Nスポ


2月28日

変化なくして安定なし

と思わされる記事を読みました。
それは製缶会社についてでした。

N島が中学生の頃ですから、今から12年ほど前。
当時は製缶会社に入社すれば一生安泰だと言われました。

というのも、当時スチール缶の製造会社は大手3社しかなく、缶ジュースがなくなることはないと思われたので、絶対潰れないし、利益も下がることがないから安心だと考えられていました。

ところが、その後アルミ缶が登場し、製缶事業に参入する会社ができて、少し競争率が上がります。

当然、既存の大手3社もアルミ缶を作ったので、それほど深刻なダメージは負わなかったようでしたが・・・・

しかし、1996年。
ですから約10年程前。

ペットボトルのメーカーの自主規制が撤廃され、それまで1リットル以上でしか使えなかったペットボトルが500ミリの清涼飲料水に使用できるようになりました。

ペットボトルの需要は年々増加し、逆に缶の需要が低下してくる。
そのため、独占企業として既得権益を享受していた製缶会社の業績が落ち始めました。

あれほど安泰だと思われていた製缶会社がまさかの衰退。
当然、製缶会社もペットボトル製造に参入しましたが、今度は全体のシェアを巡っての競争になります。

温室から突然、外に放り出されたわけです。
なかなか競争に慣れていない会社は当初苦戦したのではないでしょうか。

しかも、缶はそれなりの重量があり、運送するより他ありませんが、ペットボトルは軽いため、空気を運ぶのと同様だそうです。

さらに、形状ができているので、カサがあり、場所を取る。
運送コストが高くついてしまいます。


そのため、業績の落ち始めた製缶会社に追い討ちがかけられようとしています。


それは、飲料メーカーがペットボトルにかける運送費を長期的視野で見ると、自社にペットボトルの設備を投資した方が安いのではないかと考えたことです。

自社で飲料を詰めるラインにペットボトルを作るラインを繋げれば、ペットボトルを作りながら飲料を詰めることができ、コストと時間の削減が可能です。

お茶の伊○門の例のように、ペットボトルの形状のデザインも自社製であれば大分融通が利きます。

ですから現在、製缶会社は危機的状況にあります。
ほんの十数年前までは絶対視されていた会社が、世の中の変化によって、その神話が崩れようとしている。

常に物事は変化します。
ですから、今が良くても、将来もいいとは限りません。

安易に今いいからという理由で就職せずに、将来も見据えた会社を狙った方がいいのではないかと思いました。

変化は必ず起きます。
その変化についていけるようにしたいですね。

N企画
裁判所の食堂メニュー完全制覇



2月27日

ワ○の知恵本

コンビニで売っていたこの本を皆さんはご存知でしょうか。
最近の漫画の復刻版のようなチープな表紙の本です。

実は以前にN島もコンビニで少し立ち読みをして、これは面白いと思い購入しました。
で、この本なんですが、先週の日経ビジネスで大阪で売れている図書第2位になっていました。

何故か?

N島が思うに、タイトルとは裏腹で悪いことの知識が書いてあるのではないんです。
よく読むと、人間の魅力本なんですよね。

大体、魅力という名のつく本はどちらかと言えば、一番知りたい魅力の本質を抽出したものではなく、人物史なんです。

ところが、この本はその魅力について書いてあるとN島は思いました。
そう、求められている魅力の本質について書いてある本です。

それが、実用的な本を好む大阪の人の支持を得たんじゃないかと考えました。

まあ、魅力と言うものは受け取り手次第ですから、本質を抽出するのは難しいのかもしれません。
しかし、大体周りに人が集まる人と言うのは共通点があります。

やはり、第一は面白いことです。
知的にか笑えるかは問われません。

一緒にいて面白いと感じる人間でないと、人はこない。

関西の方では、「お前おもろうない」という台詞は人格の全否定だそうです。
つまり、それほどに「面白い」ということが求められています。

自分が面白くないと思う人にわざわざ時間を割く人はいないと思います。
そんなことはないと思っても、だんだん疎遠になっている人はいませんか。

仕事もそうです。

面白くない仕事なんかしても、やる気がでるわけがありません。
常に「面白い」を追求しましょう。

そんなことを図書ランキングから思いました。

N企画
イラクでボンバー○ンを流行らせる。ていうか現実で流行っていますよね。



2月26日

more and more (ますます)

要求をエスカレートさせようと思います。
何に対してか?


当然、自分に対してです。


先週サークルの後輩達と飲んできました。
ユダヤの知恵にあるように、たくさんの人間がいるところでは沈黙は賢です。

何故なら、自分がしゃべっている間は情報を発することができても受信することができません。

折角、自分とは違う仕事や生活をしている人が来ているんです。
話をするより、聞いた方が自分の糧になります。

しかも、基本的には人はしゃべりたがりです。
人にしゃべるとすっきりします。

ですから黙って頷きながら聞いているだけで、信頼関係の構築にもなる。
なかなか沈黙は有効な手段の一つだと思います。

さて、実はその場で聞いた話で、一人の後輩の話がかなり印象に残っています。
その後輩は現在大学院に行っているのですが、学費は別としても、学生なのに自立しています。

未だにママンに扶養されているN島とは雲泥の差です。

それで、その生活について聞きました。
細部までは覚えてはいないのですが、月〜金の平日は午前7時くらいから午後9時ごろまで研究や勉強をしているそうです。

おそらくですが、多少の時間の調整はできると思いますので、その合間をぬってバイトをこなし、一人暮らしの家賃と交友費、食費を叩きだすようです。

もちろん、9時まで研究しないときはそれより早くからバイトでしょうし・・・・

そして、睡眠時間は当然のように平均3時間。
なのに、眠らず、勉強と仕事をこなす。

土曜日は午前中研究をして、午後からバイト。
そして、夕方まで働き、そのまま深夜のバイトで日曜日の朝まで働きつづけます。

日曜日が唯一の安息日ですが、当然、人間が一番重要なことを知っていますから、約束があれば遊びに行く。

深夜のバイト明けでそのまま遊びに行くわけです。
軽く見積っても、この段階で稼働時間が30時間を越えています。

ほぼ毎日3時間以下しか寝ていないのに・・・

しかも前回飲んだ時間が9時ぐらいまでだったので、36時間以上不眠で働き、遊び、酒まで飲むという驚異的な生活をほぼ毎週1回こなすわけです。


それほどまでに学ぶこと、つまり自己の向上のために頑張っています。
それと比較すると、N島も含めておそろしく温い生活をしていないでしょうか。


ただ、こういう話をすると、その人は特別で自分は無理だという人がいます。
それは無理なのではなく、楽をしたいという甘えです。

自分には無理だという思考は自分の限界を低く見積って楽をしているだけではないでしょうか。

無理ではないんです、現にやっている人がいるんですから。
ただ、それが辛いから嫌なだけです。

後輩自身だって、正直キツイと思います。
しかし、それほどまでに自分に向上を要求しています。

そのハングリーさ・・・5年、10年経った時に楽を選択した人間との差はかなり開いているのではないでしょうか。


でやはり、同じレベルの人間がいる組織では同じようにすごい人がいます。
後輩と同じ院の学生で、中国から留学に来ている人がいるそうです。

話を聞く限り、この人もかなり驚異的です。
おそらく奨学生制度か何かを利用しているのだと思いますが、同じように午前7時から午後9時くらいまで勉強をして、その後、新聞配達をするそうです。

新聞配達ですよ。
つまり、9時くらいに終わって、帰宅し、2時間くらい寝て、午前3時から新聞を配り、そのまま勉強するわけです。

炊事、洗濯、入浴もその間にこなす。

本当に人類か?と疑問を持たずにはいられません。
中国人留学生ですから、金銭的にも当然、土日もバイトでぎっしりだと思います。

その後輩をもってして、いつ寝ているのか分らないと言わしめるほどの人物です。
しかも、後輩はその人が講義を受けている時に寝ているのを見たことが無い。

人の講義なんか通常時だって眠くなります。
にもかかわらず、集中して勉強し、3時間を割る睡眠時間で毎日生活。

この学習に対する意欲が、最近の日本人にはあるでしょうか。
これでは、いずれ中国に抜かれると言われる理由もよく分ります。

自分自身も温すぎる。
そろそろ、楽をしたいという甘えをなくすようにしていかなければ、生涯地を這うTシャツ(N島が最も好きな某ギャンブル漫画カ○ジのプレゼントにあったもの)を着て生きなければならなくなってしまいます。

優勝劣敗という言葉と同様に、苦勝楽敗(N島の造語)なのではないかと思いました。

皆さんは、甘えを捨てきれていますか?

N企画
点3のフリー雀荘で遊ぼう!!



2月25日

燕雀

いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや
(燕や雀のような小鳥には、大鳥の志はわからない)


有名な石田三成の言葉です。
これほどの強がりもないだろうと思いますが、N島はこのエピソードが好きです。

関が原の合戦で破れた石田三成が、六条河原の処刑場で斬首される前に市内を引き回されていた時のことです。

三成は衛兵に喉の渇きを訴え、湯を要求しました。
しかし、湯がなかったため三成を護送する衛兵が代わりに柿で喉を潤せと言います。

しかし、三成は柿は痰の毒であり、健康に良くないから駄目だと言います。

衛兵はそれを聞き、これから首を斬られる人間が健康を気にしてどうすると笑います。

その時三成が言った台詞がタイトルです。
そして、続けて言います。

「小人にはわかるまい。大義に殉じようとする者はたとえ処刑される間際になっても、自らの命を惜しみ、志を遂げようと心がけるものなのだ」

自尊心を感じる言葉です。
そして、三成は結果的に処刑場で斬られてしまいましたが、仮に、味方に助けられ、再興し、徳川家に勝っていたらどうだったか。

この究極の強がりが偉人の言葉になっていたに違いありません。
結果が負けだったからこそ、強がりにしかなりませんでしたが、結果がでていれば、偉人の目標達成の言葉になっていた。

そういえば、過去にも結果を出さなければ、ただの駄目人間だった話はたくさんあります。

股夫と呼ばれた国士無双韓信も、嫁に役立たずと罵られた太公望呂尚も結果を出したからこそ逸話として残っていますが、そうでなかったらただの駄目人間で埋もれていたはずです。


さて、急にこんな話をしたのも、本日会社の送別会に行きまして、タイトルの言葉を思い出させられたからです。

というのも、N島は会社員時代、やる気が無かったことも含めて、営業としての数字という結果を出していませんでした。

且つ、N島が学生時代に所属したサークルのように、学生ですらこれほどの器があるのに社会人がサークルよりも小さいわけがないと思っていたのですが、実際N島が入社した会社は異端を受け入れる度量がありませんでした。

異端を面白がれず、排除しようとする排他的な社会に疑問をもったN島は極力関わらないようにしてきました。

ですから、会社でのN島の評判はすこぶる悪い。
評判が悪いですから、当然、扱いも悪いです。

で、飲み屋でかなり不愉快な気分を味わいながら、飲んできました。
そのとき、お前等はそれほど人のことを言えるくらい勝っているのかよ。

とそう思い、タイトルの言葉を腹の中で思いました。
現時点で結果を出していないN島が言ったところで負け惜しみに過ぎません。

しかし、N島が何らかの方法で結果を出し、自分一人の稼ぎで家庭を築けるくらいの経済力を持てば話は別です。

どちらが燕雀か・・・・

とここまで考えた時、気付きました。
いや、待てよ・・・・

もしかしたら、評判の悪い人間に対して、よく知りもしないのに、その評判を間に受けるような態度を取るから彼等は家庭を自分一人の稼ぎで築けるほどの経済力すら持っていないのではないだろうか。

閉鎖された村社会の掟のように、その世界の普通を盲信し、それ以外を排除する。
その普通を迎合した者のみを受け入れる。

考えてもみろ、N島が優秀だと思った人間にそんな人物がいたか?
その優秀だと思った人間が、今もそこの会社に残っているか?

今、残っている人間は不平不満を言いながら同じことを繰り返している、行動の伴なわない人物ばかりじゃないか。

そして、結果の方の数字もN島のパーセンテージとそれほど変わらずで、目標からすれば遥か下にいる。

とても他人の事を言えるほどの結果を出しているほど優秀とは言えない。
どうやったら、営業なのに目標達成60%とかで大きい顔ができるんだ。

それに10年後、20年後に彼等と同じ生活がしたいかと問われれば、間違いなくNOだ。
だったら、いいじゃないか。

N島が結果さえ出せば、自ずとどちらが燕雀かは分る話だ。
それよりも、不愉快な気分にはなったが、学べたことに感謝しよう。

どんな人間でも味方につけようという意志がないから、つまり作らなければできないはずの敵を作っても良いと思う態度が、負けさせる要因なんだ。

それが三十路間近なのに、年収400万を大幅に割る結果となって表れている。

それが嫌なんだろう。
だったら、この学びを大事にしよう。

人の評判なんかで人を見るな。
そして、すべての人を味方にする意識を持とう。

すべての人を味方にすると言うのは、その人物の器が大きくなければできることではない。

結局、誰かを排除すると言うことは、自分の器がそれほど大きくないことを証明するようなものなんじゃないか。


と憤りたくなるほど不愉快な飲み会に行ってきました。
現時点ではN島は結果を出していないので、残念ながら、彼等の言うとおりです。

ですが、不愉快な思いをした分、N島のモチベーションになります。
いずれ結果を叩きだし、どちらが小鳥かを証明してやりたいと思います。

韓信や太公望のような逸話にできるか、埋もれるか。
さあ、結果を出すために考えよう。

N企画
ブログで生活する人に続け〜と煽る。



2月24日

自分の顔

シャネルというブランドをご存知ない方はいないと思います。
そのシャネルの創設者ココ・シャネルの言葉がN島に強く印象に残っています。

有名な言葉なので、ご存知の方も多いとは思いますが、以下に引用します。

自然はあなたが二十歳の時の顔を与える。
生活はあなたが三十歳の時の顔を形作る。
だが、あなたが五十歳の時の顔をどう作るかはあなた次第なのだ。


つまり、顔というのはその人の生き方を表しているということです。
今、鏡を見たとき、どんな顔をしているでしょうか。

意志を持った表情をしているでしょうか。

N島は学生の時、自分の顔を見て、間が抜けたツラをしているなと感じたことがあります。

そのときは、怠惰な生活にどっぷり浸かっていました。

間が抜けた生活をしていたのです。
当然、間が抜けた顔になります。

自分の顔に責任を持てと言われる理由がここにあります。


以前に、電車に乗っていたとき、若い頃は格好良かったんだろうなと思われる老人が向かいの席に座っていたことがありました。

ただ、表情は険しく、身なりからも満たされた生活をしているとは思えない様子でした。

幸薄そうだなと感じた記憶が残っています。

このように顔自体も発する情報の一つです。

自然に発する情報として、自分の顔がどんな顔か把握する必要があるのではないかと感じます。

ありきたりな言葉ですが、納得のいく顔をしよう。
そう思います。

N企画
I have a dreamと誰構わず言って、精神力をつける。



2月23日

後悔のサイズ

世の中に後悔をしたことのない人はいないと思います。
みんな多かれ少なかれ、後悔をしたことがある。

ただ、その後悔にも大小があると思います。
もちろん、後悔という後ろ向きな感情は小さい方がいいに決まっています。

で、考えてみたんです。
過去を振り返って。

そもそも後悔は何に対して起きるのか。
答えはその人の行動です。

してしまったことか、しなかったこと。
この2つの行動の結果に対して、人は後悔します。

例えば、大学受験をして第一希望に落ちてしまったとき、もっと勉強をしていればなあ、と「しなかったこと」に後悔をします。

また、N島の場合は仕事を辞めて、もっと学生の時真剣に職について考えていればなあという後悔があります。

だいたいの後悔は「しなかったこと」に起因します。

例外はギャンブルくらいで、あのとき勝負をしなければ良かったという「してしまったこと」に対する後悔ですが、これも逆説的に考えれば、別の時、もしくは別の対象で勝負をしていればという「しなかったこと」の後悔とも考えられます。

つまり、後悔は「しなかったこと」に対しての方が大きいんです。

「してしまったこと」に関しては、結果が出ます。
結果が出るから、その結果が意に沿わないことであったとしても、次への教訓にもなりますし、答えを知るのですから、「しなかった」場合もどうなるかが分かります。

ところが、「しなかったこと」は結果がわかりません。
分からないから、もし、していたらどうだっただろうという絶対に知ることはできないことに対して、いつまでも後悔します。

もしかしたら、とんでもなくうまくいっていたかもしれない。
そんな自分に都合のいい希望的観測である想像を延々と続け、いつまでも後悔し続ける。

ですから、N島は迷ったら必ず行動を取ることを推奨します。
例え、結果が不納得であっても、少なくとも知ることができる。

結果を知れば、後悔は小さいんです。
ですから、大きな後悔をしたくないのであれば、常に行動をしよう。

何年も先になって、あの時こうしておけばという不毛な後悔を無くすために。
するかしないかでの迷いは常にする方へ。

N島はそう考えますが、みなさんはどうでしょうか。

N企画
K−1の門を叩く



2月22日

貧すれども鈍さず

先日、サークルの飲み会に参加した時、後輩の一人が言った言葉です。
自尊心を感じる言葉だとN島は思います。

というのも、朱に染まって赤くなるのも、貧して鈍するのも、たいがいの人間がそうなることなんです。

ですが、この言葉というのは他がそうでも、自分はそうならないよという意思表示です。

芯が強い人間でなければ、そうはなれないでしょう。

そして、関連して思い出したことがありました。
それは戦時中の裁判官の話です。

皆さん、ご存知のとおり、戦時中は大変な食糧難でした。
そのため、国による配給制度が実施され、その正規のルート以外で入手する食料品は闇米に代表されるとおり、違法な取引でした。

当時から日本は法治国家でありますから、法律が決めたことに従わないことは罰則があります。

そして、裁判官は司法という名のとおり、法を司る者です。
最も、法律に対して誠実でなければいけない立場にあります。

そして、この裁判官の一家は法に違反する食料は法を司る者として口にするわけにはいかないとして、配給された食料のみで生活をしていました。


その結果・・・・





この一家は餓死しました。

他の司法関係の者は生き延びたにもかかわらず。
つまり、正規のルートでは餓死してしまうほどの少量の食料しか手にできなかった事実があります。

そして、この裁判官以外の司法関係の人間が生き延びたのは違法なルートの食料を口にしていたからです。

この話を聞いて、愚かだと思う人間もいれば、心意気を感じる人もいます。
結局、何を信じるかなんですよね。

死んでしまったらお終いという気持ちもありますし、誠を貫くことに意義を見出す気持ちもある。

自分は貧して鈍する人間なのか、貧すれども鈍さずの人間なのか。

理想は貧すれども鈍さずですが、合理的思考でいけば、鈍さなければならない。
だからN島自身は貧したら鈍する人間だという自覚があります。

ですから、その自覚があるからこそ鈍さないために、貧さず。

貧したら、誠がなくなる。
誠こそが、重要と考えるN島にとってそうなることは避けなければならない。

それがN島が執拗に経済力を求める所以です。

N企画
似顔絵屋さんに行く



2月21日

業界の仕組みは裁判に在り

さて、本日も競売物件を見た後に裁判の傍聴をしてきました。
そこで、思わされたのがタイトルです。

というのも、裁判官や弁護士は法廷に立つ証人、原告、被告の業界内の商慣行は知りえませんから、それについて質問をします。

その結果、現場で勤務してきた人間の業界の説明を受けることができます。
自分が決して関わりを持つことのなかった業界の仕組みが分かる話が聞けるんです。

これは、かなり貴重なことだと思います。
誰が面識の無い人間に無償で、業界の仕組みを説明してくれるでしょうか。

それを違うところで知りえた情報同士結びつければ、当然ニッチの発見をも可能とします。
面白いなと思いました。

で、本日の裁判の内容はなかなか大きな事件のようです。
みなさんはショパールというブランドをご存知でしょうか。

外国メーカーの高級ブランドなのですが、日本でそのブランド時計の正規のルートでの輸入販売権を持っているのは、今回の裁判の原告である一○時計という会社だけのようです。

インターネットで調べた結果、ここしかありませんから間違いありません。

で、その輸入販売会社から、実際に販売する店舗に商品が卸されます。
そして、当然、時計1つが1千万円という冗談にしか聞こえない金額の時計もあるんです。

例えば、店舗がそれを仕入れて販売するとなると、売れなかった時のリスクを背負うことになります。

店舗というのは、当然それ自体の規模は小さいですから、1千万円というリスクを背負いきれるものではありません。

しかし、現物がないと、お客さんに見せることができないのでビジネスチャンスの消失につながります。

ですから、救済措置として、輸入販売会社から高級品の貸し出しがあるんです。

で、今回の事件は、その時計会社の営業担当員が販売店舗を運営するSという会社のS田さんに対して、ショパールの時計4本(時価総額2000万円)を貸し出した。

しかし、その時計を借り受けたSという会社の元女性従業員S田さんがそれを質屋に流して500万円のお金を借り受けたんです。

で、S田さんは刑事裁判で業務上の横領罪に問われて、懲役約2年の実刑判決を下されました。

刑事事件は、これで片付いたのですが、今度は民事です。
その2000万円近い損失を誰が被るのか。

当然、S田さんが返すのが妥当なのですが、ブランドを質屋に流して金を集めた人が、すでにそのような資産を持っているはずがありません。

しかも、質屋は2000万円のものを500万で手に入れ、返却期間に500万が返されず、質流れになってしまった。

そこに利益が存在しますから、その500万円では返却したくない。もしくは費用を資産状況からS田さんに請求できないので、商品の返却要請に応じるわけにはいかない。

それで訴訟が起きたようです。
その直前にも、S田さんはロレックスの時計を借り受け、質屋に流していました。

ただ、そのときはSという会社の社判を、時計を輸入販売店から借り受けた受領書に押しているので、これに関してはSという会社が買い取りを行ったようです。

600万円くらいのものを・・・・

しかし、ショパールに関しては社判ではなくS田さんのサインだったので、Sという会社は報告も受けていないし、社判が押していない以上、会社として責任を取るわけにはいかないという判断から、その買取には応じませんでした。

そこで、2000万円近いお金の損失が時計会社に発生し、商品の所有権を求めての訴え。

素人目なのですが、争点は2つあると感じました。
それは古物取引に関する法律で質屋の営業に関する法律があるようです。

それからすると、質屋を運営するにあたって、その古物の所有権の確認を行わなければならない。

ですが、実際にはS田さんの証言のみからで質屋の店長はS田さんが所有権を有するものと判断してしまった。

おそらくですが、これがその業務に就くものとしての善管注意義務(善良なる管理者としての注意義務)に違反しないか。

つまり、質屋の不注意ではないかということです。

そして、もう一つが善意取得。つまり、それの所有権が他にあると知らないで買い取った物に関しては、善意の第三者(つまり、盗品等であることを知らない。)は保護される。

ここの、善意取得と認められるか、善管注意義務に違反していないか。
この2つが争点の中心となっているのではないかとN島は推察します。

そして、この善意取得に関しては例外があります。
それが脅迫の場合。

ですが、詐欺の場合は無過失で善意であれば、第3者は保護されます。
で、当然、このS田さんという女性は質屋の店長を錯誤をさせて、品物を買い取らせたわけです。

これが詐欺の要素が絡むわけです。

ですから、質屋が所有権の確認漏れという重大な過失がない限りは、被告である質屋の勝訴となるはずです。

逆に原告は質屋に過失があったこと、もしくは悪意があったことを証明できなければ敗訴です。

そして、この質屋の確認の仕方が、正当か否かが重要になります。
次回は4月18日のAM10時から、横浜地方裁判所での裁判となるわけですが、この事件は追いかけてみようかと思います。

にしても、こんなことを言ってしまってよいのかは分かりませんが、質屋の店長の質疑に対する応答なのですが、かなり要領を得ない。

質問する弁護士の抽象的な質問の仕方も悪いとは思いますが、あの回答の仕方はないだろうと思いました。

そして、あまりよくない考え方なのですが、もちろん、個人差もあるとは思います。
しかし、質屋の店長という職種には、それほど能力は求められないのではないかと感じました。

N島でもできそうだ。

良くないなあと思いながらも、そう思いました。

にしても、少し、高額な取引に関する認識を改められました。
高額な取引は必ず、書面で。

そして、絶対に自分が被らないように証明できるようにしておかなければならない。
2000万円もの金額被ったら、本当に破滅です。

必ず、個人のサインといった形ではなく、その個人が属する組織の承認も受けるようにしなければならないなと感じました。

しかし、勉強になるね、傍聴は。

N企画
オリジナルマラカス作り。



2月20日

質問の意図を聞く

以前に、N島が同年代の女性と電話していた時の事です。
軽く酔っ払っていたこともあり、N島は饒舌でした。

で、とりあえず、面白いかもしれないと思い、脈絡も無く、下記のようなことを言いました。


分かった、君んちの冷蔵庫の色はピンクだ。
そうだ、うん、そんな気がする。

そうだよね?


この時のN島の意図は、あまりに急に突飛でくだらないことを言う不条理による面白さ、それを狙いました。

で、その時、この女性は笑いながらも、こう切り返してきました。


冷蔵庫の色なんか聞いてどうするの?と。


聞いた瞬間、酔いが飛びました。
この子、頭がいいなと気付かされたからです。

というのも、冷蔵庫の色が何色か?
はっきり言ってくだらないにも程があります。

ただ、それに色をそのまま答えてしまう人というのは、余程質問者を信頼しているか、素直なのかもしれませんが、あまり他人について考えない人なのではないかと思います。

この冷蔵庫の色なんか聞いてどうするのか?という質問返しには、おそらくN島の質問を聞いた瞬間に、頭を巡らせたことがあるんです。


冷蔵庫の色を聞いてくる→何が目的だろう・何が知りたいのだろう→過去の経験やそれまでの蓄積した情報の検索→該当なし→意図が読めない→どういう意図をもっているか不安だから答えたくない・もしくは何を考えているのか興味がある→何故それを聞くのか?という質問返し

こういったプロセスが1瞬のうちに行われたのではないかと考えました。

そこで気付かされたんです。
自分は他人の言外の意を掴もうとしていない。

これじゃ、仕事もうまくいくわけが無いだろうと。
当時は衝撃を受けました。

他人に無関心すぎたのか、それまでのN島は質問の意図を質問のままで捉えていました。
その結果、仕事上で度重なる煮え湯を飲んだことを記憶しています。

ですから、思ったんです。
頭の良し悪しは知識の蓄積ではないと。

学校の勉強は記憶力です。
だから、誰でも時間をかければできる。

ところが、社会で基本ベースとして求められている頭は、知識ではなく意図読みです。
何故、そんなことを言ったのか?

戦国時代だろうが、暴力団の出世争いだろうが、すべてこの意図読みができなければ、勝ち組みに回ることはできません。

ですから、最近、N島は執拗に自分に問い掛けます。
意図はなんなんだろうかと。

皆さんは、質問を受けた時、相手の質問の意図を考えているでしょうか。
もし、考えていないのだったら、日ごろから意図はなんだろうという質問を自分にぶつけた方がいいと思います。

N島に質問の意図を聞いた人が過去に二人いましたが、一人は銀座の不動産屋の部長さんでしたし、一人はその女性です。

どちらも利口だと思わされた人たちです。

一つの壁として、他人の言葉からその意図を読むか否かが存在するとN島は思います。

当たり前だと思う方がいるかもしれませんが、よく見ると、周囲に人の言外の意を考えない人ってたくさんいますよ。

こんなことを言っているN島自体がそうでしたから・・・

N企画
ボードゲームを作って、億万長者を目指す。



2月19日

奉公人根性

溜まっていた日経ビジネスも、ようやく2月14日分(今週号)まで追いつきました。
N島も丁度、この雑誌を購読し始めてから1年になります。

当初は用語も内容も何を書いてあるのか分かりませんでしたが、自分に課すと決めて、継続をした結果、最近では、内容の理解はもちろんのこと、それが絡む事柄と結びつけて考えることができるようになりました。

継続は力なりとはよく言ったものです。

会社員時代でも、経済新聞やビジネス誌を読んでいる先輩や後輩は会話の内容に違いがあり、結局、学びつづける姿勢があるかないかが未来の明暗を大きく分けるものだと感じた記憶があります。

面倒くさいや、分からないといった努力の放棄をしないように、今後も自分にいろいろ課していきます。

さて、その日経ビジネスなんですが、先日明治製菓の会長北里一郎氏の話が載っていました。

大学受験で、日本史を選択した人はご存知かもしれませんが、あの北里大学創設者であり、細菌学者として有名な北里柴三郎のお孫さんです。

その北里柴三郎の言葉の中に、奉公人根性を無くせという言葉があったそうです。
言われたことだけをやる、それが奉公人根性です。

確かに、言われたことだけをやるというのは、主体性に欠け、他者との差をつけることもできず、誰でもできることです。

しかし、言われたことだけをやるという思考にプラスαや先日のNスポの内容のように、やれと言った人が喜ぶであろう付加をつければどうでしょうか。

その人との間に信頼もできますし、工夫をする習慣がつくのではないでしょうか。


それと同時に思ったのが、やはり人間の弱さです。
結局、その奉公人根性は何故生まれるのか?

当たり前のことですが、誰だって「言われたこと」をやるだけよりも、その先の流れを考えて、少し工夫を加えた方がいいに決まっていると分かっているはずです。

分かっているのに、やらない。

その原因は、最低ラインの捉え方にあると思います。
大体、「言われたこと」をするというのは言われた方が思う最低ラインなんですよね。

ですが、言った人物の許容範囲のぎりぎりの外にあるかもしれない。
それが「言われたこと」です。

言われた人はそのラインさえこなしておけば、自分に非はないから、不利益は被らない。

わざわざ工夫に時間を取られるよりも、文句を言われないで済むぎりぎりをやった方が楽だ。

そう考えるかもしれません。

ですが、その思考は危険で、最大限に都合よく自分側の視点で解釈したときの最低ラインなんです。

なにしろ、言った側からすれば、言ったことのみしてくる人物であったら、その人物である必要はないんです。

他にも代わりが捨てるほどいますから、よほど違うところに付加価値がないかぎり不利益を被る可能性は十分にあります。


実は、会社員時代の後半は、N島は一つ意識していたことがありました。

上司に対しては決してやりませんでしたが、お客さんに対しては必ず、言われたことをするだけではなく、最低1つ、言われなかったけど、されたほうがお客さんが助かることを探して、それをしていました。

そのせいか、後半は大分N島を信用してくれたお客さんもいました。

奉公人根性と聞いて、仕事をしていた時の事が思い出されます。

関連して思ったことがあります。
現在無職のN島では説得力がないかもしれません。

しかし、自分を戒める意味で主張します。
結局日々のルーティンワークに追われて、それをこなすだけの日々というのも、どこかしらこの奉公人根性と通ずるところがあるのではないでしょうか。

今のN島も毎日、本を読むだけです。
さらに自分に何かを課すことをしていかないと、この奉公人根性にどっぷり浸かってしまうのではないかと危惧を抱いています。

N企画
漫画喫茶に泊り歩き、愛知万博3泊4日の旅を企画する。



2月18日

冷酒と親父の小言

は後で効くとよく言われます。
あまり関係はありませんが、先日、父が発言した言葉で、少し思うところがありました。


N島の父は現在、年金をもらいながら飲食店を3店舗運営しています。

1店舗目はN島が小学5年生の時、ですから今から16年前に開店いたしました。
当時、店は閑静な住宅街のど真ん中にオープンしたこともあり、夜中は真っ暗で人通りはありません。

過去に何人も交代したその店のオーナー達も、そんな状況に苦戦していたのでしょう。
お客さんが1日に一人もこない日が、1年以上もありました。

当時の父は昼間会社勤めをし、夜、店を運営していました。
客が一人もこない店を。

想像してみてもください。
毎月の自分の月給の4分の3くらいコストの掛かる店をですよ。

今日も、誰もこないかもしれない。
明日もそうかもしれない。

そう思いながら、決して粘ったからといってうまくいく保証のないことを続ける。
精神的な圧迫はいかほどだったでしょうか。

成人して、会社勤めをした経験からも、とんでもなく大変だったと思います。
その耐える経営を続けた結果、そろりそろりとお客さんが増え、なんとか家賃・光熱費を払って、口に糊することが可能なくらいまで軌道に乗りました。


父の姿を見ても、諦めない限り失敗はなく、成功するまで物事を続けるべきだという思想は正しい気がします。

で、そんな父なんですが、先日、店に関してこんなことを言っていました。


―俺はな、別に特別なことをしているわけじゃないだ。ただ、正直にやっただけ。書いてある値段に嘘をつかず、どうすればお客さんが喜んでくれるかを考えてやっただけなんだよ。


この言葉を聞いて、N島の思考のパズルが組み合わされました。
すべてにおける真理がこの言葉に詰まっているのではないかと。

N島も普段、ビジネス誌や営業本、成功書を読んでいます。
父の言葉はそこに書いてる言葉と同じで、別段、特筆すべきことではないのですが、自分の身近で結果を出した人間が言った台詞となると、ありきたりのことから意味合いが違ってきます。


結局、成功のスケールの大小に関わらず、誰かが喜ぶのではないかという発想は、うまく行くためには不可欠であり、且つ誠実であることが重要なのではないでしょうか。

机上で知ったことではなく、実体験から同じことを自分の身内が言っている。
これは真理と考えてもいいんじゃないか。

よくよく考えてみれば、人間関係にも言えます。
結局、N島が彼女に別れ話を出された件も、N島がこうしたら彼女が喜ぶだろうという配慮に欠けていたことに一因があります。

それをしなかったから、必要とされている感、つまり自己重要感が満たされなかった。
粗末に扱われていると感じれば、人は「いらないと思われている」と思います。

N島が会社に対して、思ったことと同じことをしていたかもしれません。


さて、話は戻りますがここで重要なのは、自分がしたいことやして欲しいことをするのではなく、他人が喜ぶだろうと思う行為をすることです。

それで他人が喜べば、かなり円滑な人間関係を築くことができるでしょう。

具体例で言えば、自分がガン○ムマニアだったとします。(N島は違いますよ。)
で誰かを喜ばせたいと考えたとします。

それで、その対象がガン○ムに興味がなかったときに、その対象を喜ばせようとしてガ○ダムのプラモデルをプレゼントしても意味はないということです。

何故なら、これは自分があげたい物で、相手が喜んでくれるものではないからです。

だから、自分がしたいことをするのは、自己満足であり、相手が喜んでくれる行為ではありません。

ただ、そこに少し思考を加えて、相手は何が好きか、その調査をし、それをしてあげれば相手は喜ぶはずです。

そんなことを考えました。


そしてこう思いました。

何かをしようという時、根本に人を喜ばせようという意識がなければ、何をやっても駄目なんではないかと。

ですから、行動をする時、常に自分に問いかけてはどうかと思うんです。
その行為をしたときに、果たして誰かが喜んでくれるだろうかと。

それで該当者が思い当たる行為を率先して行ってはどうでしょうか。

基本的な自分の行動の動機を、他者の歓喜においてみる。
なかなか、いい案のように感じます。


父の言葉から、こんなことを考えさせられました。


皆さんは、自分の行動の動機を自己満足においているでしょうか、それとも他者満足でしょうか。

一度振り返ってみてはいかがかと思います。

N企画
写真集を自費出版



2月17日

人をπ(円)で考える

ご存知の通り、πとは円周率のことです。
N島の推測ですが、企業用語でよく使用される全体のパイという言葉はこのπのことを指して、円グラフにした際の占有率(シェア)のことを言っているのではないかと思います。


話は変わりますが、こちらのNスポをご覧になっている方は掲示板の方も見てくれているかと思います。
掲示板上のやり取りで思うところがあったので本日のネタはそれにしようかと思います。

πと何の関係もなさそうですが、しばらくお付き合いください。

さて、ご存知かとは思いますが、最近N島は彼女と別れました。
その1件で、彼女の友人が気を使ってくれたらしく、掲示板にカキコミをくれました。

それを読んで、少し違和感があったため、彼女の友人の女性の気分を害す可能性のある内容を掲示板で返事したのですが、その感じた違和感について考えました。

何が、おやとN島に思わせたのか・・・

おそらく、その彼女にはN島が解釈した意識も意図もなかったのでしょうし、無意識の内だとは思いますが、本人が強く信じることを根拠とした意見をくれました。

その意見の中に壊すという表現がありました。
考えてみると、この「壊す」という言葉に違和感を感じたのだと思います。

それは何故か?
つまりは、破壊ということはそれまでの積み重ねの破壊です。

そういった意図を持っているという意識の有無に関わらず、それまでの過去の否定になるのではないでしょうか。
そこに、違和感を感じたのだと思います。

N島は不足はあったかと思いますが、己の根本に間違いがあったとは思っていません。
だから、疑問を感じた。

壊すんじゃない、広げるんだと。


そして、それから派生していろいろ考えました。

どちらの信じることも間違ってはいないんです。
成長を求めることも、情を通わすことも、どちらも悪いことではありません。

宗教と同じなんです。
キリスト教も、イスラム教も、ヒンズー教も悪いことは教えていません。
もちろん、3つの宗教に交わらない決め事もありますが・・・・

何故、宗教戦争が起こるのか。

それは自分の信じるものと交わらないものにあります。
その交わらないものを受け入れてしまうと、それまでの長い自分が過ごしてきた時間の否定になってしまう。

それが怖くて、宗教を信じる人たちは争います。
誰だって肯定されたいし、四半世紀以上生きて、急に生き方が間違っていると言われたって、戸惑うばかりです。

N島は無宗教ですから、このケースは当てはまりませんが、ですが、それまでの自分の否定にはやはり抵抗があります。

で、考えたんです。
何故、どちらも間違っていないのにも関わらず、意識の有無は別として、主張に異見(誤字ではありません。)がでるのか。

そこででてくるのが冒頭にでてきたπです。
まだ、人間としてのπの大きさが交わるほど足りていないのではないだろうか。

考えてみれば、まだ20代半ばです。
まだ若い。

例えば、全体が大きな平面だとして、この場合に点が2つあるとします。
それを「情重視の点」と「成長重視の点」の2つとします。

それは、同じプラスの平面上にあるのですが、多少距離があります。
その距離を仮に10cmとします。

この時、情を重視するその彼女は当然、「情の点」を核として、それから徐々に人間として成長していき、半径5cmのπとなるような人間に成長したとします。

一方、成長を重視するN島は、「成長の点」を核として、人として成長していき、半径が4cmのπとなるような人間になったとします。

このとき、この二人の思考は交わるかという話なんじゃないかと思ったんです。
距離は10cm、双方の半径は加算しても9cm。

まだ、双方の器もしくは思考の成熟の円は触れ合うまでもいっていません。
ところが、N島が何かを糧とし、人間的な成長をし、半径8cmのπとなったらどうか。

その彼女が、それから変わっていないとしても、3cm分重なります。
つまり、その部分は理解ができるのではないかと考えたんです。

もちろん、核となるものから半径がどんどん広がるように成長していけば、両方の思考を取り込めるようになるでしょう。

ここに、交わらない原因があるんじゃないかと思いました。
何しろ、情も向上も人には必要です。

どちらも重視しなければならないものだという認識はあります。
そのπのサイズによる交差がないことが、どちらも正しいことを主張しているのにその主張がかみ合わない理由なのではないでしょうか。

今回の掲示板の内容は実は、いろんな友人からメールを貰ったりします。
で、やはりみんな思うのが、思考は人それぞれだということのようです。

掲示板に書いてくれてもいいと思うのですが、自分の主張をすると、人の主張を何らかの形で否定することもあり、争いになるかもしれないことが嫌なようで、遠慮してくれている人が多いようです。

ですが、N島は、誹謗・中傷がなければ、ディベートのように、それぞれの主張があった方が、ここに来てくれる人の役に立つと思うんですよね。

当然、誹謗・中傷は管理人として削除しますが、そうじゃない意見を書いてくれれば、N島も考える材料になりますし、異なる主張を持つ人にも発見があるかもしれないと思います。

なので、ご意見等がありましたら、遠慮なく掲示板へどうぞ。
N島が知る限り、ここに来てくれている人は、みなそれなりの常識的な社会人です。

罵倒や、中傷といったことをすることはまずないと思っておりますので、気付いたことがあればお願いいたします。

N企画
聖書を読む



2月16日

花見酒

という噺を皆さんはご存知でしょうか。
有名な落語の噺の一つです。

あらすじは・・・

長屋に住む、義兄弟の二人がいます。
落語にお馴染みの熊さんとはっつあんです。

ある日、兄貴分の熊さんが弟分のはっつあんに、花見で宴会を開いている人たちを見て閃いたことだけど、花見場所で酒を売って儲けないかと相談を持ちかけます。

熊さんの方がはっつあんよりも多少知恵が回るので、はっつあんに異存はありません。

そこで、熊さんとはっつあんは長屋の長に商売をするからといって酒を仕入れる資本金2両とお客さんの釣銭用として1貫借り受けます。

(※10貫で1両、その間の貨幣単位もあるらしいが詳細は知りません。)

そして、熊さんとはっつあんはその2両で酒を買い、樽に詰めて花見場所に行きます。
1杯1貫の金額で40杯売れるだけの酒量を仕入れることができました。

酒が空になるころには、4両になっているはずです。
となれば、2両の儲け。

それを繰り返せば、2両が4両になり、4両が8両になります。
笑いが止まらんと二人でもりあがっておりました。

で、早速、酒樽を担いで花見の場所へと向かう二人。
ところが、酒樽に満杯ではないので、歩いているうちに酒がばしゃばしゃ言います。

丁度、風下にいた熊さんは酒の匂いに堪らなくなり、誰が飲んでも金さえ払えば一緒だろうということで釣銭用の1貫をはっつあんに渡して、酒を1杯買います。

うまそうに酒を飲む熊さんを見て、はっつあんも堪らなくなります。
はっつあんが「兄貴、俺も酒を飲みてえ」と言ったところ、熊さんがこう言います。

「馬鹿だな、今、手に入れた酒の売上1貫を支払って、おめえも買えばいいじゃねえか」

もっともだということではっつあんは1貫を熊さんに渡して、酒を飲みます。
そのうまそうな様子に熊さんも喉をゴクリと鳴らして、受け取ったばかりの1貫をはっつあんに渡して、酒を飲みます。

はっつあんも熊さんの様子を見て、またもや受け取った1貫を熊さんに渡して酒を買います。

それを繰り返しているうちに、花見の場所に着きました。
さあ、これから商売だというときに、樽を見ると、もう売るはずの酒がありません。

なんだ、剛気じゃねえか、全部売れてしまったかい。本日は売り切れ。売上の銭勘定が楽しみよと熊さんが言います。

ハチ、売上を数えてみろというと、はっつあんがどう数えても1貫しかありません。

おかしいじゃねえか、全部売れてしまったのなら4両じゃなければ、勘定が合わねえ。

するとはっつあんが、兄貴よく考えてみねえ。最初に兄貴が1杯買い、次に俺が買い、また兄貴が買い、俺が買い、そうこうして二人で飲んじまったわけだ。

すると、兄貴分も気付いて、なるほど無駄がなくていいやという噺です。


さて、その噺を元にして、40年ほど前に花見酒経済という言葉が朝○新聞に載りました。

その花見酒経済とは、日本のバブル時のようなものです。

土地神話に代表されるように末端の個人たちが、実際の価値以上の価値を土地につけて、借金をし、AさんからBさん、BさんからCさんと土地を売買するごとに値段が釣り上がっていくようなことです。

結局、土地そのものが生み出せる価値は変わっていないはずなのに、人から人の手に渡るだけで価格が上昇している。

その浮かれ方が、落語の花見酒に似ているということで、こういう経済状態を花見酒経済と呼ぶようです。

で、実はN島も日経ビジネスを読みまして、主に使われるこういった使い方とは違うのですが、現在は花見酒の噺に似ているなと感じたんです。

というのも、日経ビジネスの1月24日号か何かにキャッシュリッチ企業という特集が組まれていたんです。

現在、企業は厳しいリストラや中国経済の牽引の影響を受けて、急速に経済力を高め始めました。

そのため、それまで超過債務とまでは言わないまでも、背負ってきた多大な債務を支払い、無借金経営になり、かつ内部留保(企業の貯金と考えてください。)が厚くなってきたようです。

一方、企業が取った防衛策であるリストラによる人減らしや人件費削減等の影響で、家計に還元される所得は、今なお減りつづけているようです。

当然、個人の所得が減っているので、国に対しての納税額も減少しています。
企業の懐のみが暖かくなり、家計に還元されない。

そうなると、消費のメインは個人ですから、消費が落ち込みます。
企業が好景気でも家計は不景気なわけです。

ですから、年々家計の貯蓄率は低下しています。
つまり、家計というフィールドに落とされたお金だけが消費されているのです。
そして、その消費されたお金は企業に戻り、企業で留められ、少なくなった総量がまた家計にいきます。

熊さんとはっつあんが完売したのにも関わらず、手元に売上が残らなかったのは、第三者からの資金の提供がなかったからです。

仮に、又吉(適当)さんが熊さん、はっつあんから酒を買っていれば、熊さんたちの手元にお金は残ったはずです。

同様に、現在は家計という消費をするためのフィールドに企業からお金が落ちてきていない状態です。

だから、企業の内部留保が高まり、家計の貯蓄が減っているんです。

となると、現在個人に回っているお金というのは、その家計の貯蓄からでているものなんです。

ですから、極端に言えば、個人間でしかお金のやり取りをしていないのと同様なんです。
それが、熊さんからはっつあんに、はっつあんから熊さんにいく経済に似ているなと感じました。

家計から、家計へ。
厳密には違いますが、似たような状況に陥っています。

いつになれば、家計にも豊かさが戻ってくるのでしょうか。
花見酒の経済を抜け出さないと、家計が、そしてそれを担う個人が疲弊します。

最近の社会の心の荒みは無関係ではないのではないかと感じました。

N企画
企業優遇の日本の政治を俺が変えると言ってみる。(もちろんネタです。)



2月15日

裁判所

に行ってきました。
競売物件の学習をしに。

裁判所は非常に刺激的でした。
まず、競売物件閲覧所でいい物件がないかを探し、鑑定眼を養おうと思いました。

行ってみると、海千山千のものと思われる人々に混じって、夫婦や不動産会社の新人っぽい人などがいまして、おおきな賑わいを見せています。

引渡し命令という制度ができてから、大分変わったんでしょう。

で、N島の自宅の近所の物件を見ながら、ファイルを取り出すと思ったよりたくさんの情報が詰まっています。

かなり知的好奇心を満たされました。
いやあ、知ることは面白い。

そこで、賃貸の価格や滞納されている金額等を照合し、自分ならいくらまで出すか。
自分なりの価格をつけてみました。

あとは、入札期間でいくらで落とされたか。
これで、自分の目が正しいかどうかが分かります。

こういったことを繰り返していけば、かなり競売に強くなれるのではないでしょうか。
てなわけで、競売の手引きと申込書を貰ってきました。

会社員時代に買った競売物件の本を見ながら学習しようと思います。

さあ、帰ろうと思い、1階まで来ると、その日の裁判される事件が掲示板に張られています。

この後、急ぎの用はありません。
せいぜい、コーヒーショップで日経ビジネスを読むくらいです。

だったら、傍聴してみようか・・・

そう思い、踵を返すと、守衛に傍聴の仕方を聞きました。
すると、特に手続きもなく見ても良いとのこと。

早速、原告、被告が来たら出頭手続きをしなければならない事務所で、傍聴させてもらうのに良い裁判を教えてもらい、入室。

感想から言えば、とんでもなく面白かった。
司法関係の仕事もいいかもしれないと思わされました。

事件の内容は、原告Tさん、被告Yさん。

どうも、Yさんが、Tさんの奥さんと不倫をし、しかも娘さんまでに手をだしたことと、それをTさんが阻止しようとしたことに対して、それまでに乗ってやった相談の相談料1000万〜3000万円を支払えとYさんがTさんに対して主張したことで、Tさん側が精神的苦痛を負ったとし訴訟が起きたようです。

不倫以外においても、TさんはYさんに仕事を斡旋してもらっていたようです。

これが事件のあらましですが・・・・
知識の差といいましょうか・・・・

Yさんは東京六大学の1つである大学を卒業し、自分で起業し、拡大してきた人です。

一方Tさんは、冒頭陳述の経歴は聞けませんでしたが、どうも弁護士の質問に対してしどろもどろです。

どちらも会社経営者なのですが、明らかにYさんの方が知識も弁舌も上です。会社の成長も同様のようです。

Yさんは明らかに怪しく、Tさんの訴えの事実関係をほとんど否定し、かつ都合が悪そうだったり、後ほど矛盾が出たら困りそうな弁護士の質問に対して、悉く記憶にないという言葉を使っていました。

それこそ、その日にTさんの奥さんを車で成田に送ったこととか、レストランの食事の代金を支払ったかどうかとか、天気とか、時間とか、電話をかけたことがあるかないかとか、当時持っていたクレジットカードとか、Tさんの奥さんと一緒にYさんが写っている写真とか。

普通の人なら覚えていそうなことをすべて記憶にないで通していました。

確かに、刑事事件においては疑わしきは罰せずなんです。
つまり、証明ができない限り、どんなに疑わしくても罪には問われない。

法学部卒とは言え、学生時代に怠惰を貪りつづけたN島は民事においても疑わしきは罰せずなのかどうかは覚えていません。

仮に、刑事事件と同様であるならば、証拠がないTさんは敗訴確定でしょう。
逆に、事実がどうであれ、知らぬ存ぜぬで通したYさんは証拠がない限り、安全というわけです。

しかも人脈の違いなのでしょうか・・・・
弁護士の質もYさんの方が優秀なようです。

かなり、理路整然としていまして、原告の矛盾になりそうなところを突くのが非常にうまい。
面白いなと時間を忘れて見入ってしまいました。

次回は3月の下旬に続きが行われるようですが、日本の裁判に興味を持ちました。
また、機会があれば傍聴に行きたいと思います。

ここで、思ったのが、やはり知ることが大事だなということです。
結局、自宅に閉じこもって、何かをしているのは自ら情報を遮断している。

そうなれば、思考も内に内にこもっていきます。
だから、引きこもりの人は、思考が歪んでいき、犯罪を犯す人や、自傷行為に走る人などがでるんじゃないかなと思います。

外に出ないと、腐る。
現在NEETであるN島はそう実感します。

また、面倒くさいを断ち切って、行動を起こし、現場を知ること。
それが大きい刺激になり、面白い仕事を見つける役に立つ。

そう思います。
だから、面倒がらずに、やったことのないことをどんどん体験しよう。

そう決意しました。

N企画
N島と一緒に横浜地方裁判所に行こう!!



2月14日

さあ、始めよう

今日からまた強がることを。

さて、ここ3日間、これまでとは方向性の違うNスポに面食らった方もいるかと思いますが、これは結局自分自身の問題なので、葛藤を自己内で処理します。

なので、本日よりいつものNスポです。

昨晩、「働くということ」を半分読みました。
職を手放した今、決断しなければならない最優先事項はどう生きるかです。

本当はモラトリアムである大学生時代に決めなければならないことなのでしょうが・・・

読んでいると、様々な人間の職に対する思考が書いてあります。
で、結局、何故悩むかというのは、やりたい仕事が見つからないことにあります。

本に記載されていた転職した人も、定職につかない人も、結局、悩みはやりがいのある仕事がしたいという1つに尽きる。

そして、自分のやりがいの感じる仕事が分からない。
それが、決断を保留し、若さという資本を食い潰す。

だから、見つけなければならない。
やりたい仕事と目標を。

幸いにして、N島には不労所得生活という目標があります。
あとは、自分の好きな方法でそのための資金を手にすることを決めなければなりません。

決断をしないことを決断してしまうと、自分の唯一の取り柄である若さが損なわれてしまう。
だから、より速く決断しなければならない。

では決断をするために必要なものは何であろうか。
繰り返しになってしまいますが、それは知ることです。

知らないから分からない。

であれば、どんな職があるのかを知り、どんなことが好きなのかを自分に問う必要がある。


いろいろ考えたんですが、N島は文章を書くことが好きなようです。

文章を書いている時は、苦痛を感じませんし、飽きるということもありません。

こうしてNスポを書いているのも、文字にして情報を発するのが好きだから続いているのでしょう。

そして、以前に友人に分析が得意だねと言われました。
自分自身は気付きませんでしたが、物事を突き詰めて考えるN島の性格は確かに分析に向いていると言えるかもしれません。

分析というと、やはりマーケティングや問題発見と解決になるのでしょうか・・・・
ということはコンサルタント系かなと思ったりもします。

しかし、実績のない人間がコンサルタントになれるわけがない。
そうすると、腹を括ってコンサルタントの会社に入社するのが良いのだろうか・・・・

確かに無形の物を販売するのだから、自分が思う価値を生み出す行為だと言える。


だが、他にも考えなければならない要素がある。

常々思う通り、時代はITだ。
だから、ITから遠い仕事は将来性において有望とは言えないかもしれない。

確かに中国の経済に牽引されて、鉄鋼業界などは好調だが、それもいつまで続くだろうか。
手放しに、ITから遠い仕事に未来があるとは思うことはできない。

であるから、N島にとって仕事のプラス要素のキーワードとしては、文章による情報の伝達・分析・ITとなる。

逆にマイナスの要素は何か。
そう、会社員時代に先輩に言われたが、N島は会社勤めには向いていないかもしれない。

というのも、尊敬できると判断した人間以外から指図されることがかなり嫌いだ。
いや、尊敬できる人でも命令には好意的に受け取れない。

やらされることというのはどうしても反発してしまう。

そう考えれば、先輩の言うとおり組織の下につくのは向いていない。
嫌いなことを排除して残ったことをするという消去法も必要なわけだから、親父の店の昼間の経営という選択は正しいかもしれない。

そう考えると、不労所得生活をしようと思うことはN島にとってベストな目標なんじゃないだろうか。

嫌いなことを避けるためにはどうしても必要だ。

現状ではここまでしか、詰めて考えられてはいない。
要素は4つ。

文章による情報発信とITと分析、そして命令されないこと。
この4つの要素を円にしたとき、重なる部分が最も多い仕事が現状での天職となる。

そんな仕事があるだろうか。
それとも、まだ要素や情報が足りないのだろうか。

ただ、朧げながらやりたいことの輪郭が見えてきた。
後はそれを具体的なものにしていかなければならない。

まずはIT業界やその業界における資格についての本を読むことにしようと思う。

N企画
毎日、コーヒーショップで読書。



2月13日

この日だけの吐露

先ほどから、思考は彼女のことばかりだ。

女々しいと自分を叱咤する。
明日からは強がり続けよう。

が、今日だけはそのままでもいいかもしれない。
友人が別れた時、前を向くしかないだろうと思っていたが、自分の番の時はそれほど理屈で割り切れない。

矛盾だなと自嘲気味に笑う。

先ほどから、同じことばかり考える。
今なら、まだ間に合うかもしれないと。

本当に女々しい。

チャンスの女神様はいつだって前髪しかない。
そう思うなら、何故もう少し早く行動をしないんだ。

今まで気付かなかったが、俺はかなり彼女のことが好きだったんじゃないだろうか。
じゃなきゃ、5年も保つわけがない。

そんなことすら気が付かなかった。

好きでもない人間と5年も過す奴はいないだろう。
4年以上付き合っているという事実を真剣に考えたことはなかった。

もしかしたら、くだらない見栄やプライドを捨て去ればいいのかもしれない。
しかし、そんなに安易でいいのか?

何度か彼女から、まだ間に合うサインが送られた。
俺はそれを分かりながらも見逃した。

物語に酔っ払っているのは俺じゃないか?
意思に反することを宣言して、それを貫徹することが格好いいと、そう思っていないだろうか。

楽になる方法は簡単だ。
今すぐ、彼女に電話をすればいい。

もしかしたら、期待に反する回答がくるかもしれないが、それでも、現状で何もしないよりは遥かに楽だろう。

ただ、俺はもっと苦しむべきだなと思う。
友人の痛みも分からんかったし、気付くのが遅すぎる。

考えれば、喧嘩をしながらも、文句をいいながらも長いカップルはいる。
やはり、どこかで口とは裏腹の部分があるのだろう。

本人すら気付いていないかもしれないが。


悔やまれるのはしてやらなかったことばかりだ。
付き合い始めの頃、彼女はおそらく俺にしてほしいことを俺にしてくれていた。

俺はそれを悉く一方通行のままにした。

何故、同じことをしてやらなかったのだろうか。
そうしていれば結果が違っていたかもしれないという後悔はないが、もうそうしてやることができないという事実が、悔やまれる。

一期一会、そう、その時、その場で、その人達と時間を共有するのは、その1回しかチャンスがない。

実体験からしか学べないんだな、人は。

いくら言葉を知っても意味がない。
感覚で分からないんだから。

おそらく、経験のない人間は俺が酔っ払っているように見えるんだろうな。
多分、一昨日までの俺も、これを見たらそう思うだろう。

思った以上に、自分がガキだと思わされた。
こんなにも人間が分からない状態で勝とうなどと思うこと自体、驕りではないか。



先ほどの彼女の言葉を思い出す。

どこに行っても一緒に行ったことがあるから、思い出すね。


本当にそうだ。

先ほど、清水丘公園を散歩した。
1年目に浴衣で花火を見たところや、夜にドライブしたところ、一緒に散歩したところ、隣に彼女がいない状態のままで通ったことのある道は1つとして存在しなかった。

年月の重みだな・・・・

黙っていることが堪らなくなり、友人に電話をすることにした。
あまり近すぎる友人に話す気にはなれない。

高校時代の友人で会社が近かった男に、退職した旨と別れた話をした。
友人は俺よりは感情の分かる人だったが、やはり合理的だった。

今、そう思うならすぐに電話した方がいい。

俺はできないと答えた。
欲求に反して、そうしてはいけない気がする。

これもくだらない見栄とかプライドなのだろうか。

思えば、無償の味方など彼女くらいしかいない。
何度も、いろんなところで要望のサインに気付いていたはずなのに、それを無視しつづけた。

その対価を支払うことは当然のことかもしれない。
学生時代に怠惰のツケを溜め続けた。

そして、社会人になってそのツケを完済した。

同様に、他人の感情を無視しつづけた膨大な量のツケが溜まっており、これからその支払が始まるのかもしれない。

であれば、必然だろう。
苦痛を感じるのは。

支払が滞っているのだから。

ただ、黙って思考をしていられなかった。
ついつい、気分を落ち着けるためにこうして文字を打ち込んでいる。

贖いのつもりなのだろうか。
懺悔のような文句を書き連ね、溜まっているツケの支払を回避させてもらうよう許しを乞うているのだろうか。

駄目だな、こりゃ。
普段、散々に偉そうな能書きを垂れ流しているくせに。

しかし、今日だけ、今日だけ勝手ながら甘えさせてもらおう。
感情の力を前向きなものに変えるために。

明日からは、いつもどおりだ。

珍しく、自分の心情をありのまま書いた。
いつもは知的武装オンリーだ。

大分、落ち着いてきた。
今日はもう寝た方がいいかもしれない。

今晩もまた、眠れないのだろうか・・・・
少し、不安を感じる。

しかし、今日だけの吐露をして、すっきりしたかもしれない。
逆に読まされるほうは、堪ったものではないかもしれないが。

今、何を求めて、この情報を発しているんだろう。


おそらく、理解だろうな。
そんなことを考える。

さあ、明日から頑張ろう。

N企画
自己分析の深耕



2月12日

清算

現在は2月13日の17時50分。
1〜2日間の間にすべてを清算するのには5年と言う月日は長すぎたのではないだろうか。

珍しく、感傷的な自分に意外性を感じる。
今日、物心がついて初めて他人のために泣いた。

付き合っているときは、悪いところばかり目がついたが、いざ別れるとなると彼女がしてくれたことやいいところばかり思い出した。

日常的な生活に明日から大きな要素が抜け落ちる。
普段、否定する物語体質に自分がなってはいないだろうか。

いや最後くらい、いいだろう。
今日だけは強がるのをやめにしよう。

彼女からの清算をするための電話が鳴った。
必要以上に、明るく振舞う彼女の声が聞こえる。

彼女なりの矜持なのだろう。

それに応える明るさで電話に出た。
彼女が車で貸していた本を持ってきた。

ついでに読みたがっていた「働くということ」をくれた。
そして、1日早いバレンタインを渡される。

ありがとうと礼を言う。

自宅に本を置きに行き、普段よく聞いていた「永遠に」のオルゴールをあげた。

車に乗り込むと、ネットでの不動産の検索の仕方を教わるため、漫画喫茶に行った。
最後まで自分達らしい。

最終講義が終わると、約5年前はじめてデートをした喫茶店で珈琲を飲んだ。
伊勢佐木町にあるコーヒーショップ南蛮屋だ。

お互いの注文の予想を当てあう。
驚くほど正確だ。

この店もいつまであるのだろうか・・・・
こんなことを考えるなんて、本当に今日はおかしい。

はじめてデートした店で静かに思い出話をした。


こんなはずじゃなかったのに・・・泣く予定ではないのになあ・・・・

言いながら、彼女はボロボロ泣いていた。

つられて、自分自身も泣いた。
おかしい、俺はこんな人間だったか?

普段、まったく感情が薄かった自分にこんな感情があることに驚かされた。
そして、実は虚勢を張りつづけていただけなのかもしれないと思った。

それを教えてくれたのかもしれない。
ありがたいことだ。

だとすれば、最後の最後に彼女は大きな教育をしてくれたことになる。
感謝しなければならない。

旅行の話や印象に残っているお互いの言葉を話す。
最後だけは美しく終わりたい。

常日頃、お互いが考えていたとおり、いい終わり方ができそうだった。
未練と執着は終わりを汚す。

お互いに、感謝を伝え合えたと思う。

そして、締めにプリクラを撮った。
何年ぶりだろう・・・・

鼻を真っ赤にした彼女の写真を見ながら、これで最後だと思った。

駐車場で彼女の車に乗り込み、少しだけドライブをして解散することにした。
産業道路のいつもの道を通り、いつものファミマで缶コーヒーを買う。

何もかもがいつもどおりだった。

しかし、もうこうすることはない。
彼女はまだ泣いていた。

相変わらず、涙もろいな・・・・

けど、それが俺に対する情の深さや彼女自身の優しさなのかもしれない。

帰り道はいつもと少し違う道で帰った。
高速を使い、狩場で降りる。

保土ヶ谷から清水丘の方に向かって俺の自宅が近づいてきた。

自宅の少し手前で、車を降りる。

ありがとう・・・

それが最後に交わした言葉だった。

N企画
どう生きるかの答えをだす。



2月11日

下された決断

午後6時から6時間飲んでいた酒が抜けていない。
現在は2月13日の午前3時。

体が睡眠を欲している。
だるくて仕方がないのだが、反比例するように目が冴える。

布団を被り、潜り込んだまでは良かったが意識が睡眠の世界へ行くことはなかった。
もう一方の当事者もこうなのだろうか・・・・

そんなことを考える。

0時過ぎに一緒に飲んでいた友人達と別れた。
途中から彼女が参加して、友人達と別れた後、近所のデニーズで少し話をした。


考えれば、いくつもの伏線が思い当たった。
しかし、その伏線の結果を理解するのが今日だとは思わなかった。










別れよう・・・・


言いにくそうに彼女が切り出した。
しばらくの沈黙の後、答えた。


そうか・・・・


運ばれてきたホットミルクティーを黙々と口に運ぶ。
いつかはしなければならない話だった。

ただ、少し相手に対して無関心すぎたかもしれない。
近い未来のことかもしれないが、それが今日、明日の話になるとは考えてはいなかった。

が、なんとなくそうなるだろうと予感めいたものは感じていた。
それは、そうだ。

物事には予兆がある。
彼女の言葉や態度、そういったもので情報は受け取っている。

ここ2ヶ月の精神的な不安定さはおそらく切り出すための準備だったのだろう。
少なくとも、いきなりではない部分に彼女の持つ人間の優しさを感じた。

遡ると、約5年前。
付き合い始めの頃に、1つ約束をした。

何度か確認したことだが、彼女は覚えているだろうか。


相手を必要以上の不安にさせるようなことがないように、本当に別れることを決断した時以外は別れ話はしない。

その別れ話をされた。
少なくとも、彼女は現状を変えるための決断を下したのだ。

自分で選択をし、行動を取った彼女が嬉しくもあり、寂しくもある。
きっかけは彼女も話していたとおり、昨年の秋口に行った合コンだったようだ。

俺以外の人間を知った方がいい。
少なくとも、彼女のためを考えると、合コンに行くことを否定する気はない。

たとえそれがきっかけで別れることになってもだ。
それを禁止して阻止したところで、結局はどこかで同じ事にぶつかる。

きっかけを合コンだと聞いても、今後新しい彼女ができた時もおそらく同じシチュエーションで100回中100回、背中を後押しするだろう。

行ってこいと。

自分に彼女の人生を制限する権利はない。
人間的な成長をした方が、お互いのためだ。

その結果、今の彼女は新しい世界を知り、そちらを魅力的と考えた。
彼女の世界が広がった。

そして、広がった世界と比較して俺という人間を選択するなら、そうすればいいし、違う方がいいと考えるのであれば、そちらを選択すればいい。

彼女は後者を選択した。

自分にこのままNEETとして腐れない理由がまた一つ増えた。


負けられない。
比較をして負けたのではないかもしれないが、少なくとも別れて良かったと思われるような人間にはなれない。


それが自分という人間の矜持だ。
そして、5年近く付き合った彼女への感謝も込めて成長を続ける必要がある。

彼女が最初に付き合った男が最悪だったら、だめん○うぉ〜か〜掲載コースだ。
そして、二十歳からという一番の充実した5年間を否定することになる。

それは失礼にあたらないだろうか。
だから、また一つ駄目人間になれない理由ができた。

そして、なんとか彼女を巻き込むことで成立させてきた運動と不動産の勉強を自分一人でやっていかなければならなくなった。

己を律し続けていけるだろうか。
いや、愚問だ。

しなければならない。
ここでできないような男であれば、彼女に恥をかかすだけだ。

目が覚めたら、これまでの関係の清算をする。
ホムペのリンクは残しておくが、紹介文を替えなければならない。

彼女のページは見るつもりはない。
ただ、1段落したらその時、まだつながっているようなら見ようと思う。

5年後か10年後かは分からないが・・・


口先だけで終わるか実を伴なえるか。
Nスポ読者の目を常に意識していきます。


最後に、デニーズで彼女はボロボロ泣いていた。
俺のために流してくれる涙を見て、少し救われた。

俺という人間と付き合ったことに後悔がなかったことが分かったから。

デニーズを出ると、いつもの交差点で別れた。
いつもどおりに。

現実感のなさが逆にリアルだ。
始終冷静にいられたと思う。

そして、帰宅後も冷静でいつづけられていると思っていた。
実際に冷静だったが、眠れない、少しも。

いろいろ、走馬灯のように過去を思い出した。
5年は長い。

今までの人生の5分の1を共に過ごした計算だ。
大学3年から、卒業、就職、退職、といった自分の大きな行事を祝ってくれた。

健康と同じかもしれないな・・・・
ふと思う。

しかし、これは現実だ。
いつまでも、振り返っていても仕方がない。

この場を借りて、彼女に最後の礼を言おう。
彼女は見ないかもしれないが、人が伝えてくれるだろう。



約5年もの長い間、付き合ってくれてありがとう。

キミのおかげでたくさんの教えられたことがあった。

そして、たくさんの無茶に付き合ってくれたことを感謝します。

今まで本当にありがとう。



N企画
誰か上記4文を2月14日以降に彼女のページへ伝言してください。無論俺からで、伝言であることを説明したうえでお願いします。お手数ですが、どなたか引き受けてくださることをお願い申し上げます。



2月10日

信が人を動かし、疑が人を腐らせる

先日、父の飲食店を昼間N島が行うという話を詰めるために、父の新店に始めて顔を出しました。

外見とは裏腹で中は思ったよりも広く、いい店でした。

ただ、みなとみらい線が開通し、東横線の桜木町駅がなくなった影響もあり、以前は華やかな飲み屋街だった野毛の通りも、大分閑散としています。


まだお客さんがそれほど来店していない父の店で父と話を詰めている際に、N島のモチベーションを上げることがありました。

と言うのも、N島から直に父に昼間の経営をさせてくれと言う話は実は今までしていなかったんです。

母づてに、チラッと話していただけで、実際にはこれからすべて決めていくつもりでした。

母は新店舗に反対をしていたのですが、過去を見る限り、父はおそらく振り切るだろうと思っていたんです。

で、N島の予想通り、父は母の反対を振り切って開店しました。
その時、母には開いてしまったものをいつまでも反対していても仕方がないから、勝手に協力して上手く行くように手伝った方が建設的じゃないかって話をしたんです。

その話が伝わったのかどうかは分かりませんが、店に行くと店内に看板があったんです。

まだ使用されていない看板を何故店内に飾っているのか疑問に思い、よくよく眺めると、N島を驚かせる内容が書かれていました。

その看板には、「競馬中継中」との文字が躍っていました。
まだ、父には正確に話した内容ではないのに、N島がやると母づてに聞いたことを既に完全に信用して先に看板を作っていてくれたようです。

久し振りに感動しました。
人は自分がこうだろうと思っていた以上のことをされると感動します。

父が、ロクに話を詰めてもいない内容のN島がチラッと言ったことを完全に信用して形にまでしてくれていた。

その自分を信用してくれているという形が、N島の言葉の責任と有言実行しようとする意思を鼓舞してくれています。

これは早急に実行しなければならない。
そう、思わされました。

そこで今朝早速、グリーンチャンネルやらIPATの使用できる範囲やらを調べました。
詳細は後日書きますが、世の中は規制だらけだと思わされる結果でした。

さて、ここで対比して考えたのが、辞した会社のことです。
何故あんなにやる気がなかったのでしょうか。

父の信との対比で考えて、思ったのですが、会社に信がなく、疑だけがあったからなんですよね。

そう、会社は社員のためにということは何一つ考えていないんだなと思わされることばかり行っていましたし、疑だらけでした。


信が欠けている。


だから、N島以外でも2004年から2005年の1年間に営業職を辞した人間が約20人中7人もいるんです。

結果を出さなければ、信がないのは当たり前ですが、ただどちらが先かという話です。
基本的に水と同じで高きところから低きところに流れるのが筋です。

同様に、先に与えるのは器が大きい方から小さい方です。
会社という容器が個人より小さかったら問題だと思います。

人間として扱われたかったら結果を出しなさいとするスタイルは、感情的には分かりますが、器に疑問を感じます。

疑われたくなかったら先に結果を出せ、さもないと疑うよという脅迫的なスタイルに反感を持っていたんでしょうね。

だから、まったくやる気がなかった。
まあ、やる気があったら仕事を辞めたりはしませんが・・・・

全面に押し出された信を受け、こんなようなことを考えました。

N企画
無条件の信を提供できるかアンケート



2月9日

パワープレイ

本日、漫画喫茶にて殷周伝説を読んできました。
殷周伝説と言うのは、中国の最初の王朝殷とその後の国家周の歴史的な話です。

名軍師太公望呂尚が登場する時代の話で、その呂尚の言葉、「覆水盆に返らず」は今でも伝わる有名な故事です。

最初の5〜6巻しか読めませんでしたが、殷と言う国が滅んでいく様子が書かれていました。

一番の原因はパワープレイにあると思います。
つまり、力押しです。

権力を握った者が、その力を頼みにし、我を押し通すことで、部下の反感を買い、乱が起こり、国が滅びます。

世の中には当然、道理があります。
その道理を無視して、うまくいくはずがありません。

感情に負けて、その道理を踏みにじる者は、結果的に踏みにじられます。
辞書を引くと、道理とは・・・

物事の正しいすじみち。

また、人として行うべき正しい道。

とありますが、N島は万人にとっての落しどころを実行することだと思います。
だいたい、相場と言うものが世の中に存在するとおり、すべて自分の思い通りにいくことはありません。

他者との関係を含めて、落しどころというものが存在します。
その落しどころをわきまえているか否かで道理の分かる、分からないが決まります。

例えば、物の値段と一緒です。
電気やガスや塩や水といった生きるに必要な物の価格が法外な金額だったらどうでしょうか。

そんな国は暴動が起きます。
売る側は極限まで高く売りたいし、買う側は極限まで安く買いたい。

その折衷策として、落しどころの価格が存在するのです。
ですから、自分のこうあるべきだという思考も、他者が絡む限り、相手のこうあるべきだという思考とかね合わせて、落しどころを見つけて、そこに行き着くようにしなければなりません。

同様に、相手と意見が分かれた際も、それは違うと頭ごなしに否定をすると、敵にしなくても良い人間まで敵にしてしまう可能性があります。

相手の意見と自分の意見との折衷した意見であればいいのでしょうが、交わらないと悟ったら沈黙するのも賢い手段です。

それができないと、殷と言う国のように、自分の非に気付かず、他者の所為にしながら滅んでいくことになります。

他人を鬼にするのも仏にするのも、自分次第です。
N島が見る限り、他人を仏にできる人は鬼をも仏にします。

逆に、他人を鬼にする人は仏をも鬼にします。
自分には味方が多いでしょうか、それとも敵が多いでしょうか。

もし、味方よりも敵が多いと感じたのなら、どこかで行っているパワープレイをやめるべきです。

味方よりも敵が多いと感じると言うことは、おそらく自分で作らなくてもいい敵をせっせと作っていると言うことになります。

そんなことはないと思ったら、要注意です。
敵は作らなきゃできないんです。

味方も同様です。

最初からの敵など存在はしません。
敵がいるのならば、作っているのは己。

それにすら気付いていない自分がいたら、危機を感じた方が良いです。
N島も自分で主張している内容がすべてできているわけではありません。

いや、むしろ既に主張内容を実行に移せていたら、天下を取っているでしょう。
なので、それほど大きなことは言えませんが、自分の気付き、発見を大事にしたい。

理解しているだけの2流ではなく、理解していることを実行できる1流へと昇華していきたいと思います。

N企画
ムササビの術を体得



2月8日

競争

金沢に旅行中、何度かタクシーを利用しました。
そこで少し思うところがありました。

加賀温泉に行ったときのことです。
金沢駅から、2台のタクシーを利用して温泉へと向かいました。

目的地に着くと、N島が乗ったタクシーの運転手は料金を受け取り、黙って去っていきました。

ところが、もう一方のタクシーの運転手は、料金を受け取った後に、温泉の後、どうするのかを聞いてきました。

そこで、荷物を駅までに取りに行き、その後、空港に向かうと話したところ・・・

空港までは普通に行くと4500円、ここまで駅から来るのに1700円で6000円近くかかる。

もし、帰りも乗ってくれるのならば、駅に寄って荷物を取り、空港まで乗せていった上で、料金は5000円でいいと話を振ってくれました。

N島達はその条件で快諾して、交渉成立。
温泉を満喫した後、もらった携帯電話の番号に電話を掛け、そのタクシーとそのタクシーが連れてきたもう一台のタクシーを利用しました。

よくよく話を聞いてみると、地方都市なので当然車社会です。
駅で待っていても、家族が車で迎えに来るため、利用者はほとんどおらず、1日に3〜4回くらいしか仕事がないそうです。

ですから、良くても1日の売上が1万円。
半分が会社で残りが自分のになるので、一日朝7時から夜11時まで働いて、5000円未満にしかならないそうです。

おまけにタクシーは24時間制なので、2日に一度が仕事です。
そうすると、月に15日の稼動で1日5000円。

月収が7万5千円。
年金を貰いながらでないと、とても計算が合わないそうです。

つまり、仕事が枯渇しており、かなり仕事が欲しい状況なわけです。
その時、特にサービスも提案もせずに去っていた運転手はそれでお終いですが、N島達に提案した運転手はなかなか優れた営業手法を使ったと思います。

と言うのも、安くなればN島達にとってもメリットがありますし、運転手には1日の半分の売上になる仕事が約束されます。

おまけに2台分必要なので、仲間に紹介することができ、自分の株を上げることができます。

そうすれば、紹介した運転手にいい話がきたときに、自分に回ってくる確率は非常に高い。

1石2鳥とも言える考え方で、N島はこの運転手のことをかなり評価しました。
ただ、黙って手をこまねいていては見えている仕事ですら見落とすのに、自ら率先して仕事を得ようとするその態度に好感を得たのと同時に、自分もこうあるべきだと思いました。

そう、足掻く者にはチャンスが来るんです。
足掻かないとチャンスすら見落とす。

待っている人間に果報が届くと言うのは昔の話で、果報が欲しければ、果報を手にするための行動を取らなければならない。

欲しい物を諦めるのではなく、どうしたら手に入るかを考える姿勢は模倣すべき内容だと思います。

少ない仕事の取り合いになる金沢のタクシー業界での競争で、打ち勝つための努力をしたこの運転手に敬意を払いたい。

他人の行動には学ぶところが多いと、再認識しました。

N企画
そろそろ激辛カレーに挑戦



2月7日

旅は視野を広げる

と思わされました。
というのも、世の中とんでもない食いしん坊が存在するんです。

トレードマークはペ○ちゃんの口元。
そう、あの口からはみ出した舌と両手にナイフとフォーク。


それが彼を象徴するマークとなります。
名誉を保護するためにも、彼の名はM君とさせていただきます。

M君の逸話はすごい。

M君は一人暮らしをしながら、大学に電車で通っています。
しかし、彼はすぐお腹が空いてしまいます。

ですから、一駅区間何も食べないと、お腹の音が他の乗客の迷惑になってしまうので、自宅から学校までの間、一駅一駅降りて、立ち食いそばなどを食べるらしいです。

一日の食事回数は最低6回。
朝食、10時のおやつ、昼食、3時のおやつ、夕食、夜食。

ただ、10時のおやつはカレーやハンバーグといったそれなりのボリューム感のあるものでなければいけません。

そうしないとお腹が減って失神してしまいます。
6回の食事のうち、1つでも抜いてしまうと、餓死してしまいます。

ですから、常に食べ物を常備しています。
ポケットにの中にはスニッカーズが最低4本。

そして大事な飲料であるハチミツ。
そう、彼はお茶や水の代わりにハチミツを飲むんです。

ハチミツがないときは、ハーゲンダッツを飲みます。
食べるんじゃなくて、飲むんです。

ですから、彼はいつもおいしそうな匂いのする汗をかきます。
そのためか、M君にはいつも全身に蟻がたかっています。

M君を探すのには携帯電話は必要ありません。
蟻がいつも行列を作っているので、学校内で蟻の行列を追いかけていけばいいんです。

たまに蟻だけではなく、蝉やカブトムシがついていることもあるのでM君は子供にも大人気です。

ただ、お腹が減っている時のM君にあまり話し掛けてはいけません。
お腹が減っているとかなりご機嫌が斜めです。

下手をすると、あまりの空腹に齧られてしまう可能性もあります。
N島もM君との旅行中、大変でした。

今でも、左腕にはM君の歯形がくっきりと残っています。
もし、あのときパイの実を持っていなかったらと思うと、背筋が凍る思いです。

M君はお腹が空くと、手当たり次第、お腹に入れてしまいます。
まだホテルから連絡はありませんが、M君は旅行中、とんでもないことをしてしまったんです。

M君とN島は部屋が別だったので、夜中に寝ているところを食べられてしまう不安はありませんでしたが、その代わりにM君のお腹を知ることもできませんでした。

なので、どれほどM君がお腹が空いていたのかは想像もつきません。
一通り食事を取った後、M君たちは室内でお酒とおつまみを用意して小宴会を楽しんだそうです。

食べ物もなくなり、午前2時ごろ、次の日に備え、小宴会はお開きとなった。

消灯され、皆が寝静まった頃、同室のH君という人が奇妙な音に目を覚ましたんです。
不審に思い、暗がりの中時計を見ると、時刻は午前3時。

ふと、隣を見ると、寝ているはずのM君の姿がありません。
まだ不審な音は続いています。

ガリガリガリ・・・・

怖くなったH君はそのまま布団を被り眠ってしまったそうです。
そして、朝起きたとき、昨晩の音の正体が分かったのです。


見ると、あるべきところにあるはずのものがありません。
M君は、M君はなんと・・・・・












冷蔵庫を食べてしまったようです。
昨晩のガリガリと言う音は、M君が冷蔵庫にむしゃぶりつく音だったんです。

皆が寝静まった頃、空腹に耐えかねて起き上がったM君は、いけないとは思いつつもつい冷蔵庫に手を出してしまった。

だから、そこにあるはずの冷蔵庫が忽然と姿を消していたのです。
すごい人もいるもんだ。

N島は感心しました。
世の中は広い、自分がかつて見たことのないようなほどの食いしん坊も存在するのです。

食を大切にする気持ち、それをM君から教わったと思います。
M君に幸あれと願わずにはいられません。

N企画
山手線全駅で立ち食い蕎麦、何駅までいけるかに挑戦。



2月6日

リアルなドラえ○ん

旅行から帰ってきました。
北陸はやはり寒い。

旅行ですから、ワイワイ騒ぎながらの移動。
楽しいものです。

そこで、ふとタイトルの会話になりました。
ドラえも○はそれ自体の存在は非現実的ですが、もし、彼がいなければどうだったでしょうか。

かなりリアルな話になります。
オリジナルの話では、ドラ○もんのいないの○太はジャ○子と結婚し、事業を起こし大失敗し、子孫100代にわたる借金を負います。


これは古き良き時代の世界一の治安を誇る平和な日本においてという前提で成り立っています。

もし、これが現代だったらどうでしょうか。
ドラえ○んのいないの○太はどんな暮らしを強いられることになるのか。

誰からも期待されていない○び太、彼の存在を必要とするのはジャ○アンとス○夫だけだった。

それも、正確には違う。
の○太が必要なのではない。

の○太が家から持ってくるお金が必要なのだ。
毎月15日。

それが、ジャイ○ンとス○夫に一方的に約束させられた上納金の日。
母に交渉するの○太。

しかし、そんな金はないと突っぱねられてしまう。
逆に、先月交渉して失敗した際に、黙ってお金を抜いたことがばれていて、それも合わせて叱られた。

上納金の日は明日。
金策のアテはない。

もし、約束を守れなかったらどうなるだろうか・・・・
顔が変形するほど殴られ、屈辱的なことをさせられるに違いない。

嫌だ・・・・
教師に相談しようか・・・・

いや、前回相談した時には自分の問題は自分で解決しろと叱られた。
そもそも、自分に期待をしていない他者に救いを求めることほど愚かなことはないだろう。

将来的な利が見込めない人間に対して、救いの手を伸ばしてくれるほど世の中は甘くはない。

両親に相談しようか・・・・
いや、駄目だ。

もし、そんなことをしたら、必要以上の不安を両親に与えてしまう。

しかも、密告君。
そう呼ばれ、なお激しい折檻を受ける自分の姿が想像された。

何故、自分だけがこんな目に合うのだろう・・・・


それは取り柄がないからだ。


頭が良かったり、喧嘩が強かったり、スポーツの才能があったとしたらどうか。
おそらく、こんな状況には陥らなかったに違いない。

どれかの才能があれば、役に立つと思われるだろう。
自分の役に立つ人間を叩く馬鹿はいない。

それにしても・・・・
金に困っていないス○夫にまで何故、お金を取られるのだろう。


きっと、面白がっているんだ。


5万円は小学生が要求するには大きすぎる金額ではないだろうか。
大の大人ですら、毎日財布に入っている額かと問われると、難しいと答えざるを得なさそうな金額だ。

ス○夫の奴は面白がっているに違いない。
人の痛みは自分の痛みではない。

どちらに転んでもいいのだろう。
用意できなければ、それを口実に殴ればいいし、用意できたら豪遊すればいい。

の○太は頭を抱えていた。
時間だけが刻々と過ぎていく。

解決方法はあるのだろうか・・・・

あるとしたら、どちらかがいなくなるしかない。
自分か、それともあの二人か。

チラっと机の上に目を走らせる。
カッターナイフが目に止まった。

工作用の太いやつだ。

それを目の前に持ってきた。
鈍い金属の光を放っている。

少考した後、箪笥から未使用のベルトを取り出した。
カッターとベルトの2つを並べる。

大きな分岐路だった。
カッターを持って、学校に行くのか、ベルトを持って裏山に行くのか。


頭の中に新聞の見出しが躍る。


キレル少年、いじめ少年二人を刺殺。


少年、いじめを苦に自殺。


どちらが、両親に迷惑をかけない方法だろうか。
考えた。

考えた結果、の○太は決断を下した。
すべてを清算するために。

の○太が選択した道具は・・・・














両方だった。

電話を掛け、金が用意できたことを二人に告げた。
明日になるとまずいから、夜に空き地へ来てくれと話す。

念のため、カッターの1番上の刃を折った。
約束の時間まで、まだ間がある。

の○太は最後の矜持を見せるための遺書をしたためた。
明日は、大騒ぎだろう。

生徒が3人もいなくなるのだから・・・・

こうして、凶悪犯罪の低年齢化が進んでいくのだ。
ドラえ○んがいないだけで、何故こんなにも話がリアルになるのか。

そんなことを話しました。
って嫌な会話だ・・・

N企画
再度、金箔張りに挑戦



2月5日

俺流

落○監督が使うこの言葉ですが、これを使うことを許されている人は極少数です。
その少数の人とは結果を出している人です。

結局、人は皆、自分の思うところがあり、それを他に認められたいと思う気持ちがあります。

N島もそうですし、他の人もそうでしょう。
ただ、それを他に認められている人の絶対数は少ない。

傍から見て明らかになる結果を出している人だけのみが、俺流が認められます。

結果を出している限りは、いくら非常識的なことであっても、それは正しいことと認識してもいいと思います。

逆に、いくら理想的なことでも結果を出していない人が言った言葉には現実味がありません。

今、ニートとなって感じることですが、いくらN島が不労所得生活を説いたとしても、N島の現状がそれに見合った結果でない限り、どう考えても画餅です。

逆に、もし、N島が幸福な不労所得生活を築いていたらどうでしょう。
自分にも可能なはずとは思いませんか。

現実の結果は凡人以下であるとN島も認識しています。
しかし、そのN島が見事自分の思うところを達成したらどうでしょう。

他の人にとっても、N島にできたのだからと言う励みになるのではないでしょうか。
ニートになって感じることですが、自分自身のためにも、他の人の自分はこうだからという否定的な認識を破壊するためにも、凡人以下の結果を出しているN島が非凡な結果を叩きだし、人間に不可能がないことを証明したい。

意志があるところにその望みが叶うことは決して詭弁ではないと言いたい。

そう思います。
ですから、N島の俺流を説くためにも結果が必要です。
だから、負けられない。

本当のニートになるわけにはいかないんです。
背負っているものが自分だけではなくしたい。

他人の可能性をも背負っていると認識したい。
もし、N島が駄目だったら、Nスポ読者の中でやはりどこまでいっても才能のない奴は駄目という認識を持って、諦めてしまうかもしれない人がいるかもしれない。

そうでないことを証明できれば、もしかしたら、他人の眠っている才能を起こす手助けができる可能性があります。

だから、そうありたい。
勝手な思考ですが、他人の可能性をも背負っていると思えば、より腐敗せずに済むのではないでしょうか。

実は読者の皆様には非常に感謝しています。
というのも、毎日隠れ読者がいるおかげで、みっともない姿は見せたくないという見栄が働くんですよね。

だから、腐りきらずに、どうにかしようと考えられる枷になっていると思います。

つまりは、相互依存なんです。

N島の発する情報で考えてくれる人がいてくれて、N島はその読者の目のために惰性に甘えない。

ホムペがそういったツールになればなと常に思います。
少し、酒が入っている所為もあり、飲みの場での延長のような更新になりました。

本日、知ったのですが、明日から金沢に行きます。
そのため、更新は火曜日の夜になると思います。

ご了承ください。

N企画
二ヶ国語を話すための学校に行く。



2月4日

冬の深夜の公園

には発見がある。
先日も恒例の運動で近所の大きな公園へと行った。

入り口に到着すると、中央に向かって芝生の上を歩く。
シャリ・・・シャリ・・・

芝生にできている霜柱を踏む音が、歓迎の声であるかのように感じて心地よい。
都会で霜柱などを踏めるところなどなかなかない。

それはそうだ、土に含まれる水分が霜柱の正体なのだから。
アスファルトに覆われた都会に霜柱ができるはずもない。

その非日常を満喫するため、わざわざ霜柱の上を歩く。
シャリ・・・シャリ・・・

ノスタルジックな楽しさがある。
他の人はあまり知らないだろう。

夏と違い、冬の深夜は人通りが少ない。
あれほど、運動の最中に見かけた通勤者も運動をする人も11月くらいからぱたりと見なくなった。

これほど人口密度が高い都会で、自分達以外の人間の存在がない場所にいることに神秘性を感じる。

だから、夏よりも冬の方が好きだ。
夏は分かりきっていることしか起きない気がする。

もちろん、冬もそうなのだが、人がいないという現実が何か不思議な気持ちにさせてくれる。

非現実的な事が起きるのだとしたら、夏よりも冬なのではないだろうか。


買ってから2度目の凧揚げをすることにした。
今度こそはとの気持ちを持ちながら走る。

この日は風があり、凧は正面より風を受け高く舞い上がった。

いいぞ、いける・・・

そう思い、コーナーを全速力で回る。
一瞬糸が緩んだが、失速する前に抜群の手応えを掴むことができた。

運良く、風も吹く。

よしっ!!と思った瞬間、凧は不可解な失速をし、無残にも地に崩れ落ちた。

どうしちゃったんだ・・・・
彼女に聞くと、何と木に激突してしまっていたらしい。

見ると、両翼が大破している。
短い寿命だった。

始まって5分も経たず、凧を失ってしまった。
仕方がないので、公園の外周を走ることにする。

公園内とは違い、公園の外には人がいた。
皆、車のエンジンを吹かしながら睡眠を取っていた。

タクシーの運転手、職人、トラックの運転手、様々な人がいる。
それぞれに職があり、家庭がある。

何故、こんなところで寝ているんだろう・・・

疑問に持ちながらも、何か干渉をするような思考をすること自体がひどくこの場に不釣合いな気がして、黙々と走ることにした。

1周目・・・2周目・・・・

変化はない。
3周目を走ったところで切り上げる。

息を切らせながら、彼女が乗ってきた車に乗り込んだ。

疲労で背もたれを倒しながら、外を眺めると、星や月が目に入った。
気温が低いと、空気が澄んでいてよく星が見える。

高層建築物が近くにないのも、さらにいい。

なるほど、これを見ながら眠るのも風情があるかもしれない。
少し、彼等の気持ちを理解した。

帰路に着きながら、次回の運動でまた発見があるといいな、そう考えた。

N企画
豚汁を作ろう!!



2月3日

人間は社会的動物である

最初に言った人物は知りませんが、なかなか的確な言葉だと思います。
能動的にしなければ、人と関わることがなくなって3日目。

ギャンブラーとしては、それほど苦ではありませんが、感じたことがあります。
それは、人間は人間と関わらないと退廃するスピードが凄まじい。

友人は皆、社会人です。
ニートと構っている暇などありません。

そうなると、当然、どこかの組織に所属しない限り、人との関わりがなくなります。
人との関わりがなくなると、意図を考える習慣や伝聞といった情報の提供がなくなり、思考しなくなっていきます。

思考をしないと、脳は錆つき、無気力になっていく。
このまま何もしないで1週間過ごす自分を想像して、ぞっとしました。

早期に目標の再確認、することリストの作成とそれの実行をしなければ、自称ニートから通称ニートになってしまいます。

少なくとも、日経ビジネスや啓発書の類を読んで、他人の発するプラスの情報に触れていないと、腐臭を放つようになるでしょう。

経済的な負け組みからそれの勝ち組みに転じようとしているのに、このままではN島が経済的な負け組みだと判断する人のさらに底をいってしまうことになる危惧があり、笑えない冗談になってしまう可能性があります。

それにしても、情報から遠ざかることで、情報の摂取を怠ることに対する危機感が強まりました。

また、無収入という背水の陣がN島を奮い立たせてくれます。
今まで保険を掛けすぎてきたのかもしれません。

その保険があるという安心感がN島を本気にさせなかった。

いや、正確には違うかもしれません。
できないことが存在することを否定するために、常に5分くらいの力で生きてきたのではないでしょうか。

退路を用意するために。

本気じゃなかったからという。

逆に言えば、本気で取り組んで失敗することを過度に恐れているのでしょう。
そちらの方が実りがある失敗なのに。

自尊心が本気で取り組んだことによる失敗を許さない。
思えば、いままでで唯一本気と言えたのが、大学受験だけでした。

半年間だけですが。
しかし、ここでも第一希望に通らなかったのは期間が短かったからという退路を用意している自分がいます。

しかし、今回は保険はありません。
親元と言えども、N島の両親は高齢のため5年後にいるとはかぎらない。

自分で望む生活をするための方法を手にしない限り、N島に未来はありません。
初めて、本気にならざるを得ない状況に、モチベーションは高まっています。


保険を幾重にもかけて、安全であることは賢いことのように思えますが、それは自分を完全に律することのできる人だけの話で、N島のような凡人は保険を外すよう、外すように生きないと、いつまでも仮想人生です。

今、この時が自分の人生の本番です。
決してリハーサルではありません。

自分のしたい仕事を見つけ出したいと思います。
生活をするための手段である仕事はそのままどう生きるかという問いです。

25年間生きて、すでに人生の4分の1強が経過。
しかし、まだどう生きるかを見つけ出せていない。

ただ、この先に対する不透明さがN島にスリルを与えます。
危険極まりないのですが、この不安が逆にわくわくする。

今まで在籍した社会よりも埋没するのか、それとも浮上するのか。
すべては己の双肩にかかっています。

N企画
早朝を散歩



2月2日

職を辞するということ

ニート生活も2日目に入りました。
そこで、職を辞するに至った経緯も含め、N島が考えた職について主張します。

生真面目な話になってしまいますが、まず職とは何でしょうか?

お得意の辞書を引いてみましょう

すると・・・


1担当する務め。また、その地位。職務。

2 生活を支えるための仕事。職業。

3 身についた技術。技能。

とあります。
一般的な意味合いとしては2番目の意味で使用されることが多いのではないかと思います。

そして、N島もそうであると思います。
つまり、食を取るために行う行動。

直接的にせよ、間接的にせよ、食物を手にし、口に運ぶために何かを作り出す行為。
それを仕事といい、その仕事のことを職と指すとN島は思います。

さて、そこでN島は何故その生きる手段である職を手放すことにしたのか。

端的に言ってしまえば、その方法では望む生活が手に入らないからです。
当然、みなさんご存知のように、人間の時間には限りがあります。

限られた時間の中でしか生きることができないのに、不満が多くていいのかとの問いにNOと言ったのです。

当然、在職中に現状や集めた情報を元に自分の未来をシュミレートします。5年後、10年後、20年後を。

そうなったときに、こうありたいと思っている自分の生活像からの乖離がありすぎた。
どう計算しても、計算が合わないんです。

人間目標があり、その目標のためならば頑張ることができます。
しかし、目標が無かったり、決してそのままの手段では達成されることがない目標だと知ると、無気力になります。

それを改善させようと思ったのが1点、そしてもう1点が面白味を感じなかった。
受身の職であったということです。

食うための手段は、必ず我慢や犠牲を伴なわなければならないものなのでしょうか。
常識的にはそうだとされています。

しかし、何かの分野に秀でた結果を出している人も果たしてそうなのでしょうか。
日経ビジネスや成功者の本を読む限り、そうではない。

面白くなきゃ、うまくいくわけがないんです。
だから、面白がれる物を見つけ出し、職にしようと決めたのがもう1点。

N島は俗物の固まりですから、美味い物を食いたいし、面白いことをしたいし、美女にモテモテになりたいわけです。

そのためには当然、自分を研磨しなければなりません。
じゃあ、自分を研磨するには何が必要かと言う話になります。

結論は、金と時間両方が必要。
そのために不労所得生活が理想系だと思うに至りました。

不労所得生活をするには自分の代わりに、投資と言う形で自分のお金に働いてもらう必要があります。

そのお金をどうするのか?
自分で他人にとって価値がある行動を行い、その対価として金銭を得ることになります。

その行動、つまり仕事を面白がりながらやらなければ、時間の損なのではないのかと考えたのが退社にいたった主な動機です。

ですから、これから自分で決めた期限までに、一生飽きないほど面白がれる物とそれを他人への価値提供という錬金術にする方法を考える必要があります。


皆さんには飽きないほど面白がれる物はあるでしょうか?


ないのであれば、見つけることをお勧めします。
もしかしたら、自分のどこかに非凡の種が残っているかもしれません。

それを腐らせたらもったいない。

N島も先々の計画は決まっていますが、足元が決まっていない。
本当の画餅です。

足元、つまり投資用の種銭を作るための方法が決まり、実行できれば後悔をしないですむ生き方ができそうですが・・・・

期限を決めて、それまでに決めることができなければ、不休で現金を貰える仕事を詰め込み、種銭を作ることになるとは思います。

しかしどうせなら、そうならないよう、面白がりながら目標を達成できる仕事を見つけ出せるように頭を捻りたい、そう考えています。

N企画
知り合い全員に飽きないほど面白がれる物はないか聞く。



2月1日

魅惑のニート生活

携帯電話の着信音が鳴った。
手探りで手繰り寄せると、N島は電話に出た。

もしもし・・・

―お疲れ様です。Fです。

ああ、おはよう。

―寝ていたんですか?

当然、何しろニートだからな。

―自慢にならないですよ。早く社会復帰してください。もうお昼ですよ。

うん・・・もうそんな時間か・・・で、どうしたの?

―N島さんから引き継いだ○○○の件で聞きたいのですけど、担当はMさんでよろしかったでしょうか。

ああ、そうだよ。ついでにNさんにも挨拶をしておいた方がいいんじゃないか。

―分かりました。ありがとうございます。

よろしくー、失礼します。

電話を切ると、大きく伸びをした。
今日から、何もしなくてもよいニート生活に入った。

自慢にならないことは百も承知だが、少なくとも満足していることがあった。
それは決断をし、実行したこと。

先日まで勤めていた会社は、他の平社員達もN島と同様にモチベーションを上げることができずにいて、不平不満を言いながら従事していた。

そんなに不満なら行動を起こすべきだとN島は感じていたが、彼等は目先の安定や面倒くささに負けていて、文句は言うものの決断と行動は伴っていなかった。

おそらくこの先も文句を言いながら、現状を変える行動をとらないであろう人たちの仲間から抜け出すことができたことに大きな満足を感じていた。

かく言うN島も、腹の中で昨年の7月頃から1月中退社と決めていたとは言え、少し前までは彼等と同じだったので、大きなことは言えない。

それにしても、縛られるものがない開放感は素晴らしい。
俺は自由だ、雲のように。

そうだ、これから雲のN島と名乗ろう。

病的と言っても過言ではない程ナルシストになりながらも、N島は満足げに頷いた。

しかし、注意しなければならない。
自由は自己に対して責任を伴なう。

自由になったはいいが、没落するも、浮上するも本当に己次第だ。
そして、基本的に人間は弱い。

楽なほうに楽なほうに流されるのが人間だ。
N島も決して例外ではない。

もし、自分を縛るための枷や計画といった物を怠惰にまみれる前に用意しなければ、新聞の3面記事の容疑者として載ることすら否定できない。

だから、まだ労働をしていた時の感覚が残っているうちに、清掃、計画、枷を作り出さなければならない。

最初の1週間が勝負どころだ。
来週からでいいと考えたら、きっと来月からになり、来年からになる。

不労所得生活を目指す以上、お金はスピードだという信念を覆してはならない。
早く現金を手にすれば、より早く、不労所得生活が近づく。

現金を早く手にする方法を考えなければならない。
そんなことを思いながらも、当座の生活費をどうしようかと思案した。

先週でギャンブルに負けまくり、給料日から1週間にして1万円しかない。

ニートなのに・・・・


確か、旅行に行く約束と飲みに行く約束があった。
このままではまずい。

月末には奨学金の支払と携帯電話代、積立金3万円の引き落としがある。

2月は給料が出るとはいえ、先々を考えると収入が必要だ。
おまけに、まずは目先の生活をどうにかしなければならない。

やはり・・・・スロットか・・・・


平日は休日よりも設定が甘いことを見越して、ニート初日はスロットに行くことにした。
12時から23時まで稼動する。

過酷だったし、途中5万円負けたときはもう駄目ポと思ったが、どうにか盛り返し、プラス1万円。

初日は会社勤めよりも割をあわせることに成功した。
しかし、どう考えても足りない。

閉店間際にクロスカウンターを仕込み、明日朝1で据え置き狙い。
どうにかプラス10万くらいになれば、一息つけるのだが・・・

にしても、計画はどうするんだ・・・
すでに明日でいいと思っている。

これが来週からでいいにならないようにしなければ・・・・
とか言いながら・・・


明日も朝一でスロットに行こうと決心するN島でした。

N企画
ニートを励ます会という飲み会を開催。もちろんニートは会費無料。