこのモンスターソフト。

内容は携帯用のゲーム機で子犬を飼い、それを育成するという擬似ペットです。

あの「た○ごっち」を髣髴させますが、ソフトの内容が凝っており、本物により近い感覚が人気を呼んでいるようです。

名前を何度も呼んで覚えさせたり、お手といった芸を仕込むのに何度も繰り返し、褒めてやるといったことが必要な事、それと他の擬似ペットの飼主とすれ違い機能というのもついていて、これらが人気になる要素のようです。

東京駅にはこのすれ違い中継所があり、ユーザーがゲーム電源をオンにしているだけでそのデータを蓄積し、次のユーザーにゲーム内で前の飼主の犬がプレゼントを届けるしくみです。

こうして自分の飼い犬と他者の飼い犬がじゃれあう姿が中継所を通った人は見ることができる。

なかなか凝った作りだと感心させられました。


そして、このソフトは女性にかなり支持されているようなのです。
ゲームソフトが女性に大きく支持されることは今までなかった。

昔、読んだ本で女性は男性よりも犬好きが多いという話を思い出しました。


さて、この事実は何を意味しているのでしょうか?


私はデパートの屋上のペットコーナーの話や、以前に不動産投資のための本を読んでいたときにペット可専用の不動産紹介で利益を上げている不動産屋が存在することを思い出しました。

今まで以上にペット産業が成長しているのではないか?

私は最近よく思います。


その理由は・・・・何なのか?


恐らく、晩婚化、高齢化そういったことが進むことに原因がある気がします。

寂しい人間が増えている。
だが、人間だと良好な関係を築きあげるのに非常に神経を使い疲れてしまう。

そういった人が自分の都合のいいペットに走る。

そんな人が増加してきているのではないかと感じます。

日本の少子高齢化はペットで寂しさを紛らわすという安易な逃げ道がさらに加速を助長しているのではないでしょうか。

それと共に、子供の経済的負担による、子供を産まない夫婦の存在もあり、今後も大きな問題になっていく感が否めません。

そして、先日のビジネス誌でも載っていたのですが、既に日本は外国人労働者がいないと仕事が回らないらしいのです。

かつて3Kと呼ばれたブルーカラーの仕事や居酒屋のバイトといった物は、日本人にはキツイというイメージがあって時給を高くしても日本人は応募してこないそうです。

日本人は豊か過ぎて、選択をしすぎ、個人の利益主義になっている気がします。

自分の幸福のためには子孫を残さない。
そう考える人が現れ始めたのも、問題なのではないかと私は思います。

いつの日か日本という国から日本人がいなくなり、亡国になることは避けたいですね。
ですが、このままでいけばそれも現実のものとなる。

だからどうしたと言われればそれまでかもしれませんが、日本人として日本人という民族が消失することには感情的な部分で抵抗があります。

ペット産業に将来性を見出すと共に、人口減の問題は大問題へと発展していく気がします。


N企画
個人の投資グループを結成



7月25日

他者主導の教育を疑うこと

自己教育で得た知識以外を信じるのはいささか安易過ぎるかもしれない。
そう思わされたことがありました。

本日いつもどおり、日経ビジネスを読んでいると・・・・・

目から鱗が落ちるようなタイトルの本の紹介がされていました。

小学生の時に刷り込まれた教育は、無意識の内に絶対になってしまっている自分に気付く良い機会でした。

その本のタイトルは・・・・

「原爆を投下す○まで日本を降伏さ○るな」

という本です。

私達が小学生の頃から、米国との軍事同盟と協力関係を円滑に進めてきた日本は、憲法9条を楯に米国を憎まず、頼るように教育されてきました。

もはや、戦後の痛みを忘れてしまった日本人は原爆を投下されて良かったと考えるようにする教育ですっかり洗脳されています。

事実、このタイトルの本の解説を読む前まで、私は深く考えませんでしたが、現実に不満がないのならそうなのかもしれないと思っていました。

戦争を続けて、より大きな犠牲を生むよりは大きな傷になるが、原爆を投下し大破壊をした方が日本が降伏するのが早まって日本のためだという米国式の建前論です。


よくよく考えればそんなはずはない。

政治や公の行動には必ず、自国の利益になるような意図を持って行動を取ります。

当時、米国は自国が世界で最強の軍事力を持つ国であることを証明するために原爆を投下したかったのではないでしょうか?

そもそも、当時の日本には戦いを長引かせるだけの余力は残っていなかった。

原爆を投下される前から、降伏の方針は決まっていた。

にもかかわらず、米国が追い討ちをかけたのは何故か?

そう、日本を統治下に置くことは分っていたため、その後のソ連との力関係を世界に向けて発していく必要があったのではないでしょうか?

つまり、世界で最初に原爆を作った米国主導で世界の覇権を狙っていたと考えるべきでしょう。

よくよく考えれば、クリーンな政治を目指す政治家がクリーンであった例はありません。

よくよく考えれば、国家が何のメリットもなしに恨みを買うような、後世に名を汚すことになるような武器を使うとは思えません。

米国が最強であることを証明するために投下したと考えるのが妥当でしょう。

そう考えると、一方的に与えられる教育というものは危険です。

中国の反日思想もそうですが、国家の意図の元、与えられる教育がそういったものであれば、考え方がそうなるのは必然です。

何しろ、中国の60歳未満は日本の軍人に何かをされたことはないはずです。

となると、日本が米国に対して反米思想を持っていないのに、中国が日本に反日感情を持っているのもおかしな話です

それを為させるのはやはり教育です。
私達は、一方的に押し付けられる教育にはもっと疑問を持つべきなのかもしれません。

逆に言えば、自分で主体的に学んだ知識による判断でないと、思想統制の輪の中にいる感が拭えません。

私は自動受信の情報に対して、非常に抵抗があります。

テレビを見ないのも、そのあたりに起因します。

何しろ、映像と音声という最も強力な感覚に対して訴えかけてくるのですから、例え、誤っていたとしても信じるなというのが難しい。

今でも、鮮烈に記憶に残っていることが、コンピューターウィルスという名が世に出始めた頃、フ○テレビのニュース番組で、コンピューターウィルスをキーボドに付着した細菌であると堂々と報じて、その細菌が原因でパソコンにバグが起きると報道した番組です。

ご丁寧に大学教授を出演させ、顕微鏡で細菌を映していました。

今から14年前の話です。

ですから、知識は自分で集めるもの、教育も自分で自分にするものでないと私は一度疑ってみる必要があるのではないかと思います。

何か思い当たるフシはありますか?

N企画
某友人に捧ぐ。

今年の流行語大賞は「お前のリングネームはビックザムトー」に一票入れる。



7月24日

光学式レコードプレーヤー

をご存知でしょうか?
日本でできる企業は一社しかない技術です。

そう、あのレコードを針ではなくてレーザー光線で聞くことのできる技術です。

CDやMD、HDの普及のおかげで最近ではレコードを聞くことができなくなっています。

しかもレコードは、針を使用して聞くので磨耗によりいずれ聞けなくなってしまうのですが、このレーザー式なら盤面が磨耗することはありません。

コレクションとして一財産と言ってもいいレコードを最新技術で聞くことができるのといのも悪くない気がします。

実はこのレーコドの機械・・・・
1台数百万円もするのですが、結構売れています。

もちろん富裕層をターゲットにしているようですが、手作りでないとできない部分があり、月産15台程度のペースでしか作れないということもあり、かなり人気はあるようです。

このことから思った事があります。

それはこういった過去の技術を復活させる製品は意外と利益が出るのではないかということです。

というのも、もともと趣味の製品なのでターゲットは富裕層です。

そして富裕層はそれまで年齢を積み重ねてきただけあり、こういった商品を懐かしむ気持ちがあります。

その富裕層の趣味を狙いとすれば、かなり高額でも対象が対象だけに売れないこともないですし利益も出せる。

やはり、中流という層が消えてきたこともありますし、生活が快適になってきた影響で、ニーズが見つからなくなっている気がします。

今後は、富裕層と新低所得層と分れた層に対してウォンツを提供する企業が利益を得ていく気がして仕方ありません。

必要な物は売れるというのは、本質は変わらないとは思いますが、必要な物を提供する企業は多数あるので、ニーズを満たしさえすれば売れるという発想は過去のものになりつつあります。

ニッチとウォンツが結びついたとき・・・・

大きな果実がもたらせられるのではないでしょうか?

やまもも日記

私的な飲み会から一夜明けて、私はやまももに向かった。
時刻は午前8時。

私はやまももの準備を早急に済ませると・・・・

ソファーに横になった。

昨日のまさかの寝坊より一夜あけて・・・
今度は徹夜である。

20代も中盤になると徹夜が辛い。

私はやまももの扉の鈴がなるまで睡眠を取ることにした。

どれくらい、寝ていたであろうか。

はっと目を覚ますと、時刻は14時になっていた。

大分よく寝た。

しかし・・・・
逆に言えば、それまで誰も来ていないという事だ。

私は地に膝を突いた。

なんてこった・・・・
またもやボウズか・・・・

時計の長針はそんな私を嘲笑うかのように・・・・

その歩みを止めることはない。

15時を過ぎる。

当然、誰も来ない。
15時半を過ぎ・・・・

メインレース5分前となった。

私は本日の来客を諦めた。


その時・・・・・
やまももの扉がカランと鳴った。

サラリーマン風の中年男性が中へと入ってきた。

昨日に引き続き、フリーの客だ。
ありがたい。

しかし、やまももは飛び込みのフリーの客が来る割には、リピーターが少ない。
それほどサービスが悪いとは思えないのだが・・・・

やはり閑散としているから人が来にくいのだろう・・・

正直二日酔い気味の私は16時には切り上げるつもりだったが・・・・
はくぼ競馬という名で17時までレースがある。

結局、17時までやまももは営業を続け・・・・
本日もおかげさまで売上げを立てることができた。


やまもも総営業時間163時間
やまもも売上げ27400円+1500=28900円

時間あたりの販売価格約170円

いつの日かやまももが席が足りなくなる日を切に願う。



7月23日

ロ○テ

先日のビジネス誌に載っていたのですが、上記の会社実は韓国企業であることはご存知だったでしょうか?

いや、正確には違いますが、創業社長の方は実は韓国出身の方で、韓国ロッ○と日本の○ッテを創業しました。

で、この方なのですけれどもやはり普通の人にはできない程のモノを持っています。
それは何か?

それは・・・・義理堅さです。

常人が真似できない程の義理堅さ、それがこの方の成功を支えているのではないかと私は思いました。

その逸話というのが、切削油の話です。
切削油とは、金属で金属を削る際に摩擦による熱で削る方の金属が溶けたり、削った破片が熱で付着したりしないようにするために使用する油です。

このロ○テの創業社長、重光武○氏は戦前の1941年に来日した。
そして、日本と朝鮮は当時の関係から政治的な関係でかなり差別があった。

そのあたりで日本では韓国ロ○テを韓国では日本ロ○テの存在をなるべく表に出さない戦略を貫いていたらしいです。

で、最初は知り合いの出資者の老人に誘われて、切削油の工場を始めたそうです。

ところが・・・・・
3回出荷した時点で東京・八王子空襲で焼かれてしまいました。

その出資者の老人の出資金の当時5万円(現在だと5000万円?)分は全部焼かれてしまった。

全財産だったらしく、重○氏のせいではないと言ってはいたが相当落胆したそうです。

そして、戦争が終わり、○光氏は韓国に帰国することも考えた。
しかし・・・・

この老人の出資金を返せないものかと考えて、日本に留まりひまし油でポマードを作って販売することにした。

それが売れたおかげで1年足らずで5万円を作ることができたそうです。
そして自分が一年働いたその5万円を返しに行った。

もちろん、インフレもあったでしょうが・・・・・

ここが、普通の人にはできない義理堅さだと思います。
ですが、その義理堅さが信用を生み、重○氏に機会をもたらせたのではないでしょうか。

○光氏は朝鮮に対する差別があった当時に、自分を信用して全財産を懸けてくれたのが嬉しかったためだと話していますが、なかなかできることではありません。


私は、別の本で読んだ話も合わせて思い出しました。
それは、ある事業主が経営危機に陥った時、自宅のお手伝いさんに救われた話です。

そのお手伝いさんは普段から家族同然に接してくれていた主人の危機を知り、お手伝いさんのネットワークを利用して資金の出資者を探します。

自宅のお手伝いさんからその話を聞いた出資者の富豪はそれほど人望があるなら見込みがあると判断し、出資をします。

その結果、事業が傾いた事業主はその危機を乗り越えました。

人は義理堅い人間を信用し、助けようと思います。
この義理堅さが人に縁やチャンスをもたらせるものなのではないでしょうか?

見習うべきであると思います。

やまもも日記

なんと寝坊しました。
ですが・・・・・

遅れて開店。

やまもも開店以来、初の遅刻です。
目が覚めると・・・

時刻は13時。

チアノーゼを起こしたかのように真っ青に顔色が変わったが、20秒後に思い直す。
土曜の夏競馬に午前中から人が来るわけがない。

寝坊してしまった以上、仕方あるまい。

私は一人でやまももへと向かった。

時刻は13:30。
人が来るとしたらいつも14時半以降になるだろう。

私はやまもものシャッターを開けた。

すると・・・・・
ヒラヒラと1枚の紙片が宙を舞う。

シャッターのサビが付着したその紙片は名刺サイズだった。

なんだ消費者金融か・・・・

私はそう思い、ゴミ箱に投げ込もうとひょいとその紙片を持ち上げた。


すると、その名刺には・・・・・・

やまももの大常連である友人の名が記されていた。


えっ?


すべてを悟るのに一瞬の時間も必要なかった。

そして、その友人の直筆でこう記されていた。



「午前中から店を開けてください。 AM11:35」



私の脆弱な精神に多大なダメージを与えるには十分な文言である。


くっ・・・・
私は酷く屈辱的な気分になった。

後ほど分るのだが、実はこの日やまももに門前払いを食らったのはこの友人だけではない。

他にも3人いたというのだから・・・・
どれだけ痛恨の寝坊であったかは想像するに難くない。

しかし、過ぎてしまったものは仕方がない。

私は料理も何も用意されていないが、やまももを開店した。

どうせ誰もこないだろう。

思っていたが、意外にも15時頃、東京から会議でこちらにやってきたサラリーマンの一人客がやってきた。

はくぼ競馬のため17時までレースがある。
それに16:35分に起きた震度5の地震のため、J○全線が運転を停止していた。

そのため、この男性は18時過ぎまでやまももに滞在してくれた。

結果として、先週はボウズであったやまももだが、今週は売上げを立てることができた。

やまもも総営業時間154時間
やまもも売上げ25600円+1800=27400円

時間あたりの販売価格約170円




7月22日

人民元の切り上げ「其の2」

実は今週の日経ビジ○スに人民元の切り上げは最短で8月という記事が記載されていた。

中国の国家主席がほのめかしたということから近いうちにとビジネス誌で取り上げられていたが、蓋を開けてみれば、その3日後には切り上げが発表された。

さて、ここで私なりの考察をしようと思う。

今後、どうなるだろうか?

一般的には、米国の圧力をかわす為に区切りがついたと思うだろう。
しかし・・・・

私はそうは思わない。

切り上げ幅が小さく、圧力をそらせることができるほどではない。
そのため、一日の変動幅が前日比0.3%という通貨バスケット制を採用して公正感を演出しているが・・・・

しばらく中国政府の為替介入は終わらないだろう。

ということは、それほど遠くない時期にまた米国の圧力がかかることになる。

いずれは経済成長国として完全変動相場制に移行せざるを得ないだろうと考える。


刹那の利益を追いかけるのであれば、今売るべきであろうが、私は大魚を狙っている。
2010年までは中国は国家的なイベントが目白押しとなっている。

そして、それに合わせて人民元が完全変動相場制に移行する可能性も高い。

であれば、私は目先の1段落よりも先の完全変動相場制を見据えて、まだまだ仕込む時期にあると思っている。

2003年末には既に人民元の切り上げを予測して、中国株に相応の投資をしていた先見性のある投資家たちに先を越されたが・・・・

まだ話にも出ていない完全変動相場制を狙っている投資家は少ないだろう。

第一回人民元切り上げではそれ以前に気付いていた投資家に比べてスピードの差でそれほどの利益を得ることが私はできていなかったが、人民元の完全変動相場制がやってくるという前提で考えれば・・・・

現在保有を続けることは、かなり早期の仕込みであり、今度は私が他の投資家の先を越すことになる。

確かに現状でうまく立ち回れば、小銭は稼げるかもしれない。
しかし、小銭を稼ごうとして大金を得るチャンスを失っては元も子もない。

餡の少ないタイヤキの頭と尻尾は他人に譲ろう。

私はタイヤキの腹をもらう。

投資において、世間の予想は外れる。
何故なら、その予想を逆手にとって利を得ようとする人がおり、もともとそういった人がもっともらしく流した予想かもしれない。

そして、基本的に投資する対象の価格は人の心理で決まる。

決して合理的な判断で価格は決まるものではない。

バブルの崩壊を予想できた人間がどれだけいただろうか?


皆、儲かりつづけるという熱に浮かされていた。

土地神話と呼ばれたように、皆が借金をし土地を購入すると地価が上がり、利益を得られるという錬金術が完璧であると確信したとき、バブルは崩壊した。

逆に、皆が一段落したと思った後に、利益のタネが落ちていると私は思う。
何しろ、この時期に人民元の切り上げが予想できた人はおそらくいない。

そして、もしかしたらこの後、人民元の完全変動相場制が発表されるかもしれない。

年内に第2回人民元切り上げが行われる可能性だってある。

もしかしたら、中国政府は本当に通貨バスケット制における0.3%内の変動を市場に委ねるかもしれない。

そうなれば、完全変動相場制と同じだ。


ポイントは想像以上に切り上げ幅が小さかったこと。
これでは中国政府は米国の圧力がかわしきれないことを分っているはずなのに・・・


何か意図があると考えるべきなのが普通ではないだろうか?

さあ、人の行く道の裏を行こう。
花の山を目にすることができるはずだ。

私は人民元が完全変動相場制になるまでは、ペトロチャイナを持ちつづける。
正解は20年後に分るはずだ。

N企画
無線LANにする。



7月21日

狙いどおり

人民元の切り上げが行われた。
やはり、大事なのはスピード。

今年の2月、松○証券で中国株のネット販売ができるようになるとほぼ同時に有り金すべてをペトロチャイナ株に変えた甲斐があった。

先日の本○健氏の本に、チャンスには3つの関門があると書かれていた本があった。

1つ目の関門がチャンスに気付くこと、チャンスは自己主張をしないので、見つけてやらなければならない。

2つ目の関門がチャンスを掴むこと、気付いたらすぐに行動を起こさなければならない。

そして3つ目の関門が掴んだチャンスを活かすこと。

私は中国株ペトロチャイナはチャンスであると気付き、その場で可能なだけ買い込んだ。


私は現在、チャンスを掴むところまで来ているのだ。
後はこのチャンスを生かすだけ。

どの時点まで我慢をすれば最大限にチャンスを生かせるだろうか?

今までの人生でこれほど思う通りにいったことはない。
今日のペトロチャイナの株価上昇はえらいことになっていた。

間違いなく、明日も急騰するだろう。
明日の日本の市場、為替レートは大混乱になるに違いない。


既に含み益を含めて、ペトロチャイナの利回りは35%を超えている。
この調子で行けば、2年で倍になる計算だ。


関心のない人間にとってはなんでもないことなのかもしれないが、今日は経済界にとって歴史に残る1日だ。

その現場に立会い、そしてその機を掴めた幸運に蕩けそうである。

私は確信した。
チャンスを常に探し、見つければリスクを恐れずすぐに手を伸ばせと。

私がぐずぐずしていたら・・・・
すぐに利食いをしたがる我慢の利かない人間だったら・・・・・

この機をつかめなかったに違いない。


さあ、今日は思う存分自画自賛しよう。
己の先見性に酔いしれよう。

少なくとも私はペトロチャイナ株を2010年までは手放さない。

可能であれば、人民元が完全変動相場制になり、落ち着くまでは・・・・
買い足しつづけよう。


明日は市場の祭・・・・

非常に楽しみだ。

ペトロチャイナで夢を見つづけよう!!

N企画
一日間だけデイトレード



7月20日

日経ビ○ネスも・・・・

二極化の特集が組まれてた。
そこで、消費者の意識が一億総中流であったときの戦略を取ったマクドナ○ドの失敗が書かれていた。

それは主力の商品を100円で販売して、ついでに利益幅の大きいポテトなどのセットとして売り込むという手法だ。

これは・・・・
まさに1億総中流と認識している人の心理を突いた手法だ。

貧乏で買えないわけではないから・・・もう1品買う。

そんな小さい中流の見栄を狙った戦略は過去の物になっている。
何故なら・・・・

もう、1億総中流ではなく中流から新低所得層と呼ばれる階層が生まれた。

この層は想像以上にリアリストで顔の知らない人間に対して見栄を張る必要がないことを認識している。

現実的に安くて得だから買うのであって、そうではない商品を買うことはない。

そのため、マ○クは大幅来客数は増加し、経常利益が大幅に下がるという矛盾が起きた。

逆にビック○ラーメンという180円でラーメンを売るラーメンチェーン店は自前でスープから麺までを生産する一気通貫の戦略で180円のラーメンで利益が出る体質を作っている。


この新低所得層を狙ったこのチェーン店は今のところ成功している。


今後、ますます二極化の歪でこの新低所得層の数は増えるものと思われる。
この層を狙った戦略というのはかなり有効になるのではないか。

さて、この層をターゲットとした何かいいアイデアは浮かぶだろうか・・・・

N企画
ペトロチャイナで逆転したら・・・本を書いて印税生活を目論む。実績の持つ力は強い。



7月19日

選択と集中

使い古された言葉ではあるが、この重要性は否定できない。
日本という国が現在中流の縮小に進み、富裕層と新低所得層という層に振り分けられ始めた。

何度もNスポで書いているとおり、二極化である。

そして、私が思うに二極化の問題は資本主義なのにもかかわらず、それこそ江戸時代の士農工商のように、その階層を抜け出すのが容易ではない点だ。

何故なら親の資力で与える教育に格差が出るから、身分制度のように・・・・

張り付いたように、その階層を抜け出せない。


私は自分の命とイコールである時間を常に安価でリースすることに疑問を感じる。
それを避けるためには、残念なことに富裕層にいかないかぎり不可能だ。

よく聞く話に、それほど金がいるとは思わないという話がある。
そう、時間的ゆとりと生活に困らない金銭があればという考え方である。

意外に思うかもしれないが、それは私も同じだ。

しかし、私はそれは富裕層にいない限り安定しないと思っている。
日本という社会全体が富裕層と時間も経済力もない新低所得層への振り分けを行い始めているのだ。


いいも悪いもない。
強制的にだ。

労働基準法という法律を知らない企業が大幅に増大したら・・・・
誰かがそうではない企業からあぶれることになる。

その誰かにならないためには、結局常に継続努力をして自分に付加価値をつけるか、それとも所有することで自分に価値をつけるかしかないのだ。

私は継続努力を他人以上にできるとは思っていない。

だから、他人より持つことで自分に付加価値をつけようと思うのだ。


そう、ゆとりと生活に困らない金銭を手にするために。

さて、そのためにはどうするか?
残念なことに私の両親は富裕層ではない。

だから、私も高価な教育を求めることができない。
そのため、自力で学習し、どうにかするしかないのだが・・・・

先日貧国における面白い投資法を知った。
おそらく中国だったと思うが・・・

親族にとても優秀な子供が生まれると・・・・
血族総出でその子供に投資をし、大学に入学させるそうである。

結局、貧しい層は常に貧しいのでそういった投資でしか逆転が望めないのだ。

だから、中国で優秀な人間は役人になり、袖の下を受け取る。
ある意味、日本以上に資本主義だ。

つまり、可能性のあるところを選択し1点に集中投資をする。

それが正しい逆転の方法だ。
というよりも、逆転するチャンスなど、人生にそうそう訪れるものではない。

よく言われているのが、人生には3度大きなチャンスがやってくるそうなのである。
来方は広告の切れ端か、他人の言葉かそれはどうかわからない。

まず、それに気付き掴むこと。

そんなチャンスを掴める状況にあることなど生涯に1度あるかないかじゃないだろうか?
現時点で富裕層ではない私が、富裕層を狙うためには、リスクを取って、この中国の血族のように1点勝負をしなければならない。

だから・・・・
ペトロチャイナ株を1点で買っている。

私の今までの人生の中で一番勝負なると判断したからだ。

様々な意見があると思う。
危険だとか、失敗したらどうするとか。

しかし、何もしなくてもそれ以上に危険で意味がないのだ。
失敗しても、リスクに挑戦せずに失敗しなくても結果は同じ。

私は新低所得層を抜け出すことができない。

だったら、同じなのであれば可能性を追った方が良い。
だから、私はペトロチャイナ株と心中を決めている。

いつの日か、先見性を褒め称えられる日が来ることを切に願う。

N企画
渦巻きの蚊取り線香を買い占める。(特に意味はない)



7月18日

格差は教育から生まれる

教育は目に見えない投資だが、一番投資効果が高い。
そう思わされた。

実は私は最近近所のファミレスで本を読むことが多い。
自宅だと緊張感が無くなりすぎてしまい、読書が捗らないし、それに気温的にも快適ではない。

だから、ファミレスに行く。

先日のことだった。
私は面接○達人を脇に抱え、深夜にファミレスの扉を開いた。

従業員は役職者を含めて、3〜4人。

自己PRや志望動機を練るために私は席に案内されると、諸々の書類を取りだし、甘味とミルクティーのホットを注文した。

しばらく、本を読んでいると・・・・

注文の品と違う甘味が届いた。
そこで、注文の品でないことを伝えると、あまりいい顔はされないまま・・・・

下げていった。

そして、しばらくすると注文品が届いたが・・・・
明らかに先ほどの間違った商品の品からパーツを抜き出して使っていると分った。

何故なら、本来ならついていないはずの物体が付着していたから・・・

別にその行為自体は構わないが、せめて分らないようにやって欲しい。
そして・・・紅茶が届いた。

しかし・・・・
ミルクがついていない。

・・・・
私の注文をしっかりと聞いていたのだろうか?

疑問に思った。
しかし、私は静かにミルクをお願いすると、それはやってきた。

そして、手を拭いてから甘味に手を出そうと思ったが・・・・
お絞りもお冷やも届いていない。

確かに私は普段長居しがちだが、混んできたら席を立つようにしているし、それほど迷惑をかけているとは思えない。

それにしても、この仕打ち。

私はかなり気分を害した。

クレームをつけようか迷ったが、私はこのファミレスのファンでもなんでもない。
近いから利用しているだけである。

だが、今後別のファミレスと2択で迷った場合があれば、間違いなくこちらを選択することはないだろう。

何故、こういったことを平気でできるのだろうか?

責任がないといってしまえばそれまでだが・・・・

正当な賃金を得ている以上、正当な労働を提供するべきであろう。
不満があったり不当であると感じるのであれば、辞めればよいのだし。

従業員の教育が足りていない。
チラシや販促物に金銭をかけるくらいであれば・・・・

よほど従業員の教育にお金を掛けたほうがプラスだ。

CSの概念が欠けていれば、いずれは売上げが立たなくなり、それを理解していない従業員が真っ先に肩を叩かれることになる。

私の注文を取った女性はおそらく主婦であろう年齢だった。
自分で考えたり、誰かが教えたりしないのであろうか。

先日の有隣堂は私という顧客がどうすれば満足をするかを従業員が考えて対応してくれた。

ところが、このファミレスは「やってやっているんだ」という意識を持っているのではないかと穿ちたくなる。

この差はどこからやってくるのか。

どう考えても教育だ。
ビジネス上のプラスとマイナス、それをすることでの損得を誰も教えなければ・・・

自分の都合よく考えがちになるのが人間である。

他人にもこれだけ教育によって差が生まれるのだから・・・・
自分にとっても同じなのではないだろうか。

そう自己教育。

これを継続するようにしなければ・・・・
何も分らない人になってしまう。

自己教育するための資金は惜しんではいけない。
ファミレスの対応からもそう感じた。

何か自己教育を続けている、そういえることは存在するでしょうか?

N企画
内定取ったら営業本読みまくる。



7月17日

すべてにおける必勝法は・・・・

やはりどう考えても、「継続」です。
私がよく読んでいるメールマガジンで、結果を出して著名になった人の言葉を紹介しているメールマガジンが何誌かあります。

その中で・・・・・

やはり必勝法だなと思うに至った言葉を今日は紹介しようかと思います。

そう、必勝法は「うまくいくまで続けること」


これに尽きると思います。
もちろん、試行錯誤による改善は欠かせませんが・・・

では、下記に引用します。



挫折をしないためにはやり続けることだ ― 哀○ 翔 ―(タレント)


見つかるまで探せば骨折りは無駄にならない ― 異国の諺 ―


ずっとひとつの夢を抱きつづけて努力することは、たしかに奇跡みたいなことをよびおこすんだよなあ - 五木寛○ -(作家)


成功に極意はない。私の場合は、ただ他人が掘ったあとをもう一間ずつよけいに掘っただけだ。 ―古○ 市兵衛―(○河財閥創始者)


こうしてみると、様々な分野の人が同じ事を言っています。
ということは、やはり、うまくいくまで一つのことを継続すること。

必勝法はこれに尽きるのではないでしょうか。

ということは・・・・
我々は必勝法を知っているのに、それを実行しないから・・・・

うまくいかないことが存在する。

何故、分っていることを実行できないのでしょうか?

それは・・・・
そこに本人のモチベーションの高低があるからです。

逆に言えば、モチベーションを高いまま維持できたり、下がったモチベーションをすぐに高いそれに戻すことが可能なら・・・・


実行できないことの方が少なくなる。

最近頓にに思うのが、優秀な人物はこのモチベーションをコントロールする能力に長けているのではないかということです。

私はなんとかこれができないかといろいろ試行錯誤しているが、できてはいない。

一般的にモチベーションを維持するために言われているのが、ご褒美法だ。
それをうまくやったら、自分に欲しい物を買ってあげたり、やりたい贅沢をさせてあげる。

だが、これでも私はモチベーションを高い位置で維持することができていない。

自分のポテンシャルを引き出すためには絶対的にメンタルな部分のコントロールが必要になると思います。

皆さんはモチベーションをコントロールする方法を持っているでしょうか・・・?

この方法が見つかれば・・・・
結果を出すことが現在より遙に容易になるはずなのですけれどもね。

やまもも日記

本格的夏競馬が始まる。
競馬中継をしている飲食店はどこも閑散期になるだろう。

昨日の結果をみるかぎり、やまももも例外ではない。

というよりも・・・・
やまももは実はフリーの客がリピーターになったことがない。

これは・・・・
まずいのではないかと思う。

一方で・・・
すでにメインのいきつけの店を持っている人たちなので仕方がないのかもしれないと思う。

今日は人が来てくれるだろうか?
しかし、外は既にうだるような暑さ。

わざわざ小さいレースを買いにウ○ンズに来る人も少ないかもしれない。

私は来客があるのをひたすら待った。
待った、待ち続けた。


それこそ、あ○んの歌詞が思い浮かぶくらい・・・

待ち続けた。

ところが・・・・
来客はない。


「神様はいない。」


矢○田瞳の歌詞も思い浮かぶ。

だって祈ったもん、想い(来客多数)がとどきますようにって祈ったもん、祈ったもん。


それこそ、カミ○の異邦人のように、文頭から神は死んだと書きたいような気分にさせられる。

ふと、グリーンチャン○ルを見ると、もうメインのレースだ。
ああ・・・・

二日連続のボウズ・・・・

やまももは・・・・やまももは・・・・・

赤字を垂れ流し続けるのだろうか・・・・
ここでもブランドを思い知った。

古くからやっている店、その店名は既にブランドだ。
認知されてはじめてブランドが生きる。

やまももはまだ・・・・

通行客に認識されていない・・・・

16時半になった。
そろそろ閉店しようという時に、人が入ってきた。

しかし・・・・
閉店なのですいませんと丁重にお断りした。

何故・・・・
来るならもっと早く来てくれないのだ・・・・

やまもも総営業時間150時間
やまもも売上げ25600円+0=25600円

時間あたりの販売価格約170円



7月16日

面接○達人 転職版

を手にした。
インターネット注文で、注文日の2日後にはコンビニに届く。

便利な世の中になったものだ。

学生の時、はじめた時期が遅かったというのもあるが、前半は就職活動はボロボロだった。
そのため、私は学生時代80社近くは受けたのではないだろうか。

そのうち、後半はほとんど内定を取ることができた。

まあ、それで選択した企業を辞めたのだから・・・・
見通しが甘かったとしかいいようがない。

最近、転職活動に力を入れ始めた。
やってみると分るが、学生の時は可能性で買ってもらえるが、社会人になると「何ができるか」に尽きる。

具体的な数字と具体的な実績、これを駆使して自分という商品を営業しなければならない。

経験が営業しかないため、どうしても営業で何ができるかの話になる。
だが、面接で自分を売ることができない人物に商品が売れるわけがない。

そこで、学生時代にお世話になった面接○達人の転職版で自身という商品をよりよく見せることにしたのだ。

で、多数の会社を見てくると、待遇面の差がすごい。

未だに年収300万円の時代を生き抜く企業もあれば・・・・
研修から残業まで至れり尽せりの企業もある。

やはり、大きい企業は分母が大きい分、手厚いと感じた。

大手ではやりたことができないと言うが、しっかり組織が構築されているので分業ができている。

自由時間もそれなりにあるし、現状の仕事で結果を出していれば立場が上にいくこともできるようになり、いずれやりたいことができるチャンスが巡ってくる可能性がある。

しかし、中小においては個人が受け持つ業務が多すぎて、やりたいことにまで回るほど時間がない。

前職場でやっていた事務の半分以上は専門の部署があるのではないかと思えるくらいだ。

確かに・・・・
本体の部署が営業部と管理部と経理部しかないことを考えれば・・・・

その他の部署が分れるべき仕事はすべて営業部の方が負担しなければならなくなる。
思えば、営業が総出でクレームの存在した印刷物の内職をするということ自体が信じられない。

そう考えると、わけがわからなくても部署が多数ある企業と言うのは分業ができているという点で非常に良いのではないだろうか。

いずれにせよ・・・
2度目の職は失敗をしたくない。

いくら学歴や資格で積み重ねてきても、最後の職でミスをすればその積み重ねは無に帰すことになる。

結局・・・
便所の鼠の故事を省みるべきなのだ。(2004年10月14日Nスポ参照)

同じ鼠でも米倉にいるか便所にいるかではとんでもない差が存在する。

鼠に能力の差などそれほどあるとも思えない。

自分がどこに所属するか?

これにすべてがかかってくる。
さて・・・・

転職を考えている方は、自分が今いる場所がどうなのか振り返ってみてはいかがでしょうか。

やまもも日記

今日もやまももの目の前の通りには人気がない。
秋まで大きなレースもなく、あまり期待はできそうにない。

しかし・・・・

客がこない店と言うのはこれほどまでに負のオーラを放つものなのだろうか。
ぼんやりと時計を眺める。

1・・・2・・・・3
時計の短針は刻々と進んでいく。

気付けば時刻は15時だ。
やはり・・・・

誰も来ないのか?

寂れた町の雑貨屋のように・・・・
やまももはひっそりと佇んでいる。

その儚い存在に気が付く人物は見当たらない。

今日も・・・・

まだ見ぬ多数の客を夢見ながら・・・・・
誰も来ぬやまもものシャッターは閉じられた。

やまもも総営業時間142時間
やまもも売上げ25600円+0=25600円

時間あたりの販売価格約180円



7月15日

快適すぎるほどの快適さ

が提供されているのか、やはり私にはそれほど物欲がない。
体験を求めたことにはお金を使うが、なかなかモノそれ自体を欲しいとは思えないのだ。

自分の情報を放つツールである服、靴、ベルト、腕時計、そういった身につける物に関しては私自身が欲しいのではなく、そういったものにお金を使わないと自分にとって負の情報を放つことになるから、私は必要に迫られてそれらを買わなければならないとは思ってはいるが、私が欲しいのはそれら自身ではなく、それらがもたらせる私という人間の情報発信という効果である。


全員が全員私と同じであるとは思わないが、お金の使い方はニーズよりもウォンツに偏重してきているのを以前から感じ続けている。

原因はやはり、現在の社会の快適さにある。
日本は仕事内容はなんともいえないが、一般の生活を送るには快適すぎるのではないかと思うくらい快適である。

空腹を感じれば、24時間いくらでもそれを満たす方法は確立されており、気温に不満を感じればエアコンを操作できる。

不便であると感じる要素のほとんどが解消され、ニーズを探すのが難しくなってきた。

そのためか、やはり成熟社会においてはウォンツを探すべきなのだと思う。

先日のNスポでも書いたが、比較級の幸福を得るために、その瞬間だけ大金をはたいて幸福を堪能することに意味を見つかられる時代になってきた。

それと関連して、先日のビジネス誌で高級ハンバーガーの記事の内容を思い出した。

ホテルのランチとして販売されているハンバーガーの価格が約3000円
これがほとんどの日、売り切れになると言うのだから驚きだ。

ちょっといいレストランで食事ができる価格である。
こういった食品が売れるということは一体どういうことなのだろうか?

やはり、刹那的な幸福にお金を使う人たちが増えてきたということなのではないだろうか。
どんなサービスや商品であれば、一瞬とは言え大きな幸福感を顧客に提供できるだろう。

形に残るものから無形のものへ。
ようやく、デザインといった無形の物に価値を見出せる先進国の価値観が日本にも根付いてきたのではないでしょうか?

N企画
独学で寿司を握ってみる



7月14日

楽しませてくれるフィクション

先日、肩凝りが酷いのでマッサージルームがある漫画喫茶に行った。
フリードリンクで飲み物を飲みながら、マッサージを受け、そして漫画を読むのも悪くない。

私が手に取った漫画は「人間交○点」だった。

作者は弘兼憲○氏だ。
あの島○作シリーズを書いている作家である。

読んでいて面白いと思ったのが、やはり人間の心理描写にある。
故司馬遼○郎氏の小説を面白いと思ったのも・・・

単純ではない人の心理の明と暗をきっちり書き分けてあったからだ。

その点、私は少年誌の心理が一方向の心理に偏っているようで、なかなか読む気になれない。

自分がシンプルな人間ではないと主張したいわけではないが、青年誌の方がより現実に近いテーマを書いているから、リアリストを自称する身としてはそちらに傾倒せざるを得ない。

さて、その弘兼○史氏が今週のビジネス誌に載っていた。
丁度、私がこの作者の本を手にとった後だったので、偶然にひどく驚いた。

ビジネス誌に取り上げられるくらいなのだから・・・・
その作品はおそらくビジネスマンとして得るものが大きいということなのではないだろうか。


この偶然は、他の作品も読もうかと考えていた私の背中を後押しした。
近いうちに島耕○シリーズを読んでこようと思う。

漫画だからといって、何も得られないと思うのは、おそらく学習意欲の問題だと私は思う。
そう、意識を何かを得ることに集中させれば、何も得られないということはない。

学ぼうとする能力、それを高めていきたいと思う。

N企画
CGIをやりたい人と協力学習。←CGIかなり難しいです・・・



7月13日

世界の工場

と呼ばれはじめて久しい中国ですが・・・・
今週のビジネス誌の特集は世界の工場に危険信号というものでした。

というのも、反日デモや労働条件の改善を求めてのスト、中国の銀行の不良債権処理、人民元の切り上げ等で中国経済が停滞し、先進国の仲間入りとはならないと書かれていました。

ただ、私は自身が中国株ペトロチャイナを買っているということもありますが、この説に対して諸手を上げて賛成はできません。

というのも・・・・

中国の競争力は安価な人材によるもので、ストや引き抜きによる賃金の上昇と即戦力を望む企業の新卒者の軽視で、全体的賃金は上昇するものの、若年層の失業が目立ち、多くの問題を内包していることが問題として挙げられています。

これが外資企業にとっての魅力を薄め、製品等の価格の上昇を生み、現在の経済成長を止めることになる。

そう考えられているようです。

しかし・・・・
私が思うに、この説は人間の心理と変化をもたらせる者の勢いを考慮していないのではないかと思います。

企業からすれば、すでに投資をして工場を建てて現地法人を立ち上げていて・・・・
魅力がなくなったから、すぐに撤収ということはしにくいはずです。


しかも、中途の人材の市場価格が上がっていて、新卒が安いのであれば・・・・
その向上心を買って、新卒の育成もいずれやるのではと見ています。

ただ、引き抜きリスクがあり、それをされると苦労が報われないから新卒教育をやっていないのではないでしょうか。

ここにも労働者と企業の間の信の欠落を感じます。
ですが・・・・

撤退しても、次の成長候補地がないので、最終的には新卒教育が始まり、人材や労働に関する問題は解決するのではないでしょうか。

そして、雇用問題が解決すれば・・・・・
いずれは10億人の民が消費をする側になる。

私はその10億の民が作り出すバブルが一度中国に訪れるまでは安泰であると思います。

そして、中国の銀行の不良債権問題にしても、このバブルのような盛況の恩恵を末端の民が受けていない以上、実はお金はそれほど回っていないのではないでしょうか?

一部の富裕層にしか回っていないのであれば・・・・

まだ、銀行の本格的な不良債権の解消には政府が動かないのではないかと思います。
というのも、末端の労働者が現金の供給を強く望んでいるためです。


私は全体に経済成長の恩恵が一巡するまでは、成長は続くと思っています。
確かに共産国というカントリーリスクは存在しますが、大きな組織というのはそこまで人無しではない。

どんな小さな会社においても、役職者はやはりそれなりの人物です。


それに変革する者は常に・・・・


危機で潰れると思われながらも、それを乗り越えてくると歴史は教えています。
織田信長にしても、何度、もう駄目だという状況を切り抜けたか分りません。

ライ○ドアも何度も無謀といわれながらも、未だに経営危機の話は聞きません。

そう考えると、これほど大きな変化をもたらせた中国は、何度も大きな危機を乗り越えてくるのではないかと私は思います。

私とビジネス誌の編集者・・・・

どちらの予想が正しいか、その答えはこれからの歴史のみが知っています。

N企画
本気で転職活動



7月12日

コンプライアンス

最近、声高に叫ばれているが、実際どれくらいこれが実行されているだろうか?
特に企業は・・・・

イメージがあるので、それが徹底されているかのように振舞うが・・・・
羊頭狗肉である感が否めない。

本日、面接に行ってきた企業もそうだった。

東証一部上場会社の戦略を担う子会社。

私の企業に対する質問でコンプライアンス精神が欠けていると思ったので、言いたいことを言って帰ってきた。

そのため、合否は否の方であると思うが・・・


特に・・・労働基準法に対する違反は蔓延化している。
それが起きうる要因はその企業の戦略性の無さに起因すると思うのだが、社員の努力の所為にする精神論者が多い気がする。

確かに・・・・
厳密にすべて労働基準法を守っていたら、競争に勝てないという企業の論理が分らないでもない。

しかし・・・
逆に言えば、違法行為をしなければ利益を得られないようなビジネスモデルであると言えるのではないだろうか?

そんなビジネスモデルでいくら粘って延命措置を取ったところで、いずれは淘汰されるだろう。

そう考えれば、そのバレなければ良いとするスタイルは賭博や売春と何の違いがあるのだろうか?

使える物を使って儲けるのが何が悪いとする論理は、女子中高生の売春行為を咎められたときの言い訳と相通ずるものがある。

実際に思うのが、労働基準法違反は弊害が多いのではないかという点だ。

社員のモチベーションもそうだが・・・・
長時間労働の薄給では消費をする時間もなければ、消費をする原資も無い。

これでは、日本の末端は経済が回らない以上、いつまでたっても不況から抜け出せない。

おまけに・・・・
先日のビジネス誌に記載されていたのだが・・・・

ここ10年で、家計の平均貯蓄率は大幅に低下し、企業の内部留保は積みあがっている。
これをどう考えるか?

企業が果実を独り占めすることで、企業と社員との間に存在する信が薄れてくる。


信が薄れていて、顧客に対して、本当に良い商品やサービスが提供できるだろうか?


できるはずがない。


日本の国際的な競争力にも危機を感じる。


そう言えば、私の友人を見る限り、やはり法令遵守をしている企業はそれなりの企業だと感じることが多い。

逆に、コンプライアンスの精神が希薄な企業は将来性にも疑問を感じる。

私達の想像以上に、良い企業とそうでない企業を分けているのはコンプライアンスなのではないだろうか?

そう、思わされた。

N企画
分野別自分のブレーン作り



7月11日

CSを感じた瞬間

本日、欲しい書籍があったため、有隣堂へ向かった。
普段であれば、店舗名は1文字は伏字にするようにしているのだが、本日は賞賛を贈りたいと思うので、店舗名を明らかにする。

欲しかった書籍は、完全に趣味娯楽の書籍である。

私は大学2年の頃・・・・
毎年実施していた北海道旅行で、1冊の書籍と出会った。

それは・・・・

新○袋という本で、毎年1冊づつ出版されている本だ。

この本は怪談の本である。
私は娯楽としての怪談の存在を否定する気はない。

さらに、私は安全が約束されたスリルが好きだったりする。

その所為か、そこそこ怪談が好きである。
去年も・・・稲川○二氏の怪談ライブに出かけたりもした。

その最終巻が出版されていると知り・・・・
私は手に入れるために近所で一番の大型書店である有隣堂の関内店に出かけた。

そこで、目的の書籍の在り処を聞くと、すぐに教えてもらえた。

満足した私は手に取ると、すぐにレジに並んだ。

カバーをおかけいたしますかとの問いに迷わず、私は頷いた。

すると・・・・
カバーをかけようとした店員の手が止まった。

そして・・・・

小考後店員は口を開いた。

「この本は少々汚れていますので、別の物をお持ちいたしますね。」と。

そして、すぐに売り場へと取りに行き、交換してくれた。

私は非常に気分が良くなった。

この店員の方の行動は当たり前の事かもしれない。
しかし・・・

当たり前のことがすべて当たり前にできたら・・・・
偉人の誕生だ。

仮に、私が後ほど手にとって本が汚れているのに気付いたら・・・・
相当に気分を害したに違いない。

近所のツ○ヤではレジの男性が汚れに気付いて、そのままカバーをかけて私に押し付けようとしたことがある。

そう考えると、なんとも気持ちがいいほどにCSが社員に根付いているではないか。

やはり書店の老舗とも言えるほどの大型店は読書家の気持ちが分っており、それを徹底させている。

そして、私はまた一つ思い出した。
以前に、ネットで本を注文した時・・・・

届いた本が破れていたり、汚れていたりしたことを。

返品が面倒で、私はそのまま我慢したが、ネットによる買い物に少し疑問を抱いたのも事実だ。

ネット販売の場合、検品という概念は存在しないのだろうか?

面倒でも極力書籍は有隣堂で買いたい。
そう思わされた。

同時に信者(ファン)を作るために必要な事というのを考えさせられた。

N企画
インスタントラーメンを混ぜ合わせて、オリジナルラーメンを完成させる



7月10日

広告コピー

よく駅前のポスターや電車内の吊り広告を見ていると・・・
はっとさせられるものがある。

それは、人の感性にもよると思うのだが・・・・

先日、紹介されていた広告コピーで面白いと思った広告がある。

それが・・・・
下記のコピーだ。




「映画より私の人生がつまらないなんて、絶対、許せない。」




G○BAという英会話スクールの広告コピーだが・・・・

なんだろう、私はひどく惹きつけられた。


その理由を考えてみた。
そして、私が出した結論は・・・・

誰かの感情がこもった正直な言葉であるからだと思うに至った。

そう、作り物の映画に自分の本物の人生が面白さで負けている?

そんなことを認めるわけにはいかないという強い感情を感じさせるコピーだ。
だから・・・・


こんなに面白いと思うのだろう。


やはり、文字と言う記号にすら・・・・
人間の感情が乗っかっているとこれほど違う。


先日、新宿に行く用事があり、久し振りに短編小説(私はこれで面白い作家を探すことにしている)を読んだのだが・・・

なかなか面白かった。
その理由を突き詰めてみると・・・・

比喩と登場人物の感情のこもった心理が描写されているからだ。

思うに・・・

これはその作家の多面的な正確の1面を強調させ、他の1面を少しづつ付け足しているからなのではないかと思う。

つまり・・・・

その作家の人間性がかかれている。
だから、面白いのではないだろうか。

結局・・・・

人間や人間の感情といった物が一番人を刺激するのだ。

記号だけを発するのをやめよう。
それではつまらない。

ファーストフードでハンバーガーを100個頼まれて、こちらでお召し上がりですか?と聞くのとたいして変わらない。

滅多にないですが、いいコピーは思わず目を止めてしまいます。
広告と軽視しないで、何か面白い情報がちりばめられていないか探すこともいいかもしれませんね。


やまもも日記

先日、私がいないときに3人も来客があったというやまもも。
徐々にではあるが・・・・

来店客は増えている。

不思議なものだ。

G1の日にはほとんど誰もこなかったというのに・・・・
たいしたレースも無い土曜日に人が来たりするのだから・・・

ただ・・・・
これも価格をオープンにするようになってからだ。

未だに、一月の経費も稼げていないが・・・・

将来は決して暗いものではないと思う。


それに・・・・
意外にも、面白いのだ。

サラリーマン時代と違い、来店客に卑屈になることもなく・・・・
印刷会社のときのように、明らかな客と営業の順位付けの下位を甘んじることもない。

むしろ・・・・
客が小さくなっているかのようにも見える。

私は家賃コストといったリスクを背負っていないから・・・・
ますます気分は楽だ。


道楽と考えれば、悪くない。

父の店のためにもなるし、もしかしたら利が生まれるかもしれないのだから。
広告の色が強いが、これで利益が出るようになれば、さらに面白いに違いない。

しかし・・・・

その時期が来ることを母が本当に耐えられなくなってきたらしい。

負の言葉しか言わなくなった。
これでは・・・・

私が参ってしまう。

だから、私は宣言した。

料理を教えろと。

残念なことに、どうやら料理も私が作ることになりそうだ。
ロクに包丁も使えないのに・・・・

が・・・・

考えようによっては料理を覚えるいい機会だ。
デンジャー焼きそばからデリシャス焼きそばに私の得意料理名が変わるかもしれない。

さて・・・・
そんなわけで・・・・

時刻を見ると、もう14時過ぎ・・・・

本日の来客は0か・・・・・?

そう思わされた。
その時・・・・

カラン・・・・

やまももの扉が開いた。
そう、来客だ!!

そして・・・・
それはやまももの大常連である私の友人だった。

彼はこれでやまもも来店歴4回目。
記録保持者でもあり、やまもも唯一の常連といっても過言ではない。

ありがたいことだ。

彼のおかげで、やまももが坊主になるということは避けられた。
しかも・・・

その後、フリーの客が来店したのだ!!

おかげで・・・・

やまもも総営業時間134時間
やまもも売上げ24500円+1100=25600円

時間あたりの販売価格約190円

やまもも常連の友人へ、本日はどうもありがとう!!
いきなりだったので驚きましたが、ありがとうございます。



7月9日

企業セミナー

に参加してきました。
今月から失業保険の支給が始まりますので・・・・

そろそろ、職を見つけなければ・・・

アテのないNEETになってしまう懸念が存在するからです。

さて・・・・
セミナーに行くと、この会社の社長が面白いことを言っておりました。


それは先義後利。


意味は、まず「義」を先にして「利」を後にするものは栄えるということです。
それを果たしていくことで、「利」は自ずと後からついてくる。


私としてはかなり共感を持つところがありました。


同時に思った事があります。


それは、情報を先に放つ側になることで知りえた情報なのですが・・・・

他者が放つ情報の解釈の仕方でも・・・・
結果を出している人間とそうでない人間には大きな差が存在するということです。

どういうことか?

それは、この社長の「先義後利」という言葉をどう解釈するかにも差が存在するということです。

何故、この社長やビジネス誌にでてくるそれなりの立場を築いている人は、こういった一見青臭いことを全面に出して主張するのでしょうか?


その理由を探してみると・・・・


そうでなければ、他者がついてこないからなんです。

突き詰めてみると仕事でも何でも、他者を動かすのはその人間の熱意といった理想論にも似た感情であると私は思います。

結局、過去の戦においても寡兵をもって大軍を破るには、この感情を利用しないわけにはいかなかったはずです。

マネージャーの仕事は部下のモチベーションを高い位置に維持しておくことだとすれば・・・

そのモチベーションを刺激するための理想とや目標といった発奮材が必要になる。


残念なことに、「青臭さを嗤う青臭さ」を持っている人間には誰もついていかない。


それを理解しているか否かが・・・


解釈の差となって表れるのではないでしょうか?

そしてその解釈の差が・・・・

実際の立場の差を生ませているのではないかと私は考えます。


私もご多分に漏れず・・・
結果を出していない人間よりも結果を出している人間を信じます。


ですから・・・
物事の解釈は常に・・・・結果を出している組と同じでありたい。

そう思います。


やまもも日記

本日は、企業セミナーに参加する。
だから・・・

私はやまももを母に任せて、午前中にやまももを後にしなければならない。

用意をし、やまももで待つ・・・待つ・・・・待つ・・・

相変わらず・・・・


客は来る気配が無い。

しかし・・・

私は大分傾向を把握してきた。

まず・・・・
土曜日はレースの規模自体が小さいため・・・・

人が来にくいということ。

そして・・・・
競馬中継の看板を出しているところでも・・・・・

14時以降にならないと、人がこないということだ。

私がいる間に・・・・

人が来ることはなさそうだ。

いや・・・・
それよりも、今日人が来ることもなさそうだな。

私は、そう思い・・・・

12時にやまももを後にして、セミナーへと向かった。

世の中は厳しい。
そう思っていたのだが・・・・

後ほど母から聞いたところによると・・・・
フリーの客が3人入ってきたらしい。

ですから・・・・
土曜日なのに、やまももの売上げが立ったのだ!!

よって・・・・

やまもも総営業時間126時間
やまもも売上げ20600円+3900=24500円

時間あたりの販売価格約190円



7月8日

企業の農業への取り組み

最近、企業による農業への取り組みが目立ちます。
特に・・・・

外食産業。

ワ○ミなどを代表とする外食産業が最近、農業に取り組み始めたようです。

営利を追求するのが企業の存続目的であるのに・・・・

何故、こうした不採算が目に見えるような事業に手を出し始めたのでしょうか?

そういえば・・・・
以前にファーストリテ○ング(ユ○クロ)が野菜の販売市場から撤退したことがあります。

やり方次第では日本の農業も利益を出せると主張されていますが・・・・
私には西瓜を作っていた山形県のタクシーの運転手の話が忘れられません。

Nスポの2004年12月31日号の話です。

スーパーで980〜1980円で販売されている西瓜。
これが農家が出荷した時の買取価格は100〜200円だそうです。

半年間・・・・

時間をかけて作った物の単価が100〜200円。

これで採算が合うはずがありません。

そのため・・・・
食料品を海外に依存した体質は拡大し・・・・

現在の日本の食料自給率は40%を割っているのではないかと考えられます。

現状において、海外との流通に問題が無い限り、たいしたこととは思えませんが・・・・

米国の911のように・・・・

何かあったときは食料の輸入が停止する可能性があります。

といっても・・・・
食料を輸出している国は多数あるので、問題ないと思われる方も多いかもしれません。

しかし・・・・
飽食の時代の我々は食を軽んじすぎてはいませんでしょうか?

かつて論語の孔子は、政治に必要な兵・食・信のうち・・・
最初に捨てるのは兵だと言いました。

孔子ですら・・・・

食の重要性を説いています。

そう、どんなリスクがあるかはわからない。
食料輸出国に核による攻撃があるやもしれない。

そうなった時に・・・・

日本は関係ないと涼しい顔をしていられるでしょうか?

放射性を帯びた食など体内に入れたら結果は火を見る以上に明らかです。

何が起こるか分らないのが世の中です。
七夕にロンドンでテロがあるなどと考えていた人などいるでしょうか。

万が一を起こさないためにリスクヘッジをする。

そう考えると、農業に手を出し始めた企業と言うのは・・・

確かにすぐに採算性は合わないかもしれませんが・・・・

先見性があると私は思います。


そういえば・・・漫画でも「コメ」といった漫画もあり、農業に関する注目が高まっていると感じた記憶があります。

ただ・・・・
現状の消費者の意識が、日本の農業を残そうい言う意識を持ち多少割高でも、国産の農作物を買おうというものに変わらなければ・・・・

食料が手に入らないと言う冗談のようなリスクが現実のものにならないかぎり・・・・

日本における農業による勝利は起こりえないと思うのですよね。

どうも・・・・
最善である予防を我々は怠りがちであることを否めません。

どこかで・・・・

農家とのパイプは握っておきたいですね。

N企画
逆転会議を決行



7月7日

良書は読み手を試す

※と本題に入る前に・・・・・
 実は、とある方と協力して、とある仕掛けを考えています。

 うまくいけば、私が理想とする無から有を作ることが可能になります。
 そう、コストが0で己の労力だけで価値を創出する。

 そのためにはどうしてもCGIの知識が必要なのですが・・・・

 Nスポ読者の方の中に、CGIの知識をふんだんに持ってらっしゃる方はいらっしゃらなiいでしょうか?

 ご協力していただける方を募集中です。

 うまくいけばという条件説になってしまいますが、そのあかつきにはそれなりのメリットを提供することをお約束いたしますので・・・・

 どうでしょうか?

と先に募集をさせていただきます。

それでは・・・・

今日の本題です。

私は最近では以前に比べて減ってきましたが、それでもかなり本を読んでいる方だと言う自覚はあります。

で、その私が感じたことに、良書の条件は読み手を試すところにあると思います。

例えば・・・・
一時、かなり売れた「チーズはどこ○消えた?」という本では、全体的なストーリーとしては変化を受け入れ、行動を起こさなければ物事は何も改善しないという趣旨を成功者と失敗者を同時に登場させることでほのめかしていましたが・・・・

この本が良書だと思った理由が1つあります。

それは・・・・

途中の一文一文に、本質とされている事柄が抽出されていることです。

他の成功哲学書といった物が本質としていたことと同じ事が、その一文に集約されている。

それが様々な場所にあるため・・・・

そのことに対して、予備知識がある人にとっては、さらに大きな発見ができるわけです。

そして、知識が多くなればなるほど・・・・

その些細な一文から気付きが大きくなる。


だから、私は「チーズはどこ○消えた?」は良書であると認識しています。

何故なら、読むたびに発見があるからです。
最初に読んだ時は、それを気付くに十分な知識が無いから気付かないが、読み返すたびに発見がある。

そういった読み手を試すような本こそが良書の条件である。

一読したら、発見がなくなってしまうような本はただの本に過ぎません。

ですから、最近思うのは、本の種類をたくさん読むよりも、良書を繰り返し読んだ方が遙にためになるのではないかということです。

良書を繰り返し読もう!!

そう思います。

「チーズはどこ○消えた?」はかなり読みやすいので、読む習慣の無い人にはオススメかもしれません。

N企画
さあ、無から有を作り出そう!!
指を咥えて待っていたって何も始まりはしない。

可能性を追いかけないでどうするんだ?
ということで・・・

募集の件、よろしくお願いします。



7月6日

小売における最大のサービス

それは何か?
ウォルマ○トやヤ○ダ電機式の答えを出すのであれば・・・

どこよりも安いことになる。

EDLP、そう「エブリデーロープライス」の頭文字を取ったものである。
これがウォルマ○トの基本戦略だ。

しかし・・・・
西○と提携したウォル○ートは日本では結果を出していない。

その理由は何か?

私は安いことは優れたサービスの一つであることは否定しないが・・・

それがすべてかと問われると、そうではないと思う。


以前のNスポで書いたとおり、ウォル○ートはドイツにおいても、倫理規定の部分でドイツ国民の反感を買い、売上げは伸びていない。

つまり、ウォ○マートのやり方は自分達のやり方が唯一絶対であり、その郷に入れども、郷に従わずといった、地元の理解に欠ける部分に問題がある。

しかし・・・
もし、安いことが唯一絶対の最高のサービスであれば・・・・

ウォルマー○は世界のすべての国で勝利を収めているだろう。

ところが、そうはならない。

何故だろうか?

それはもう一つのサービスが欠けているからではないだろうか?

そのサービスとは・・・・


顧客の時間を大切にするサービスである。

私が学生時代にバイトをしていたファミリーマートも・・・
オーナー店の割にはかなりの利益を積み重ねていたが・・・・

レジで顧客を待たせないことに徹底していた。

そう、二人並んだら新しいレジを開けるというそのスタンスは、顧客から好感をもたれていたと思う。

以前のNスポでも書いたが・・・
何故、我々は歩いて10分の安い24時間スーパーよりも歩いて5分のコンビニで買い物をすることを選択するのであろうか?

理由は、まさにこの時間をかけたくないと言う部分に集約される。

そう考えると・・・・
安くしても人件費をカットした結果、レジで待たされるようなことになれば・・・

結局、顧客は高くても早い方に行くことになるのだ。

だから、私は小売の最大のサービスは顧客の時間を大切にした上で安く売ることだと思う。

この2つが最高のサービスとなるが、これは一方で二律背反だ。


米国では・・・・
ウ○ルマートよりも商品の値段が高いウ○ルグリーンというドラッグストアが、ドラッグ市場の世界一の座を手にしている。

その理由は顧客の時間を大切にすることと、顧客にこの店は自分のための店なんだと思わせることにある。

この結果を見る限り・・・・
価格の安さだけが最高のサービスとはなりえないと言える。

それにしても・・・・
小売も難しい事業だと私は思う。

N企画
チームを組んで新メルマガ発行

※ついに・・・・Nアイランドのカウンターの数が、ブログのカウンター数に追い越されました。
ホームページは19ヶ月、ブログは4ヶ月なのに・・・

本当はこっちがメインのはずなのですけどね・・・・



7月5日

すべての個人は特別な存在である。


なかなか綺麗事を集大成させたような文言ではあるが・・・
私にそういった意図はない。

これは嘘ではない。

嘘ではないが・・・・
かといって、文章が完全であるかと問われれば・・・

不完全である。

何がか?

それは・・・
主語がである。

主語が抜けているのだ・・・・

一番頭に「本人にとって」という文章をつければ、この分は完成する。

そう、誰もが自分だけは特別な存在でありたい。
この根拠は何度も主張しているマズローの説に譲ることにするが・・・

今日、読んだビジネス誌にこのことを利用した販売戦略の話が書かれていた。

これがなかなか面白いと思う。

さて、人は・・・
何故ブランドと言う無形のものにこれほど多くの価値を見出すのであろうか?

その理由は、それが高価であったり、希少性があることで・・・・
万人に行き渡りにくい。

そのため、それを所持していることが、所持をしている人間にステイタスを感じさせるのだ。

だから、ブランド志向は助長される。

そして・・・
ステイタスを感じていない人間はステイタスを得ようとして・・・

結局、そのブランド品に走る。
結果、高価であるものの、多くの人間が持つものの一つになってしまうのだ。

ところが・・・・
その現象が起きると、先行者達(それまでそのブランドでステイタスを示してきた人達)はそのブランドにそれを感じることが少なくなってしまう。

だから・・・

ブランドを提供する側も、それを見越した戦略を立てなければならない。

これで面白いことをしているのがルイ・ヴィ○ンだ。

何でも・・・・
年間を通して、購買量の多い人物達だけに・・・・

セリュ○クス会員という特別会員にしているのだ。

そして、その特別会員になるためには、現会員の紹介と購買量の一定基準が必要らしい。

そのサービス内容は、公開前の映画をどんなところよりも先に上映する上映パーティーや、会員以外が手にすることが可能になるのは、ずっと先になるような新作品の販売会、専用ショップと専用サロンで専用シャンパンを提供し・・・・


閉ざされた社会で選ばれた人間であるという優越感をくすぐる。


賢い戦略だと思わされる。

そのブランドを持つことだけで、社会のピラミッド層の高層にいる状態から・・・
その高層内でのピラミッド建設によるさらなる順位付け。

より高く、細くすることで・・・・
先行者たるステイタスある人間を囲い込む。

他者と比較して、自分の位置が高所にあると考えれば、人が満足するという心理を徹底的についている。

ただ・・・
この優れた戦略を模倣するためには、ひとつ大きな矛盾を内包することになる。

それは・・・・
高層層を作るためには、同じく低層層を作らなければならないのだ。

馬鹿がいなければ利口が立たぬというのと同じ原理だ。

ハイステイタスの人間のためのものを、どうやってそうではない人間に認知をさせるのか?

結局、羨ましがってくれる人間がいなければ、富める者も自分の位置を確かめる快楽を手にすることもできない。

ここに矛盾がある。

だから・・・
いきなり、細く高くの何かを提供して採算をあわせることはできない。

これがブランドの戦略の模倣を難しくさせている点ではないだろうか。

まずは・・・・
人数を集めないことには・・・・

特別を作ることは不可能だ。

結局は・・・
裾野となる人間が多いほど、価値は創出される。

価値を作り出すものは大人数と言うのは間違っていない。

そして・・・
このブランドの戦略も・・・

八方美人をとことんやめることで成り立っている。

それにしても・・・・
ブランドという無形のものの強さを再認識する。

私は、こういった他人が作り出した意図に躍らされることに抵抗を覚えるのだが・・・
自分の身につけるものが自分と言う人間の情報を放つという事実もある以上・・・

負の情報を放たないためには、他人が意図をもって作ったブランドという舞台の上で踊らざるを得ないのだ。

なんという・・・・
完璧な戦略であろうか?


その完璧さの始まりは・・・・どこにあったのだろう。

思うに、やはり特化した拘りなのだろう。

いい物を分る人間にだけ売る。
そういった頑固なまでの拘りがブランドの価値を作り上げたのではないだろうか。

であれば、個人がその戦略を手にするにはどうすればよいだろうか?

同様に・・・・
何かに特化し、その特化した結果生み出される製品であったり、サービスであったりを望む人間にだけ提供する。

例え・・・・
食えなかろうとも、その生み出されるものを捨てることはあっても値引きはしない。

そういった不退転の決意が必要なのかもしれない。
根付いたブランド・・・

これほど完成されたものはないと最近感じます。

N企画
バトンメールを作ってみる。
↑戦略が成功すれば・・・・
一夜にして持たざる者から価値を創出する者へ。
いろいろ、こそこそやっています。



7月4日

導き出された解

本日、大学時代の友人と酒席を共にしました。
多少酩酊しているので、主張に飛躍があるかもしれませんが・・・

ご容赦いただきたい。


さて、その友人というのは・・・・

なかなか努力家で、その向上心というものが非常に強い魅力を放っていると私は思っている。

私は・・・・
向上心は人間に変化をもたらせるから・・・

未知の可能性を感じさせるところに、人間の魅力につながるところがあるのだと思う。


さて、その酒席で話をした結果・・・・


私は2つの主張に対して、自信を持つにいたった。

一つ目が・・・・
情報を発することについて。

以前のNスポで私は負の情報を放っていたから・・・・

私自身は誠実であっても、その情報の放ち方が間違っていたから・・・
情報の受け取り手には誠実だと受け取ってもらえなかった話をしたことがある。


そう、人はその人が放つ情報からでしか、その人を判断しないと言う主張だ。


だから・・・・
私はこのNスポで化粧はしていないが、見栄えの悪い部分は全部切り捨てた主張をしている。

つまり・・・
主張に嘘や綺麗事で装飾をしない代わりに・・・・

その主張にいたった際に生まれた猜疑心等の見栄えの悪い部分をすべて取り除いているという話しだ。

どちらにせよ・・・・
すべてを正しく伝えることは難しく、正か負の一方に誤解を招くのは致し方ないことなのだから・・・・

どうせなら正の方に誤解してもらった方が有益であるという判断で、私は装飾はしないが体裁は整える。

この件に関しては、かなり正直である自信がある。

だが・・・
私をこのNスポのみで知る人においては・・・・

とんでもない聖人に見えるかもしれない。

ということは裏を返せば・・・・・
世の中の人間がどれほど負の情報を放っているか・・・

どれほど、欠点だらけなのかを表しているとも言える。


欠点を見せなければ、聖人に見えてしまうのだとしたら・・・
そういうことなのではないだろうか?


そして・・・
今回確信にいたったことは、やはり情報は発する者のところに集まるということである。

その友人も・・・・
毎日Nスポを読んでくれている読者だと言ってくれた。

そのNスポを読んだ結果、今日私に会おうと思ってくれたらしい。
やはり情報は正の情報を放てるだけ放つべきなのだ。


それにしても・・・・
私の周りには毎日Nスポを読んでいると言ってくれる人が何人かいるが・・・・

よく、読んでくれる人ほど・・・・

カキコ等をしてくれないという不可思議なデータ−が浮かび上がる。

普通逆じゃないか?

確かに・・・
新聞の主張に投書までする人は少ないが・・・・

掲示板というものがあるのだし・・・
顔を知っている人間でもあるのだから・・・

もう少し構ってくれてもいい。



酔いが落ちないのか、話が少々ズレた。

そう、Nスポネタがその友人に私に会おうとする動機づけをしてくれたらしい。
この結果をみるかぎり・・・

やはり情報に関する私の認識に大きな誤りはないのではないかと思う。

そして・・・・
その友人と私に一期一会の酒席を設けさせた話は・・・・

ここ最近うるさく主張している「目的意識」という話だ。

その友人も優れた分析力を持っており・・・・
(私の解釈であり、正確にその主張を私が理解しているかどうかは分らないが・・・・)


いたった結論が物事を成功させるために必要な物は・・・・


目的意識である。


ということだったらしい。

たまたま、私がそれをNスポに書いて、彼が読んでくれたこと、この2つの偶然が重なり、幸運にも彼の出した答えとイコールだったことが、私に有意義な時間を与えた。

彼は私と比較して比べ物にならないほどの勉強家であるから・・・

正確には、私の思考が彼のそれに追いついたと言えるのかもしれない。

やはり・・・・
行動の質を高めるのは目的意識だと考えることに誤りはない。


その根拠は先日のNスポのネタでも書いたとおり・・・

その思考に至るプロセスにおいて、別の過程を通ってきた者同士が導き出した解がイコールなのであれば・・・・


それは真理に違いないと私は思うからだ。


私は同じ解を持つに至った友人との会話のおかげで、目的意識が最も重要だと考える思考に自信を持つことができた。

それとともに・・・
やはり放つ情報の質というものについて再度考えさせられた。

というのも、べらんめえ調の質の情報を放てば、べらんめえ調の情報を放つ人との接点になる。

逆に、質の高い情報を放てば、質の高い人間との接点ができ得るのだ。

どちらが良いと言うつもりはないが、私はべらんめえ調に残念ながら、魅力を感じない。


自分の放つ情報の質を注意し、目的に沿った情報を今後も放ちつづけていきたい。

そう思わされた。

N企画
I氏と伝説の日を飾ろう。

私のブログの方で大活躍中のI氏
そう宝塚記念で200万円を手にしたあのI氏だ。

彼は有馬記念の前に、もう1レース勝負をして、的中すれば有馬記念で1千万円を狙う勝負をするらしい。

次のI氏の数百万円賭ける馬券予想が的中することが条件だが・・・・

的中したら・・・
それをそのまま有馬記念に投じるらしい。

勝てば1千万円超え

負ければ0の大勝負。

この日、彼は中山競馬場に降り立つ。
伝説を作るため・・・

その伝説の公証人になりませんか?

今年の有馬記念は中山競馬場に行き・・・・
I氏が的中したら、I氏主催の大宴会。

逆に、I氏が数百万円もの現金を紙屑にしたら・・・・

我々主催のI氏を励ます会を開催。

つまり、I氏が我々に奢るか、我々がI氏に奢るか。
その2者択一

現在、参加者募集中です。
ご興味がある方は奮ってご参加ください。

掲示板の方に、参加希望の意思をカキコしていただけると助かります。
よろしくお願いいたします。



7月3日

諺の引用

久し振りに取っているメールマガジンの名言を全部読んでみた。
そして・・・

読んでいるうちに諺の連続性に気付いた。

少し引用してみようと思う。

まず・・・・



「有能な人間は失敗から学ぶから有能なのである。成功から学ぶものなどたかが知れている。」
(ウィリアム・サロ○ヤン/作家)


「過ちて改めざる、これを過ちと言う。」(論語)


「賢者は自分自身に、愚か者は他人に問いかける。」(中国の諺)


「愚者が賢者から学ぶことよりも、賢者が愚者から学ぶことのほうが多い。」
(モンテ○ニュ/思想家)


「賢者は経験から学ぶが、真の賢者は他人の経験から学ぶ。」(ことわざ)


それにしても・・・・・
何故、これほど似たような概念が各国の多くの人間に語られてきたのだろうか?


私は、時代・場所・人種を超えた共通の概念は真理であると思う。


私は上記の5つの諺から、共通する内容を感じた。


それは・・・・
学ぶ姿勢だ。


結局・・・・
何かを行動し、それが失敗した時にその失敗をどう捉えるか?

その捉え方と結果の活かし方が、人間の後日の優劣に大きな差をもたらせるとしている。


失敗を次に活かす人間こそが優秀なのだ。
自分に問わずに他人に原因を問うたところで、無責任な回答しか得られない。


自問するからこそ・・・・


失敗した原因に気付く。


愚者が賢者から多くを学べないのは・・・・
成功している方法を探そうとするからではないだろうか?


仮に、その成功が失敗を消去することで成り立っているものだとしたら・・・


賢者が愚者の失敗例から多くを学べることは頷ける。


そして・・・
真の成功者は他人の失敗でさえも・・・


自分で経験することなく、原因と解決方法までも理解できるのではないだろうか。

そう考えると・・・
私もうまくいかないことだらけだが・・・


うまくいかなかったことすべてに対してト○タ式のカイゼンをするように心がければ・・・


様々なところで変化がやってくるに違いない。
自分の学習の姿勢はどうだろうか?

一度振り返ってみるのもいいかもしれない。

やまもも日記

曇天が重たい。
その重々しさが・・・

私のやまももへと向かう足取りも重たくさせる。

土曜日は・・・・
人が来たためしがない。

そして・・・・

今日も人が来る要素は無い。

やまももが開店してから約一月半・・・・
未だに常連は付かず・・・

フリー客が入ってくる様子も無い。

私は料理がまったくできないため・・・・
母とやまももを運営しているのだが・・・


その母が・・・

早くも音を上げはじめた。

私はため息をつきながらなだめる。
まだ・・・

一月じゃないか・・・と。


若くて、さしたる苦労の無い私より我慢ができなくてどうするのだ?
成功の必勝法は成功するまで続けることだ。

何度も自分に言った台詞を繰り返して、説得する。
そして、それはそのまま自分の説得でもあるのだ。

それに・・・・
先週もフリーの上客が入ってきたし・・・

徐々にではあるが、状況が改善している。
それなのに・・・・

何故、我慢ができないんだ?

物事が成功するか失敗するかの境目は一番苦しい時だ。
一番苦しい時に投げれば、失敗するし・・・

乗り切れば成功する。

数々の書物が私にその知識を与えてくれている。

あとは知っていることを実行するだけなんだ。

私は自身の弱さを糾弾するかのように母を説得した。
もし・・・

母がやめると言うのなら、私が労働をし身銭を切って人を雇ってでも続ける。
私は宣言した。

そもそも、目的は売上げが上がることだが、それ以上に大きな目的がある。
それは、父が運営する夜にお客さんになってもらうためだ。

そのための広告手段の1つなのだ。

だから・・・
コスト分を稼げれば、それで十分だという意識もある。

広告と利益と借家を最大限に利用することができるという1石3鳥になれば・・・
文句のつけようが無いではないか。

母に説得は通じたようだが・・・・
いつぶり返すだろうか?

間隔は詰まっていくに違いない。

私は天気の重たさに比例して・・・・
気分も重くなった。

しかし・・・・
母の気持ちも分からないでもない。

これほど・・・・
人がこなければ・・・

そう思いたくもなるだろう。

実際に・・・・
今日も誰もきそうに無い。

その時・・・

友人から電話があった。
このやまももにわざわざ顔を出してくれるそうだ。

ありがたい・・・・

何故そうしてくれるのかを考えると、感謝の念で満たされる。

何故、その友人はわざわざこちらまで出てきて、他と比べて決して安価とは言えないやまももに来てくれるのだろうか?

それだけ、私を大事にしてくれているということだ。


受け取った信頼のボールを投げ返すことだけは忘れないようにしよう。

そして・・・・
15時前・・・

やまももの扉は開いた。
友人か?


見ると、見知らぬ男性が立っている。
引き続き・・・・

フリーの客だ・・・

彼は、以前夜にこのお店に来ていたらしい。


その後、友人も顔をだしてくれたおかげで・・・・

2日連続でやまももの売上げが立たないということだけは免れた。
そして・・・・

いよいよ閉店というとき・・・・
6月11日にやまももに現れた男性がやまももの扉を叩く。

残念ながら・・・・
閉店なのでお引き取りいただいたが・・・・

だが、やまももに希望の光が灯った。
さあ・・・・

粘れるだけ粘ろう!!
いつかやまももが満員で人が入れなくなるようにするために・・・

やまもも総営業時間118時間
やまもも売上げ18700円+1900=20600円

時間あたりの販売価格約180円




7月2日

業務と仕事の違い

今週号のビジネス誌に日本テ○コムの社長の話が載っていました。

日本テレ○ムもコロコロと親会社が変わります。
こないだまで、外資が親会社かと思えば、現在はソフトバ○クが親会社になっています。

この日本テ○コムの社長が面白いことを言っていました。

それは・・・・

業務と仕事の違いについてです。

業務と仕事は何が違うのでしょうか?
早速、分らないものは調べるの精神で・・・

辞書を引きましょう。

すると・・・

仕事は・・・

何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。
生計を立てる手段として従事する事柄。職業。

とあります。


一方業務は・・・

職業や事業などに関して、継続して行う仕事とあります。


辞書上ではイコールで扱われるこの2つの言葉も概念は違うそうです。


この社長の言葉を借りれば・・・・
業務は言われたこと、つまりマニュアルどおりに物事を進める事をいい、仕事とは顧客の存在を意識して自分で考えて行動することを指すようです。

結局・・・
業務は誰にでもできることです。

ですから・・・・
我々のすべきことは仕事なのだと思います。

結論としては・・・

どうしても、ここのところ何度も強調している目的意識に帰結してしまいます。
CSのため、誰かのため、自分のため・・・

そういった目的を持ち、その達成のために考えた行動を取ること・・・

これが仕事になります。

普段、我々が行っている行動は業務でしょうか、それとも仕事でしょうか?

一度振り返る必要があるのではないでしょうか。


業務ではなく、仕事をする人間。

そうありたいですね。

やまもも日記

急に・・・
脳内にクリスマスソングが流れる。


♪きっと客はこない〜、ひとりきりのやまももオープン♪


結構無理があるが・・・・
とにかく・・・

歌詞のとおりだ。

きっと客は来ない・・・

そう思わされるほど・・・
人通りが無かった。

そうかもしれない・・・

秋競馬になるまでお休みという人も多い。
ましてや、小レースしかない土曜日・・・

やまももに人が来る可能性は高くは無い。


だが、私はまた独り言を呟く。


負ける・・・・ものか・・・・と。

いくら強がったところで・・・・
結果は圧倒的否定に変わらないのだが・・・

私は折れない。


奇跡は常に・・・・


継続以外がもたらせる事は無いのだ。


そう、やまもも満員という奇跡を起こすためには・・・・
他人が呆れるくらいの渋とさを発揮しなければならない。


まだ、やっているのか?


他人がそういって、ため息をつくくらい・・・・


そのくらい粘らないで、人が思う以上の結果など出せるはずが無い。

私は過去・・・・
何人もの人間がわかっているはずのこととして、考えている言葉を自分に投げかけた。

そう、これは分っていることだ。

しかし・・・・

実行するのは酷く困難だ。

人間は弱い。
いつも、思う。

分っていることすら、実行しつづけることが難しいのだから。

そして・・・・

私はやまももの扉を凝視しながら・・・

時計は14時を過ぎ・・・15時を過ぎ・・・・


そして16時を過ぎた・・・・

土曜日はいつも誰もこない気がする・・・・

本日も私を諦めさせようとする何者かが・・・
私を全否定した。

しかし・・・・

負けるものかっ!!

やまもも総営業時間110時間
やまもも売上げ18700円+0=18700円

時間あたりの販売価格約160円





7月1日

再結晶

したと感じた。
何の話かといえば・・・

先日、本を読んだ結果である。

私は先日、最近主張が強くなってきた私の腹部をなだめるため、水泳に出かけた。
そして、その帰りに某ファミリーレストランで涼と冷菓を取っていた。

そこで、用意していた本が・・・・

キーとなった。


以前のこのNスポで書いたように・・・
リッツカール○ンホテルのクレド、乗馬場で受けた営業、言葉がその本人を伝える情報であること・・・

これらのことが次々とつながり、1つの解を私にもたらせた。

それは・・・・


無意味な行為をやめるべきではないか?


という自問へと昇華する。


いや、こう言うと語弊がある。
一見、無意味に見える言動にも、意図がある。


そうではなくて・・・
すべて目的に沿った言動を取るべきではないか?


ということになる。


どういうことか?
まず、リッツカー○トンホテルのクレドと呼ばれる個人の信条を思い出してみよう。

これは、個人の信条を明文化した独自の決まりの事で、ホテル業において、お客様をおもてなしするために、自分に課す厳守すべききまりです。

さて・・・
これは、何故これほど注目されているのでしょうか?

私が思うに、そこに「お客様に満足していただく」という目的があり、そのための行動だけを取っているからです。

つまり、行動や言葉がすべてそのCS(顧客満足)という目的のためのものになっている。


次に先月のNスポで書いた乗馬場での話・・・・
すべての話をクラブの会員入会に結びつける目的意識の高さ・・・・

それをしたらどれだけ素晴らしいかを顧客にイメージさせる言動。


そして・・・・
個人の言動が乱暴であれば、その人間が乱暴であるという情報を放つことになる事実。

服装も、使用する言葉も、髪型も、身につけるものも・・・

どれもがその人間を表す情報であること。


この3つがつながった時・・・
私は驚嘆をもって、再認識した。

個人も同じではないか?と。

そう、企業の場合は営利のためという目的を持って、その手段として何を提供するのかを突き詰めていく。


それで、出た答えを目的として、そのための行動を徹底する。


個人も・・・・・
どうありたいかという目的を持って、そのための行動を取るべきなのではないだろうか。


つまり、現代人である限り、他者とのかかわり合いが生きる上で時間の大半を使うことになる。

その他者に対して、自分がどういう人間であるという情報を発したいのだろうか。

少なくとも、「私とは関わらない方がいい人間である」という情報を発したいと考える人間はいないはずだ。

そう考えると・・・・
自分が誠実で信に足る人間で、それでいて興味深い人間であると思われたいと思うのが普通だ。

だとすれば・・・・
それを個人の個人に対する目的にしてしまってはどうだろうか。

つまり・・・・
自分を誠実で興味深い人間であると他者に思ってもらうことを目的とした言動しか取らないようにしてはどうだろう。

そう、そんな目的を持ち、それを実行しつづければ・・・・

自分にとって好ましい結果というのは付いてくるのではないだろうか?


まずは、自分がどういう人間だと思われたいかという目的と、その目的を達成するための信条を持つ必要があるのではないか。

私はそう考えるが・・・・
どうなのだろうか。

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